百四十九章 ドルイン港
百四十九章 ドルイン港
朝、ヴィオレッタたちは宿を出てドルイン港の視察に出発した。
ドルイン港に到着すると、やっぱり歓迎式が待っていた。エヴェレットの影武者セレスティシアがつつがなく、かつ礼儀正しく式典をこなしてくれた。
(ありがたい、ありがたい…エヴェレットさん、ありがたい!)
影武者セレスティシアのドレスの裾を握りしめて、ヴィオレッタはお題目のように心の中で念じた。
同じくドレスの裾を握っていたティモシーが小声でヴィオレッタに囁いた。
「あの二人…来てますね。」
「うん…間違いなく、スパイだね。」
式典を終えて、ヴィオレッタ一行が岸壁に近づくとツ〜〜ンと潮の香りがした。
「…この臭いは?」
ヴィオレッタの口を突いて思わず出た言葉に、エヴェレットが小声で教えてくれた。
「これが海の匂いですよ。海というのは塩の水です…これは塩の匂いですね。」
「…塩の匂いかぁ…。」
同行していたハックも、もの珍しそうに隣で何度も頷いていた。
石を積み上げて作った岸壁にいくつもの小型の船が停泊していて、朝回収した仕掛け網から魚を水揚げしていた。
(あれが魚という物か…不思議な形をしている。あの形で海の中を泳いでいるのかぁ…。)
ヴィオレッタは気になる物を見つけると、裾をチョンチョンと引っ張って小さく指差した。すると、エヴェレットがヴィオレッタに代わって随行しているドルイン港の総督に質問してくれた。
「あれは何ですか?」
「あれが網ですよ。網を海中に仕掛けておくと、魚が勝手に網に絡まって捕まえることができます。この方法ですと、釣竿で一匹一匹釣り上げるよりも効率よく大量に捕獲することができます。」
(…釣竿?)
ヴィオレッタの知識はほとんどが本からで、「海」や「魚」に関する本など読んだことがなかった。それゆえ、ヴィオレッタは「魚」に関しては無知だった。
総督は得意げに喋った。遠くに見えるあの線の様な物が防波堤で、十年を掛けて築いたこと。そこで、外海と内海に分かれていること。外海は魔族領に近く、海や空のモンスターが出没するので水難事故が絶えないこと…などなど。
ヴィオレッタがエヴェレットの裾を引っ張った。エヴェレットが随行者に質問した。
「漁獲量はどのくらいですか?」
「季節によりますが、大漁の時には近隣にただで配ってなお、腐らせるほどに獲れますねぇ。」
「…腐らせる?それは勿体ない…。」
「いえいえ、もちろん干物にしたり塩漬けにしたりして無駄が出ない様にはしております。…おりますがぁ…なんせ魚は『足が早い』のです。夏などはすぐに内臓が腐ってしまって…。」
「では、冬に…」
「冬は海が荒れて、漁には出ることができませんよ。」
「…そうなのですか。」
ヴィオレッタがドルイン港から、遥か水平線を眺めていると…空を飛行するいくつかの小さな「黒い点」を発見した。ヴィオレッタはすぐにエヴェレットの裾を引っ張った。
「あの…空を飛んでいるのは…鳥ですか?」
「…あれは魔族領から飛んで来たワイバーンですよ。海はマーマン、空はワイバーン…もう、大変ですよ。」
「…ワイバーン…マーマン。」
ドルイン港では、船が魚を獲ってくると、それを狙って海からはマーマン、空からはワイバーンが襲ってくると言う。マーマンは船縁に捕まって船を転覆させ、人間もろとも魚を奪おうとするし、ワイバーンは人間や魚を鷲掴みにして飛び去っていくらしい。
その夜、宿ではドルイン港の総督の計らいで豪勢な魚料理が振る舞われた。ハックは港を一通り見学して、夕食会は固辞し教会堂に戻って行った。
ヴィオレッタたちは、ヴィオレッタ、クロエ、ティモシーの順に宴席の末席に座っていた。真ん中にクロエを挟んだのはエヴェレットへの配慮だ。
グラントが取り分けてきた料理をヴィオレッタたちに持ってきた。ぷ〜〜んとバターの良い香りがして、ヴィオレッタがひとくち食べると、それはとても美味しかった。
「わっ、美味しい!これ…なんて料理?」
「鮭のムニエルだそうですよ。」
「鶏もいいけど…魚って…脂がほどほどで優しい感じがするよね。いいねっ!」
クロエもティモシーもあまりの美味しさに、あっと言う間にひと皿平らげてしまった。
「もっと持ってきましょうか?」
「うんうん、もっと持ってきて。ついでにこの料理のレシピも教えてもらって。って…ああ…リーンには魚はいないのかぁ…残念…。」
「いますよ。」
「…え?」
「鮭なら、毎年この時期に海から遡上してくるので、川で獲れると思いますよ。」
「…そなのっ⁉︎川にも魚がいるんだっ⁉︎」
「…えええっ…セレスティシア様、まさか…そんな事も知らなかったんですか⁉︎」
「いえいえ…魚は海…塩の水だけに棲んでいるんじゃないの?」
「いえいえいえいえっ!川は淡水、河口付近は汽水、海は塩水…それぞれに魚はいますよ!」
「…うぐ。えっと…グラントさん…お酒の匂いがします…。また飲んでますね?」
「ぐははははぁ…ちょっとだけ、ちょっとだけですよ!仕事に支障はありません!僕はお酒は強い方で…」
「…いいから、早く料理を持ってきてください!」
何とか話を逸らして誤魔化したが、ヴィオレッタは己の無知を痛感した。もっともっとこの世界の仕組みや理を勉強しなくては…。
それから…何とかドルイン港の魚獲量をもっと増やして、そして一年を通して安定して収獲できないものだろうか…。ヴィオレッタはグラントが運んでくる鮭のムニエルをどんどん口に運びながら、その方法を模索していた。
隣ではクロエとティモシーがお喋りをしていた。
「ニワトリはねぇ…お馬鹿さんだから、放し飼いにしちゃうとすぐにどっかに行っちゃうのよ。だから囲いを作らないといけないのよ…。」
「鳥って、三歩あるくと前の事を忘れるって言うよねぇ。小鳥は巣作りのための小枝を咥えて飛んでいてそれを落としても、自分の巣に到着していざ巣作りって思った時に、初めて小枝がないことに気づくんだってさ。」
「そうそう。この前もね、囲いから逃げたニワトリがね…トンビに持ってかれちゃったんだよぉ、ビュゥ〜〜ンって…。」
クロエは両手で翼を作って、身振り手振りで熱く語っていた。
ティモシーはクロエに話を合わせてくれてるんだな…ティモシーは優しい子だなとヴィオレッタは思った。
(ティモシーの一族にはリーンで養鶏場でもやってもらおうかしら…。それなら30m四方の土地でも、十分自給自足ができるんじゃないかな。必要な物は…鶏舎と餌、鶏を遊ばせる運動場…それを囲いでかこって…)
ヴィオレッタは閃いた。
(ニワトリを囲いでかこう…魚も囲えるのかしら?…もしできるんだったら、内海に網で囲いを作って、余分な魚をその中に入れて活かしておく…?)
生け簀の発想である。
そのアイディアを思いついた瞬間、ヴィオレッタは頬張っていた物を吐き出して激しくむせた。
「ごほっ…ぐほっ…うげえぇ〜〜…!」
「セレスティシア様…⁉︎」
「…ムニエル…食べ過ぎたぁ…。」
グラントがヴィオレッタを抱えて会場を退室すると、それを見た影武者セレスティシア…エヴェレットは「ちょっと失礼」と言って、総督との会話を止め席を中座した。
お腹をパンパンにしたヴィオレッタは寝台の上に寝かされた。
「これ、グラント!あなたは何のためにセレスティシア様のお側にいると思ってるの⁉︎」
「…申し訳ありません。セレスティシア様が鮭のムニエルをたいそう気に入られて、どんどん持って来いと…」
「…限度ってものがあるでしょうっ‼︎」
エヴェレットとグラントの会話を聞きつつ、ヴィオレッタは青色吐息で言った。
「エヴェレットさん、グラントさんのせいじゃないわ…それよりも、ルドさんとエドナさんを呼んでください。二人に頼みたいことが出来ました…それからティモシーも…。」




