百三十七章 ホイットニーの一族
百三十七章 ホイットニーの一族
次の日の朝早く、ヴィオレッタの一行はバーグ族長区を目指してベルデンの首都ベルダを出立した。ヴィオレッタを護衛すると屁理屈をこねて、なぜかジャクリーヌも四騎を連れて馬車の隊列に加わった。よっぽど暇だったのだろう。
三時間も走ると、ベルデン族長区とバーグ族長区の境界付近まできた。バーグ族長区には長居するつもりはない。ホイットニーと接触するのが目的だ。
境界付近の小さな村で馬車の行列は停まった。この村がホイットニーとの待ち合わせ場所だった。村の井戸で水を補給し、みんなは小休憩をとった。その間に隊列から抜け出したヴィオレッタはジャクリーヌとグラントを連れて、ひとつの小さな酒場に入っていった。まだお昼前だったので、酒場はもの静かで数人の客が管を巻いているだけだった。…さびれた酒場であちこちの壁板が剥がれている上にやたらと埃っぽく、いつ掃除をしたのだろうかと思うほど汚かった。
ジャクリーヌ、ヴィオレッタ、グラントが酒場に入ると、客のひとりが小声で喋った。
「…グラント、戸を閉めて誰も近づかないようにお前は外で見張っていてくれ。」
それは客に変装していたホイットニーだった。
「やあ、ホイットニー。三週間ぶりか、元気だったぁ?」
「ああ…ジャクリーヌも元気そうで…。新族長、おめでとう…シェーンさんは気の毒だったなぁ…。」
「うむ…あんたたちの一族にも迷惑になったかもね。でも、兄貴も死にたくて死んだんじゃないからねぇ…。」
ホイットニーとジャクリーヌの会話を聞いて、ヴィオレッタには話が見えなかった。
「…それはもういい。ヴィオレッタ…いや、セレスティシアさん。これからの話をしたいんだが…?」
「うん…スパイは見つかりました?」
「その前に…俺たちへの見返りを確認しておきたい。」
「何が望みなんですか?」
「…一族がリーンに移り住むことを許可してもらいたい。そして…お前さんに仕えさせてくれ…。」
「んんん…?リーンの国民になって…執行部に参加したいってこと?」
「…国民になるまでは合ってるが、その先がちょっと違うな…俺たちは斥候しかできない、政治なんかにゃ興味はない。…雇ってくれと言ってるんだ。」
ジャクリーヌが割って入った。
「ちょっと前までは…うちの兄貴が雇ってたんだよ。ホイットニーが私の護衛をしていた一年ちょいの間、ホイットニーの一族は兄貴が自分のポケットマネーで面倒見てたんだ。兄貴の死後、私が面倒を見ても良かったんだけど…側近連中が猛反対でさぁ、族長になったばかりだから私も無理を通せなかったんだ。ホイットニーの一族はちょいと訳ありでねぇ…なかなかねぇ…。」
「ジャクリーヌ…気を遣わなくてもいいぜ。それは俺から直接言う。…俺たちは元々はマットガイストの出身なんだ。元を糺せば魔族の血筋だ。それも…魔族軍の幹部、ダークエルフのハイドマン一族の遠縁だ。」
「…魔族軍の幹部…ハイドマン一族…?」
「人魔大戦のどさくさで、マットガイスト一族と共に魔族軍を離脱したのはいいが…もともとハイドマン一族はマットガイスト一族と仲が悪くてな、時の経過と共に両一族の確執が再燃したって訳だ。族長ザクレンは俺たちを毛嫌いしている…それでマットガイスト自治区を追い出されたのよ。それに、どこの自治区でもエルフは神聖な種族だがダークエルフは呪われた種族と忌み嫌って…仕事にもありつけない有様さ。」
「…そうなの?ダークエルフって呪われてるの?」
ヴィオレッタはジャクリーヌに尋ねた。ジャクリーヌはしどろもどろで答えた。
「ええと…セコイア教の経典では、確か…信仰を捨てた一部のハイエルフが神の不興を買って闇に落とされた…だったかな?それで、日の光に当たると石になってしまうと…。」
「ホイットニーさん、石になってないじゃん。」
「俺は人間だよ。ざっくり言うと入婿だ…嫁がダークエルフのハーフなんだよ。それに…今時、石になっちまうダークエルフなんていねぇ!」
ヴィオレッタは無表情で言った。
「ふぅ〜〜ん…話を聞いた限り、エルフとかダークエルフとか…わたし的にはどうでもいいかな。…よし、分かりました…ホイットニーさんの一族を私の子飼いとして雇います!」
ヴィオレッタは同盟国に住む人間の常識の中で育ったので、こういった宗教的価値観による人種差別というものは頭の隅にもなかった。彼女自身、終身奴隷であったが「観賞用奴隷」という特殊な存在だったため、何不自由なく育ち、奴隷制度にすらピンとくるものがないのだ。
「おい、そんなに簡単に決めていいのか?安請け合いした後で、みんなが反対だから無かったことに…なんてのは困るぜ。」
「私がホイットニー一族を必要と思ったんだから、それは絶対に必要なんですよ。あなたたちは多分…これからの私の戦略構想に不可欠な存在だと思います。リーンで反対する者がいたら…私が説得して組み伏せる自信があります!」
「…ありがてぇ…。」
「具体的にはどうしましょう…?ええと…ホイットニーさんの一族って何人いるんですか?」
「…十一人だ。」
「そっか…じゃぁ、リーン自治区の中にある程度自給自足ができるような土地と家を用意しましょう。それと、年間で金貨六枚相当の食糧を保証しましょう。これなら、一族が飢えることはないでしょう?…それで、実際に働いてもらって手柄を立てたら、別に報奨金も考えましょう。これでいい?」
「あ…ありがてぇ、ありがてぇぇっ!」
「じゃぁ、決まりってことで。後で念書を書いて…」
ヴィオレッタがそう言い終わらないうちに、ホイットニーが顎をしゃくって何かの合図をした。すると、酒場にいた飲んだくれの客たち全員が立ち上がり、ホイットニーと並んで膝を折り、ヴィオレッタに会釈をした。
「え、酒場にいた人たち…客じゃなかったのね⁉︎…一族の皆さん?…一、二、三…ホイットニーさんを含めて…五人…しかいない…?」
すると、テーブルの陰からさらに三人の女と二人の子供が現れた。「シャドウハイド」で隠れていたのだろう。
「…レイモンドは隠密行動中で、ここに来てねぇ。」
「…なるほど、それで十一人か。」
ヴィオレッタはホイットニーの一族を見回した。丸耳が五人いて、うちひとりが少年で、もうひとりはおばさんだ。
(丸耳には同盟国を探ってもらおうかな…。それと、この美形の少年…ちょっと他の丸耳と雰囲気が違うな…。)
「これが俺の一族だ…。おい、レンド…報告しろ。」
レンドと呼ばれた男が報告を始めた。
「…怪しい奴はベルデンに二人、バーグにひとり、マットガイストに二人、ドルインにはいなかった…。全部、始末するかい?」
「怪しい…じゃダメ。まずは確実にスパイだっていう証拠を掴んでください。同盟国の人間と連絡を取ってたとか、鳩を飛ばしたとか…。で、始末してもダメ。場合によってはスパイもこっちの手駒になるからね。私の指示があるまで泳がせといて。」
「…わかった。」
「あ…それと、丸耳の少年。名前は何て言うの?」
「僕はティモシーと言います…。」
「この子も斥候のスキル持ってるの?」
ホイットニーが言った。
「勿論だ、こいつは有望株だ。贔屓目じゃないが…将来は一族を背負っていく器だと思ってる…俺の息子だ…。」
すると、女性三人の中の浅黒の尖り耳の女がホイットニーとティモシーのそばまで移動してきた。肌は少し黒かったが…端正な顔つきの美人だった。
「…俺の嫁のエビータだ。ティモシーの母親だ。」
エビータはちょこっとお辞儀をした。
「えええっ‼︎ホイットニーさん、オッサンのくせにこんな若い美人のお嫁さんを…」
「さっきも言ったが、こいつはダークエルフのハーフなんだよっ!三百歳超えても若いんだよっ!放っとけっ‼︎」
「…あ、そういうことか…びっくりしたぁ…。」
「…こっちがびっくりしたわぃっ!」
ティモシーは必死に笑いを堪えていた。それとは逆に尖り耳の女の子のシーラはけらけらと大笑いして、母親のナンシーに口を塞がれた。
ヴィオレッタはまだ人間社会の常識に捉われているので、エルフのハーフやクォーターを見ても、小さな子供は十歳前後と思い、妙齢の女性は二十歳前後と思ってしまうのだ。
ヴィオレッタは話を続けた。
「…ってことは、ティモシーはダークエルフのクォーターなのね。クォーターってみんな丸耳なの?」
「半々だな…。実際、うちのシーラもクォーターだが尖り耳だ。だが、ティモシーはクォーターのくせに純血のダークエルフの素質を色濃く受け継いでいる。その上に丸耳だから、斥候にはうってつけだと思う…。」
「へえぇ、それは頼もしいわ。ちょっと考えたんだけど…ティモシーをドルインの視察に同行させていいかしら…やってもらいたいことがあります。見た目は私と同じぐらいだし、セレスティシアの側付きの女の子と交代してもらいましょう。」
「構わんよ。もう俺たちはあんたに雇われた訳だし…行ってこい、ティモシー。」
「…はい、分かりました。」
「じゃぁ、引き続きスパイの捜索をお願いします。一週間後、またリーン自治区で会いましょう。」
ティモシーを従えたヴィオレッタとジャクリーヌはおんぼろ酒場を出た。見張りをしていたグラントはヴィオレッタにちょっとした軽口を叩いた。
「やっと終わりましたかぁ〜〜…もおぉ〜〜、待たされる身にもなってくださいよぉ…。」
ティモシーが両手の袖口からナイフを出して、グラントをキッと睨んだ。
「うわぁっ、なんだこのガキ⁉︎」
グラントは驚いて後ろにのけ反った。ジャクリーヌが笑ってティモシーに言った。
「ははははっ、ティモシー、勘弁してやりな。こいつもヴィオレッタの取り巻きのひとりで…その中でも序列最下位のゴミだから。なんせ…パシリだからなっ!殺しても殺し甲斐もありゃしないって!」
「ジャクリーヌさん…言い方酷い…。」
ヴィオレッタがふと思い出した。
「あ…念書は急いだ方がいいのかな?それなら、すぐに馬車に戻って作ってくるけど…」
ヴィオレッタが踵を返しておんぼろ酒屋の戸を再び開けると…そこには誰もいなかった。
「あれ…?」
ティモシーが小さな声で言った。
「ここははじめから…廃屋だったんです。」
(うわっ…なんか、カッコイイィ〜〜ッ!)
…と、ヴィオレッタは素直に思った。




