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戦乙女イェルメイド  作者: 丸ごと湿気る
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百三十五章 蜂蜜を求めて

百三十五章 蜂蜜を求めて


 次の日は、開店準備のため朝から大忙しとなった。蜂蜜の在庫を確保するため、キャシィは馬を飛ばしてイェルマに向かった。冬になればミツバチは冬眠状態になって蜂蜜の供給が激減してしまうからだ。

 二週間程前にハーブティーの材料調達をした時に、森エルフのユグリウシアから釘を刺されていた。来年の春まで、キャシィに譲ってあげられる蜂蜜はこの小瓶が最後であると…。エルフたちも越冬するための食糧が必要で、蜂蜜はイェルマとの食糧交換の良い材料になるのだと言う。

 ユグリウシアから譲ってもらった蜂蜜の小瓶はもう残り少ない。森エルフが当てにできないとなると、自分で蜂蜜を調達せねばならない。蜂蜜は砂糖では代用できないエルフのハーブティーの重要な隠し味だ。

 グレイスは子供たちをコッペリ村郊外の野っ原に連れて行き、自分で採って見せてハーブティーに必要な自生のハーブの採集を子供たちに任せた。

 そして、一番末のジョフリーをオーレリィの雑貨屋に連れて行き、オーレリィに預かってもらった。オーレリィの息子、ジェームズとオリバーは大喜びだった。

「ねぇ、オーレリィ。今度、お店を始めることにしたんだけど、必要な道具ってどこに行ったら揃うかしら?」

「へえぇ、お店ねぇ…あれ、蚕を育てるんじゃなかった?」

「うん、養蚕は春からだから、それまでの繋ぎ…かな?」

「何を始めるんだい?」

「ちょっとした飲食店かな…お店なんか始めるつもりはなかったんだけど、キャシィに押し切られっちゃってねぇ…。」

「あははは、キャシィはオリヴィアの妹分だからねぇ…。しっかり手綱を握っとかないといけないよ。うちは雑貨屋だから、スプーンやら布巾やら…ご祝儀がわりに卸値で売ってあげるよ。鍋類は金物屋か古道具屋、好みのがなけりゃ鍛冶屋で作ってもらうんだね。…カップはお揃いのがいいだろうから、瀬戸物屋で買った方がいいかねぇ。お酒は出すのかい?」

 二人はあれやこれやと相談した後、オーレリィは夫のダンに雑貨屋を任せて、グレイスと連れ立ってコッペリ村の店を見て回った。


 キャシィは魚璽を見せてイェルマの西側城門を通過すると、すぐに「南の斜面」を登り始めた。「南の斜面」はイェルマ生産部の管轄だ。確か、イェルマでも蜂蜜を取り扱っていたとキャシィは記憶していた。

 「南の一段目」に到着すると、キャシィはすぐに生産部の管理事務所に飛び込んだ。

「すみませぇ〜〜ん!…ここで蜂蜜売ってませんかぁ?」

「ん…あんた、誰?」

 キャシィに応対したのは三十代ぐらいの生産部の女で、麻のワンピースに皮のベルトを締めた見るからに元は駆け込み女だ。

「私は練兵部の武闘家房に所属しているキャシィです。どうしても蜂蜜が必要になって買いに来ました。」

「蜂蜜は外貨獲得のための重要な商品です。式典や祭典、重要な来賓でもない限り、イェルマ内部で消費されることはありませんよ。蜂蜜は売買の際に『黒亀大臣』のチェルシーさんの認可が必要な品目のひとつです。」

(むむ…こいつ、できる!)

 同盟国を追われて城塞都市イェルマに逃げ込んだ女を「駆け込み女」という。教養というものに縁がなく文字の読み書きができない者がほとんどだが、中には例外もいる。この女も例外の中のひとりだろう。ある程度の教養が認められて生産部の管理職を任されているのだ。

 そう言えば、チェルシーもその例外のひとりなのだ。貴族の屋敷で召使いの差配をやっていて屋敷の中の物流から金銭面まで、全てを取り仕切っていたと言う。ある日、屋敷で盗難事件が起こり濡れ衣を着せられて、命からがらイェルマに駆け込んで来たらしい。そういう経緯から、チェルシーはイェルマに恩義を感じており忠誠心も強い。なので、仕事に関しては決して私情を挟まない「お堅い」人柄なのだ。

 基本的に練兵部と生産部では人の往来がないので、「戦友」とか「同じ釜の飯を食った仲」とか「友達のよしみ」とか、そう言った個人的通念が通用せず、なぁなぁで事が運ばない。やりにくい相手だとキャシィは思った。

 仕方がないので、キャシィは…懐から魚璽を出して、これみよがしにちらつかせた。

「…うん?…うふん?…うふふん?」

「…魚璽がどうかしましたか?」

(ガァ〜〜ンッ…魚璽が通用しないっ‼︎)

 キャシィがしょぼくれていると、そこに事務所の奥から白いローブを着た二十代ぐらいの女がやって来た。

「デイジーさん、どうかしました?」

「…セシル。この人が蜂蜜を売ってくれって…大臣の認可が必要だって言ってるのに…ねぇ…。」

「あ…あなた、魔道士房の人ですね。」

 キャシィは多少は話の分かりそうな人が出てきたと思った。

 魔道士はイェルマではダントツに教養や学識が高い。難しい呪文を覚え、魔道書を読み、そしてそれらを理解するために幼い頃から学問を叩き込まれているからだ。なので、副業で事務系の職業を持っている者が多く、こうして持ち回りで事務処理の手伝いに来ているのだ。

「ふむふむ…在庫管理帳簿を見る限りではイェルマの蜂蜜の在庫は大瓶三つ、小瓶十一個ですねぇ…。」

「それ全部買いたいです!」

「…まあね。最高値をつけてくれて現金でっていうなら…こちらで取り置きしておいてあげても良いですよ。こちらで認可申請を出しますので、大臣の許可が下りたら引き渡しってことで…。一番高く買ってくれるなら、商人だろうと個人だろうと関係ないでしょう。」

「…で、おいくら…ぐらい?」

「今年の相場だと、銀貨で328枚…金貨4枚も出してもらったら、ほぼ落札ですよ。」

「えええぇ〜〜…金貨…4枚…!それって、原価…仕入れ値ですか?」

「そんな訳ないじゃないですか、確実に外貨に換えられる人気商品ですからねぇ。」

 キャシィは必死に考えた。

(オーレリィさんが言ってた…消費期限の短いものは原価の二から三掛け。蜂蜜って腐らないよね⁉︎…じゃ、消費期限は長いから…いやいや、蜂蜜は嗜好品だわ。…となると、高価な調度品みたいに買う人が現れるまでじっと寝かせておくってヤツか。すると原価の十掛けの商品かもしれない。すると…原価は銀貨35枚ぐらいか、それならなんとか…!)

「…35…?」

「…何か言いました?」

「…いえ!…ああ、欲しいけど、ぎりぎり手持ちがないなぁ…。蜂蜜って美味しいよね。セシルさんは食べたことある?」

「う〜〜ん…二年前ぐらいに、「北の五段目」に連絡係で駐留した時、偶然生産部の養蜂家と会って、ちょっと舐めさせてもらったことがあったわ。…甘かったぁ〜〜…。」

「そうですか!」

(北の五段目に養蜂家がいるのねっ!生産者に直接交渉してみようっ!)

 キャシィは丁寧にお辞儀をして、事務所を飛び出した。そして、馬に乗ると「北の五段目」を目指した。

 キャシィはまず、「北の四段目」まで登って「北の五段目」の一定区域を大きく迂回して…武闘家房を避けた。

 それから「北の五段目」を馬で三十分ほど走ると「龍の鱗」と呼ばれる広大な棚田が見えてきた。田植え時期に遠くから眺めると、棚田の水面が太陽の光を反射して大きな銀色の鱗に見えることからそう呼ばれている。

 そこからさらに30分走ると、これまた広大な牧草地が見えてきて無数の山羊が草を食んでいた。蹄の音に気づいて、あちこちの草むらに伏せていた家畜番が頭をもたげキャシィの馬を追いかけ始めた。それは長毛の白黒のボーダーコリー系の犬だった。犬たちは尻尾を振りながらワンワン吠えて、嬉しそうにキャシィを追いかけていた。主人以外の人間が珍しいのだ。

「あら、イェルマにも犬がいたんだ⁉︎」

 キャシィも実際にここまで来るのは初めてだった。

 犬の鳴き声に、本当の家畜番がやってきた。

「お〜〜い、こっちだよ〜〜っ!」

 キャシィはすぐに馬を戻した。そこには長い杖を持ったおばさんがいた。

「あんた、生産部の人だろ?小麦粉、小麦粉…持ってきてくれたんだろ?」

「ええ〜〜、違いますよぉ〜〜!」

「じゃ、なんでこんなことろまで⁉︎」

「養蜂家を探してるんですけどぉ…。」

「ああ、この辺りはだいぶ涼しくなってきたから、三段目まで下がって行っちゃったよ。パイプ咥えたおばちゃんを探しな。」

「おばちゃん、ありがとぉ〜〜!」

 キャミィは来た道を戻り始めた。

「お〜〜い、早く小麦粉を持ってくるように言っといておくれ〜〜!…じゃないと、パンが食べられないんだよぉ〜〜…。」

「わかったぁ〜!」

 そう言うと、キャシィは馬で「北の三段目」まで急斜面を駆け降りていった。

(養蜂家さん、どこにいるんだよぉ〜〜…ミツバチだから、お花畑だよね…。)

 食堂、湯殿、泉と探して、さらにジャガイモ畑まで来ると、ひとりのおばさんが段々畑の畦道で、草を食べている荷馬車の馬と一緒にぷかぷかパイプを吹かしながら大きな石に座っているのを見つけた。

「おばちゃぁ〜〜んっ、見つけたぁ〜〜っ!」

 キャミィはすぐに馬を降りて、畦道を初老の養蜂家に走り寄った。

「んん…私に用かい?」

「養蜂家のおばちゃんでしょ?」

「養蜂家のおばちゃん…だけど?」

「蜂蜜、売ってください…原価でっ!」

「あんた、生産部の人?…今年の分はもう納めたじゃないか。」

「いえ、生産部じゃありません。個人で買いたいんですけど…。」

「ああ…そりゃ、ダメだねぇ。私たちが採った蜂蜜は全部、イェルマの生産部に納めることになってるんだ。お嬢ちゃん、悪いねぇ…。」

「えええ…。」

 練兵部の兵士たちと同じで、生産部の人間もイェルマに奉職する代わりに衣食住を保証されている。養蜂のために移動している間も、近くにいる誰かに頼めば、魔道士の念話情報網を介して生産部の管理事務所に情報が届き、食糧などの必要な物資が配達されるのだ。それは、先程遭遇した放牧地の山羊飼いも同じで、仕事の都合上食堂に通うことができない者にも配慮がなされているのだ。

「まぁ、気を落としなさんな…。ほれ、お茶でもお飲みよ。」

 キャミィはしょぼくれて、初老の養蜂家から皮の水袋を受け取るとそれをひと口飲んだ。

「…ん?」

 数種のハーブを煎じたお茶…単純なハーブティーだったが、微かに甘みを感じた。この甘みは…!

 その時、二人の若い女が畑の畦道をこちらに向かって一生懸命走ってきて、大声で叫んだ。

「ばあちゃん、大変だよぉ〜〜!出た…出たよぉ〜〜!」

 初老の養蜂家は孫娘たちの叫び声を聞いて立ち上がった。

「…もう出たのかい⁉︎しまったぁ…!」

 養蜂家は孫娘と一緒にジャガイモ畑の奥の方に走って行った。何が起きたのか分からなかったが、キャシィも三人を追いかけた。

 ジャガイモ畑を越えると、そこは休閑地でたくさんのコスモスが咲いていた。いくつかの蜂の巣箱が置いてあり、ひとり女が棒を両手で構えて固まっていた。そして、一番奥の巣箱の横に大きな黒い生き物がいて巣箱をかじっていた…灰色熊だ。

 養蜂家は女…娘が持っている棒を奪い取ると、それで近くにある岩を殴りつけながら叫んだ。

「みんなぁ〜〜、声を出せぇ〜〜!大きな音を出して、熊を追っ払うんだっ!」

 養蜂家の一家四人は大声を出したり、木の棒や板を打ちつけて大きな音を出したが、灰色熊は自分の右手についた蜂蜜を舐めるのに夢中で意に介さずだった。

 キャシィがやって来て状況を見てとった。

「うわ…熊だ…!」

「…秋になると、熊は冬籠りのために大喰らいになるんだ。蜂蜜は熊の大好物だ…このままだと巣箱全部、こいつに食われちまう…!」

「うう、でも、相手が熊じゃ…どうしようも…。」

 キャシィはどうして良いか分からなかった。姉貴たち…オリヴィア、リューズ、ドーラ、ベラなら力尽くで何とかしてしまうのだろうが、自分には無理だと思った。

「あああ…全部やられたら…また、分蜂を探すところから始めなきゃならない…元に戻るまでに、数年かかっちまうよぉ…。」

 キャシィはとにかく自分も何かしなくてはと思い、養蜂家から棒をひったくると、それを灰色熊めがけて投げつけた。その棒は…運が悪いことに、灰色熊の頭に命中してしまった。

「げっ…!」

 灰色熊はキャシィに気づき、後足二本で直立して示威行動をした。直立するとキャシィの背丈を少し超えるぐらいの熊だった。熊は蜂蜜を盗られまいとして駆け足でキャシィに向かって来た。明らかにキャシィを襲う構えだ。

 キャシィは恐怖して、パニック状態に陥り…思考回路がショートした。

(うおおおおおおお…こっちも何かしないとおおおおお…!)

 キャシィは武闘家スキル「鷹爪」を発動させた。親指、人差し指、中指の三本を強化するスキルだ。オリヴィアや師範のタマラ、ペトラが使っている「鉄砂掌」の下位スキルだ。

 キャシィは雄叫びを上げながら、両手で鷹の爪を作って熊に凄んで見せた。

「きえええぇ〜〜…‼︎」

 それから、もうひとつのスキル「箭疾歩」を発動させ、横方向に5mほど飛んで見せた…さすがに熊に向かって飛ぶ勇気はなかった。これも「飛毛脚」の下位スキルで、キャシィはこの二つしか覚えていなかった…だが、熊は止まらなかった。

 やることがなくなったキャシィは半べそをかきながら、飛んだり、突いたり、蹴ったり…シャオフイェンの型の演武をやり始めた。

 それを見た灰色熊の脳裏に忌まわしい記憶が蘇って、熊はしばし立ち止まった。

(うおっ…まさかこいつ…俺のオスの尊厳を打ち砕き、あまつさえ俺を一時間も追い回した人間のメスの仲間か…⁉︎)

 熊はしきりに鼻でキャシィの臭いを探った。そして…

(げっ…!間違いない、こいつ、あいつらの仲間だ…やべぇ、絶対ヤベェッ!)

 熊は犬の四倍もの嗅覚を持つと言われている。キャシィから実姉のベラの臭いを嗅ぎ取ったのだ。

 灰色熊は回れ右をして、壊した巣箱に口を突っ込んで蜂の巣を咥え、右と左の手で残ったありったけを抱え込むと、二本足でスタスタと走って森の方向へ逃げて行ってしまった。

「おおお…やった…嬢ちゃん、やってくれたぁ〜〜っ!…助かったよぉ〜〜っ!」

 養蜂家の一家はキャシィに抱きついて、感謝の意を伝えたが、キャシィは半分放心状態で、目に涙を浮かべてぐすぐす言っていた。

「ぐすっ、ぐすっ…死ぬかと思ったよぉ〜〜…。」

 初老の養蜂家はキャシィの背中をさすりながら言った。

「本当に助かった。ちょいと待ってておくれ、お礼がしたい…三段目にある私らの越冬小屋まで来てくれるかい?」

「え…?ぐすん…行くぅ…ぐすっ。」

 養蜂家の一家は手早く蜂の巣箱を荷馬車に積むと、キャシィと共に移動した。寒くなるとさすがに養蜂はできないので、冬の間は食堂に近い場所の小さな小屋に住み、兵士たちと一緒に食堂に通うのだそうだ。

 越冬小屋は狭かったが、冬時期だけ家族四人で住むには十分だった。キャシィが小屋の中に入ると、初老の養蜂家は戸棚の奥から壺を二つ取り出した。

「助けてもらったお礼にこれをあげるよ。持っていきな。」

「…これは?」

「あんたが欲しがっていた蜂蜜だよ。」

「えっ⁉︎」

「自分たちで苦労して集めた蜂蜜をじっくり味わう…これが養蜂家の醍醐味ってもんさね。自分の家で使う蜂蜜を取っておくのは当たり前だろう?今、壺は三つある。二つを持っていきな。何に使うのかは知らないが…無くなったら、またおいで。」

 キャシィが壺の中を覗いてみると…多分、大瓶ぐらいの量は入っている。

「で…でも、生産部に全部納めるって…」

「売るんじゃなくて、あげるんだよ。…それなら問題ないだろう?ただし、内緒にしておいておくれね?」

「…おばちゃぁぁ〜〜んっ‼︎」

 キャシィは初老の養蜂家に抱きつき、何度もおばちゃんの頬に頬擦りをした。

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