百三十章 届けられた手紙
百三十章 届けられた手紙
ケントは日も暮れた午後六時頃、ティアーク城下町に到着した。東門の閉門時間ギリギリで何とか通過することができた。
ケントは馬車の長旅で大変疲れていた。本来なら、東門から近い場所にあるロットマイヤー伯爵の紡績工場に立ち寄って、オリヴィアから託された手紙をセドリックに渡すところだが、熱心で生真面目なセドリックのことだ…オリヴィアがもたらした養蚕方法に食いついてまた夜を徹しての議論が始まるのではないかと思い、今晩は素通りすることにした。
(長くなりそうだから…手紙は明日の朝、セドリックに渡そう。)
…それほどケントは疲れていた。自分の下宿に帰って一杯やりながらそのままベッドに崩れ落ちたい気分だった…。残りの三通の配達をさっさと終わらせて宿に帰ろうと思っていた。
ケントは冒険者ギルドに立ち寄った。受付カウンターでレイチェル…受付嬢にヒラリーからの手紙を渡した。すると…
「あ…コッペリ村からの手紙ですね⁉︎今、ギルドマスターを呼んできます。少々お待ちください。」
「あ、いや…他にも手紙を預かっていて…急いでおります。何か御用があるのでしたら、明日ロットマイヤー伯爵の紡績工場にお越しください。…申し訳ない。」
そう言って、ケントは逃げるように冒険者ギルド会館を出ていった。
次に向かったのは城下町中心部から少し離れた比較的裕福層が住んでいる区画だ。ケントは手紙の住所を確認して思った。
(両親への手紙って言っていたな…この、アナという娘、どういう素性の娘なんだろう。この辺りは裕福な商家や王宮関係の官吏が多く住んでいる場所なんだが…。)
一軒の大きな屋敷に到着した。扉をノックすると、恰幅の良い女性が出てきた。
「こちらはフリードランド夫妻のお屋敷ですか?娘さんからお手紙を預かってまいりました…」
「ああ、フリードランドさんね?ちょいとお待ちを…。」
ああ、なるほど。ここは人に部屋を貸している下宿屋なのか。しばらくすると五十代の身なりの良い夫婦が戸口にやって来た。
「アナスタシアからの手紙ですか?ずっと待っておりましたよ…娘は元気にしておりましたでしょうか?ささっ、どうぞ私どもの部屋へ、お茶でもいかがですか?」
「アナ…さんは元気にしてましたよ。…ちょっと先を急ぎますので…。何かあれば、伯爵の紡績工場にお越しください。」
そう言って、夫妻の招きを丁重に断るとそそくさと自分の馬車に乗り込んだ。
次に向かうのは…むむ、この住所は…!ケントは驚いた。
その住所に到着すると、思った通り、そこは「貴族町」と呼ばれる貴族の邸宅が軒を連ねる広大な一等地だった。
(…ジェニ…だったかな。どうして一介の女冒険者がこんな所に住む人間と知り合いなんだ?もしかすると…貴族の屋敷で住み込みで働いている女中の娘…?)
大きな屋敷の柵沿いに馬車を走らせると、ようやく屋敷の正門に辿り着いた。ケントはどきどきしながら正門の門扉の格子を透かして中を覗き見した。そろそろ夜の七時頃か…こんな時間に訪問するなど失礼か?…出直すか?そう思っていると…
「…何の用かね?ここはユーレンベルグ男爵様のお屋敷だよ。」
門扉の内側から声がした。背の低い門番の男がいた。
「ええと…手紙を預かってきました。」
「誰から?」
「ええと…ジェニという娘からです。…女冒険者です。」
門番は少し顔色を変えて、そして言った。
「あんた、そこで待ってな。そこから動くなよ…絶対に動くなよ!」
(ええええ〜〜〜っ…!)
門番の小男は全速力で屋敷の方に走っていった。ケントはこれから自分の身に何が起きるのだろうと…気が気でなかった。
すると、先ほどの小男がやはり全速力で戻ってきて門扉を開けた。
「お待たせしました。どうぞ、お通りください。」
「あ、いえ…手紙をお渡ししますので…」
「どうぞ、どうぞ!」
「…。」
ケントは仕方なく正門をくぐって中に馬車を進ませた。門のそばをちらりと見ると、小さな詰所が設けられていて、門番の小男がその中に入っていくのが見えた。
(そうか、あの男はあそこで寝起きしていて、一日じゅう門を見張っているのか。)
ケントが舗装された庭園の正面道路に馬車を走らせて、だだっ広い庭園を縦断すると、十人のメイドがケントを出迎えた。
(…うおぉっ!)
「ようこそいらっしゃいました!どうぞ、こちらへ!お荷物をお預かりします!」
ケントはメイドたちに無理やり馬車から引きずり降ろされ、馬車は使用人らしい若い男が厩に牽いていってしまった。
屋敷の正面玄関の大きな扉が開くと、戸口にはひとりの紳士が立っていた。
「ジェニファーの手紙をわざわざ持ってきていただいたとか…ありがとうございます。私はアーネスト=ユーレンベルグと申します。ささ、中へどうぞ。」
「ああ…私は手紙を届けにきただけで、長居はいたしません…。」
そう言ってケントはユーレンベルグにジェニの手紙を渡した。それを受け取ったユーレンベルグは手紙の封蝋の印を確認した。
「うむ、我が家の紋章だ。確かに娘の手紙だ。」
(…娘…娘と言ったか?)
そこでケントは初めて気がついた。ユーレンベルグ男爵と言えば、財界でも屈指と言われる「ワインの魔王」…あのジェニとかいうそばかす娘は、「ワインの魔王」の娘だったのか⁉︎
「お名前をお聞きしても…?」
「は…?あ、はい…ケントと申します…。」
「丁度晩餐の途中でした。ケントさんもご一緒にいかがですか?あいつめ…コッペリ村に向かったことは知っていましたが、なかなか手紙をよこさないもので心配していたところなのですよ。是非、娘の近況をお聞きしたい!」
やはりケントはメイドたちに半ば無理やり食堂へと引っ張り込まれた。
食堂には大きな長方形のダイニングテーブルがあり、その左右にユーレンベルグ男爵の長男と次男がそれぞれの妻を伴って、座って食事を摂っていた。
「リヒャルド、ハインツ、この方はケントさんだ。ジェニファーの手紙を持ってきてくれたぞ!」
「お〜〜っ…それは嬉しい!…紹介が遅れました、長男のリヒャルドです。子爵位を賜っております。エステリック王国でワインを扱っております、どうぞご贔屓に。妹のやつ…心配ばかりかけさせて、一体何をやっているのやら…。」
「次男のハインツです。まだ平民ですが、ラクスマン王国のワインを担当しています。ジェニの話を聞かせてください。」
二人とも三十代半ばくらいの好青年だった。
テーブルに椅子が用意され、ケントはテーブルの下座…ユーレンベルグ男爵の対面に座らされた。テーブルが大きくて距離があったのが唯一の救いだった…。執事が料理とお酒を運んできて、ケントの目の前に分厚いビーフステーキとワインを用意した。
「ケントさん、どうぞどうぞご存分にやってください。」
男爵の言葉に、喉がからからだったケントはグラスに注がれたワインをごくごくと飲んだ。
(おおっ…これは美味い!以前、酒場で安いワインを飲んだことがあったが、こんなに美味かったか…?)
「うちで扱ってるワインの中で、上から二番目に良いワインですよ。好きなだけ飲んでください。…それは牛のサーロインステーキですよ。最近、ステメント村と業務提携しまして、そこの牛肉です。おかわり自由ですよ。胡椒が足りなかったら執事に申し付けてください。」
なんと分厚い肉…こんな量の肉は食べたことがない。…というか、ケントの安月給ではそもそも無理というもの。肉だけで腹一杯になりそうだ。ケントはステーキをナイフで切って少し食べた。
(う…美味い‼︎)
ケントは止まらなくなった。疲れていたことも忘れて、ステーキとワインを交互に口に運んだ。
ユーレンベルグ男爵は封を切って娘の手紙を読み始めた。
「ふむふむ…これからはコッペリ村を拠点にして、アーチャーに磨きをかけるそうだ。む…ユニテ村のアンデッドを狩るクエストだと…また危ないことを…」
長男のリヒャルドがケントに尋ねた。
「ジェニファーはどうでしたか?病気とかしてないですか?」
ケントは高価なワインのせいで酔っていた。
「いやっははは、妹さんは元気でしたよ。…そういえば、大きな犬とよく遊んでましたねぇ〜〜…。」
「ああ…そういえば、ステメント村にいたな…。あの犬をコッペリ村まで連れて行ったのか、まだまだ子供だな、はははは。…ところで、ケントさんはどんな御用向きであんな辺鄙な村に?」
ケントはしたたかに酔っていた。
「あははは…今度、コッペリ村にシルクの工場を建設する予定でして…下見ですよ。」
「ほうほう、シルクですかぁ…良い所に目をつけましたな。自国でシルクの生産ができるようになれば、それはそれは大儲けでしょうなぁ。ケントさんはどちらかの…資産家の指示で動いているのですか?」
くどい様だが…ケントはベロベロに酔っていた。
「資産家あぁ〜〜?…ロットマイヤーですよぉ。伯爵の紡績工場でこき使われていますぅ…息子のセドリックに頼まれましてねぇ〜〜…ヒクッ。」
「…セドリック。確か、庶流のお子さんでしたかね…」
「妾腹ですよぉ、妾腹…健気で賢い少年ですよぉ〜〜…不遇をものともせずに紡績工場を切り盛りしてますぅ〜〜…」
ステーキを食べきったケントは満腹とワインと忘れていた疲労のせいで、どっとその場で見事に寝落ちした。
「おやおや、うちの食堂で寝落ちするとは…この人、豪胆だね。」
ユーレンベルグ男爵は揶揄する次男のハインツを諫めて、そして腕組みをしてしばし思考を巡らせた。
(…いくつかの貴族や商人に投資話を持ち掛けている小僧がいるという噂を聞いた。名前はセドリックというらしい。ロットマイヤーの息子と同一人物だとすると…面白いじゃないか、ふふふ…。)




