百二十三章 ヴィオレッタの多忙な日々
百二十三章 ヴィオレッタの多忙な日々
ヴィオレッタは「セコイアの懐」で忙しい毎日を過ごしていた。
食糧管理担当のベクメルがまとめた五つの族長区の食糧事情の内訳書が上がってきて、ヴィオレッタはスクル、エヴェレットと共にリーン会堂にこもってそれに目を通していた。
「どこもギリギリですね…。」
エヴェレットが羊皮紙の書類を整理しながら言った。
「農耕中心のリーン自治区以外は、主な産業は牧畜…馬と羊だけですからねぇ。どうしても、食料が足りなくなるんですよ…。」
「うちからの供給にも限界があるからねぇ…。馬や羊を売って、小麦やトウモロコシと交換できないかなぁ…。」
「ティアークやラクスマンは食料を売ってくれませんよ。」
「どこか…食料を売ってくれるところ、ないかなぁ…。」
「そういえば…ドルインは一部海に面していて、『魚』を獲っているそうですよ。」
「…『魚』ってナニ…?」
そこにティルムがやって来た。
「グラウス、テスレア、ダーナをそれぞれマットガイスト、バーグ、ベルデンに派遣しました。三人にはそれぞれの自治区で教会主をやってもらい、なおかつ『念話』の情報網のターミナルになってもらいます。ドルインはハックに教会主を引き受けてもらいました。これで…ドルインのハックをハブとして、『念話』情報網は完成となります。」
「…ありがと。ハックさん、引き受けてくれたのね…。」
「念話」は万能ではない。距離が離れすぎると「念話」の精度が落ち、場合によっては届かないこともある。そこで、リーン族長区連邦のほぼ中央に位置するドルインで一度中継することにした。各族長区で起こった出来事や情報は、一度ドルインで集約され、それからリーンのヴィオレッタの元に届けられるという寸法だ。
そして、各族長区のセコイア教会で僧侶の育成に力を入れ、有事の際は教会から戦場に僧侶が派遣され、野戦病院を設営する体制も作ろうとしていた。
「残る問題は…スパイをどうやって見つけ出すかだね…。」
「…スパイがいるんですか…?」
「確実にいるね。お爺様が亡くなって一週間も経たずにラクスマンが攻めてきたでしょ。…東部戦線にしたって、私がリーンに帰還したのに合わせて四千人の兵を投入してきた…偶然じゃないと思う。…多分、マットガイストかバーグ、もしくはベルデン辺りに潜んでてこちらの動向を探っているんじゃないかなぁ…。」
「…根拠は?」
「強いていえば、同盟国が近い…。捕虜にしたリーンの民を奴隷にせずに懐柔してリーンに戻すとかね…。同盟国とリーンじゃ風習や文化が違いすぎるから、スパイは絶対に土地の人間じゃないといけない。…見つけるの大変だなぁ…。」
すると、早速ティルムがドルインからの「念話」を受けて、ヴィオレッタに報告した。
「セレスティシア様、ベルデン自治区からです。ラクスマン王国から使者が来て、捕虜交換を要求してきたそうです。」
「捕虜交換?…うちにラクスマン兵士の捕虜って、いたっけ?」
スクルが答えた。
「…いません。ログレシアス様が殺生を嫌ったので昔は捕虜をとっていましたが、ラクスマンは捕虜交換に応じてきませんでした。ラクスマンの捕虜はほとんどが義勇兵…平民でしたからね。ラクスマンでは平民の兵士は使い捨てですから。…こちらも、騎馬民族のお国柄でして、恭順を拒んだ捕虜は…ですね。」
スクルは指先で首筋を切る仕草をした。
「…じゃあ、なんで今頃になって…んん、あ…そっか、なるほど…。」
ヴィオレッタはニタリと笑った。
「どうかされましたか?」
「リーンに斥候っていますか?」
「…かなり少ない業種ですね。」
「…なら、ホイットニーさんって人を探してくれない?ホイットニーさんは信用できる斥候だから。」
「分かりました、探してみます。」
数日の交渉の結果、ラクスマン王国側は捕虜100人を馬50頭と交換することで了承した。
この捕虜交換に関して、スクルは怪訝な顔で言った。
「ラクスマンの連中…よく馬50頭で交換に応じましたね。100頭はふっかけてくると思ってたのに…。」
その疑問にヴィオレッタは即答した。
「ふふふ…馬1頭とだって交換に応じたと思うよ。」
「…え?」
「今回の突然の捕虜交換の申し出は…そもそもおかしいでしょう。普通…捕虜を抱えて困る事と言ったら食料だけど、ラクスマンは捕虜は奴隷にしちゃうから問題はない…捕虜交換の必要性ははじめからないんですよ。別に違う目的があるんですよ。」
「…別の目的とは…?」
「奴隷に紛れて…スパイをいっぱい送り込んでくるつもりなんでしょう…。よっぽど、セレスティシアが人間なのか化け物なのかが知りたいんでしょうね…ふふふ。」
「…!」
「そのために、ホイットニーさんを招聘しました。ホイットニーさんにはスパイたちを特定してもらいます!」
スパイたちが連携をとって動いてくれていたら手間がなくていいなぁ、ひとり見つければ芋づる式なんだけどなぁ…と、ヴィオレッタは思っていた。
ヴィオレッタは内訳書を眺めながら他にも色々と考えていた。
(馬は戦争には不可欠だなぁ…。羊は羊毛が取れて肉にもなる…そういえば、ステメント村は『牛』という大型家畜の畜産事業で成功していると聞いた。牛は大きいから、取れる肉の量も多いかもしれない。それと、ドルインの『魚』というのも一考の価値があるかもしれない…。)
ヴィオレッタはあれこれ考えているうちに煮詰まってしまった。ヴィオレッタがひとつため息をつくと、スクルが気を遣ってくれた。
「セレスティシア様、少し休憩なさってください。」
「…そうします。」
ヴィオレッタは会堂から出て、深呼吸して外の空気を吸った。すると、ずっと外で待機していたグラントがやってきた。
「お疲れ様です、セレスティシア様。お肩を叩きましょうか⁉︎」
「…いいよぉ…。」
「そんなこと言わずに…!」
グラントはヴィオレッタを無理やり椅子に座らせて肩を叩き始めた。こうでもしないと…ずっと待機でやることがなかった。
(…グラントめっ!人をお年寄り扱いしてからに…む…お…これは…なかなか…気持ちいいかも…ああ…ああぁ〜〜…)
「…セレスティア様、セレスティア様?」
ヴィオレッタは気持ちが良くなって…一気に疲れが出てしまい椅子の上で寝てしまった。
良い匂いで目が覚めた。チキンが焦げる香ばしい匂いだ。いつの間にか、ヴィオレッタは食堂に運ばれていた。
「お目覚めですか、セレスティシア様?ちょうど鶏が焼き上がったところですよ。」
卵とチキンはヴィオレッタの大好物だった。土着のエルフやハーフエルフは基本的に菜食主義だったが、ヴィオレッタのために気を遣って近くの村で鶏を飼い始めてくれたのだ。
テーブルの上に一羽丸ごとのローストチキンが乗せられた。これはヴィオレッタひとり用だ。今日も私ひとりのために鶏が一羽、天国に召されたのか…両の手のひらを合わさざるを得ない。…とは言っても、ひとりでは食べ切れないので…
「グラントさん、あなたは生臭物はいけるのでしょう?一緒に食べましょう。」
「はいっ、まだ僧侶見習いなのでOKですっ!」
遠慮のないグラントだった。ヴィオレッタの横に座ると、すぐにナイフを手に取ってローストチキンを切り分け始めた。
鶏の尊い犠牲を無駄にしないように、グラントと二人でなんとか丸ごと一羽のチキンを平らげると、後片付けをしているエヴェレットが言った。
「セレスティシア様、夕食の後はエルフ語のお勉強をいたしましょう。」
「…は、はい。」
ヴィオレッタはログレシアスから譲り受けた書斎にあるエルフ語の本を読むためにエルフ語を学んでいた。エヴェレットがエルフ語の先生だ。ヴィオレッタの一日のスケジュールはぎっちり詰まっている。
エルフ語の勉強が終わると、夜の十一時を過ぎていた。ヴィオレッタの一日は終わり、自分の寝所に戻ったヴィオレッタは寝台に腰掛けて読みかけの本を手に取った。
(…今日も忙しかったなぁ…。)
すると…
(…タ。…ヴィレッタ。)
メグミちゃんが「念話」で話し掛けてきた。最近は、忙しくしていると空気を読んでか大人しくしてくれている。…本当に良い子だ。
(どうしたの、メグミちゃん?)
(…トントントントン…。)
メグミちゃんは肩の上に移動してきて、両前足で交互に足踏みを始めた。
(あら…もしかして、肩叩き?…グラントのまね?)
(…トントントントン…。)
メグミちゃんの他愛のない行動に…一日の緊張と憂さが晴れた気がして…ヴィオレッタは急に眠気を催し、寝台に横になって本を持ったまま寝てしまった。




