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戦乙女イェルメイド  作者: 丸ごと湿気る
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百八章 奴隷少女ヴィオレッタ

百八章 奴隷少女ヴィオレッタ


 赤子だったヴィオレッタは掃討戦の終わった戦場で、ラクスマン王国の騎士兵に拾われた。騎士兵は死者の遺品を漁っていたのだが、産着が絹だと分かり死んだ母親の腕からもぎ取ろうとしたところ、赤子が泣き出したので仕方なく小隊長のところへ赤子を運んで行った。

 小隊長は赤子の耳を見て、すぐにハーフエルフだと断じた。この頃からすでにリーン族長区連邦にはハーフエルフがいて、この赤子も違いないと思ったのだ。

 ラクスマン王国では、捕まえた敵国の民は捕虜にするのではなく一様に奴隷にしていた。ヴィオレッタは小隊長の手から大隊長を経て軍務尚書管轄の奴隷管理局の手に渡り、銀貨十枚で奴隷商人に売られてしまった。その奴隷商人によって「ヴィオレッタ」と命名されたのである。

 物心がついたのはおよそ十年後の、ヴィオレッタが十七歳になった頃だった。髪は伸びその銀色は美しい光沢を放ち、ぱっちりとしたコバルトブルーの瞳は愛らしさをより増して、その美しさの「価値」を疑う者は誰ひとりとしていなかった。辛抱強く十年を待った奴隷商人は大喜びした。

 ヴィオレッタは美しさを保つために、奴隷商人から厚遇されていた。良い物を食べさせてもらい、良い衣服を着せてもらった。

 奴隷のオークション会場で、ヴィオレッタに破格の金貨十五枚の値がついた。競り落としたのは貴族だった。資金力を誇示するためと、サロンでの話題作りのために貴重なもの、珍しいものを貴族が落札するのはよくあることだ。

 しかし、ヴィオレッタの成長は遅かった。人間の人生を置き去りにしてしまうほど遅かった。そのため貴族の間で、ヴィオレッタは何度も何度も転売された。それでも、少しずつ、人間の目には見えないほど少しずつヴィオレッタは成長していった。

 さらに十年が経って、銀色の美しいストレートの髪が背中の辺りまで伸びた頃、周りの人間はヴィオレッタがハーフエルフではなく純血のエルフであることに気づいた。ヴィオレッタの価値はさらに上がり、金貨五十枚である貴族に転売された。しかし、ヴィオレッタの銀色の髪を見ても、ヴィオレッタがリーン一族だとは誰も気がつかなかった。なぜなら、リーン一族に会った者などいなかったのだから。

 ヴィオレッタを買ったのはゼノ=シュトルム伯爵、ラクスマン王国の軍務尚書だった。代々、軍人の家系で数多くの将軍を輩出した名家だった。

 シュトルム伯爵がヴィオレッタを買った理由は…やはり虚栄心だった。飛ぶ鳥を落とす勢いのシュトルム家は、ヴィオレッタを所有することでサロンの人気をさらい、その財力を貴族の間に知らしめた。

 シュトルム伯爵には四人の子供がいて長男のケヴィンと、あとは娘たちだった。家の伝統に従い、伯爵はケヴィンを軍人にすべく、金の力で騎士兵団の地位を買いキャリアを積ませて、行く行くは自分の地位…軍務尚書を継がせるつもりだった。だが…ケヴィンは軍人肌の人間ではなかった。

 突然、ゼノ=シュトルム伯爵が急逝した。流行病だった。ケヴィンは父親の伯爵位を継ぎ、二十五歳にしてケヴィン=シュトルム伯爵となった。ケヴィンは家屋敷、土地、財産…そして、三十二歳になったヴィオレッタも相続した。

 ケヴィンは伯爵になったことで、王国騎士兵団団長に就任した。しかし、ケヴィンに喜びはなかった。それよりも…父親から遺された数多くの品物の中のひとつ…ヴィオレッタと初めて会った時、その中に「普遍の美」を見出しケヴィンは狂喜乱舞したのだった。


 広大なシュトルム伯爵の屋敷…その三階にあるケヴィンの寝室。今日は朝から天気が良くて、寝室の窓のカーテンを全開にして日の光を取り込んでいた。

 ベランダ側の南向きの窓の近くの椅子にヴィオレッタが座っていた。その前でケヴィンはイーゼルに掛けたキャンバスに油絵を描いていた。ヴィオレッタの肖像画だ。寝室の窓から降り注ぐ自然光が気に入って、ケヴィンは寝室をアトリエにしていた。

「ヴィオレッタ、動かないでじっとしておくれよ。」

「ケヴィ〜ン…ケーキ、ケーキ、ケーキ…」

 ヴィオレッタはケーキをねだった。ケヴィンはそば付きのメイドに指示をして、ケーキを持ってこさせた。それを受け取ったヴィオレッタはケーキをパクパクと美味しそうに食べた。

 ヴィオレッタがケーキを食べてじっとしている間に、ケヴィンは真剣な眼差しでキャンバスに絵の具の色を置いていった。

「ヴィオレッタの瞳の青がうまく表現できないなぁ…。」

「ケヴィ〜ン、お外、お外、お外…」

「わかった、わかった…お外行こうか。」

 ケヴィンはまだ片言しか喋れないヴィオレッタの手を引いて、屋敷の庭園を一緒に散歩した。

 ケヴィンはヴィオレッタを片時もそばから離そうとしなかった。寝る時も同じ寝室、食事も同じダイニングだった。

 三年が経ったある日、ヴィオレッタが行方不明になった。ケヴィンとメイドたちは屋敷じゅうを探した。そして…生前ゼノが使っていた書斎でヴィオレッタを発見した。

 ヴィオレッタは書斎の本を読んでいた。

「心配したよ、ヴィオレッタ。さあ、こっちにおいで。」

「嫌ぁ〜〜、ヴィオレッタは今、ご本を読んでるのぉ〜〜。」

 ケヴィンはこの書斎が嫌いだった。父ゼノが大量に遺した軍事関係の本…兵法書、戦術指南書、戦略理論書、戦時記録や文献など…これが大嫌いだった。なので、父の死後は一度も立ち入ったことがなかった。

 ヴィオレッタは言葉と文字を覚えると、書籍に対して並々ならぬ興味を示した。仕方がないので、ケヴィンはヴィオレッタに書斎に入ることを許した。だが、決して自分が入ることはなかった。

 ヴィオレッタは書斎から持ち出した本を常に携帯して、暇さえあれば読んでいた。ケヴィンにしてみれば、ヴィオレッタは本を読んでいてぴくりとも動かなかったので絵を描くのに好都合だった。この頃に描いた肖像画は、ほとんどが本を携えたヴィオレッタだった。

 しばらくして…ヴィオレッタの肖像画が四十枚を超えた頃、リーン族長区連邦と国境を接する緩衝地帯で大規模な戦争が勃発した。バーグ族長区とマットガイスト族長区の連合軍がラクスマン王国の国境を脅かしたのだ。当然、騎士団長のケヴィンは召集され前線に駆り出されることとなった。

 ケヴィンはみんなの反対を押し切って、ラクスマン王国の国境付近の前線にまでヴィオレッタを連れていくことにした。ヴィオレッタは初めて屋敷の外に出られて、遠足気分ではしゃいでいた。

「ケヴィン、あそこにいっぱい並んでるおっきな動物…あれはなぁに?」

「あれはお馬さんだよ。」

「あれがそうかぁ〜〜!お馬さんに乗って戦うんだよねぇ。『騎馬』って言うんだよねぇ!」

「…ヴィオレッタは賢いね。よく知ってるね…。」

「お部屋のご本の挿絵にあったわ。もう、あそこの本は半分ぐらい読んじゃったわぁ…。」

「…それは凄いねぇ。」

「あれは…馬車ね?あれに乗って行くんでしょ⁉︎ばっしゃ、ばっしゃ、馬車ぁぁ〜〜っ!」

 ケヴィンはヴィオレッタと世話役のメイドひとりを連れて戦地に赴いた。

 幕僚の幕屋から帰ってきたケヴィンはヴィオレッタ専用の幕屋に入ると、すぐにイーゼルを立ててヴィオレッタの肖像画を描き始めた。

「ケヴィン、お外に連れてってぇ〜〜。」

「ちょっと待っててね…。」

「伯爵様…この戦争はどうなるんでしょう…?不安で不安で仕方ありません…。」

「…どうなるんだろ…?僕に聞かれても…判らないなぁ…。」

 戦況は一進一退だった。一週間後、ついに将軍はケヴィンに主力を率いて進軍するように命令した。

 ケヴィンは人払いをした自分の幕屋で周辺地図を睨み、頭を抱えていた。するとそこに…ヴィオレッタがメイドを従えて現れた。

「ケヴィン、何してるのぉ〜〜?」

「ヴィオレッタ、ここには来ちゃいけないって言っただろう?…おい、お前は何のために連れて来たと思ってるんだい?」

 ケヴィンはメイドを叱った。

「申し訳ありません…ヴィオレッタ様がどうしてもと、聞かないもので…。」

 ヴィオレッタは椅子に乗っかり、立ち上がるとテーブルの上の地図を眺め、にこにこしながら地図上の駒を指差した。

「これはなぁにぃ〜?」

 ケヴィンはヴィオレッタの笑顔を大切にしていた…この笑顔こそが、ケヴィンにとって「究極の美」だったからだ。

「これは…僕たちの兵隊だよ。この駒ひとつが百人だ。この駒三十個をここまで移動させないといけない…」

「ふぅ〜〜ん…なんか、前に読んだご本の挿絵に似てるねぇ。」

「…本?」

「うん、ここの道が狭くてヘビみたいに長いでしょう?すると、相手は横で待ってるんだって…何て言ったかな…?」

「…もしかして、『伏兵』…?」

「ああ、それそれぇっ!ケヴィンもお利口さんだねぇ。」

 ヴィオレッタはきゃっきゃと声を上げて喜んだ。

「…じゃぁ、どうしたらこの道を無事に通れるのかな…?」

「えっとねぇ…この一番後ろの駒をねぇ…横に持ってきて、挟むのっ!ご本に書いてあったよ。」

「なるほど…。」

 兵の半分を前進させて囮にする。囮がゆっくり行進している間に後方半分の兵を伏兵が予想される位置に回り込ませて…伏兵を挟撃するのか。

 ヴィオレッタの指摘は図に当たった。千人近い敵の伏兵はことごとく掃討され、敵の防衛線に穴を開けることに成功した。

 この一戦を転機として友軍は有利に展開し勝利した。将軍はケヴィンの功績を高く評価し、ケヴィンを参謀として幕僚に迎えた。しかし、ケヴィンは昇進を喜んではいなかった。


「ヴィオレッタ、ヴィオレッタはいるかい?」

 ケヴィンは屋敷に戻るや否や、メイドにヴィオレッタを寝室に連れて来るように命令した。書斎にいたヴィオレッタはいつものように本を携えて寝室に移動した。

「ケヴィン、お帰りなさぁ〜い。」

 ケヴィンはイーゼルにキャンバスを備え、ポケットから陶器製の小さな小瓶を取り出した。

「見ておくれ、これが何かわかるかい?」

「さぁ…何だろう?」

「ラピスラズリだよ…やっと手に入った。この顔料は青色がとても強く発色するんだ。ヴィオレッタの瞳の色はこれしかないよっ!」

「ふぅ〜〜ん…。」

 ケヴィンはいつになく興奮していた。パレットに小瓶の中の顔料を少し出すと丹念に練り、書きかけのヴィオレッタの肖像画の目の部分をコテで慎重に塗り始めた。真剣そのものだった。

 ヴィオレッタは四十歳、ケヴィンは三十三歳になっていた。

 ケヴィンは妻を娶らず、妾も作らず…屋敷と王宮の軍務尚書の部屋を往復するだけだった。時折、難問を抱えて屋敷に戻るとケヴィンは書斎に入り浸っているヴィオレッタを訪ね、戦略地図を開いてヴィオレッタの意見を聞いた。ヴィオレッタはすぐに本棚から文献を取り出し、ケヴィンに最善策を示唆してすぐにケヴィンの重荷を取り除いてやった。それ以外では…二人は絵を描くか、本を読むか、屋敷の庭園を散歩するかで…ゆっくりとした時間が流れていった。

 その時間を止めたのは第八次人魔大戦だった。

 ケヴィンは召集に応じて、幕僚の一員として魔族領の緩衝地帯へと出征していった。今回はリーン族長区連邦との小競り合いとは訳が違う…それで、ケヴィンはヴィオレッタの身を案じて彼女を屋敷に残していった。

 ヴィオレッタはケヴィンの帰りを半年待った。ヴィオレッタにケヴィンの消息を伝える者は誰もいなかった。なぜなら…ヴィオレッタは奴隷だったから…。ヴィオレッタが知らないうちに、ケヴィンの葬式はしめやかに執り行われ、ヴィオレッタの知らない場所にケヴィンは埋葬された。

 ある日、エステリック王国の貴族の使者と名乗る者がやって来て、ヴィオレッタを屋敷から連れ出し馬車に乗せた。ヴィオレッタは思った。

(ケヴィンのところに連れて行ってくれるのかしら…?) 

 …そうではなかった。ヴィオレッタは金貨五十枚で転売されたのだった。ケヴィンの妹たちが遺産を相続し、奴隷を…奴隷として売り払ったのである。

 ヴィオレッタは再びひとりになった。違う屋敷のある一室で椅子に座らされ、貴族たちの好奇の目に晒されながら毎日を過ごした。貴族たちは口々にヴィオレッタを讃えた。

「ほぉ〜…これがエルフですか、美しいですな!」

「なんと高貴なる銀色の髪、瞳の色は澄み切った天空のようだ!」

 まだ幼いヴィオレッタは、時の経過と共にケヴィンと過ごした日々の記憶も薄れていき…ケヴィンを待つことをやめてしまった。「本が欲しい」と言うと与えてくれるので…与えられた本を読んで、ヴィオレッタは満足していた。

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