百七章 二正面殲滅作戦
百七章 二正面殲滅作戦
ラクスマン王国軍の戦線は、バーグ族長区の東側全域とマットガイスト族長区の東側一部に掛かっていた。
今回、平民から募った義勇兵団を四千人追加投入し、全兵力が一万人超になったことで形勢が優位となり、ラクスマン王国軍は戦線を西へ西へと押し込んでいた。
今回のラクスマン王国の動員は、マットガイスト首長区とバーグ首長区に潜り込ませていた密偵からの「セレスティシア帰還」「ログレシアス回復」という情報に起因する。二つの慶事で士気が上がったリーン族長区連邦の出鼻を挫く…そういう意図だった。
王国騎士兵団の小隊長アランは騎士兵五人と義勇兵百人を任されていた。
騎士兵五人が口々に自軍の優勢を語った。
「小隊長、バーグの奴ら、撤退していきますよ!」
アランも有頂天になっていた。
「圧倒的だなっ!…日没が近い、押し込めるところまで押し込めぇ〜〜!」
同じような小隊が百ほどあって、どの隊も勝利に浮かれていた。
しかし、日没になっても戦闘は終わらなかった。バーグの兵士たちは驚異的な粘り腰を見せ、撤退したかと思えば反撃を試み、それを押し戻すと再び撤退する…それをひたすら繰り返していた。
「バカな奴らめ…悪あがきをしても、ただ兵の数を減らしていくだけだ…。」
バーグ兵の「挑発」に乗って、ラクスマン王国軍はどこまでも彼らを追っていった。大隊長からの兵たちに夕食を摂らせよという命令は来なかった。
アランは思った。
(…バーグ領のほぼ五分の一に達した…これだけ戦線を押し上げれば十分ではないだろうか。このまま進軍すれば、本格的な戦争になってあちらの主力…無傷のリーン、ベルデン、ドルイン連合軍が出てくるぞ。そうなったら、小競り合いじゃ済まなくなる…。司令官殿、あまり欲をかくと良いことはありませんぞ…。)
そもそも、この東部戦線は領地の奪い合いだ。小競り合いで戦線を押せば押すほど自国の領地が増える。ラクスマン王国は魔族軍とも国境を接しているので、リーン連邦に全勢力を投入すると魔族軍に「漁夫の利」を持っていかれる恐れがある。なので、今まで迂闊に動くことができないでいた。この「三すくみ」が東部戦線の本質なのである。
日が落ちて、辺りは暗闇に支配された。月は隠れていたが、一等星は見えていた。
「…おっかしぃなぁ…。」
「副長、どうした?」
アランは馬上で頭をひねっている副長に尋ねた。
「我々は西に進んでいるはずですよね…?だったら、北極星は右手に見えるはずです。しかし…実際には、北極星は正面に見えてます。敵を追っているうちに…いつの間にか、我々は北に進んでますよ…。」
「何っ⁉︎…このまま進むと、マットガイストか。もしかして、これは罠でマットガイスト族長区に本隊が集結している…?」
「…分かりません。」
アランは少しきな臭いものを感じ取り、進軍の速度を緩め、連絡係の魔道士を使って他の隊へもこの事を伝達しようとした。が…手遅れだった。
連絡係の魔道士が叫んだ。
「伝令!先行していた第三小隊が接敵…敵の主力とのことです!」
「…主力だとっ⁉︎…やはり罠かっ‼︎」
連絡係の魔道士は次々に戦況の報告を知らせた。
「第三、十二、二十一、二十三…壊滅!敵はどんどんとその数を増やしている模様…!」
「そんなバカなっ!」
「あ…司令官より撤退命令が出ました!…え?…そんな、信じられない…」
「こらっ、どうしたんだっ⁉︎」
「…敵はゴブリンやオークが大多数…。我々はいつの間にか、魔族軍と戦っていたようです…。」
「…‼︎」
アランは絶句した。…やられた。撤退する馬の上で、ふと…ある事に気づいた。
(…この状況…覚えがあるぞ。ラクスマン王国の歴代将軍の中で、智将と謳われたクロウ将軍の「二正面殲滅作戦」とそっくりではないか?彼の著作「ラクスマン王国戦術戦略概要 実戦と理論 第四巻」で読んだ記憶がある…。なんと、九十年前に我々がリーンに仕掛けた戦略を…まんまとやり返されたわけだ!)
アランは我に返って、声のあらん限りに部隊に向かって叫んだ。
「全速力で後退しろぉ〜〜っ!大規模な敵の掃討軍がやって来るぞぉ〜〜っ‼︎」
今回、「漁夫の利」を得たのはリーン族長区連邦だった。
バーグ兵たちは撤退すると見せかけて、付かず離れずラクスマン軍をまず西に引き、それから徐々に方向を変えて北へと転進した。その一方で、マットガイスト兵は接している魔族軍の前線を刺激して、同様に西から北へと誘導し、お互いの旗幟が確認しづらくなる夜陰を待って…鉢合わせさせたのだった。ラクスマン王国軍も魔族軍も圧勝を信じて、死に物狂いで戦い損耗していったのだ。
功を焦って突進した大隊長たちで生還した者はいなかった。また、撤退するのが遅れた部隊は、既に集結が終わって待機していたリーン、ベルデン、ドルインの連合軍の掃討作戦によって…ラクスマン軍も魔族軍もほぼ壊滅した。
日が登って、戦場は明るくなった。腰掛けに座って、うつらうつらしているヴィオレッタにスクルが目覚ましの熱いお茶を持ってきた。
「セレスティシア様、我々の完勝ですよ…。」
「ふふふ…やったね。」
「これから、どうなさいます?戦場の検分をいたしますか?」
「いやぁ〜〜…死体がごろごろなんでしょ?…やめとく。またゲロったら堪んないわ。…えぇとね、東部戦線は『元の位置』まで戻してちょうだいね。あまり欲張ってはダメよ。…そうしておけば、あちらはまた『何か裏があるのでは?』と勘繰って、しばらく大人しくしてくれるでしょう。」
「分かりました…これで、ザクレンもしばらく大人しくしてくれたらいいのですが…ね?」
二人して笑った。
兵符をザクレンに返したオリヴィアとスクルは、掃討戦を終えて帰投する騎馬に混ざってリーン族長区を目指した。その馬上で、スクルはオリヴィアに尋ねた。
「セレスティシア様、見事な作戦でしたね…。この作戦はどうやって思い付かれたのですか?」
「うぅ〜〜ん、これは言っちゃっていいのかなぁ…。まずい気もするけど…これからスクルとは仲良くしていかなきゃだし、隠し事はしない方がいいわね…。私がラクスマン王国で奴隷になってたことは話したわよね…?」
「…はい。」
ヴィオレッタはラクスマン王国で暮らした最初の三十年をスクルに話して聞かせた。




