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65 雨の降る学校で

◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 翌日の朝九時。

 昨日の帰りの電車で伊十峯と話していた通り、俺は今日音森と会おうと思っていた。


 それは無論、音森の気持ちを聞き出すため。

 あるいは、彼女自身が、今後どうすべきなのかはっきりとさせるためだ。


 ただ、その前に一つだけ、伊十峯にある()()()をしていた。

 その相談事は、いざという時必要になるかもしれない保険のようなものだった。


 ――夏真っ盛りな八月にしては珍しく、今日は朝から小雨が降っていた。


 テレビの天気予報じゃ今日は一日曇り空で、雨が降ったり止んだりを繰り返すとの事だ。

 自室の窓に打たれた小雨は、つるつると下へ流れていく。


『ちょっと会って話したいんだけど、今日会える?』


 俺が音森にキャットークで連絡したのは、そんな窓に当たる小雨を見ていた時だった。


『え、急にどうしたの……? ていうか、そっち雨降ってない? こっち結構雨ひどいんだけど』

『降ってるけど小雨。たまに止んだりしてるし』

『ねぇ、それなら学校で会わない?』


 だしぬけに、音森がそんな提案をしてくる。


『学校? 夏休み中だぞ?』

『私ちょっと学校に用事があるんだよねぇ。今学校向かってる所だったし。月村の家って学校まで遠くないんだっけ?』

『まぁ少し歩くけどな』

『じゃあ決定ね、決定』


 音森の用事が学校にあるなら、そのついででもいいかもしれない。

 若干強引に決められた感は否めないが……。

 俺は俺で、この不安定な天候の中、三條まで行くのも億劫だったし好都合だと思った。



 それからすぐに身支度をして、俺は家を出た。

 ぽつぽつ降り続ける雨を傘で受けながら、学校へ向かう。

 その途中、音森に話したい内容を整理していた。


 ぐるぐる思考を巡らせていると、あっという間に学校に到着。

 夏休みに登校するなんて想像もしていなかったが、よく考えたら部活に入っている生徒は夏休み中も学校へ来たりするんだよな。


 それが証拠に、小雨であっても陸上部がトラックを走っていたり、テニス部がコートで声を出しながら球を打ち合っていたりしている。

 こうして眺めてみると、思いのほか生徒がいる。


 傘を差しながら、金網の向こうで部活に精を出す彼らを漠然と見つめていた。


 彼らは、なんだか違う世界を生きる人のように思えた。

 事実俺には関わりがない。

 彼らと俺の共通点は、ただ同じ高校に所属しているというだけだ。


 そんな風にぼんやり眺め続けていると、いつの間にか時間が過ぎていたらしく、


「――月村、中に入らないの?」


「あ、音森」


 いきなり音森が声を掛けてきた。


 半袖の紺色Tシャツに白のチノパンといったシンプルな服装。

 片手にはろう長けた雰囲気醸すベージュカラーのバッグ。

 音森のイメージに合った、ちょっとハイソで慎ましい見た目の組み合わせだった。


 俺と同じく透明なビニール傘を手に持ち「はぁ」とため息交じりに話を続けた。


「こっちも結構雨降ってるね。なんで学校に来る日に限って雨? 運悪いなぁ私」


「いや、雨の方が涼しくて良くない? カンカン照りもそれはそれで嫌でしょ」


「うーん、私は雨ちょっと嫌いだけどね? まぁ、とりあえず学校入ろうよ。雨に打たれたいわけじゃないでしょ?」


「んなわけないだろ。それじゃなんで俺傘さしてんのよ」


「ぷっ、あははは! 確かにね?」


 音森は、色っぽい泣きぼくろの付いた目尻をくにゅっと曲げて笑った。


「話したい事がある」という俺のメッセージの意味を、彼女はその場では尋ねてこなかった。


 まるで毛ほども気にしていない。

 そこに立っていたのは、いつも通りの音森だった。

 沈んだ茶色の髪を後ろで結び、ポニーテールを作って凛とした姿勢で歩く。

 何も変わらない、いつもの音森。


 俺達は昇降口から入り、傘立てに傘をさす。

 校舎内はしんとしていて、特別な日に登校してきたような気分だった。


「先、職員室に寄ってもいい?」


「ああ。でもなんで職員室?」


「えっと……まぁその、アルバイトの件で……」


 音森は頬を指でかき、急に言いづらそうな空気を醸し出していた。


 アルバイトの件?

 音森のアルバイト先と言えば、全国チェーンの大手古本屋「セカンドブック」だが、それが一体どうしたっていうんだ……?


 ひょっとして、学校やめて就職……? 

 いやいや、さすがにそれは無いな。どんだけ本屋で実績残したらそうなるんだよ。俺の妄想力も大したもんだ。大体本屋のアルバイトに実績がどうのこうのとかあるのか……?


「アルバイトがどうしたんだよ?」


「いや、その……実はちょっと、夏休み中にバイトしてる所先生に見つかっちゃって……えへへ」


「見つかった……って、音森、もしかしてバイトの申請無しで働いてたのか?」


「……うん。だから反省文提出しないといけなくてさ」


「へぇ、……大変そうですね」


「あ、他人事~」


「いや、実際、他人事だしな⁉」


「ふふっ、それね」


 うちの高校は基本的にアルバイト禁止だが、こっそり皆やっていたりする。

 また、各々の家庭の事情等を考慮し、申請を出す事で学校から認められるパターンもある。


 それにしても、隣町なのにアルバイトしてる所を見つかってしまうとはな……。


「でもまぁ……運、悪いな」


「……だよね? しかも反省文の用紙受け取りにきた日がちょうど雨とかね、あはは! 本当ついてないよ」


 その後、音森が職員室に入っている間、俺は廊下の窓から外を眺めていた。

 方角的に、グラウンドではなく校舎の中庭が見えている。

 中庭の植物が雨に打たれる姿を、久しぶりに見た気がした。


 ――非日常感。


 私服姿の俺達が学校に来ている事もあって、今日は非日常感にあふれている気がする。

 いつも変態的な場面でばかり非日常感を味わってしまうけど、こういう穏やかな非日常感も悪くないと思った。


 むしろこっちの方が良い。

 あっちは心臓に悪い。ていうか心臓がいくつあっても足りなくなる事請け合いだ。


 あはぁんとか、いひぃんみたいな声を上げてたら、そのうちどちらが本来の俺かわからなくなる事だろう。


「おまたせー」

「ああ、思ったより早いな」


 余計な事を考えている間に、もう職員室から音森が出てきてしまった。


「うん。まぁ、ちょこっと注意されただけだしね。用紙も受け取ったし。……で? 月村、私に話があるんだよね……?」


「ああ。……ちょっと一組の教室に行かないか? 廊下で話すのもアレだし」


「……いいけど、何?」


「ふっ、そんな身構えるなよ」


「え、もしかして変な事じゃないよね? 伊十峯さんと付き合ってるんでしょ⁉」


 音森はとっさに自分の身体を抱きしめた。自分の身の危険でも感じたらしい。


「違う違う! なんで? 俺、そんなに変態に見えるの?」


「見えるよね」


「ノーノー。それは買い被りすぎだ」


「買い被りって……それ、言葉の使い方間違ってない? ふふっ」

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