63 夏夜の接触
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
『川瀬と仲直りできたみたいでよかったじゃん!』
辻崎宛てにこの内容でキャットークを送ると、すぐに返信が来る。
『え、月村どこから見てるの? 結構怖いんだけど笑
いきなり変なメッセージ送るのやめてよね
変態ストーカーじゃん、やっぱり』
やっぱりってなんだよ⁉
辻崎にストーカーした覚えはない。ていうか誰に対しても、そんな事してないんだけど……。
偶然見掛けたからメッセージを送っただけなのに……。
俺は、早くも後悔しそうな気がしていた。
そこから立て続けに、もう一通のメッセージが届く。
『どこに居るの? ちょっと話したいんだけど』
『どこ……って言われてもな。堤防の斜面の方』
そう送ると、俺は薄闇の中でスマホを空に向けて掲げた。
発光する待ち受け画面を辻崎達の方に向け、ぶんぶんと数回手を振り、存在を主張する。
それからすぐにメッセージが送られてきた。
『あの光ってる人?』
『ああ。ただなんかそれだと俺自身が光ってるみたいじゃね? 光ってるのはスマホな』
『笑笑』
そのメッセージを最後に、辻崎は俺の方へ歩いてきた。
ギャル軍団の遊ぶ場所と、降旗達が遊ぶ場所。俺の居た場所はその両方からある程度離れているため、お互いのグループから見つかるような事も無いだろう。
「月村、一人?」
「いや。ほら、向こうで遊んでる人達がいるだろ? あれ降旗達なんだよ」
「あ、そうなんだ」
「ああ、偶然今日ここで遊んでて」
「本当に偶然? うーん、怪しいなぁ~?」
「偶然だ、偶然! 大体、そっちは花火だけやりに来たんだろ⁉ 俺達は先に来てバーベキューとかしてたから!」
「あははは! 必死じゃん月村」
堤防の草むらに腰を下ろしていた俺の隣に、辻崎がゆっくり腰を下ろした。
視界は良くないが、ギャル軍団らしく肌の露出が多い格好だという事は、シルエットでわかる。
辻崎らしいライトブラウンの明るい髪色も、猫みたいに可愛らしい顔も、闇の手に掛かれば誰とも見分けがつかなくなる。
「それで? 仲直りできたのか。川瀬の件」
「うん。あの後、めぐみから連絡があって」
「なんて?」
「やっぱりゆずの言う事が正しいと思う、だってさ。あははは! あれだけ喧嘩してたのに、あっさりしてるよね。でも本当によかった……」
「だな、ははっ。なんだか拍子抜けというか、川瀬も強情張ってただけって事か。よかったな」
「うん!」
「もうわだかまりは無さそうだな」
「そうだね。……月村のおかげだよ。自分が本当に言いたい事、言わなきゃきっと後悔してたと思うし。ありがとう」
「いやいや、俺は何も出来てないぞ。ちゃんと辻崎の言葉が届いてたって事だし、あの時一生懸命訴え続けた辻崎の力だよ、これは!」
「ううん……。月村が居なかったら、そもそも頑張れなかったよ。居てくれなきゃ……ダメだったよ……たぶん」
「……っ!」
なんだ?
急にしおらしくなるなよ、辻崎!
話し声の様子から、おそらく恥じらいながら言葉をもらしているんだと伝わってくる。
結果的に、川瀬と辻崎の仲は、元通りかそれ以上に強い信頼で結び直されたのかもしれない。
人間関係は一度壊れてから修復した後の方が、より一層強固なものになる気がするし。
「めぐみには、あたしの言葉が届いたんだよね。けどさ、……ねぇ……月村にはあたしの言葉……届いてない?」
「!」
いきなり話の対象が俺になる。
その言葉が、以前の告白の返事を催促しているのだと、俺は察する事ができた。
遠回しに言われていても、そんな溜めた言い方じゃバレバレだ。
「あたしって欲張りだよね。それはわかってるんだけど、月村の気持ち、知りたくて……我慢できなくて……」
「あ、ああ……」
俺は辻崎の告白を断る事になる。
それは、伊十峯と付き合ってる事実からも明らかだし、必然的な流れだ。
こういうのは、引っ張ってはいけない気がする。
恋愛初心者の俺だって、そんな事はわかっているつもりだ。
誰の得にもならないし、誰に対しても誠実じゃない。
俺は、深呼吸を一度挟んでから、改めて辻崎の「届いてない?」の問いに答える事にした。
「ごっ、ごめん。俺、もう付き合ってる人がいるんだ」
「あ、え⁉ そう……なんだ……」
「……」
「誰? ……って訊くだけ野暮だね。あははは! 伊十峯さんでしょ?」
「……ああ」
「なーんだ。やっぱり伊十峯さんかぁ……」
「……ごめん」
「ううん。いいよ。こうなるような気がしてたしー、それに、あたしはまだ諦めない!」
「え?」
辻崎は、心機一転という様子で胸を張る。
「ふふっ。諦めないよ? この程度で引き下がると思ったら大間違いだから。彼女とかいても関係ないよ。月村の気持ちが、あたしの方に動くかもしれないんだから。まぁ、その前にあたしが冷めちゃう可能性もあるけど~」
「なっ……」
とんでもない事を言っている。本人を目の前にして、あろう事か略奪宣言か?
いや、でも伊十峯の前で言ったわけじゃないから、このくらいはご愛嬌って奴……?
「やっぱり辻崎は泥棒ネコだった」
「え、ひっどい! 誰が泥棒ネコなのよ⁉」
ちょうど猫っぽい顔してるし、泥棒ネコのあだ名は妥当だよな……?
まぁ暗くてよく顔も見えないんだけど。
「ふふっ。あーあ、それにしても、月村も勿体ない事したね」
「……まぁ、それは否定しません」
「こんな可愛い女子が好きって言ってるのにさー。あはは!」
「辻崎……」
辻崎は、振られたからといって腐るような様子は見せなかった。
むしろ、川瀬との事も相まって清々しいくらいの口ぶりだった。
自分の事を可愛いだなんて言ってしまう女子には、誰だって悪い印象を持つはずだ。
過剰な自画自賛っぷりに引いてしまったり、同じ女子なら嫌悪感や嫉妬を抱いたり。
けれどこの時の辻崎は、そんな毒々しい感情さえ抱かせないくらい無邪気だった。
「そろそろ戻った方がよくない? あたしも月村も」
「ああ、そうだな。よいしょっと」
「良い感じに暗いから、見つからずに話せたねぇ」
「だな。もう少し明るい時間だったら、向こうからバレバレだったと思うわ」
俺達の視界の両端に、花火で遊ぶ二つのグルーブが控えていた。
各々が花火を楽しんでいて、まさに夏休み然としている。
俺達は、堤防の草むらをゆっくりと下っていった。
この傾斜を下ると、後は平らな河川敷の草地が続く。
だが、無事に下りきったと思った、次の瞬間。
「おっと」
――ズブッ。
「……あれっ⁉」
暗くてよく見えなかったが、俺は何かに片足を取られて動けなくなってしまったのだった。
「ん? 月村、どうしたの?」
「いや! わっかんないけど、足が動かない……」
「え? ぷふっ、あっはっはっは! 何してんの~? ウケるっ」
「あ、ん? どうなってんだ?」
「待って待って。ちょっとスマホのライトで照らすから」
周囲はずいぶん真っ暗になってきていて、ライト無しで足元を視認するのも難しかった。
辻崎のスマホのライトが、俺の足元を照らす。
「あ、なんか縁石同士の隙間にスッポリハマってるね。ふふっ」
「あ、これ縁石か!」
「んー、なんかそれにしてもさー……」
「え?」
辻崎は、俺の足元にライトを当てたまま、こう言った。
「月村の足首、ちょっと見ていい?」
「はぁ⁉」
足首⁉ 急に何を言いだしてるんだ?
知らないうちに俺の足から血でも出てたのか?
「いや……ちょっとくらいいいでしょ?」
「え、まぁいいけど……っていうか! 足早く抜きたいんだけどな⁉」
「ふふっ。一人で抜けられそうなの? なら頑張ってよ♡ あたしは足を観させてもらうから♡」
はあぁぁぁ⁉
「え、待って? 助けろよ⁉ そんな足首なんか……ああんっ! 急に、足首を、さわっるなはぁん‼」
「あはははは! 月村って、実は足首弱いんじゃない? ぷふ」
辻崎は、俺のズボンの裾から手を侵入さえ、皮膚の上を這うように弄んできた。
「な、何やってん……あぁ、だよぉ! くっ……!」
いや、辻崎の事はともかく! 今はさっさとこのハマった足を抜く事だ!
それさえ出来れば万事解決だ。こんな疑似的な足枷、どうって事ない!
「ふんっ! ふふんっ!」
「ちょ、ちょっと月村! あんまり動かさない方がよくない? 足、怪我しちゃうじゃん!」
「お前のせいだよ‼」
「あはははは!」
「即刻離脱する! あと足首を触らないで……へぇんっ……ああ!」
「ぷっ。月村、変な声出しちゃって……やらしくない?♡」
「だから! お前のせいだからな⁉」
「いいよー? じゃあ足首は触らないであげるっ」
「そ、そうか? よかった……」
俺が安堵したのも束の間で、
「その代わり、こうしようかな~?」
「な、なんだよ⁉」
辻崎は、スマホのライトを俺の顔に向けた。
一瞬で視界が眩む。逆光で辻崎の姿もよく見えなくなった。
「ま、まぶしい!」
「あはは! ほらぁ~、月村。どこ照らしてほしい?」
「は⁉ どこって……どういう事だよ⁉」
質問の意図はわからないが、妙に俺の鼓動は速くなっていた。
無理もない。何しろ、辻崎が思いのほか身体を寄せてきている。
さり気なく腕とか触られてるし。
そんな風に誘惑されても困る。俺には伊十峯がいるんです!
「お、おい辻崎……ち、近いよ! お、お前なんでそんなに接近して……!」
「えー? さっき言ったじゃん。……あたし、欲張りなんだよ。めぐみと上手くいって、今度は月村とも……上手くいきたいって思ってるから」
「っ~~‼」
「顔だけじゃなくて、色んなところ照らしてあげるね♡」
「は⁉ うわ、ちょ、ちょっと⁉」
辻崎は、拒んでいた俺の手を片手で抑えながら、他の場所を照らし始めた。
俺の首筋や、鎖骨の辺りにスマホのライトが当たる。
「鎖骨って……結構えっちだよね」
「はあ⁉ おかしいって辻崎!」
鎖骨からエロスを感じるのは同感だけど!
いきなりそこを明かり責めとかどんなプレイだよ!
でも実際、暗闇の中で俺の鎖骨や首筋が照らし出されていくと、俺の身体は無意識にドキドキしてしまう。
さすがにこれは想定外だった。
暗い中で照らされるのって、思ってるより悪くなくて……いやいや!
そうじゃないだろ俺! いくらなんでもこんなの恥ずかしすぎ!
「やめろよ辻崎!」
「え? いいじゃん。ふふっ。誰も見てないよ?」
「あ! ていうか、見つかるだろ! こんなやってライト使ってたら! 川瀬達にだって見つかるかもしれないだろ⁉」
「確かにねぇ。あれ? もしかして、そっちのグループに伊十峯さん居る?」
「……いるけど、それがどうしたんだ?」
「ふふっ♪ じゃあ~この状況見られたらまずいよねぇ~♡」
「ちょ、おい! 辻崎‼」
辻崎は、俺の鎖骨の辺りに顔を寄せた。
スマホのライトで照らされていた俺の鎖骨付近に、辻崎の小悪魔のような表情が浮かび上がる。淫靡とも艶やかとも言えそうな雰囲気が、そこから漂っていた。
「ああ! もう!」
「むしろ伊十峯さんに見られたほうが、月村ももっとドキドキするんじゃないの? あはは♡」
勘弁して……鎖骨を指でなぞり始めないで……あああっ!
「俺をゾクゾクさせるのはいい加減やめてくれ!」
「ふふ♪」
困り果てる俺。辻崎の笑い声が響いたと思った次の瞬間。
――ズボッ。
「おわっ」
「あ! 抜けちゃったの⁉」
身を悶えさせてよじり続けていた事が功を奏したらしい。
俺の足は、窮屈な縁石から無事、外れたのだった。
幸い、ちょっとした擦り傷程度で済んでいる。よし、すぐここを離れよう。
「はっはっは! 残念だったな辻崎! じゃ、俺はもうこれで戻るから! 川瀬と仲良くやってくれ!」
「あ、ちょっと⁉ もう月村のバカ! 女たらし!」
「どっちが「たらし」だよ!」
降旗達の元へ走って戻る俺の背中に、なぜか罵声がぶつけられた。
告白の件はちゃんと振ったし、女たらしでもなんでもない……と思うんだが。
言いがかりはやめてほしい。
その後、花火で遊び回る降旗達と合流。
短時間で二回もトイレに行った事になっていたせいか、焼肉の肉がアタリでもしたのかと心配された。
まぁおかしな明かり責めにあっていたので、心配される状況といえば状況だったわけだが……。
無論、そんな変態模様を堂々と説明なんてできない。




