60 なんかごめんなさい!
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
最寄りである鴨駅で伊十峯と待ち合わせている間、俺は自分の事を振り返っていた。
恋愛に醜悪な感情しか向けていなかった自分。
そんな自分が、純心を再び手に入れようとしている。特に最近は目覚ましい。
俺のように駅前で誰かを待つ男子が近くに居たけれど、そんな彼が女子と待ち合わせていても妬んだり羨ましがったりしない。
テレビやネットニュースで恋愛特集を組まれていても、チャンネルを変えたりブラバしたりしない。
アニメやドラマの恋愛シーンに、どことなく自分を重ねたりし始める。
こうした習慣の細かな変化は、ひとえに伊十峯のおかげだ。
伊十峯と付き合うようになったからじゃない。
伊十峯に、あの時弱い自分を見せたからだ。
そして、それを彼女が受け入れてくれたからだ。
おかげで浮塚との嫌な思い出も、俺の中では見事に浄化されていた。
そんな自分自身の考察を俺がしていると、
「おまたせ! 月村君、待たせちゃってごめんね?」
噂の彼女が到着した。
「あ、いや、そんなに待ってないよ!」
黒やくすんだ青を基調とした、薄手のロングスカート姿。
伊十峯にしては珍しい、明るくない色合いのコーディネートだ。
取り立てて夏らしさと呼べる点は、Tシャツの袖が短い事くらいである。
そしていつもの綺麗な黒髪ストレート。
ぱっちりとした瞳やぷるっとした唇には、えも言われぬ愛らしさが現れている。
「伊十峯、今日はあんまり明るくない服装なんだね」
「うん。私も、いつもみたいに淡い色の服にしようかなって思ったの。でもほら、降旗君達とお肉食べるんでしょ? 焼肉だと色々服についちゃうかもしれないから……」
「あ、確かに!」
伊十峯は、俺が全く気にしないような所にも目を向けていた。
食事の際、俺は服が汚れる心配なんてした事がない。
単にそのお店のご飯が美味しいのか、値段はいくらなのか、他にどんなお客がいるのか。
そんな事ばかりに目を向ける。
話に耳を傾けながら、俺と彼女が意識する部分・見ている部分は違うのかもしれないと感じた。
「あ、電車来たみたい!」
伊十峯の視線の先、向こうから俺達の乗る予定の電車がやってくる。
車両は、薄いオレンジ色に染まりだしていた。
夕陽と呼ばれ始める程度に高度を下げた、八月の太陽を浴びて。
車内は特段混み合っていなかった。
俺達はまた以前のように四人掛けのボックス席に二人で座り、三條駅へと向かった。
向かう途中、伊十峯が不意に話を切り出してくる。
「ねぇ月村君、私達の事、降旗君達に言う?」
「うん……あ、待って? 訊かれたらにしよう! その方が良くない? 自分達から言うのもなんだか惚気っぽいというか……いや、伊十峯が言いたいなら良いんだけど!」
「わ、私も月村君と一緒だよ。そ、その……私達の方から言うっていうのも……ね?」
「ああ。それに、たぶんだけどすぐに疑われるんじゃない? 意外と降旗って洞察力鋭いし……。放置しておいてもいいんじゃないかなぁ」
「ふふっ。降旗君て、鋭い人だったの?」
「ああ、実はそうなんだよ! 結構人の事よく見てるんだよなぁ、あいつ……」
俺のうなじ好きを見抜いてきたり……。あとさり気なく学力高いし。
「でも今日の誘い、急だったのによくオッケーしてくれたね、伊十峯」
「あ、全然それはいいの。お姉ちゃんがちょうどサークルの合宿から帰ってきてて、「誰かと出掛けたら? 高校生の夏休みは人生で三回までだぞ~?」って家で何回も言われてしつこかったから!」
「小春さんらしい。あははっ!」
「あの人本当に世話焼きなの! ちょっとおかしいんだよね。ふふっ」
赤茶色の髪を揺らす小春さんの顔が、一瞬俺の頭に浮かんだ。
小春さんのその口調からすると、伊十峯はどうやら俺との交際の件を小春さんにまだ話していないらしかった。
小春さんが交際を知れば、「友達」という単語より「彼氏」という単語が先に口をついて出てきそうなものだ。
加えて、伊十峯の性格的にも打ち明けるのは難しいのかもしれない。
そんな事を考えながら、窓の外の夕景を漠然と眺めていた。
次第に、電車は目的地の三條駅に到着する。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「おーい、月村~!」
「久しぶりぃー!」
「今日はよろしくね!」
「ああ、久しぶり。三人とも」
駅の改札を出てすぐ、俺達五人は合流した。
萌絵と音森、それに降旗は、俺の姿を見ると元気よく声を掛けてきた。
三人とも、以前出掛けた時のように夏らしい軽い服装だった。
萌絵だけやや露出度が高いが、それも至って平常運転だろう。
「よ、よろしくお願いしますっ!」
「え……?」
「おい月村、そっちの女の子は……?」
俺の隣に立っていた伊十峯が挨拶すると、降旗と音森は予想通りの反応を示した。
「すごい可愛いねぇ。……え、今日って、伊十峯さん? が来るんだよね?」
「ああ、そうだよ。だから、伊十峯と一緒に来た」
「「ええええ⁉」」
萌絵の質問に答えてあげると、降旗と音森が同時に大きな声をあげた。
気持ち良いくらいの驚愕っぷり。
近くを歩いていた人達も、一体何事⁉ とばかりに一瞬視線をこちらへ向けていた。
「え⁉ いやいや、一緒に来るのは月村から聞いてたけど、伊十峯さん⁉ この可愛い人⁉」と降旗。
これって、褒めてるようで実は失礼な事言ってない?
俺も確かコンタクトの伊十峯と初めて会った時、似たような反応したかもしれないけど。
「な、なんかごめんなさいっ!」
「伊十峯。何を謝っているんだ。むしろ降旗の頬をビンタしてもいいくらいだぞ」
「で、でも……」
「伊十峯さんすっごい可愛い! へぇ~! 眼鏡取るとこんな感じなんだ!」
横から音森が興味深そうな様子で会話に入ってくる。
伊十峯は三人に、いや特に降旗と音森に、じろじろと見られて恥ずかしいようだった。
両手を組んで、指をもじもじさせている。そのままあやとりでも始めそうだ。
「一組の人って聞いてたけど、一組にこんな可愛い人居たんだ‼ あたし降旗萌絵~。二人は面識あるみたいだけど、あたしとは初対面だよね?」
「は、はいっ! い、伊十峯小声です……」
「小声っていう名前なの? かぁ~わぁ~い~い~♪」
萌絵は早速伊十峯と打ち解け合おうとしているようだった。
それにしても「一組にこんな可愛い人、居たんだ‼」は、一組の女子全員を敵に回していませんか? 大丈夫ですか?
「おい! 月村!」
「え?」
唐突に、降旗が耳打ちをしてきた。
あれ、以前にこの逆パターンがあったような……。
「伊十峯さん、あんなに可愛い顔してたのかよ⁉」
俺の肩に手を置き、コソコソと事実を確認してくる男・降旗友一の姿がそこにあった。
暑いからボディタッチはやめてくれ。
「ああ……俺は俺で驚いたよ、先日」
「そうだったのかよぉ~!」
「あ、でも降旗さ。前に伊十峯に「なんで眼鏡かけてるの?」みたいな事言ってたじゃん。あれは、もう伊十峯の顔が可愛いと思って言ったんじゃないのか?」
「いやいや、ちょっとだけ外した所見てみたいなぁ、と思った。それだけだよ。それがまさか、ここまで印象変わると思ってなかったし――」
「ちょいー? そろそろ移動したいんですけどぉー?」
俺と降旗が話していると、後ろから萌絵につんつんと肩を小突かれた。
着ていた薄紫のTシャツから、控えめながら谷間が見えそうになっていて、俺は不覚にもドキッとした。
「ああ、それじゃあ行こうぜ」
「行こう行こう~♪」
五人でぞろぞろと駅から離れていく。
俺や伊十峯は、この降旗御一行がどこへ向かうのかわからないので、ただ後をついていくしかなかった。
行き先は当然焼肉屋なのだろうと思っていたわけだが、ここでちょっとした違和感を覚えた。
「いや~、あんまり虫とか居ないといいけどなぁ」
「そうだねぇ~。一応虫よけスプレーも持っていけばよくない?」
「蚊取り線香も持っていけば?」
前方を歩く降旗、萌絵、音森の三人の会話に、俺と伊十峯は眉根をひそませた。
虫よけスプレー⁉ 蚊取り線香⁉
普通の焼肉屋へ行くんだよな……?
大量のコバエが飛び交ってるとか、そんな、衛生面やばいんですけど的な焼肉屋じゃないだろうな? いくら学生でお金無いからって、食中毒にはなりたくないんだが⁉
「ねぇ、月村君。……これから行くのって焼肉屋さんじゃないの?」
「え?」
俺のそばを歩いていた伊十峯にひそひそと耳打ちされる。
「……いや、俺も普通にそうだと思ってたよ? だから今ちょっと困惑しててっ」
「ん? 月村、どうかしたの?」
俺達のおかしな様子を察知したのか、音森が振り向いて声を掛けてきた。
久しぶりに見た音森のポニテが、彼女の頭の動きに合わせて揺れ動く。
大人びた顔の造形と、目の下にそれらしく位置付けたような泣きぼくろが一定の色っぽさを生み出している。
「あ、ああっ。これから行くのって、焼肉屋さんだよな?」
「えっ⁉」
音森は、こちらの質問がどれだけ見当外れなのか、ひらがな一文字とその表情だけで教えてくれた。
今って真冬ですよね? くらいずれた質問だったのかもしれない。
「音森さん、これからどこへ行くの?」
「今向かってるのは、萌絵のお家だよ?」
「……?」
俺達がさらに困惑した顔でいるので、音森はこちらの状況をある程度予測し、理解してくれたようだった。
「……えっとー、これから私達が行くのが三條の河川敷で、そこでバーベキューするから、コンロとかの道具と食材を萌絵の家に取りに行く、って事なんだけど……。オッケー?」
「「バーベキュー⁉」」
俺と伊十峯の声がハモる。
「あれー、月村に俺言ってなかったっけ? バーベキューするって。肉食べるって言ったじゃん?」
俺達の声に反応して、降旗が振り返る。
「いやいや! それだけじゃ普通に焼肉屋に行くのかと思うから!」
「月村ぁ~、夏にお肉といったらばーべきゅーだよ! あたしもう三回もやってる♡」
セリフに合わせて、萌絵はヨダレを拭く真似をしながら笑った。
三回もバーベキューやってるならもう十分では?
「またさぁ~、これが萌絵の家からちょうどいい距離に河原があるんだよなぁ! 月村も肉は好きだろ?」
「どちらかと言えばそうだけど……。バーベキューならそうはっきり言ってくれよ。なんかお肉とか、そういうの買ってきたのに……」
俺が申し訳なさそうにそう言うと、音森がフフッと小さく笑みをこぼして、
「もうこの前萌絵と一緒に山のようにお肉買ったから、全然無くならないと思うけどね」
「いや、そういう問題じゃ……」
「さぁ! とっととあたしの家に行くよ!」
ダメだ。萌絵も音森も、降旗さえも、聞いてねぇ……。
「……」
そんな俺の方を見ているのは、伊十峯ただ一人だけ。
無言で一度うなずいたその表情からは、「今回だけ甘えちゃお?」という空耳が聞こえてきそうだった。
「はぁ」
こういう時、俺は借りを作るようで気が引ける。
本人達が良いと言っているのだから、その優しさに身を預けるのも悪い事じゃないと思う。そもそも、バーベキューは道具が無ければ出来ないのだから。
それでも、食材費の半分くらいは俺や伊十峯にも負担させるべきだ。
貸し借りのうち、特にお金が絡む物を俺は毛嫌いしていた。
やや不本意だった俺を最後尾に、この御一行は間もなく萌絵の家に着くらしかった。
気付けば、夕陽は西の空でとっくに赤くなっていた。




