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56 〇〇しちゃう?

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 すごく優しくて柔らかい何かに包まれていた。

 最初は現実感が無かったけれど、次第にその温かい物の存在がはっきりとしてくる。


「い、伊十峯……!」


 涙で濡れた頬に、伊十峯のふっくらとしたおっぱいが当たっていた。

 椅子に座っていた俺の座高と、伊十峯の大きな胸が、ちょうど同じくらいの高さで揃っていたせいだ。


 俺は伊十峯に腕を回され、椅子に座りつつも、器用に頭の辺りを抱きしめられていた。


 顔は思い切り胸に埋もれていて、不思議な気持ちだった。

 もちろん男子高校生らしく鼓動は速まっていたけれど、それ以上に俺は安心していた。


 行き場の無い悔しさのような物が、ずっと胸の中でわだかまっていたのに。

 伊十峯に抱きしめられた事で、絡まり縛られていた感情の糸がほぐれていく。

 そんな不思議な気持ちだった。


「こ、こっちに……来て……?」


 それから伊十峯は俺の手を引いて、俺をベッドへ導いていった。


 俺は恥ずかしさで一杯だった。

 一緒にベッドに入る事もそうだが、俺なんかの泣き顔を見られてしまった事が恥ずかしかった。


 もういっそ、この顔を掛布団で隠してしまいたい。

 興奮や緊張なんかより、恥ずかしさでそう思えてしまったのは当然かもしれない。


 助けてあげた女の子に、逆に助けられてしまう。

 なんだかその事が、とても恥ずかしかった。


 ベッドには先に伊十峯が入っていて、俺を誘うように掛布団を持ち上げている。

 かまくらのようになっていたその掛布団の中へ、俺は逃げ込むように身を潜り込ませた。


「……」


 伊十峯は、ベッドの枕元にあったスイッチで照明を薄暗くした。

 それは無言で行なった事だったけれど、俺も同じく部屋を薄暗くしたかった。

 お互いの表情が、まだわかるくらいの薄暗さだ。


 泣いた後の顔なんて見せたくないしな……。このくらいがちょうど良い。

 以心伝心していたのかと思うほど、伊十峯の照明を落とすタイミングが良かった。


 ダブルベッドとは言っても、俺達の距離は十分近い。

 少し腕を動かせば、簡単に伊十峯の腰や太ももの辺りに手がぶつかる距離。


「月村君……。私、月村君のこと……もっと知りたいの。……だから教えて?」


 薄暗くなってからすぐ、伊十峯の甘くて癒やされるような声が、すぐ横から囁かれた。


「……ぐすっ」


 俺は一度鼻をすすり、伊十峯に浮塚の件を全て話してしまう事にした。


 ただこの説明自体も、俺にとっては少しだけ怖かった。

 浮塚を始め、クラスでも人気のある女子にはどこか怖い気持ちを抱いていたけど、そもそも、その事を、同じ性別である女子の誰かに話す事だって俺には怖い。


 弱みを知られる事になるわけで、話せば誰かに吹聴されないとも限らない。


「……」


 でも、ベッドへ導かれた時と、またベッドに入ってから改めて握ってくれていた伊十峯の手が、なぜか俺のその恐怖を鎮めてくれていた。


 ずっと前から、俺は気付いていたのかもしれない。

 伊十峯小声が、俺にとって特別な存在だという事に。


「俺の中学の時の事なんだけど――」


 それから俺は、浮塚の事を伊十峯に語った。

 どのくらい時間を掛けたのかわからない。

 かいつまんだりせず、なるべく詳しく、過去をなぞるように話していった。

 最後、ホテルのロビーでの事を言い終わるその時まで、手はずっと握り続けていた。


「……そういう事があったのね。……ありがとう、月村君」

「いや……」


 俺達はずっと天井を見続けていた。

 そのまま、伊十峯は話を続ける。


「そ、その……話してくれて、ありがとう。本当は辛いんだよね……? 話すのだって辛いはずなのに、私に打ち明けてくれて……。私、その事がすごく嬉しいの。……ふふっ。月村君にちゃんと信じてもらえたみたいで、すごく嬉しい!


 私は、いつも月村君から勇気をもらってばかりで、迷惑ばかり掛けてるから……。そのお話は、私が月村君のことを支えてあげるために聞く必要があると思ったの。……いいんだよ? 辛くなった時は、私に寄り掛かって? きっと気持ちが楽になると思うの。月村君の気持ちが」


「あ……ああ……」


 伊十峯の言葉は、どうしてこれほど心にしみるんだろう。


 俺だって誰かに助けられた事はあったけど、ここまで痛みの癒えるような言葉を掛けてもらった事はなかった。


 それくらい、伊十峯の言葉の治癒力は高かった。

 グロッキーになっていた俺の感情は、その言葉だけでも、かなり救われたような気がした。


「ははっ……伊十峯、優しすぎるよ」

「え? そ、そんな事ないよ⁉」


 俺がたまらず微笑んであげると、伊十峯は少し慌てながらそんな返事をした。


「で、でも……私達、今すごい事してるよね……」

「……え? 何が?」


「だ、だって、ふ、二人ともガウン姿で……同じベッドの……中だよ?」

「あ……」


 っ~!

 ……そうじゃん。……うわ、え、待って⁉

 一体俺いつの間に伊十峯と同じベッドの中に居た⁉


 いや確かに手を引かれたような気もするけど、記憶が曖昧だ!

 俺が椅子に座っていた所までははっきりしている。

 そうだ! 確か伊十峯に抱きしめられて……あれ? そこからどうやってここまで来た⁉


 まずい……。

 行き場のなかった気持ちが薄らいだせいか、改めてこの状況を理解して鼓動が速くなる。

 同じベッドに入っているせいで、伊十峯の匂いとか生々しいくらいはっきりしているし……。


 伊十峯の匂いは、殺人的なくらいフェロモンたっぷりで甘美だった。

 や、やばい……本当に頭がクラクラしてきそうだ……。意識がとろける。


「ふふっ……」

「え、ど、どどどうしたんだ? 伊十峯?」

「え? ううん。なんだか、その……月村君、()()()なってきたね!」


 はぁ~っ! 元気⁉

 そのセリフは違う意味にも聞こえるんですけどね!

 元気になってきたってどういう事だ⁉ どこが⁉


「どこ」とか言うと、また身も蓋も無いな。うん。

 伊十峯はそういう意味で言ったわけじゃないから! 早まるな俺!


「い、伊十峯のおかげだな……げ、元気に、……なってきた、と思う」


 くぅ~! 俺も自分で言っておきながら、なんか違う意味に聞こえるような気がする!

 ダブルミーニング! そしてワーニングだよこれ!


「うん!」


 伊十峯は愛らしく返事をした。声のトーンで、この状況を楽しんでいるのがわかる。

 おそらく、俺と同じで、ドキドキしながら楽しんでいるんだろう。

 緊張感と、健康的な興奮。


「……」


 俺はふと、天井から伊十峯の方へ、ゆっくりと体の向きを変えた。


 か、可愛すぎるよもう……何これ。

 なんで俺の横にこんな美少女がいるんだ、とか今更ながら思えてしまう。


 薄暗いけど、伊十峯の顔やシルエットはありありとわかる。

 目の位置も、耳も鼻も口も。

「可愛い」の模範解答みたいな粒ぞろいのパーツ。均整の取れた配置。

 掛布団のせいで肩から下は見えないけれど、もちろん伊十峯の身体は平均的な女子高生のそれよりもずっと魅力的なわけで。


 この薄暗さが、余計に俺を興奮させていたような気がする……。


 いやいや待って。本当にやばい。

 泣いてすぐなのにか⁉ 俺って節操なしだったの⁉

 そりゃあ俺だって「元気」になろうと思えばなれるよ? もちろんだ!


 けど、前にも考えたが、これが夏休みの思い出になっていいのか⁉


 うわー! どうなんだよ伊十峯~っ!

 伊十峯次第って事にして、責任逃れしていい?

 さすがにそれはダメですか……? まぁ、ダメだよね。


 俺が心の中でしばし悶々と悩んでいると、


「あ、月村君、こっち向いてたんだね……わ、私も……こっち向く」

 そう言って、伊十峯も俺の方を向いた。


「~っ!」


 ああ~っ!

 ベッドの中でお互い向かい合うのは、もう色々とやばいって!


 向きを変える時、伊十峯が距離を間違えたのか、一気に顔が近くなる。

 二十センチあるかないかくらいだ。接近しすぎ!

 しかもその……胸の辺りのガウンが……向きを変えた拍子で、ちょっとはだけてませんか……?


「かっ……かか、顔、近いね。月村君」

「そう……だね」


 俺の視線は彼女の胸元に釘付けだった。

 ベッドの中で向かい合っていた伊十峯のガウンは、主張の強い胸に押し負けたかのように、予想通りはだけていた。


 思いっきり谷間が見えちゃってるよ伊十峯ええええ!


 薄暗いし、掛布団があるせいで少し影になってるけど、それでも凶悪なふたご山脈が! しかも横向きの体勢だから「むぎゅっ」て音のしそうなくらい寄せられてるし!

 なんだその柔肌でできた渓谷は!

 アリ地獄か⁉ 脱出したいとも思わないアリ地獄の完成か⁉

 うわああああああ! 理性が……俺の理性さんが……。


「月村君?」

「……」


 え? 待って待って! というか、これってもしかして……。

 その綺麗に見え過ぎている谷間に、俺は違和感を覚えていた。

 本来そこまで見えているなら、同時に見えなくてはいけない物があるはずだ。


「い、伊十峯……あ、あのさ……」

「何?」

「もしかして……下着着けてないのか?」

「え? そ、そうだけど……」


 ええええええ⁉ なんでだよ伊十峯⁉

 緊急事態発生! 緊急事態発生!

 放送事故だ! 事故だよこれ!

 映しちゃいけません! カメラ止めろカメラ!

 伊十峯が完全に変態になっちゃってんだけど!


 俺の中でそんな勧告とサイレンが唸りだす。


 ――下着を着けないなんて、普通だろうか? いや、普通ではない。


 よし、一学期に習った古文の反語で、なんとか一旦冷静になれそうだ。

 こんな時に勉強が生きるなんてな。日本の高等教育も捨てたもんじゃない。本当に高等だ。


 いや待てよ?

 もしかしてガウンて、下着着けたまま着ちゃいけないのか?

 そういう文化というか、慣習? それが本式だという可能性もわずかにある。

 俺にその予備知識が無かったというパターンだ。


「な、なんで着けてないの……?」

「え? そ、それは……わ、私の習慣っていうか……」


 習慣⁉

 これ、このまま話を聞いていっても大丈夫?

 以前の目隠しハヤシライスみたいに、想定外の方へ話が展開したりしない?


「私……その、普段寝る時は下着着けてなくて……」

「そ、そうなの⁉」


「うん……。で、でも! これ、私だけじゃないんだよ⁉ 他の女の子も、着けてないって話してるの聞いた事があるし」


「へ、へぇ! そうだったんだ……」


「うん。胸がその……苦しいっていうか、着けてると縛られてるみたいで、その……」

「しばっ⁉ ……し、「締め付けられて」じゃなくて⁉」

「あっ! そ、そそそう! 締め付け! ご、ごめんね、間違えちゃった」


 縛られてるとか言っちゃだめだよ伊十峯。

 それ違う方向の話になるからね!

 こんな時に、なんてワードをぶち込んでくるんだ!


 部屋の明るさが落とされていたおかげで、俺の顔が真っ赤である事は気付かれていないよな? そう願うばかりだった。


「つ、月村君……」

「何?」

「あ、あの…………」


 伊十峯は何かためらいつつも、次のセリフを吐いた。


 それは、あまりにも俺の想像を上回る発言だった。


「初めてなんだけど……今日……その……()()()()()()……?」


「っ⁉」


 はああああ⁉

 いきなりなんて事言い出すんだよ伊十峯⁉

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