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54 ほろにがエンカウント!

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 ホテル一階のレストランは、伊十峯が見た通りロビーのすぐ脇にあった。


 店の出入り口に黒板タイプの洒落た立て看板が置かれていて、チョークで「本日のおすすめ‼」と書かれている。


 その内容がピザやパスタの羅列だったので、ここがイタリア料理を扱うレストランなんだとすぐに見当が付いた。


 伊十峯の言っていた通り、中はそれほど混み合っていない。

 俺達二人の入店に気付いたのか、イケてる黒髪パーマのウェイターさんが声を掛けてきた。


「いらっしゃいませ! お客様、何名様ですか?」

「ふ、二人でしゅ!」

「ふふっ、月村君っ」


 俺は思い切り噛んだ。でしゅってなんだよ、でしゅって!

 俺のセリフに伊十峯はクスクス笑っていた。


「かしこまりました~。どうぞこちらへ! ご案内致します!」


 ウェイターさんのにこやかな表情が素晴らしい。

 ああ、イケメンて罪だな。


 俺の噛んだ事に一切触れない辺り、真の紳士だ。真紳士。逆から読んでも――とかどうでもいい事を考えて、俺は今のこの恥ずかしさを散らすしかなかった。


 レストランの店内は、ホテルのロビーよりもやや明るさが落とされていて、心地良いスウィングなんかが流れている。

 雰囲気バッチリだな、ここ。


 ウェイターさんはイケメンだし、このウェイターさん目当てでホテルに泊まるお客いるだろこれ。

 それから俺達は広めのテーブル席に通された。


「伊十峯、何食べる?」

「えっと……うん……。どうしようかなぁ。どれも美味しそうで目移りしちゃう……」

「わかる! 全部旨そうなんだよなぁ~」

「そう! ほんとに!」


 俺達は、初めて見るここのイタリア料理のメニューに、二人して目を輝かせていた。

 パスタもいいし、ピザもいい。ああ、ドリアもあるしチーズフォンデュもある!


 俺はふと、いつか降旗達と行った本格窯焼きピザを出してくれるお店の事を思い出していた。

 そういえばあの時は店内にギャル軍団が居て、食べた気がしなかったような……。


「月村君、決めた?」

「ん? あ、いや、まだだ!」


 俺があれこれ思い出してしまっていると、伊十峯はメニューに指を差して会話を繋いだ。


「これ、どう? ピザなんだけど、……その……二人で半分こしよ?」

「あ、ああ……」


 はぁ~! はんぶんこ! はんぶんこ、だって! ちょっと奥さん聞きました?

 なんだかすごく良い。はんぶんこって言葉の響きのせいか? 


 いや、伊十峯の声が元々俺の好きな声質だからか⁉

 伊十峯の「はんぶんこ」にやたら胸がときめいてしまうのはなぜだろう。


「えっと、水牛モッツァレラとバジリコのマルゲリータ?」

「そう! この前テレビでやってて、ずっと食べてみたかったの!」


 伊十峯が示していたそのマルゲリータは、ここの店の一押しメニューらしい。

 料理名のすぐ横に、黄色い星マークがちょこんと描かれていた。


「あと、パスタも一人ずつ何か頼んじゃう?」

「うん! 頼んじゃおっ♪」


 伊十峯は純粋無垢すぎる笑顔で返事をした。

 ……可愛い。


 彼女のその姿を見て、同時に俺は胸を撫でおろす想いだった。


 このホテルに泊まること自体、運休アクシデントの弊害だ。不満に思う所はお互いあるはずなのに、伊十峯はそんな事おくびにも出さない。


 それが、どこか俺に後ろめたさを感じさせていたから。


「……月村君、パスタどうする?」

「このペスカトーレにしようかな。写真でもう美味しそうだし」

「ほんと美味しそう……」

「じゃ、じゃあパスタも取り分ける……?」

「え? あ、うん!」


 俺がそう提案すると、伊十峯はまたしてもにこにこと柔らかい表情を浮かべた。

 素直に喜ぶ伊十峯は、相も変わらず可愛らしい。

 打ち解けた相手には本当に表情豊かだな。


 それからしばらくして、料理が運ばれてきた。

 水牛モッツァレラの使用されたマルゲリータは、ちょうどイタリアの国旗カラーで視覚的にも綺麗だ。パスタも次いで運ばれてきて、俺達の席はすぐに料理で埋まった。


 注文はそれで終わりだったけれど、俺達二人の胃袋を満たすには十分だった。

 値段は意外と安くて、高校生の財布を寒くするような値段ではなかった。



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 楽しい食事の時間があっという間に終わり、店を出る。

 部屋へ戻るため、俺達はロビーの近くを通ろうとしていた。

 そのタイミングで、俺は急にトイレへ行きたくなったのだった。

 おそらく夕食を食べたからだろう。


「ごめん伊十峯、俺、ちょっとトイレに行きたいんだけど」

「あ、じゃあ私も……」

「そう? じゃ、早く出てきた方が、すぐそこのソファで待ってようか」

「うん!」


 俺達は一度、ロビーの近くにあったトイレへそれぞれ入る事にした。

 先に済ませた方が、トイレを出て角を曲がった所のソファで待つ。そういう流れだ。


 それにしてもあの店、一皿一皿が結構な量だった。

 俺は小さい方の用を足しながら、先ほどの食事を思い返していた。


 二種類のパスタをお互いが味わえるよう、料理を出されてからすぐに目分量で均等に分けた。

 俺の頼んだムール貝のペスカトーレと、伊十峯の頼んだレモン添えカルボナーラ。


 どちらも筆舌に尽くしがたい味だったけれど、量が量だった。

 その上、マルゲリータを四切れずつだ。

 だというのに、伊十峯が思いのほか、そいつをペロリと食べてしまっていた。

 意外と大食い? いやいや、女子に大食いとか言っちゃ失礼だ。やめよう!


 俺は用を済ませ、すぐにトイレを出た。

 さすがに俺の方が早く出てしまったらしく、約束のソファには誰も座っていなかった。


 このソファはフロントから離れていて、最初に見た宿泊客らしき人達も座っていない所だった。


 俺は、食後で膨れていた自分のお腹をだらっと触りつつ、この後の事を想像していた。

 部屋で紳士的に振る舞うためのイメージトレーニングだ。


 一切の油断があっちゃいけない。

 油断したら溺れてしまうに違いない。

 本能の海だ。本能の波だ。それに呑まれてたまるか!


 そんな事になれば、俺と伊十峯の夏休みの思い出は、これ一色になってしまうかもしれないんだ。

 残りの夏休み、いや、下手をすれば二学期も三学期も、伊十峯の顔をまともに見れず、ASMRさえもこっぱずかしくて視聴できないかもしれない。

 そうして気が付けば「進級、おめでとう~☆」なんて事になりかねない。


「……」


 あ~! なんだかソワソワするなぁ……。

 伊十峯、まだトイレから出てこないでくれ。イメトレが済んでない。

 俺が今後の事に思いを馳せ過ぎて困惑していた、その時だった。


高広(たかひろ)ぉ~、今日この後どうする~?」

「どうってお前、そんなの決まってるだろ? あっはっはっは!」


 男と女の会話が、耳に入ってきた。


「ん?」


 先ほど俺達が食事をしたレストランの方から、一組のカップルがやってきていた。

 俺はチラッと一瞥して、すぐに視線を逸らした。

 じっと見ているのも悪い。俺はおもむろにスマホを取り出し、そのスマホへ視線を注ぐ。


 おそらく俺の座るこのソファの前を通り、ロビーの方へ抜けていくんだろう。


 直接黒目では見ないようにしつつ、視界の端には彼らを捉えていた。

 ゆっくりと、視界の端からこちらへ移動してくる。

 そして、彼らが俺の目の前を通りかけたその瞬間、女性の方がおかしな事を言った。


「あれ? 月村君?」

「なんだ? この人、林檎の知り合いなのか?」


 名前を呼ばれ、ハッとして顔を上げる。


「え……?」


 男の言葉にあった「林檎」という名前と、二年ぶりでもさして変わらない可愛らしい目鼻立ちとサイドテール。

 そんな、見覚えのある女子がそこに立っていたのだった。


「ええ⁉ う、浮塚⁉」


 俺の目の前に居たのは、中学時代の同級生、浮塚林檎だった。

 目はクリッとしていて、誰にでも笑顔を振りまいていたかつてのマドンナ。


 高校に上がってから伸ばしたのか、特徴的なサイドテールの髪は中学時代よりも少しだけ長いような気がした。


 淡いピンクのTシャツにカーキ色のショートパンツ。そこから綺麗な足が、低い身長ながらにすっと伸びていて、足先は簡単なサンダルに落ち着いている。


「……」

「……」


 俺は浮塚の顔をまともに見る事ができず、ただ口を噤んでいた。

 それに対し、浮塚の方も黙っている。


「えっと? 林檎、この男とどういう知り合いなんだ?」

「ん? ……あっ!」


 浮塚ばかりに気を取られていたが、横から質問をしてきた男の方にも、俺は見覚えがあった。


 別にちゃんとした面識があるわけじゃない。

 彼は、俺達がここへやってくるまでの間に、電車内で見掛けたあのかっこいい男の人だった。

 優先座席の口論があったせいで、俺はこの男の事をよく覚えていた。

 それに服装も、あの時と同じ黒のピッチリとしたTシャツ姿だった。


「と、友達……かな? あははは!」


 男の質問に、浮塚は気まずそうな口調で笑ってみせた。


「ふぅーん? あ、あれ……うっ……ま、まずいわ、林檎……。ちょ、ちょっと俺トイレ行ってくる。う、悪いなマジで……急に腹がっ……」


「え⁉ うん、わかった。……ここで待ってるから!」


 急に催してきたらしく、男の方はお腹に手を当てながらトイレへ駆け込んでいったのだった。


「……」

「……」


 ええ、何これ……。

 なんで浮塚とこんな所で再会してるの?


 というか、肺を侵す毒でも撒かれたような気分だった。

 伊十峯を待つ必要がなければ、すぐにでもここから立ち去りたい。立ち去ってもいいかな?

 いや、でも伊十峯は確かスマホを手提げ鞄に入れていたから、スマホは部屋だ。

 だからキャットークでメッセージだけ入れて離れるわけにもいかないし……。


「隣、座ってもいいかなっ?」


 ひぇっ……!

 本当に怖い……。浮塚林檎という存在は、俺のトラウマでしかない。


 今、こんな風に軽く話しかけてきているけど、これは完全に表モードだ。

 これはコインの表。

 俺が見掛けた、ハンバーガーショップに居た時のあの顔じゃない。

 まぁ、あれは俺が一方的に覗き見た顔だから、当然と言えば当然だろうけど。


「あ、ああ……いいよ」


 顔を上げず、震えそうになりながら俺は返事をした。

 ここで拒むのも妙な話だし、浮塚に何かを勘繰られるのも嫌だった。


「……っはぁ、ありがと♪ お腹いっぱいだったから、座りたかったんだよねぇ~」


 浮塚はそう言って、俺の隣に座った。

 肩がぶつかるほど近くはないが、それでも私情では十分不快。早くどこかへ行ってほしい。


 ていうか、本当にどうしてこんな事になってんだよ……。

 なんで浮塚と二人でソファに腰かけてるの? 俺。


 はぁ、マジで早く戻ってきてくれ伊十峯……。そしてさっさと部屋に戻るんだ。

 こんな、息の詰まるような場所に長居すべきじゃない。


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