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51 耳が弱いんだって

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「結構、降りたね」


 伊十峯がこっそり耳打ちしてくる。

 あっ、俺は耳が弱いんだって伊十峯……。ダメだよ、うん。


「……た、たぶん、海水浴場に近い駅だからだと思う……よ」と耐えつつ俺。

「?」

 伊十峯は俺を見て不思議そうな顔をしていた。


 今停車した駅でごっそりと人が降り、先ほどまで混み合っていた車内が一気にスカスカになっていた。

 俺達はようやく空いたシートに座り、停車中のこの電車が間もなく発車するのを待つ。


「伊十峯は今年、海行くの初めて?」

「う、うん! というより、私が新潟へ引っ越してきたのがつい最近だからね。だから新潟の海は初めて。数年前までは福島にいたの」


「へぇ。やっぱり引っ越してきたのか」

「あれ? 月村君、気付いてたの?」


「うん。だって家があそこに建ってたのに、中学の時見掛けなかったなぁと思ってたから。まぁ同じ中学出身でも、たまたま俺が知らなかっただけっていう可能性もあったんだけどさ」


 別に出身を聞こうとする意図はまるで無かったんだが、伊十峯自ら話してくれた。

 他県で暮らしてたのなら、中学時代にその珍しい苗字を俺が知らなくても当然だ。


「親の都合?」

「うん。……お父さんの仕事の都合でね。私もその時、自分の事を知ってる人が誰もいない学校へ通いたかったから、ちょうどよかったのもあるんだけど……」


 そう言いながら、伊十峯は麦わらの手提げ鞄からスマホを取り出した。


「これ、私が通ってた中学校の写真」


 伊十峯は自分のスマホを俺に見せてくれた。


 そこには小さな校舎と、校舎に添えられるように建てられた体育館とが映っていた。

 引っ越してくる前に撮ったものらしい。


 片田舎の学校で規模も小さい、といった様子が見て取れる。

 生徒数も、きっとそれほど多くなかったんじゃないだろうか。


「これって、引っ越す直前に撮ったの?」

「うん。……見納めだし撮ろうって思って。……クラスの人にからかわれたりとか、嫌な思い出もあったけど、それでも三年間通ってた学校だし。……学校って、色んな思い出が詰まってるものでしょ?」


 かつて通っていた学校について語る伊十峯は、どこか哀愁に満ちた顔をしていた。

 そうこうしているうちに、電車は次の駅に向けて発車する。


「そうだな。勉強も部活も、先生やクラスメイトととも、それぞれ色んな思い出があるもんだよな。まぁ、うちの高校じゃ俺達部活には入ってないけどさ」


「月村君は、中学の時、部活何してたの?」

「俺はバスケ部だったよ。三年間ベンチ暖めてた」

「あ、そうなんだね! バスケットボールやってたんだ」

「ああ。これがまた見事に下手くそで――」



 ――それから俺達は、取るに足らない身の上話をしたり、窓の外の景色を眺めたりして、電車が次の駅に停まるのを待った。


 事前に調べた情報だと、ここら辺じゃ青海河(おうみかわ)駅と呼ばれる駅が有名だった。


 ホームで写真を撮ると、駅名の簡素な立て看板と真っ青な水平線しか映らず、非常に「映える」んだとか。


 今日は天気も悪くないし、最初はその青海河駅で降りようかという話もあった。

 ただ、その駅は周辺があまりにも寂しくて、飲食店やお土産屋のような物も少ない。本当にただ海に近い、という一点に極振りしたようなスポットだ。


 ちょっと寂しいよね? という事で、相談の結果、代わりの駅を探した。

 そして俺達の中で考えたのが、その隣にある(くじら)なみ駅だった。


 スマホで調べると、周辺情報の画像として、駅舎の壁にクジラが描かれているらしい事がわかった。

 海中へざっぷり飛び込んだり、潮を吹いたりしているクジラの絵の様子が、非常に愉快だった。まさに鯨なみ駅である。


「そろそろ着くみたい」

「そうだなー。降りよう降りよう」


 車内アナウンスで駅名が聴こえてきたので、俺達は座席を立った。

 その後車両を降りて、改札で運賃の不足分を支払い、駅舎を出る。


 駅舎を出て階段を降りると、スマホで調べた通りにクジラの絵が描かれていた。

 しばらくカメラ機能なんて使っていなかったが、これだけは記念撮影しようと二人とも慣れない手つきで撮影していた。


 そんな中、伊十峯が悔しげに口を開く。


「日傘とか持ってきたらよかったかもね……」

「確かになぁ~」


 本当にそう思う。日差しが強い!

 太陽は、さっきまで薄雲でほどよく隠れていたらしい。

 おかげで電車内に差し込む日差しは大した事なかった。

 それが、駅を出たらこれだ。

 あんまりここらでパシャパシャ撮影していると、もうそれだけで汗だくになる。


 そんなわけで、俺達はどこか日陰を求め、移動し始めたのだった。

 適当にぶらついていると、海岸線沿いに繋がる道路に出た。


 正直、ここへやってくる道中で海をまだ一度も見ていないので、早く見たいなぁという想いもお互いにあった。


 駅を出た辺りから潮風が鼻に届いてきていて、それだけでも夏の海へ来たような気分になる。

 海は近い。


「あ、海水浴場見えてきたね」

「おお! かなり人いるじゃん」


「まぁ夏休みだもん。私達みたいに長く休めるのは子供だけだけど、それでも来たいよね」


 次第に見えてきた白い砂浜は、すでに楽しんでいる人達で賑わっていた。

 際限なくだだっ広い、真っ青な水平線を描き出している真夏の日本海がそこにあった。


「風があるね」

「ああ。それよりどうする? あそこの、人がいっぱい居るところ行く?」

「ちょっとあそこは……あ! 月村君、あそこ! あの、人の居ない所で休も?」


 伊十峯は、向こうの方を指差していた。

 海水浴客で賑わう砂浜の方ではなく、そこから少し離れているなだらかな護岸の方だ。

 あそこには先客の影一つ見えない。


 俺の少し前を歩く伊十峯は、どこからともなく吹いてくる潮風を受けていた。


「誰もいないな」

「うん」


 伊十峯のロングストレートの黒髪や、パステルミントのフレアスカートが、ひらひらと風にそよいでいた。


 ああ、なんだかすごく胸に込み上げてくる物がある光景だなぁ……。とても情緒がある。

 ちょっとまぶしい。太陽じゃなくて伊十峯がまぶしい。


 護岸の平たくなっている部分を進んでいくと、脇からちょうどいい背の高さの松が幹を伸ばしていた。その幹の下は当然のように影が散らされている。

 その木陰に入り込むと、伊十峯がすぐ話しかけてくる。


「月村君、ここでお弁当食べよう?」

「良いね。ちょうど涼しいじゃん、ここ!」

「うんうん! でもシートとか持ってきてない……あ、この岩が良いかも」


 伊十峯は、そばにあった小さな岩に腰をかけた。

 座席のような、良い具合の岩だった。

 たぶん、他にもここで暑さをしのいでいた人達がいたのだろう。

 その岩は何個もそこに並んでいた。


「あれ? 伊十峯、大丈夫?」

「えっ? どういう事?」


「いや、ほら……。そのスカートって岩に座って擦り切れたりしないのかなって……」


「あっ……うん! だ、大丈夫だよ! これ結構、見た目より頑丈なの!」


 伊十峯はそう言いながら、スカートの生地をつまんでみせた。


「ぷふっ。……頑丈って、言葉のセンス面白いなっ! あははは!」

「え⁉ そ、そんな事……なくはない?」


「スカートが頑丈だ。って言わなくない? あははは!」

「ふふっ……確かに、そうかも!あははっ!」


 近くに誰もいない所を選んで正解だったと思う。

 周囲に誰かがいると、きっと伊十峯はこんな風に笑ってくれない気がした。

 学校で、教室にいる時と同じ。いつもの伊十峯になるはずだ。


「じゃあお弁当、食べてもいい? 実は俺、そろそろお腹が……」

「うん! 食べよ!」


 思い切り笑顔を見せる伊十峯だった。

 ああ、もうなんでこんな可愛いんだよ……。

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