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49 音森惹世の罠?

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 辻崎の家で辻崎妹にお尻を揉む現場を目撃され、はや数日がたった。

 あれから、特にこれといって目立った事は起きなかった。


 平穏な夏休み。目隠しハヤシライスも少年少女乱闘騒ぎもあれきりだ。

 毎晩俺がASMRで身もだえるのは、もはやルーティンワークというかデイリー任務というか、不健康だけどつい食べちゃう御夜食みたいなものなので、取り立てるほどの事じゃない。


 ここ数日、伊十峯はちょこちょこと以前のように不特定多数のリスナーに向けて配信を行なっていたのだが、音森の方は未だ確認できていない。


 新しいバイノーラルマイクを購入し損なっているのか……?

 俺としては、伊十峯のASMR配信だけじゃなく、音森の方も視聴したい気持ちがあった。

 彼女の大人っぽい色気たっぷりの声質に期待を膨らませていた。

 ASMR界の新星。音森惹世はまだなのか?

 こうしたワクワクやむずむずが、発散されずに俺の中でくすぶり続けていた。


 気が付けば、俺の部屋の壁に掛けられたダサいカレンダーは、八月を主張していた。

 八月上旬のある夜、俺がベッドで横たわりだらだらしていると、いきなりスマホが鳴った。

 予想外の人物から、キャットークが送られてきたのである。


『明日、月村と降旗君と萌絵と私、四人で出掛けない?』


 メッセージの送信者は、音森惹世だった。

 終業式の夜のASMR練習配信からしばらくぶりだ。


 その濁りのない、色気の上澄みだけを綺麗にすくい取って集めたような声も、しばらくは聞いていなかったわけだけど。

 ちゃんと元気にしていたんだろうか。


 いや本来なら、この前の乱闘騒ぎの日にカラオケ屋で会うはずだった。


『この前ドタキャンしちゃって申し訳なかったし、全然いいけど。どこ行くんだ?』


 ドタキャンというか、ドタ参キャンというか。

 それにしても意外だった。


 こうした遊びの連絡にしても、そのメンツの中に降旗がいるのだから、降旗から連絡が飛んできそうなものだと思った。


『うみ! 海行こうよ』


 そう返事が送られてきて、二秒後くらいにサーフィンをしているクマのスタンプが送られてきた。こんなクマは現実に存在しないが、若干リアルタッチなクマだった。熊だ。


『海……入るの?』

『うわ、嫌そうだね笑 最近暑いし、海行こうよ。それとも泳げないのかな?』

 この、煽りか本当の質問かよくわからない最後の一文が、なんとなく音森だなぁという気がしていた。

 音森の水着姿が気にならないわけじゃないけど、俺まで海に入る必要はないんじゃないか?


『全然泳げるから問題ないっちゃない』

『じゃあいいじゃん? 明日、三條駅に九時集合ね!』


 音森からそう返信を受けた。

 さらにその返信として、ついでに気になっていた事も俺は質問してみる事にした。


『わかった。ちょっと話変わるんだけど、新しいマイク買った?』


 伊十峯に譲った後、ちゃんと再度購入したのか気になっていた。


『ああ、バイノーラルマイクね。買ったよ? 買ったんだけど、七月は宿題に追われていたから……』

『宿題? そんなに急いでやってんの?』

『夏休みの宿題は七月に終わらせるものでしょ』


 これが常識でしょ? みたいなメッセージが返ってくる。

 音森はどうやら夏休みの宿題を先に終わらせてしまうタイプらしい。

 いいな。もう終わったって事? 手が空いてるなら俺のもやってほしい。


『明日行くメンバーの中で、音森だけアウェイだな』

 音森以外、さすがにまだ終わらせてないからね。俺もまだ残ってるし宿題。


『何それ。笑 とりあえず遅刻しないでよ?』


 音森とのキャットークはそこで終わった。

 それにしても、彼女はちゃんと新しいバイノーラルマイクを手に入れていたようだった。

 宿題で七月分の夏休みを潰したらしいけど、ずいぶんせっかちな奴だ。


 そんなに早く終わらせたって、あと一か月近く休みは残っているというのに。

 まぁそれでも早く終わらせた方が勝ち組ではある。


 宿題が残っていると、遊びに出掛けても靴の中に石ころが入ったまま遊んでるような気分になる。大ダメージではないけどチビチビ毒ダメージでも受けているような気分になる。はっきり言うと、スッキリしないわけだ。


 ここ数日間何も無かっただけに俺は退屈で、手の動くままに宿題を進めたりしていた。

 ただそれでも、途中で漫画だのアニメだの鑑賞していたせいで、音森には遠く及ばない。


 俺はふと、机の上にある宿題に目を向けた。元々の量からすれば、もう残りは三割くらいである。


 明日、水着姿を拝めるのであれば向かわせてもらおう。

 無論、これも音森と二人きりであれば、俺は拒んでいたような気がする。が、今回は四人。いつかの遊びと同じメンツだし、その辺は問題無いと感じていた。



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 翌日の暑さは割と大人しかった。しかしながら汗をかく。

 家から最寄りの駅まで向かうも、途中ヘンゼルとグレーテルの道しるべのように汗を滴り落とした俺だった。


 念のために飲み物とタオルをデイバッグに詰めて持ってきたが、これは正解だったなと思った。


 無人駅から駅構内に入り込んでホームへ出ると、予想もしていなかった人物がそこにいた。数十メートル先まで続くY形屋根の日陰に、ぽつねんと佇む一人の女の子。


「あ、つ、月村君……」

 駅のホームに立っていたのは、まさかの伊十峯だった。


 薄いボーダーの入った白Tシャツに、パステルミントのフレアスカートをさらっと着こなしていて、とても爽やかな印象を受ける。


 今日もコンタクト姿で、自由に下ろされた長い黒髪が特徴的だった。

 やっぱりコンタクト姿の伊十峯は、目を奪われるほどの美少女だ。

「あれ⁉ 伊十峯も出掛けるの?」

「え?」


 伊十峯は一度きょとんとした顔をする。

 危うく、その手に持っていた可愛らしい麦わらの手提げ鞄を落としてしまいそうになっていた。


「あ、危ないっ……ふぅ。……あれ? 月村君、音森さんから聞いてない?」

「……音森から?」


 どういう事だ? 一切状況が読めない。音森からは、降旗達と出掛ける云々の予定しか聞いていない。

 そう俺が不思議に思っていた、その時だった。


 ――♪~♪~。


「?」

「月村君のスマホ?」


 俺のスマホから通知音が鳴る。キャットークの通知だ。

 メッセージを送ってきたのは、昨日もやり取りした音森からだった。


 すごいな。どこかで盗聴か監視でもしているんじゃないか?

 それくらいタイミングの良い着信だった。


『月村、実は今日の誘い、嘘だったんだよ……騙したみたいでごめんね。前に私のお願い一つ聞いてくれるって言ってたよね? そのお願いを今発表するね! たぶん今、鴨駅に伊十峯さんが居るから、今日一日伊十峯さんとお出掛けしてあげて? それが私の願い事だから! 後はよろしくね』


 え? 音森⁉ どういう事だよ、その願い事は⁉

 俺が音森からのメッセージに困惑していると、


「月村君? もしかして音森さんから何か連絡来たの?」


 伊十峯が覗くようにして尋ねてくる。

 俺はこくりと一つうなずいた。


「そもそも、伊十峯はなんて聞いてここへやってきたんだ?」

「えっ……」


 俺がそう質問すると、伊十峯は顔を真っ赤にして目をそらしたのだった。


「……」


 伊十峯は顔を下に向け、持っていた手提げ鞄を左右に振った。

 ああ、伊十峯は本当に女の子っぽい仕草を自然にしてくるなぁ……。


 その反応を見て、俺はなんとなく裏の事情を察した。


 これはつまり、俺が音森にハメられたのである。

 なぜ音森が俺をこんな風にハメようとしたのか、その理由まではわからないけど。


 それにしても、伊十峯のこの反応を見れば、音森が何かしら伊十峯に恋愛指南のような事をした可能性は十分にある。いやあるいは、協力しようとか、その程度の事かもしれない。


 伊十峯の告白未遂を考えれば、伊十峯がその協力を受けないというのも考えにくいしな……。

 状況から、事の流れを整理してみよう。

 きっと、何かしらで音森が伊十峯の気持ちを悟り、協力的になったのだ。

 なぜ協力的なのかはわからないが、その結果、俺への願い事として今回のお出掛けを選んだ。

 伊十峯には「私が協力するから!」とかなんとか言ったのかもしれない。


 と、つまりこう整理するとある程度辻褄が通る気がする。

 いくつか推測が混ざっているが、妥当なところだと思う。


「――ご乗車のお客様は、危険ですので黄色い線の内側でお待ちください――」


「あ、電車来ちゃった」


 本当は、女子と二人でお出掛けなんて拒む所なのだが、お願いと言われたら仕方ないか……。

 実際、バイノーラルマイクを譲ってもらった件は、確かに俺が音森の言う事を一つ聞いてあげるって事で約束してしまっていたし。


 それに、辻崎にはああ言ったけれど、個人的には伊十峯となら出掛けても問題無い気がする。

 彼女は、今でこそ相当な美少女だけど、一学期までは地味でクラスの中でも目立たない女子だった。そんな彼女が、浮塚のような真似をするとは考えにくい。


「乗ろうか」

「うん!」


 駅のホームに、以前も見た黄色とピンクのダブルラインの描かれた車両が滑り込んでくる。

 鴨駅からの乗車は、やはり俺達しかいなかった。


 それまで八月の暑さに支配されていたホームから、冷房の効いた車両へ乗り込む。

 ああ、これはオアシス!


 車両内は冷房がガンガンに効いていて、一気に俺の身体は心地良くなった。

 車内はガラガラで、俺達の乗り込んだ車両には、他の乗客が一人も居なかった。


 田舎の街を縫うように走る二両編成のこの電車は、そのまま県を南下し永岡方面へと向かう。

 各駅停車で海の見える駅はいくつかあるが、どこにしようかはまだ決めていなかった。

 まぁそれは後で調べて決める事にしよう。


 俺達は、二人で四人掛けのボックス席に座った。

 人も居ないし遠慮なく使おうという事になった。

 瑠璃色のシートに二人、対角で座る。お互い、横の空席に自分達の荷物を置いて、一呼吸落ち着いた。


「空いててよかったね!」

「だな。夏休みだけど、全然小さい子とかも居ないんだな~」


 やっぱり伊十峯は、自分で変わろうとしているだけあって、最近とても垢抜けてきているような気がする。


 その品の良さそうなパステルミントのフレアスカートは、座った瑠璃色のシートとの対比でよく映えていた。

 田舎臭さや芋っぽさは伊十峯からかなり消されつつあって、なんだか俺は複雑な気持ちになった。


「水筒にお茶入れてきたの。飲む?」

「あ、ああ」


 麦わらの手提げ鞄の中から水筒を取り出した伊十峯は、蓋をくるくると回転させてそう言った。


 こうして、俺と伊十峯は、二人で電車に揺られながら遠出をする事になったのだった。


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