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44 ランジェリー・アンド・メランコリー

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「辻……崎……?」


 言うほどでもない暑さの中で目が覚める。

 もう間もなく八月を迎えようという公園の気温は、案外それほどでもなかった。


 きっと、ほとんど曇り空に近い空模様だったおかげだ。

 これが快晴でカンカン照りであれば、俺は気を失ったまま脱水症状であの世行きだったかもしれない。


 それまでつむっていた瞳を開けると、そんな曇天と、どこか不安げな顔色の辻崎とが、俺を見下ろしていた。


「あ、大丈夫……?」

 俺の様子に気付いた辻崎が、思うまま声を掛けてくる。


「あ、ああ……痛っ!」

 腕やら腰やら、身体の至る所に生傷ができていた。

 そういえば俺、イケメン二人にボコボコにされたんだったなぁ……。

 理不尽だったな。ツッコミどころの多い場面だった。


「月村。喧嘩なんてできないのに無理しちゃって……バカじゃん……。ふふっ」

 またバカって言われた。


 ああ、でも辻崎はやれるだけの事をやったんだな……。


 俺がそう思えたのは、二つの理由があったからだった。

 喧嘩の最後に辻崎の言い放った言葉と、今こうして目の前にいる辻崎のスッキリとした表情が、その理由だった。


「……無理するだろそれは……。あの場で引くに引けなかったっていうか……」

 ほとんど強制的なラウンドだっただろ、あれは。


「月村、傷だらけ……」


「は、ははっ。笑ってくれ。弱者は大体、こんな風に無様な姿をさらすもんだよ……あっはっは、痛っ!」


「バカッ! 無理しないでよ!」


 段々意識がはっきりとしてきた。

 どうやら俺は、仰向けのまま辻崎に膝枕をしてもらっていたらしい。


 ジーンズ越しの辻崎の太ももが、俺の後頭部を受け止めてくれている。

 それが柔らかくて、とても安心した。

 これは劣情とかそんな俗っぽい物じゃなくて、ただ落ち着くだとか、心地良いだとか、そんな……あ、やっぱりダメだこれ。


「ていうか、辻崎も大概じゃん。怪我してるっぽいけど?」

「あ、うん……まぁね? でも月村より平気かな」

 平気、とは言っても、内面的な傷は大きかったんじゃないか?

 川瀬は、辻崎の本心を聞いても尚、強情を張って公園を去ったようだし。

 結局は関係性の再構築に失敗したわけだ。

 それは、辻崎が乱闘前に一番恐れていた事態のはずだ。


「ねぇ、とりあえず手当したほうがよくない?」

「あ、ああ……そうだなぁ~。痛っ!」

 俺はその体勢からゆっくりと身体を起こした。

 このままずっと膝枕をしてもらっているのも悪いし、段々恥ずかしくなってきた。


「……月村、うちに寄ってく? 手当しなきゃ。破傷風になっちゃう!」

「そ、そうだな……って、え?」


 破傷風とかそんな単語よく知って――じゃなくて!

 これから、辻崎の家に俺が行くのか⁉ これ、行って大丈夫なんだろうか……?


「血は止まってるけど、早く消毒はしたほうがいいでしょ? それに、ここからだったらうち近いし」

「……じゃあ、お言葉に甘えてそうしようかな」


 親切で言ってくれてるんだよな、きっと。


 しかし実際俺の中では、ギャル軍団の雰囲気が、どことなく浮塚の裏の顔と被ってしまっていた。

 無論、そこに恐怖感を抱いていたわけで。


 一応、辻崎もその雰囲気に含まれていた人物だ。


 俺が勝手にその影を重ねてしまっているだけなんだろう。

 さっきの女子同士の生々しい取っ組み合いを見たせいで、浮塚林檎に感じた気持ちと似たような気持ちがちらついていた。


 はっきり言えば、気後れしていたのだ。


 辻崎は、「それじゃ、いこっ♪」とさっぱりした態度で歩き始めていた。

 もう川瀬に言う事は言って、心の重りが軽くなったのだろう。

 その足取りは軽く、スタスタと前を行く辻崎の背中に、俺は複雑な思いを言い出せずにいた。


 俺は、辻崎の事を、信じていいのか?



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 辻崎に案内されるまま歩くこと十分。

 本当に、公園の近くに彼女の家はあった。


 黒のガルバリウム鋼板で統一された外壁に、一部は木材などが使われていて、ほどよく洒落ている外観だった。

 その家を守るようにして、背の高い植物が植えられていた。


 玄関前のスロープの脇に屋根付きのカーポートがあり、そこに自転車が停めてある。

 辻崎本人が通学の時に使っている自転車だろう。


 ここで俺は、ふと疑問に思った事があった。

 三條駅から家が近いのなら、隣町の鴨高校までは電車通学でも良さそうなものだ。

 現に、降旗はそうしているわけだし。


 一体どういう理由で、辻崎は自転車通学にしているんだ?

 たぶんこの辻崎の家から鴨高校までだと、自転車で片道三十分は掛かると思う。


 定期券が高いからとか?

 まぁ高校生って、スマホ代とか自動車学校のお金とか、諸々お金掛かるからなぁ……。経済的な事情で色々あるのかもしれない。鴨高は公立高校だから学費も安いし。


 俺がそんな風に自問自答していると、


「あっついねー……。どうせだし、何か飲んでいきなよ?」

 そう言いながら、辻崎は玄関を開けて家の中へ入っていった。

 俺も後を追うように中へ入る。


 よく見れば、彼女の髪や服に払い切れていない土が付着していた。

 さっきの乱闘騒ぎで付いたものだ。


 そうだよな、辻崎だって必死だったんだよな、とその後ろ姿を見て再認識させられる。

 その必死さからか、俺は彼女を信じてもいいような気がしていた。

 キャットークを教えた時も結局何もなかったようだし。うん、全て俺の杞憂なんだろうな。


「お、お邪魔します……」

 玄関に入ると、まず特徴的な玄関マットが目に飛び込んできた。

 母親の趣味なのか、ブランドメーカーのロゴがガッツリ入っているものだった。


「どうぞどうぞ~」

 そう言いながら、辻崎は俺にさりげなくスリッパを出す。


 家の中は物静かで、あまり人の気配は無いようだ。辻崎以外居ないのかもしれない。

 伊十峯の家かそれ以上に掃除が行き届いてそうな、清潔でシンプルな印象を受ける家だった。


 伊十峯の家に続き、これが辻崎の家か……。

 はぁ、なんか緊張するな。大丈夫だろうか俺。

 そのままスリッパを履き、辻崎家にあがらせてもらった。


「月村、服も汚れてるし一度お風呂入ってく?」

 俺の服を一度指さして、提案してくる辻崎。


「え? ……いや……でもそれはちょっと」

「何、遠慮してんの? むしろそのまま汚れてる状態で部屋に上がられると、困るのあたしなんだけど!」


 ああ、そういう事ね。ていうか、部屋⁉ 俺、部屋までお邪魔するのかよ⁉


 え、というか俺の服汚いな⁉

 改めて自分の着ていたシャツやズボンに目をやり、想像以上の汚さに言葉を失う。

 まぁあのイケメン君達に蹴りをたくさんもらったしな。前も後ろも。


「じゃあ、お風呂も借りようかな」

「うん。お風呂はこっち」

 そう言って、辻崎は脱衣室の前まで俺を案内してくれた。


「服も洗うでしょ? 替えのジャージ、お父さんのでもいい? あたし持ってくるから、ササッとお風呂入っちゃって」


「あ、ありがとな。ジャージ借りるよ。色々ごめん」


「なんで月村が謝るの? これはさ、あたしのせいで汚れたようなもんじゃん!」

 そう言って、辻崎はそそくさと二階の方へ歩いていってしまった。

 たぶん二階に父親の部屋があるんだろう。

 俺は目の前の扉を開けて、脱衣室に入った。


「脱衣室も綺麗だな。うちとはえらい違いだ……」

 脱衣室は割と広めで、洗面台や洗濯機、乾燥機なども置かれていた。


 考えてみれば、普段はここで辻崎も服を脱いだりしてるんだよな……。うわ、やばいな。なんだか急にドキドキしてきた……。


 常に変な事を想像してしまうのが、変態である俺の悪い癖だ。

 俺は汚れたシャツを脱ぎながら、煩悩を消し去ろうと努力していた。


「もうこのまま入れていいんだよな……?」

 シャツを脱ぎ終え、蓋の開けられた洗濯機にそいつを放り込む。

 そこから何気なく視線をずらすと、


「ええ⁉ こ、これは……!」


 洗濯機の脇に置かれていた透明な衣装ケース。

 その中にある派手めな色合いの下着が、俺の視線を釘付けにしたのである。

 そこには、俺にも見覚えのある女物の下着も仕舞いこまれていた。


 おいおい! 辻崎っ!

 これ! このひまわりみたいな黄色いやつ‼ この可愛いのは絶対お前のパンツだ!

 なんで透明なケースに入れてんだよ!


「……や、やばいな。全部見えるじゃん、このケース……」


 一気に脈拍が上がる。


 無意識に俺はしゃがみ込んでいた。本当に無意識だ。何となく、ただただ何となく、しゃがみたくなったのである。いや? 屈伸だ。何となく屈伸したくなったのである。これだ。


 しゃがんだ事で、衣装ケースが俺の目の前にくる。

 ケースは五段ほどあって、辻崎の下着類は上から二段目に入れられていた。


 俺のしゃがんだ時の視線の高さと、恐ろしいほどにジャストフィットしていた。

 これは神の采配か?

 存分に眺めよ、という思し召しだな?


 喧嘩で傷付いた身体を、どうか女子高生のブラとパンツで癒やして! という天からのぼた餅だ。高すぎて一体どこから降って来たのか分からないぼた餅だが、俺はそれをありがたくいただく事にした。


 俺は手と手を合わせ、神妙な面持ちで「ありがとう。ああ、ありがとう」と神に念じる。

 その後、衣装ケースを可能な範囲で拝見させていただいた。

 下着単体で中身がいないのなら、童貞の俺でも結構拝見できそうだった。


 辻崎の代名詞、ひまわりみたいな明るい黄色パンツの他にも、チラチラと様々な色の下着が見えていた。


 ピンク地に黒の水玉模様が入った小悪魔っぽいブラ。辻崎らしくて良いな。


 淡い水色の地に、ティアラのような白いレースが踊る清楚系のブラ。意外性があって良い。


 あ、ゼブラ柄とかワインレッドもある! すごいすごい! 燃えるような色だ! なるほど? これでチン圧を鎮圧してっと……ふむふむ、これは勉強に――ってこれじゃ変態丸出し過ぎるだろ俺!


 やめやめ! こんなじっくり観察してていいわけない! 下着ソムリエか、俺は⁉


 そんな風に、俺が下着に惑わされていると、


 ――ガチャ。


 背にしていた廊下側の扉が開かれたのだった。


「月村? ジャージここに置くから……え⁉ ちょっと⁉ 何見てんの⁉」


「あ! 辻崎⁉ あ~っ、最近身体動かしてなくってさ~! んっ、んっ、っと~。ん? 屈伸の途中なんだけど、どうしたんだ?」


「なんでそんなところで屈伸なんてしてんの⁉ ていうかさっき喧嘩して身体動かしまくったばっかじゃん! 早くお風呂入っちゃってよ‼ もうバカッ‼」


「は、はいっ! じゃあ下脱ぐから! だから出てってくれ!」


「もう! あ、あんまりケースのほう見ないでよ?」


 顔を真っ赤にした辻崎は、俺を怒鳴りつけてバタンッと扉を閉めた。


 いやこれ俺が悪いのか⁉ ……いや、これは俺が悪いな、うん。ごめん辻崎。

 さっさとお風呂入ろう。シャワーで早いところ汗も煩悩も水に流すんだ。


 俺は辻崎家の浴室を借り、敗戦で汚れた身体を綺麗にしたのだった。


 浴室には乳液やら洗顔液やらの小さなボトルが置いてあって、余計に辻崎ゆずがここで身体を洗っている事を証明しているような気がした。


 いやいや、いい加減エロい妄想はやめるんだ!

 あくまで辻崎の好意で浴室を使わせてもらってるんだ!


 シャワーを浴びている最中は、できるだけそうしたボトル置きのカウンターを見ないよう努力した。

 これが俺にできる精一杯だ。下を向くと、下が上を向きそうなんだ。


 お湯が身体に掛かると、所々の傷にしみて痛かった。

 けれど、そのまましばらくすると、じんわりと痛みが和らいでいったような気がした。


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