41 うじうじしちゃう
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
夏休み初日からなかなかヘビーな一日を過ごしてしまった。
その日の夜は、なんとなく伊十峯のASMR配信を視聴する事ができなかった。
リラックスして楽しめないんじゃないか? と思っていた。
その理由の全てが、日中の目隠しハヤシライスにあったかと言われると、それは正直わからない所だ。
あれはあれで俺は自分なりに楽しめていたし、伊十峯もなかなか、いやかなり楽しめていたんじゃないかと思う。
視聴しなかった理由を雑にまとめてしまうと「気乗りしなかった」と。そのくらいのものである。
そうして視聴せずに就寝し、迎えた次の日の朝。
夜通し稼働していた冷房はタイマーによって切れ、俺の自室はそこそこの暑さに仕上がっていた。
夢うつつの寝ぼけた頭でも、何かの「音」が鳴っている事は認識できた。
そう。俺の惰眠の邪魔をしてきたのは、スマホの発するけたたましい着信音だった。
『はい……もしもし』
『あ、出たっ! おはよう月村ー。今日遊ばない?』
『えっ……だるいんですけど』
モーニングコールが男というのも、味気ない話だ。
いやそもそもモーニングコールなんて頼んでないんだけど、どういうつもりですか。
『また遊ぶって言っただろ? 今日、また萌絵と音森さんと遊ぶんだよ。頼む! また来てくれ!』
『ね、眠いんだよ……ふぁ……』
ASMRで寝落ちしたわけでもないのに、なんだかやたら気怠かった。
確か昨日は自家発電もしてなかったと思うんだけど。
『じゃあいつでもいいから来いってー。三條駅着いたら連絡くれ。今日は俺の美声が聴けるぞ』
美声……。あ、カラオケに行こうとしてるんだな、と俺は察した。
『行けたらな。おやすみ』
そう言って、俺は降旗からの電話を切った。時刻は午前九時過ぎだった。
それから一時間ほど惰眠を貪ると、俺は義理堅くも身支度をして家を出たのだった。
ドタキャンの逆、ドタ参。というか強制ドタ参だった。
この日は雲と青空の割合が9:1くらいだったので、昨日ほど暑くなかった。
ほぼ雲。
以前のように自宅の最寄り駅から電車に乗り、降旗ご指定の三條駅まで向かった。
到着してみると、さして大きな駅でもないのに割と人が居た。
半分以上が若者と呼べそうな見た目の人達ばかりで、少子高齢化をにわかに疑ってしまいそうな様子だった。
『もしもし? 駅着いたんだけど?』
『あ、マジで? じゃあさ、そこからいつものカラオケ屋に来てくれー。もう俺達先に歌ってるから! 早く来て俺様の美技に酔いな!』
うわ、なんだっけそのネタ。ちょっと思い出せない。
降旗に電話をかけると、以上のようなやり取りとなった。
しかしそれにしても「いつものカラオケ屋」だなんて共通認識、いつの間に出来たんだろう。それほどカラオケ屋に通い詰めた覚えはないんだけどなぁ……。
ただその呼び方に該当しそうな店舗を俺は一店だけ知っていて、まぁまず間違いなくそこだろうな、と当たりはついていた。
それから駅を出て、陽炎の立ちのぼっているアスファルトの道を歩いた。
太陽にキレたい。
そう思いたくなるほど気温は高く、足を踏み出すたびに汗が流れた。
時折、歩道側に室外機を置いている家があった。
この暑さで、その家のエアコンは絶賛稼働中なのだろう。前を横切ると、中でブンブン唸り散らしているプロペラからとんでもない熱さの風が吹いてきたりする。
一度それを受け、二度目は無いと心に決めた。
以降、それを避けるために、少し屈んでみたり早足で通過してみたりしたが、結果としてそれ以上のエネルギーを使っている気がした。一人で何してんだろう俺。やばい奴か。
そうこうしているうちに、広めの公園が見えてきた。
学校の教室が三、四部屋は入りそうな広さだった。
確かこの公園を横切ったほうが早いんだよな、とうろ覚えの近道を信じて、俺はその公園に足を踏み入れた。
足元は毛足の短い芝が続いていて、たまにクローバーの群生なんかも見受けられる。
点在する遊具は一部使用禁止の看板とトラロープが掛かっていて、俺はなんとなくその光景に、大人は子供だなぁと思ったりしていた。
俺はそのまま、本当にただそのまま公園を通過しようと思っていた、のだが。
「あれ?」
やや朽ちた東屋の木製ベンチに、見覚えのある人物が座っていた。
「……っ? つ、月村……じゃん」
俺に気が付くと、その人物は顔を上げてそうつぶやいた。
ライトブラウンの明るい髪色。いつも通りゆるりと巻かれたミディアムサイズのボブヘアー。ギャル軍団の一員でありながら、今のところ俺が一番話せるギャル系女子。
そう、辻崎ゆずがそこに座っていた。
夏らしく、白いTシャツと七分丈のダメージジーンズで、さっぱり目に決めている服装だった。白のTシャツは首元がちょっとゆるく、胸の谷間がすぐに見えてしまいそうだった。その上控えめながらのへそ出しルック。
暑いからね、うん。わかるんだけど、とりあえず刺激強いな。
へそに目が行く。へそに。
「辻崎……昨日以来だな」
俺は辻崎に声を掛けた。
その直後、なぜ「そんな顔」をしているのか、質問すべきなんだろうなと思った。
何しろ、辻崎の目元は赤くなっていたのだ。
俺がここへやって来るついさっきまで、そのベンチに座って泣いていたのだろう。
その泣きはらした顔を見れば嫌でも理解できる。
「なんで泣いてるんだよ?」
「……っるさい」
「……」
どうすればいいんだ?
夏の暑さで俺の頭がやられていなければ、ここはスルーしてカラオケ屋に向かっていい場面だよな?
降旗に呼ばれているわけだし。
なぜ泣いているのか、その質問は一応したし、辻崎が話したくないのなら無理に聞かなくていいと思うんだけど。
――♪~♪~。
俺が立ち尽くしていると、不意にスマホの着信音が鳴り響いてきた。
俺のスマホだ。
『月村ー? もう駅出たんだろ? 遅くない?』
電話の相手は降旗だった。
俺が室外機と格闘したり、うろ覚えの道をさまよい歩いていたせいだろう。
カラオケ屋へ着く予定時刻より、二十分くらい時間がおしていた。
『あ、ごめん、ちょっと、その……』
『道に迷ったのか? そんなに複雑な道でもないだろ?』
お前は地元だからだろ⁉ それはそうだよな?
見知った道でも通い慣れた道でもなんでもないんだよ俺は。
『えっと……』
「ぐすっ……」
俺が電話していると、目の前で辻崎は鼻をすすっていた。
いや、さすがにこの状況を放置するのは……やっぱりダメだ。
そう判断した俺は、降旗の誘いを急遽断る事にした。
『ごめん、降旗。俺そういえば今日予定あったんだよ。三條まで来ておいてあれなんだけど、今日遊べないわ』
『え、マジかよ~⁉ ……わかった。じゃあまた誘うから、その時よろしくなー』
『ああ、悪いな。美技に酔えなくて』
「……!」
降旗との電話を終えると、俺は静かに辻崎の方を見た。
ベンチに座っていた辻崎は、いつの間にか顔をあげていた。
はっとした面持ちで、今の俺達の会話に驚きを隠せないようだった。
「月村……なんで?」
「なんでって……」
むしろこっちがなんでって感じだけどな。泣いてる理由教えてくれないし。
「辻崎、どうして泣いてたんだよ?」
「ぐすっ……。……言ったって仕方ないでしょ」
ほとんど泣き止んではいたけど、辻崎のその声はまだどこか震えているようだった。
「……ていうか、あんましこっち見ないで」
「ご、ごめん」
弱気な辻崎が珍しかったのか、俺はついついその様子に目を奪われていたらしい。
それを辻崎に注意された。
まぁそうだよな……。
辻崎はよく、俺に小悪魔的な態度で詰め寄ったりだとか、いたずらっ子のような言動をする。
前に公園で好きだと言われたりもしたけど……あの時の態度は例外中の例外だと思う。
だからここでジロジロと見られる事は、できるだけ避けたかったのだろう。
いわばプライドだ。
辻崎の座っていたベンチに、俺も腰を落ち着ける。
東屋の屋根で影になっていただけの事はあり、木製のベンチは比較的熱くなかった。
横並びになると、辻崎のたわわな胸がTシャツをバツッと押し出していて、目に余る。
そんな見るつもりもないのに、つい目線がですね……。
「そうだ、辻崎」
俺は煩悩を捨て去り、思い立ったように話を切り出した。
「何……?」
「昨日はありがとな」
「……」
「お前が川瀬を引き留めてくれてたの、ちゃんとレジのところから見えてたから。一応、その……お礼言ってなかったと思って」
「……バカじゃん」
「なっ……! なんでバカ⁉」
どういう事かさっぱりわからない。
俺が戸惑っていると、辻崎は少し口を尖らせ、続けてこう言った。
「月村のせいなんだからね……?」
「え、何が?」
「だ、だから……」
辻崎はスゥっと一つ息を吸い込み、それからいつもの様子で事情を話し始めたのだった。
「あのさ、月村ってめぐみと仲悪いじゃん? それなのに、一学期の時にあたしとしゃべってる所めぐみに見られて、それでピリついた時あったでしょ? ……あの辺から、ちょっと気まずさみたいなものがウチらの間であってさ……」
「あぁ~……あったな、そういえば……」
珍しく辻崎が空気を壊しかけた、教室でのあれか。
「で、今度は昨日の喫茶店じゃん? ……あたしが、めぐみを抑えたでしょ? あれが気に入らなかったみたいで……。あの後、喧嘩になっちゃって」
「え、喧嘩⁉」
川瀬と辻崎が喧嘩だって⁉
確かに、以前のピリついた空気の時にも、辻崎の考えている事が読めないという気掛かりな部分はあった。
川瀬に盾突いたわけじゃないにしても、女子グループにおける不文律「共感や協調性」にわざわざ手を出すような、不可解な言動をしていた時があったからな。
ついにそれが原因で、関係性に亀裂が入ってしまったのか……?
「喧嘩だよ……口喧嘩」
「口論になったのか?」
「うん……。なんで月村をかばうような真似すんの? って言われて……。今日遊ぶ予定だったのに、さっき電話で、もうあんたとは遊ばないって……」
「でもさ」と辻崎は言葉の余韻を切らずに、さらに話を展開した。
「あたしは、間違いだって思ったら間違いだよって、ちゃんとめぐみに言いたいの! 伊十峯さんに色々ひどい事言ってたのだってそう。あんな風に自分が言われたら絶対嫌だし、めぐみにそんな自分勝手な事ばっかりしてほしくないし……」
「……そうか。そうだよな」
辻崎の言っている事は間違ってない。
間違ってないはずなんだ。
でもきっと、人が群れて生きる動物である以上は、もっと媚びた答えが正しいとされているんじゃないのか?
これがフラットな世界で、道徳のもとに善悪だけを裁いているのであれば、辻崎の答えを不正解だと言って責める人は少ないだろう。
辻崎の感情は、道徳的なのだから。
でも残念なのは、世界がフラットじゃないって事で。
単に勧善懲悪のまま世界が回ってるわけじゃないって事で。
その結果、裁かれる善悪の実態が、あまりにも理想と重ならないからで。
「辻崎、もうこうなったら、川瀬としっかり一対一で話し合うしかないんじゃないか?」
「……話し合って……それで、どうなるっていうのよ……」
「辻崎が本当にそれを正しいと思ってるなら、ぶつかってみるしかないんだよ」
「月村……。……で、でも……」
辻崎は肩を小刻みに震わせていた。
おそらくその原因は、川瀬が怖いだとか、そんな俺が考えそうな事ではないはずだ。
辻崎と川瀬は、友達なんだ。
この話し合いやぶつかり合いで、跡形もなく関係が途切れてしまうんじゃないかと、そういう不安で押し潰されそうなのだ。
だから小さなその肩を震わせていたのだと思った。
「もう一度説得してみるんだよ! お前は、自分にとって正しいと思う方を選んだんだろ? そのせいで、こういう板挟みになってるんじゃないのか?」
「う、うん……」
辻崎はうじうじとしていた。小悪魔的な要素はどこへ行ったんだ?
辻崎らしくないな。
……いや? 辻崎は、本来こういう奴なのだ。
俺は知っていたはずだ。
余裕がある風に見せておきながら、実は裏では、一人で悩み事をうじうじと抱え込む。
俺がこの公園にやって来なければ、ずっと一人で悩み続けていたかもしれない。
伊十峯のバレーでの件もそうだった。
今回だって悩み続けている。
間違っている事を川瀬に教えたい感情。けれど傷つけたくはない感情。
友達を想う二つの感情に挟まれ苦しんでいる辻崎に、俺はつい言ってやりたくなってしまった。
隣でうなだれ、その華奢な身体を丸めている憐れな様子を見て、俺は思わず励ましたくなったのだ。
俺は、バッと勢いよくベンチから立ち上がった。
それから、横で座っていた辻崎に向かって言い放った。
「それなら考えを貫き通せよ! 辻崎だったらできるよ‼ 違う方に進もうとしてる「友達」を引き留めるんだろ? 川瀬に言ってやれよ! お前の気持ちをぶつけてやれ!
あいつがお前の思いやりに気付けない鈍感野郎なら、その時は俺も一緒に叫んでやるよ! 近所迷惑になるくらい‼ ……けど……その手前で、お前がそもそも言うのを怖がってたら、お前の気持ちは一生伝わらないだろ‼」
「……!」
俺は息を乱して、辻崎に喝を入れていた。
そんな俺の様子に辻崎は驚き、少し固まっていた。
「……つ……月村」
「……」
「……はぁ……でも、わかった! あたし、めぐみ呼ぶよ。 呼んで説得してみる! どうなるかわかんないけど」
俺の喝が功を奏したのか、辻崎はどこか吹っ切れた様子でそう話し始めた。
「お、おお! そうそう。うじうじしてるのは辻崎に似合わないしな!」
「な、何よそれ……。ていうかさ、めぐみここに呼ぶから、月村はどこかの陰から見守っててよね? ……あたしが頑張る所、ちゃんと見てて……?」
「!」




