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40 ハヤシライスはいかがですか?

 ネクタイを持った左手を伊十峯の前に出す。

 反対から回した右手で端を掴む。

 彼女の前でネクタイを横一文字に伸ばす。

 その結果、俺は彼女の背後から腕で輪を作るような姿勢になった。


「じゃ、じゃあ……ネクタイ結ぶよ?」


 もちろん首に結ぶわけじゃない。頭に結ぶ。


「……うん。目のところは私が抑えておくから、月村君、う、後ろからお願い……」

「あ、ああ……」


 やばい! さっきからずっと俺の心臓がバックバック激しく鳴っている。

 まるで耳鳴りみたいだ。心臓が壊れるんじゃないかと心配になるくらいの鼓動。


 伊十峯は、自分の両手でネクタイの真ん中を持ち、それを目頭に押し当てていた。

 俺はそのネクタイの両端を持って、彼女の後頭部まで回す。


 ある程度絞り、きゅっと後ろで手際よく結んであげると、彼女の黒髪がネクタイによって部分的に引き締められた。


 目線の高さで、伊十峯の頭が髪の上からほんの少しくびれている。

 なんだかずんぐりとした瓢箪みたいだった。ちょっと可愛い。


「きつくないか?」


「うん、大丈夫だよ……ちょっと怖いけど……で、でもなんだかその……ドキドキするね……」


 っ~! そうだよ! 俺だってドキドキしてたんだからな⁉

 いや伊十峯にもそのドキドキを味わえだとか、そんな事は思ってないけど!


 俺はゆっくりと彼女の横に移動した。


「つ、月村君?」

「ああ、ごめん。今、横に移動したんだ」


 俺の目の前に、目隠しをした伊十峯が横向きで座っている。


 ぱっちりとしていた瞳は完全に黒のネクタイで覆われていて、整った鼻筋とあどけない口元だけが、そこで露わになっていた。


 さっきまでは俺もネクタイで視界が閉ざされていたけれど、今こうして改めて眺めて思う。

 伊十峯の青色フリルワンピース姿は、とても綺麗でよく似合っている。


 そしてもちろん、圧倒的な胸部のふたご峯も主張が強くて、スカート部分から伸びている白い生足も、気が狂うくらいに艶めかしい。


 以上を踏まえた上で、黒のネクタイで目隠しをしているわけだ。


 なんだかとても……うん。あれだな。言葉を失ってしまうほど刺激的な見た目だ。


 こんな格好で年頃の男の子と部屋で二人きりって、もしかして俺男だと思われてないとか、そういう事……? けど告白未遂もあったし……。


「ハヤシライス……」


 伊十峯さん⁉

 不意に伊十峯の口からハヤシライスの六文字がこぼれる。これって催促だよな……?


 いやわかってるんだけど、ちょっと待ってね⁉

 お腹空いたんだよな⁉ わかってる! それはこっちも理解してるんだ!


「ああ。じゃ、じゃあ……」


 ――カチャカチャ。


 そう言って、俺はまだ手の付けられていないハヤシライスのスプーンを手に取った。

 もう冷めてるだろうなと思った。

 しかしスプーンでかき混ぜてみると、思いのほか湯気が立つ。

 俺が食べている間に、表面だけ冷めてしまったんだろう。


「い、いくぞ……?」

「うん。……んあっ」


 っは~! いやアブノーマル過ぎるだろこの絵面!

 目の前で、目隠しされた美少女が、口をちょっと大きく開けてるんだけど……⁉


 う……ドキドキしすぎてやばい。

 この瞬間だけ写真に撮ったら絶対俺が変質者だよ。


 変態フォトコンテスト、堂々の第一位獲得だ。

 誰がどう見ても一等賞。ただそんな酔狂なコンテストは参加を辞退させてもらう。

 まだ伊十峯が鴨高校のセーラー服姿じゃないから、その分はマシかもしれない。何を持ってマシなのかわからないけど。


 ――カチャ。


 ハヤシライスをすくったスプーン。

 そのひとさじを片手に持つ。その手をゆっくりと伊十峯の顔へ近付けていく。


 ああ……。そういえばしっかり見た事はなかったけれど、こんな風に口が開いてると、口の中の歯とか、サーモンピンクの小さな舌とか、そんな普段見る事のないような所まではっきりと見えてしまうんだ……。


 うわ、伊十峯の唇、すごくプルプルしてて柔らかそう……。

 触ったらどんな感触なんだろう……。

 試しに指でちょっとつついてみる……?


 ――じゃなくて! ちゃんと食べさせないとだろ俺!

 いつまでも見惚れてたら、伊十峯がかわいそうだよ!

 お腹減ってるんだから、この子は!


「じゃあ……はいっ」


 俺はゆるんでしまいそうになる頬をなんとか抑えて、ゆっくりとひとさじのハヤシライスを口へ近付けた。


 ぷるんとした下唇に、まずスプーンの底面を乗せる。


 うわ、柔らかっ⁉ スプーン越しに柔らかさってわかるんだっ⁉ すごいすごい!


 それから、時間をかけて口の中へ侵入していく。


 ああ、立体的な穴にハヤシライスが……。

 いや女の子に穴とか言っちゃダメだろ俺。


 そうだ。ここはご近所さんに回覧板を届ける的なノリでいこう。

 ごめんくださ~い。ハヤシライスなんですけど、伊十峯さん? お邪魔しますよぉ?


「あっ、んっ…………んっ、んあっ……はふんっ……はぁわふ……んっ、んぐっ……」

「……」


 いや、やっぱダメだよ⁉ これダメな奴だって!

 合意の上とはいえ、何やってるんだ俺は⁉


 夢系女子のぽわぽわとした雰囲気のお部屋で、目隠しした女の子になんでハヤシライス食べさせてんの⁉ どういうシチュエーションだ?


 でもすっごいドキドキしちゃうな⁉ 一体何なんだよこれ!


「つ、月村君……」

 一口食べ終えた伊十峯が、声を発する。


「……え? 何?」

 どうした伊十峯。俺は今、羞恥心とへんてこな罪悪感で一杯一杯だ。


「月村君…………もっと……」


 っひえ~! もっと⁉ 伊十峯、もっとって言ったのか⁉ MOTTO⁉

「もっと」って放送禁止用語じゃない⁉ あ、違う? ああ、もうパニックだ!


 いやそりゃ「もっと」というのは、ハヤシライスのおかわりの事だろうけど、目隠ししてる女子が「もっと♡」みたいな事言ってるんだぞ?


 っはぁ! 胸が爆発しそうだ。

 冷静に考えたら尚更そっち系のセリフにしか聞こえないよ、伊十峯ぇ!


 もうだめだ。赤面しすぎて顔が見れない。

 いや目が隠されてるから、見ようと思えば見れるけど、でもなぁ⁉


「は、はいっ……」


 ――カチャカチャ。


 そういえば、伊十峯はこれを俺にやってたんだよな……。

 その上、焦らしてみたりとか、遊び心まで織り交ぜてくる余裕っぷりだ。


 なんだか敗北感がある。

 ASMR配信の延長っぽいといえば延長っぽいから、それで伊十峯に多少の余裕があったのか?


 けれど、一方的に伊十峯ばっかりずるいよな……。


 俺だってこの「女の子に餌を食べさせる」みたいな、若干法に触れてしまいそうな行為に、後ろめたさがないわけじゃないけど……。


 いや、これは合意の上! ただのお遊びなんだ!

 もういい! 俺も伊十峯にならえ! ならってしまえ!


 俺は先ほどの伊十峯に負けじと、ハヤシライスをもう一杯すくい取った。


 ――カチャカチャ。


「い、伊十峯……まだ食べる?」

「うん……ね、ねぇ……月村君……」

「……え?」

 唐突に、伊十峯が話しかけてきた。


 俺が片手にハヤシライスを持って、そのお届け先である伊十峯の唇を見つめていた、そのタイミングだった。


「月村君は……ドキドキしてるの……?」

「!」


 もちろんしてるに決まってるから! しっぱなしだから!

 というかどういう意味の質問なんだ⁉ 俺の健康状態の質問か⁉ 健康診断か⁉


「し、してる……」

「そ、そうなんだね……」


「伊十峯は……?」

 俺の質問に伊十峯は少し口を噤んだけれど、ひと呼吸置いて口を開いた。


「あ、あのね、食べさせる側の時はあんまり緊張してなかったの……。うーん……ちょっとASMRの配信の時みたいに、周りに人目が全く無かったから? だと思うんだけど……。でも今は……そ、その……うん。……ど、ドキドキしてる……」


 ああ。やっぱりそうなのか。

 俺の予想は、大体当たっていたようだった。


 伊十峯はたぶん、俺が目隠しをしていた事で、人目をほぼ完全に感じていない状態だったんだろう。そのおかげで、配信の時のような性格が露見したと。


 もう一種の二重人格みたいなものなのかもしれない。いやそれは言い過ぎ?

 何にしても、俺は伊十峯の微妙なその変化に納得していた。


 人間誰だって、TPOで取り繕うものだし、伊十峯だってそれと似たような話なのだろう。

 そんなタイミングで、予期せぬ音が響いてきた。


 ――ピーンポーンッ。


「あれ? 誰か来たみたい……? あ! そういえば、お姉ちゃんが宅配便頼んでるって言ってたの!」


「あ、そうなのか⁉」

「ごめんね、月村君! ちょっと行ってこなきゃ……!」


 ――シュルッ。


 伊十峯はそう言って、目元を覆っていたネクタイを上にずらし、そのまま頭から外した。

 それから慌てて伊十峯は部屋を出ていった。


「……」


 俺は一人で部屋に残されてしまった。

 突然鳴ったインターホンの音により、俺達の「目隠しプレイ」はあっけなく終わりを告げた。


 ただなんとなく、部屋に残された伊十峯の食べかけハヤシライスを見て、これでよかったのかもしれないと感じる俺がいた。


 このまま最後まで突っ切って、伊十峯に食べさせていたら、それはそれでなんだか大切な物を失ってしまっていたような……。そんな漠然とした思いが胸に残っていた。


 結局、その宅配便を受け取った後、伊十峯は自分でハヤシライスを食べる形になった。

 お互い、なんとなく水を差され、興が削がれてしまった。


 冷めてしまうと、それ以降俺は非常に居たたまれない気持ちになり、すぐに伊十峯の家を後にしたのだった。


 改めて思う。

 たぶん、あんな目隠し伊十峯と二人きりで過ごす時間は、もうやって来ないだろう。


 とても貴重で、サディスティックなひと時だったな……。


 終わり方のせいで少し不完全燃焼だったけれど、俺はそこに固執しない。

 元々は、お茶を飲みに来ただけなのだから。

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