38 鎖に繋がれて
「そういえば伊十峯、そろそろお昼食べてもいい? さっきからその……とても食欲をそそる匂いが……」
「あ! ごめん、すっかり話し込んじゃってたね! ……えへへっ。見ての通り、今日のお昼はハヤシライスにしてみましたっ!」
「うんうん! ずっと横目でこれは美味しそうだって思ってた」
テーブルの上に、ハヤシライスが二皿並べて置いてあった。
まだ湯気は立っていて、調理されたトマトや豚肉の良い香りが漂ってきている。
あ~! お腹が鳴る! 早く口にかき込んでしまいたい!
でもなんていうか、これは完全にお家デートって奴だよな。今更だけど。
家で一緒にご飯を食べる事が、俺の中でのお家デート最大のチェックポイントなのかもしれない。
パステルカラーで彩られたこの部屋に、家庭的なハヤシライスはあまりにもミスマッチだったけれど、それでも良いとさえ思えた。
ドキドキはしているんだけど、ほっこりする。ハヤシライスの香りのせいか?
すごく不思議な、矛盾した心地良さだ。
「じゃあ、食べよ? 味はおかしくないと思うんだけど、お口に合わなかったらごめんなさい……」
「ぜ、全然そんな事ないと思う! すごく美味しそうな匂いだし!」
「そう? ふふっ」
伊十峯はラグの上に置かれたクッションの上にぺたん座りをし、俺は俺でソファに腰を掛けて食べる事にした。
お互い、自分の目の前に置かれてある皿に視線を向ける。
二人とも合掌して、お決まりの言葉を口にする。
「じゃ、いただきまーす」
「いただきます~」
しかしその直後、伊十峯の一言が俺の動きを止めた。
「あ! 待って! 月村君!」
「え?」
「ちょっと……あ、あの、実は試してみたい事があるんだけど……いい?」
手にしていたスプーンをテーブルに置き、伊十峯は上目遣いで俺に尋ねてきた。
やっぱり上目遣いの伊十峯は狂おしいほど可愛い。
その瞳をじっと見ていたら時間を忘れてしまいそうなくらいだ。
「えっと……何? 調味料とか? 粉チーズ掛けてみるとか?」
可愛さに見惚れてしまわないよう目線をハヤシライスに移し、なんとか聞き返す。
「あ、料理の内容じゃなくって。……その……ASMRで」
「え? ASMR……? っ……!」
なぜか俺は、すごく、その……とてもドキドキし始めていた。
伊十峯が、急に伏し目がちになったからか?
その上、頬まで染めだしたからか?
これからとても恥ずかしい事をするんだ。
そんな予兆が、伊十峯の表情から感じ取られた。
「……この…………こ、ここに書いてあるんだけど……」
伊十峯は、自分のそばに置いてある例のSM本を手にしていた。
あるページの一部を指差して、それをそのまま伊十峯自身の顔の前まで持ち上げていく。
そのまま本で顔を隠しているが、指差していた内容は……その、やっぱり結構恥ずかしい内容で。
「え……これを……俺と伊十峯がやるって事……?」
顔を隠していた伊十峯は、サッと本を下ろした。
それまで隠されていた伊十峯の顔はやっぱり真っ赤なままだ。
俺の質問に伊十峯がコクンとうなずくと、つられるようにして俺の頬は赤く染まるのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
どうやら「俺達」は、どこまで行っても変態という名の鎖に繋がれているらしい。
そうでなければ、女子高生の部屋でその子の手料理を食べるというビッグイベントを前にしておきながら、寸止めの指示をくらう事は無いからである。
普通は、そのまま楽しくお食事をする。
普通にソファでイチャイチャして、普通に乳繰り合って、睦言を交わして、なんか別の方のお食事も始めてしまうわけだ。
無論、俺は恋愛なんてしないと心に決めていたわけだが、もちろん性欲は普通にあるし、おっぱいもお尻も大好きだ。浮塚の一件が無ければ、当たり前に恋だの愛だのやってたんじゃないかと思う。相手がいれば。
けれど、いくら普通から反れていても、こんな状態になるのか?
俺達はおかしい。18禁とかそういう方向じゃないらしい。
「つ、月村君? 大丈夫?」
「ああ、全然大じょう……あぁっ! きつい! ちょっと伊十峯! 締めすぎっ……」
「が、我慢してね! 今、ゆるくしてあげるから……」
「ああ……。俺初めてなんだよ、こういうの……。ゆっくり、頼むよ」
「う、うん。わ、私も……その……初めてなの……。ゆっくり動かすね?」
お互い、いよいよ変態としての頭角を露わにしてきたのか?
この行為は、そう疑われたって仕方がない。
その行為とは何か。
答えは単純明快。俺達がしていたのは「目隠し」だった。
「ああ、伊十峯! こ、今度は少しゆるいかな?」
俺も今は平然としているが、されている途中をビデオか何かに撮影して後から見返したら、絶対にこれを異常な光景だと思うだろう。
伊十峯がSM本に指を差して示していたのは、「目隠しプレイ」というものだった。
視界を帯状の物で隠してしまい、周りにいる誰かが目隠しされた当人に色々と施してあげるのである。この場合は、伊十峯が施しをするという事だけれど。
「う、うんっ……」
「い、伊十峯……これって、伊十峯のネクタイなのか?」
俺は、自分の頭に巻きつけられた黒いネクタイに触れて、質問した。
ちょうど目の高さで巻かれているため、視界は真っ暗だ。
「ううん。お父さんのネクタイ」
「そ、そうか……ふふっ。さては勝手にくすねたな?」
「くす……ねたけど! すぐ返すから大丈夫だよ!」
伊十峯の話では――
「め、目隠しでハヤシライスを食べてみたら、ASMRっぽくなると思うの! 視界が遮られてると、敏感になるって言ってたでしょ? だから……味覚も敏感になると思うの。その、月村君が良ければなんだけど……やってみない?」
――という事だった。
またしても「敏感」なんて言っちゃう伊十峯だった。
そんなちょっぴりエロスな話を、黒髪ストレートの色白玉肌美少女に提案されて、どう答えるのが正解だったのか。未だにわからない。
俺は変態だ。もちろんそんな事は十分自覚している事だ。
しかし、最近じゃ伊十峯まで変態になってきていないか?
わからない……。俺は最近、伊十峯の成長が怖い。
知らないうちに、知らない所まで到達してそうで怖いです。
俺の知らない間に、はるか彼方の超次元変態になってたらどうしよう。
見た目がかなり美少女なのに超次元変態だなんて、遠慮というものを知った方がいい。
「できたよ、月村君! これでほどけないと思う!」
「良い感じだ!」
ネクタイによって目隠しをされた俺の視界は、完全に暗闇の中だった。
二人して「やったね!」みたいな空気になる。目隠し大成功だ。
「俺達」は、やっぱり変態という名の鎖から逃げられないらしい。
こんな事を、心から楽しめているのは、やっぱり普通じゃないような気がする。
けれど、楽しいのだから仕方がない。
ネクタイで目を隠されて、ドキドキワクワクしている俺がいるんだ。
まだ目を隠されたばかりだからなのか、伊十峯が言うほど、視覚以外の五感が敏感になっている気配はない。
時間経過で変わるのか……?
「で、この状態でハヤシライスを食べるんだよな……?」
「うん!」
「えっと……」
本当に真っ暗で何も見えない!
というかこれ、伊十峯のアシスト無しじゃ、ハヤシライスの皿をひっくり返す恐れがあるのでは……?
そんな風に思っていた。その時だった。
「……っすぅ……っはぁ……っすぅ……っはぁ……」
かすかにだけど、伊十峯の呼吸が聴こえる⁉
吸ったり吐いたりしている動作の音から、どんな動きをしているのか、なんとなく無意識に妄想してしまう。
暗闇のせいかな?
本当にちょっと耳が良くなったような気がする。
気がするだけで、実際は大して聴力が上がっているわけではないんだろうけど。
要は気持ちの問題か?
「あ、伊十峯。せめて最初は補助がいると思う。場所がわからないんだ」
「そ、そうだよね! ……ちょ、ちょっと待って?」
――カチャカチャ。
伊十峯が、お手製ハヤシライスに添えていたスプーンを動かしているらしい。
スプーンと皿の接触する音が、やけにはっきり聞こえる。
ここから先、俺が把握できる事は全て「らしい」になるんだよな。と俺は改めて認識していた。
視界が閉ざされた世界は、匂いや音や肌の感覚で、色々な物や状況を把握していかなければいけないわけで。その先は、一枚一枚人間の皮を脱ぎ捨てていく作業になるんじゃ……。
「えっと、伊十峯……?」
「はい、つ、月村君……あ、ああ、あー……んっ……」
「⁉」
ええ⁉ まさか、伊十峯が「あーんっ♡」をしてくれているのか⁉
俺には真っ暗でよく見えないが、たぶんタイミングとセリフからして、やってくれているんだよな⁉
え、いいのか? これ、パクっと行っちゃっていいのか⁉
以前、恋人のふりか何かで「あーんっ♡」は恥ずかしいよ! みたいな事言ってたのに!




