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33 カフェラテより甘い

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 突き抜けるような青空に、白いペンキをこぼすとどんな空になるか?

 答えは今俺達の頭上にあるような空模様だ。時々その雲のおかげで太陽は遮られ、少しだけ辺りが薄暗くなったりもする。


 そんな、どこか気まぐれな日差しを俺達は浴びていた。

 俺と伊十峯は、駅の近くにある喫茶店に寄ろうという事になっていた。

 図書館から市街地を自転車で通り抜けるも、身体に吹き付ける風はどうしたって暑い。


「あっつー……伊十峯、本当に『キノキノ』でいいのか?」


 キノキノという可愛らしい名前が、これから寄る予定の喫茶店の名前だ。


 昭和最後の年に開業したとかいう話を、俺は祖母からふんわりと聞いていて、小さい頃にその祖母と何度か入った覚えがある。


 同級生とは一度も行ったことがないし、同級生の誰かが行ったという話もまた聞いたことがない。だから、俺達の学校からその店が多少近くても、別に他の生徒は来ないだろうと思っていた。ついでに今は夏休み期間中だし。


「全然いいよ! 私、行ってみたかったの」

 そう言いながら、俺達はキノキノへ向かう。


 市街地の合間に太い柱で打ち建てられた、古い跨線道路の下を潜り抜けていく。

 そうすると目的地の喫茶店・キノキノの四角い看板は見えてくる。


 この喫茶店までの道のりでわかった事は、伊十峯の髪からなんかすごい良い匂いがしてるって事だけだ。


 シャンプーの香りだろうか。

 フローラルな、優しく癒される香りだった。まずもって良い。


 自転車で移動したので、ろくに会話もできなかった。

 ただ伊十峯の後ろで、彼女と同じように自転車を漕いでいた。だから、必然的にその香りが風に乗って俺の鼻腔を襲いにきたわけである。


 こういう公然プレイも悪くないかもしれない。

 いやごめん伊十峯。そういえば俺、変態だったわ。だから許してください。すぅー、ああ、良い香り!


 さて、件のキノキノだが、かなり年季の入った雑居ビルの二階にその店はあった。

 ビル脇に設けられた、人気のない小さな駐輪場に俺達は自転車を止め、ビルの二階へと上がった。


 建物の内部に設けられた階段と手すりからしてすでにレトロな趣きがあり、この段の先で待ち構える喫茶店の雰囲気を、先走って伝えにきているようだった。


 レトロなお店が待っている。

 手すりに掴まり段を踏む。

 かったんかったん足が鳴る。

 外の暑さか緊張か、胸の鼓動が速くなる。


 階段を上がった先には、アンティークなドアが建て付けられてあった。

 ほの明るい電球色のランプが提げられていて、そのドアはいくらか煤けてみえた。

 ダリのヒゲみたいに湾曲しているドアハンドルを俺が握ると、伊十峯がささっと近寄り声を掛けてきた。


「中で冷たいもの、何か飲も?」

「そ、そうだな!」

 喫茶店に慣れていないせいか、俺も伊十峯も緊張気味だった。


 ていうか可愛い。「飲も?」が可愛い。

 コンタクトバージョンの伊十峯が可愛すぎて、なんだか俺だけ緊張の原因が違う。


 ドアを押し開けて店内に入ると、カラランッ、と付属のベルが鳴った。

 曲名もわからないジャズが、ほどよい音量でかかっている。

 西洋アンティークっぽい調度品で揃えられた、完成度の高い店内だ。


 他にお客が数人いたが、入ってきた俺達に視線の一つも向けてこなかった。

 ビル内のお店なので、店内はさほど広くなく、落ち着けそうな狭さだった。

 角から一つ隣の四人掛けの席に、俺達は座ることにした。


「外、暑かったね!」

「ほんとな……」

 伊十峯は色っぽく、ふぅー、と息を吐いて、首元の汗をハンカチでさりげなく拭いた。


「伊十峯、何飲む? そういえばコーヒーは好きなんだっけ?」


 吐息の色っぽさに鼓動を速めてしまいそうだったので、思わず俺はメニュー表を見た。気を紛らわせるためだ。いや、変な気を起こさないためだ。


「ううん。私コーヒーはちょっと苦手で……。カフェラテとか、そういうのなら大丈夫!」

 苦いのダメなんだな。初めて知った。

「じゃ、頼もう。すみませーん」


 店員さんに声を掛け、飲み物を注文し終えると、伊十峯が話を切り出した。


「ご、ごめんね? 月村君。私の予定に付き合わせちゃって……」

「え? いやいいよ、それは」


「お姉ちゃんには、その、誰かと一緒に出掛けるって嘘ついて出てきたの」

「ああ。そういう指示だったってことね」


「うん。……一応それに従った感じで……。でも私、誘える人とかいないから……あはは……」

 テーブルを挟んで向かいに座る伊十峯は、そう言いながら力なく笑っていた。


 小春さんの恋愛指南とは言え、伊十峯が現状の自分を変えたいと思っている事は事実なんだろう。もしかしたら、以前から変わりたいと思っていたんじゃないか……?

 地味な見た目も。内気な性格も。

 それらを助長させるようなからかいの種「声」すらも、本来は変えてしまいたいのかもしれない。


「あ、来たよ。月村君のコーヒーも」

 ほどなくして俺と伊十峯のテーブルに、店員さんが飲み物を運んでくる。

 アイスコーヒーとアイスカフェラテ。

 グラスはひんやりとしていて、持つと手のひらが気持ち良くなった。


「あ、あのさ、伊十峯!」

「うん?」


「そんなに変わる必要あるのか? 伊十峯は今のままでも十分可愛いっていうか……」

「えっ……」


 伊十峯の表情が驚きで一杯になった。

 その反応を見て、俺は自分の言ってしまった言葉を再認識する。


 あれ⁉ え⁉ いきなり何を言ってるんだ俺は⁉ 恥ずかしっ!

 バカか⁉ バカだったのか⁉ これが一流か!


 伊十峯も顔を赤くしてるし、完全にお互いの恥ずかしさに火をつけるだけの言葉だった。


「じゅ、十分……かっ、かかっ可愛いの……?」


 伊十峯はカフェラテに刺さったストローを回しながら、上目遣いでこちらを見た。


 っはー! 伊十峯! そんな上目遣いとかしたらダメだから!


「ち、違う! いや違くないんだけど! あのさ、ほら! 今のままで十分だよって事が言いたかったってだけで! その、「他意」は無いっていうか!」


「そう……そ、そうだよね! うん! わわわかってた! だ、大丈夫だよ!」

「……」


 顔が熱い。


 今、目の前にあるこのコーヒーは、こんなに冷たいのに。


 そんな風に、ちょっとだけ詩的に物を考えていた。


 グラスの中の氷を、伊十峯にならってストローでかき混ぜる。


 清涼感たっぷりのカラコロンッという音が弾ける。


 その時だった。


 ――カラランッ。


「あっつ~~い。もうほんとやってらんなーい」

「パフェ食べよっ、パフェ~!」

「クリームソーダしか勝たんでしょ、こんなのー。あーあつい」

 お店の出入り口から誰か入ってきたな、と思って俺が目線を向ける。


「はっ⁉」


 なんと、入り口からキノキノに入ってきたのは、川瀬達二年一組のギャル軍団だった。


 川瀬めぐみ。辻崎ゆず。玉木まき。堤紗枝。以上、いつものメンバーでお送りします。といった具合で、見慣れた四人組のギャル達がその出入り口に立っていた。


 言動からして、涼を求めてやってきたんだと思う。


 以前パスタ屋で見掛けた時と同じように、四人とも目のやり場に困るくらい露出の激しい服装だった。

 夏の渋谷を闊歩してそうなギャルのファッションを、そのままコピペしてきたようだ。その上、汗もたくさんかいているように見える。


 俺と伊十峯だって、そこまでオシャレな格好をしてきたというわけじゃないけれど、さすがにあの四人よりはキノキノの店の雰囲気に合った服装だ。


 ていうか、最近ギャル軍団との遭遇率高いな⁉

 確か数週間前も出くわしたような……。


「……あれ? ねぇ、めぐみ。あれってさー……」

 川瀬の横に立っていた玉木が、肩をちょんと小突いて耳打ちする。


「!」

 うわっ、バッチリ俺の目と川瀬の目が合ってしまった。


「……!」


 目が合うなり、川瀬は軍団を引き連れてずんずんとこちらへ近寄ってくる。


 伊十峯は俺の方を見ていて気が付かないようだった。


 伊十峯ぇー! 後ろからお前を泣かせた連中来てるから! カフェラテ飲んで、えへへ♡ じゃないんだよ!

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