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32 どうですか?

「いやー、びっくりした!」


 部屋の外の自販機で飲み物を買いながら、俺はそう口にした。

 ガコンッと缶ジュースの落下する機械的な音が聞こえ、取り出し口に手を突っ込む。


 買った缶ジュースを片手に、伊十峯の座っていた席へ近寄った。


 このフリースペースは、飲食も談笑も文字通りフリー。いくらでもどうぞという事で、先ほどのワンランク上の部屋のすぐ隣に設けられていたが、俺達以外に誰も利用していなかった。


 俺が缶ジュースを飲み始めたタイミングで、伊十峯は話し始めた。


「ふふっ。わ、私も、ちょっとびっくりした! 月村君を図書館で見たの初めてだったから……」


 木製のスツールに腰をかけた伊十峯は、持参していた水筒の蓋を開けながらそう言った。

 伊十峯も何かをごくごくと飲み始めたようだけど、中身は俺の知るところじゃない。


「初めて見たって……伊十峯はよく図書館使うのか?」


 そう問い掛けながら、俺は伊十峯の隣に座った。


「うん。私の部屋は……あんまり勉強に向いてないから」


 そうだよね。あのぽわぽわ系のドリームルームでは。


 伊十峯の部屋を思い浮かべる。

 模様替えをしていなければ、前に見た部屋のままのはずだ。

 こんぺいとう工場とでも名付けたいような、淡色メインのあまあまふわとろ夢系女子の部屋。


「あー……確かに! 集中できなさそう」


「確かにって、ひどい月村君!」


「あはははは! でも伊十峯が言わせたっぽいじゃん?」


「ふふっ。あはははっ!」


 フリーと言っても、他に利用者が居れば色々と遠慮するのだが、何しろ今は俺達しかいない。本当の意味で自由だった気がする。


 眼鏡の件で動揺していたけど、そういえば伊十峯って昨日俺に告白しかけたんだよなぁ……。


 うわ、意識しだすとまずい。まともに顔が見れない!

 急に体温も上がってきたような気がする!

 やめやめ! 他の事を考えよう。ていうか、視聴していなかった事を伝えたほうがいい。


「ところで伊十峯、昨日なんだけどさ」

 俺が話を切り返すと、伊十峯はびくっと肩を小さく跳ねさせて反応した。


「き、きのう……?」


「そう。ごめん、実は俺途中で寝ちゃったんだよな~! 音森って、あの後どうした? 結局、伊十峯の家にお泊りしたの?」

 白々しくならないよう、細心の注意を払いつつ尋ねる。


「え? あ、そうだったんだ! はぁ、よかった……じゃなくて! はっ、配信自体が寝落ちされるの前提だし、全然気にしなくていいよそれは! 音森さんはね、ちゃんとお家に帰ったよ? あの後、音森さんのお母さんが迎えに来てくれて。……夜遅かったし、そのまま泊まっていくのかもって私は思ってたけど……」


 伊十峯は、俺の寝落ちにかなり安心したようだった。


 一瞬、あわわと取り乱していた所を見ると、やっぱりこれでよかったんだと思う。


 寝落ちしていて聴いてなかったと。そういう事にして、あの時の言葉はお互いの胸の内でひっそりと留めておくべきなのかもしれない。


「それで? どうして急に眼鏡をやめたんだ?」


「うん。じ、実はその……お姉ちゃんが……」


「小春さん?」


「そう。お姉ちゃんが、地味な見た目を改善するには、これが一番手っ取り早いって言うから……実践してみてたの」


 そう言いながら、前髪をちょいちょいと指でいじる伊十峯は、相変わらずどこか恥ずかしげだった。


 綺麗なそのほっぺたをほんのり桜色にして恥じらう姿。その表情は確かに俺がよく話していた伊十峯小声だった。


「地味な見た目の改善……。そんな必要ないと思うけどなぁ。でもなんでまた急に?」


「えっと……それはほら、特に理由なんていらないでしょ⁉ ちょっと、気分! そう、気分で変えてみただけ! でも変だよね? やっぱりこんな風にイメチェンなんてしちゃうの」


 気忙しくも、伊十峯はまた慌てながらそう答えた。

 なぜか水筒をしゃこしゃこと振っている。動揺しているのか……?

 中身が炭酸飲料なら終わりだと思ったけど……伊十峯に限って炭酸を入れる事はないか。


「つ、月村君……どうですか? コンタクト姿の私……」

「えっ」


 自分の姿がどうなのか、伊十峯から俺に意見を求めてきていた。


 ん? ……ああ! ……そうか。そういう事か!


 俺もここまで言われたらさすがに気付く。昨日の配信であんなあからさまな告白未遂をされておきながら、え? 誰のために? なんて無粋な追及はしません。


 なぜ俺に聞いているのか。その答えは明白だったわ。敬語もそのせいだ。

 ただ、伊十峯につられて俺の意識までみょうちくりんな事になっていた。


「い、良いと思います、月村としましては!」

 結果、地獄みたいな言い回しで答えてしまった。


「そ、そうですか! ありがとうございます!」

 そしてその返しに伊十峯のさらなる敬語。

 妙にかしこまった口調で、俺達の会話が始まっていた。なんだよこれ。


 褒められたからか、伊十峯は一層顔を赤々と染め上げていた。


「と、時に伊十峯さん……」

「なっ、なんでしゅか⁉」


 なんでしゅかってなんですか!

 伊十峯もかなり緊張しているんだろう。だってろれつがおかしいもの。


「いや、小春さんは、その、コンタクト姿以外にも何か指示を?」


「そ、それは! ……あ、わっ、ありますが!」


「ど、どのような⁉」


「そ、それは! ……あまりにもなので、ちょっと今ここだと……」


 伊十峯は俯き加減になり、水筒の周りに這わせた指をもじもじさせていた。


 というか、小春さんに恋愛相談でもしたんだろうな、となんとなく想像がついた。


 そしてあの小春さんの性格からして、伊十峯には少しハードルの高い事を指示したのかもしれない。その結果がこれだ!


「あまりにも、な事ですか……」

「そうです……ちょっと、私には勇気が出ないから……」


「っふー……よし! それやってみるか!」

「ええ⁉」


 俺は一息ついて、伊十峯にその指示を実行してみようと提案した。

 伊十峯はご覧の通り恥ずかしがり屋だし、こういうのは男の俺から言い出したほうがいい気がした。

 依然としてその指示内容は把握していないが。あ、でもこれやばいパターンか……?


「デ……」

「……で?」


「あ、ううん! お出かけ! コンタクト姿で色々お出かけしてきなさいって言われたんだよね!」


「ああ、お出掛けか。……ん? でもそれって、この図書館に来た事で、すでに達成できてない?」


 俺の問いに、伊十峯は少し言葉を詰まらせた。おかしな事を聞いてしまったのか、それすらも俺にはよくわからない。


 それから少しして、

「ち、違うの! ……ごめんなさい。本当は、その……だ、誰かを誘って! ふ、二人でお出かけしてきなさいって言われちゃったの!」


 両目をきゅっと閉じつつ、伊十峯はそう叫んだ。

 何もそんな叫ばなくてもいいのに! フリースペースに他の人がいなくて本当よかった!


「そうなんだ。……じゃあ、で、出掛ける? 俺でいいならだけど」

「え? い、いいの?」

 閉じていたその瞳をゆっくりと開き、こちらに目を向ける伊十峯。


「いいよ?」


「で、でででもほら! 月村君は、勉強しに来たわけだから、そ、そんな私の都合に巻き込んじゃうなんて……良くないと言いますか!」


 また敬語! 元に戻ったと思ったのに、この子はまた敬語!


「いや、気にしなくていいよ。ただの自主学習のつもりだし、他の日にでもまた来るよ」

「そ、そそそう? なら……お、お願いしますっ!」


 ああ、やっぱり可愛い。なんだこの伊十峯は。

 改めて思う。コンタクト姿の伊十峯は掛け値なしにかなりの美少女だ。


 アイドルというより若い女優に等しい。スクリーンの向こうで活躍するほど遠くはなく、けれどただのクラスメイトにしておくにはあまりにも近すぎるような、そんな非現実的な可愛らしさだ。

 眼鏡の時はわからなかったけれど、頬や目元も玉のような肌で隙が無い。


「じゃあ、ちょっと道具片づけてこようぜ」

「う、うん!」

 それから、俺達は学習室に置きっぱなしにしていた勉強道具を片付け、その部屋を後にした。


 学習室を抜け、図書館の出入り口まで伊十峯と二人で歩く。


 よく考えたら、ビジュアルの向上した今の伊十峯とデートするって事だよなこれ……。いや、単にお出かけ? うん? いやいや、デートか?


 今更だけどデートとお出かけってどう違うんですか⁉ 誰か教えてください!


 ていうかこれずるい! なんで急にイメチェンとか言って可愛くなってくれちゃってんだよ、伊十峯……。

 体育用具室で泣いていたあの頃の伊十峯は⁉


 黒縁眼鏡の伊十峯なら、学校の帰り道だろうが部屋でダンボール被ろうが、ある程度近くに居てもまだ余裕があったのに!(※割と無かったです)


 てか急にキャラのスキン変更とかマジか。これ知ってる。課金しないといけないやつだ。

 良い方にイメチェン出来てはいるけど、俺の心臓に悪いイメチェンだよ。


 俺達は二人で図書館の外へ出て、駐輪場へ向かった。伊十峯も自転車で来ていたらしい。


 やっぱり外は暑い。

 冷房で冷えていた身体や顔が、外気によって一気に溶かされていくようだった。きっとコンビニでレンチンされるおにぎりってこんな気分なんだろうな、とかくだらない比喩を考えたりしていた。


 そうでもしないと伊十峯の事ばっかり考えてしまう……。

 ふと、横を歩いていた伊十峯の方に目を向ける。


 綺麗な長い黒髪と青色のフリルワンピースが、伊十峯の歩行速度に伴って軽く揺れていた。服の色合いもあって、俺の目にはどこか涼しげに映った。


 けれど、さりげなく髪を払い息を吐く仕草から、伊十峯もこの暑さにうんざりしているんだろうなと感じた。


 ……それにしたって伊十峯の胸部にある二つの峯だけは、やはり伊十峯だなって感じだ。ああ、豊作豊作、大豊作。伊十峯が、たわわに実るよ夏の峯。


 さて、一句詠んで心を落ち着かせたところで、俺の目は伊十峯の手にしていたトートバッグに向いていた。


 勉強道具を入れてきていた伊十峯の黒色トートバッグには、小さなヒツジさんの刺しゅうが入っていて、伊十峯のさりげない可愛らしさが出ていた。


 ああ、すみません神様。これはあまりに強敵です。

 この童貞変態野郎・月村つむぎに、なんという刺客を送り込んでいるんですか。


 いやこの場合、神様っていうか小春様か……? それにしたって偶然だよな。俺がそもそも図書館に行くなんて、小春さんが知ってるわけないし。


「早いところ出よう……熱中症になるぞこれ」

「そうだね……数分しかたってないのにもう頭のてっぺんが熱い……」


 とにもかくにもそんなわけで、伊十峯との夏休み初お出かけが幕を開けた。

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