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紗帆回2。


 誰よりも美しかった。

 誰よりも才に溢れ、だが、それに胡座をかくことなく努力を惜しまなかった。


 何かあればいついかなる時でも駆けつけて「紗帆ちゃん、大丈夫?」と優しく聞いてくれた。紗帆の抱えている問題をいとも簡単に解決してくれた。

 紗帆の、ヒーローだった。


 大輪の花のように艶やかで大人の女でありながら時折り少女めいた表情(かお)を見せる、憧れの(ひと)だった。


 恋愛よりも仕事優先で四十近くになっても仕事に打ち込んでいた。


 別れは突然だった。


 印が現れた彼女は七宝の役目を辞退した。

 悩んだであろうことは寝不足気味な様子からみてとれた。

 仕事が好きで仕事から離れるのが耐えがたかったのだろう。

 仕事が面白くてしょうがないときらきら目を輝かせているような人間だったから。

 七宝グループの企業で働いている場合、七宝となったら閑職にまわされるのが慣例だ。

 七宝は案外忙しい。名ばかりの役職に七宝を配置転換するのは会社なりの配慮だった。


 彼女が辞退を宣言した瞬間、追放者の証が現れた。段階を踏むこともなかった。

 いきなり、完成形の証が現れたことにその場の全員に動揺が走った。

 たまたまその場に居合わせた紗帆は叫びだしそうになるのを抑えるので必死だった。

 証が現れたことに周囲の空気は張り詰める。七宝の役目を辞退したのは彼女が初めてだったので即追放となることはその瞬間まで誰も知らなかった。


 知っていたら全力で止めたのに。


 もちろん彼女には追放者の証は見えていなかった。


「元々、独立して起業しようと思ってたの」

 紗帆に心配をかけまいと優しく微笑む彼女に証のことはついぞ言えなかった。


 辞退騒動から三日後、紗帆は大黒天となる。


 彼女は七宝グループの会社を辞め、独立した。


 その後のことはよく知らない。

 一度だけ偶然再会し、旧交を温めたかったが、断られた。その半年後、物言わぬ姿で彼女は生家に戻った。

 追放者の証が出てから三年経っていた。


「馬鹿な子」

 彼女が出すに出せなかった手紙を読み終えた後、母はそんな呟きをポツリと落とした。母の顔を見ることはできなかった。


 本当は、帰りたい。

 でもまだ帰れない。

 手紙にはそう書いてあった。

 意地っ張りな彼女らしい物言い。


 彼女のために何もできなかった。そんな自分が嫌だった。

 常に自分を助けてくれた人を自分は見殺しにした。あれからずっとその思いが消えない。




「お袋」

 遠慮がちに呼ぶ夕真の声にハッと我に返る。

 また箸が止まっていたらしい。

 食事の最中に過去に浸るなどどうかしている。

 この後は話し合いがあるのだ。さっさと食べねば。


 箸をのばそうとして戸惑った。どうしたことか、おかずがぼやけてよく見えない。


 滲んでよく見えないが、夕真は心配そうな顔をしているのだろう。

 こちらを見つめているのは空気でわかる。

 紗帆は平常心に努め、いつもと変わらぬ声音で応えた。


「なんだか目がぼやけてるわ。老眼かしら、いいえ、かすみ目かも。目薬ささなきゃね。年はとりたくないわぁ」


 妙に早口になってしまったが、そのまま押し通す。

 目薬をさす前から目の周りが濡れていることなど決して認めぬ、意地っ張りなところは彼女とそっくりだった。


「……ん」

 特に何かを問いかけることなく食事を再開する夕真は随分と大人になったものだ。

 何も触れない三男の優しさには感謝しかない。


 あの証はもう見たくない。

 あんな思いはもうしたくないし、他の誰にもさせたくはないから──。

 何を企んでいるかは知らないが葉月も晴香もまとめて止めるつもりだ。

 決意と共に大好きな唐揚げを頬張った。



紗帆「(二人の企みは)ごりっごりに潰してやるわ。ふふふ」

夕真心の声(怖ぇ。マジで物騒だ、この人)

夕真が何も言わなかったのは大人になったからでも優しさからでもなく、触らぬ神に祟りなしだったからである。


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