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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

“蚊”パンデミック

作者: 平之和移
掲載日:2022/12/14

「たく、なんで今日テストなんだ」

 

「外には蚊しかいないのに」


 という会話をするのは俺の両親。一階のふろ場まで聞こえる大声の愚痴。真っ裸で蚊よけクリームを塗りたくる俺だって、ベタベタして気持ち悪く不満たらたら。


 今日は中学のテスト。蚊しかいない外を進んで登校しないといけない。去年はリモートだったのに。不正があったからと命を危険にしなきゃいけない。ちなみに不正した子はネットリンチにあった。


 風呂場から出ても、父さんがまだいない。愚痴も止まり、今は母さんの好きな曲が鳴り響いている。二人はリモートで仕事しているので家の中は音楽場。正直ありがたい。蚊の羽音を聞かなくて済む。


「待たせた!」


 倒産が防護服をもってきてくれた。宇宙服かガチガチの潜水服みたいな見た目だ。蚊よけクリームの臭いに苛まれながら着込み、結局服内にこもるクリームの臭気に苦しむ。


 玄関まで来た。簡易の二重扉があり、そこには殺虫スプレーが大量に置かれている。いざとなればあれは爆発し、蚊に対して地帯戦術を展開する。父さんお手製。


「いい? 危険なことはしちゃだめだよ? 服を脱ごうなんて考えないでね? それと……」母さんの涙声。


「排水路には近づかないし」バイザーでこもる俺の声。「草からも遠ざかるよ」


「油断しないでね。死んじゃったら……」


「大丈夫だって。百点満点を持ってくるよ」


 準備完了。両親は二重扉の奥に行った。


 父さんは体を固めて、


「いってらっしゃい」


 と言った。


「いってきます」


 扉を閉め、玄関に一人。二十扉に施錠し、いざ、玄関の扉を開ける。


 外に出て、すぐ閉める。


 振り向くと、蚊の曇天が空を覆っていた。木に止まり、家に止まり、マンションに止まり、すべてに蚊が引っ付いている。


 どうしてこうなった。それは一年前にさかのぼる。


 当時、土曜日だったので俺はソシャゲし放題。そんな中SNSからニュースの通知。南半球から海を越え、蚊が押し寄せてくるという。


 こういう奇想天外は誰かに話したくなる。リビングに行って、フライパンを洗っている母さんにニュースを告げた。


「蚊って、あの蚊?」反応は上々。


「そうそう。滅茶苦茶来るんだって」


「いやそんな、蝗害じゃないんだし」


「なんだぁ、何の話?」


 父さんが洗面室から聞いてくる。洗濯中のようだ。俺だけ家事をしていないという事実から逃げつつ答える。


「南から蚊が来るんだって」


「あー、ちょっと見たなそれ。でも蚊なんて北の寒さに耐えられんだろ。それより母さんを手伝いなさい」


 みんなには驚いてほしかったのに塩対応。友達に言ったら二時間は盛り上がるのに。


 当時はそう思いながら過ごしたが、蚊は強かった。オセアニアから船を通ってユーラシア大陸へ。そこからさらに沖縄へ来た。


「……続いて、南から現れた蚊の軍団についてです。蚊たちとは現在、沖縄で自衛隊及び米軍と攻防戦を行っており、住民は脱出を急いでいます……」


 ニュースキャスターは緊張感をもって伝えた。続いてヘリから撮られた沖縄が映る。テロップ曰く那覇空港前。全身に防護服を着た自衛隊員と米軍兵が火炎放射をし、空中に殺虫剤らしきものを消防車からばらまいている。消防車は所々にありあわせの改造が見られる。


 戦闘(?)はとても激しい。


「これって、自衛隊の初戦闘?」


「父さん、それは俺だって不謹慎だと思うよ」


「あぁ、いや、うん。しかしな……」


 朝食は冷えていた。中国南部、台湾、東南アジア各国とは連絡が取れないとも聞いた。実質滅んでいることも知った。政治はさっぱりだけど、ヤバいのは理解した。


 数日としないうちに北海道まで陥落。寒さに耐えられないという希望はあっさり破られ、世代交代を経て殺虫剤もあまり効かなくなった。ヨーロッパもアメリカもインフラが死んだ。当然日本もボロボロ。全ての国が緊急事態宣言。街には血がなくなって死んだ生物(人間含む)であふれた。日本ですら外出禁止令が出された。


 窓も扉もガムテープで塞ぎ、羽音には耳を塞いだ。授業は全てリモート。クラスメイトの一人が蚊からの伝染病で死んだ時は辛かった。俺の家も蚊に侵入されたことがあって、あの時は本当に死を覚悟した。


 今では官民一体となってインフラを回復させている。物流業者と完全武装の警察の協力で配給は維持されている。緊急時の外出だって許された。


 けど、テストは緊急なのか?


 俺は現在、住宅街を歩いている。車道の中央、スクールゾーンと書かれたその上。歩道には草木が生い茂り、何がいるもんか判ったものではない。蚊の集団がいるかも。


 防護服の上に蚊が集まるが、俺が刺されることはない。服はとても厚いからだが、しかしバイザーの邪魔だし蚊の腹を見せつけられて不快だ。身の安全が確保されているせいで一人登校。護衛なし。


 次の十字路を曲がる前に左の家を見る。蚊が蔓延る前は新築の白い家だった。大学生と思わしきかわいいお姉さんがいて、俺は鼻の下を伸ばしていたものだ。今では他の家々同様、蚊に覆われ真っ黒。廃タイヤもそのままで、雨で水が溜まっている。そこにはあふれんばかりのボウフラ。外の水場はこれだから危険だ。排水路なんてもってのほか。


 十字路を曲がり、進み、畑が視界に広がり始める。性格には畑跡地。草もボーボー危険地帯。この光景がこれから学校まで続くだろう。空を見上げると本物の曇天。蚊のせいで、動画の演出に使われる砂嵐みたいになっている(昔のテレビでよく見たものらしい)。


 進路を変え、寂れた踏切、その下のトンネルを通ることにする。前から利用しているショートカット。正規の通学路ではない。


 電気がないので暗い。さらには蚊の羽音が大音量で反響している。だがリスクは取るべきだ。俺は走りにくい恰好で駆ける。


 蚊が多かったトンネルを抜けると蚊の国だった。今まで空を支配していた蚊は、数を増やして大地を這って侵攻中。


 小雨を感じる湿った空気、霧がかった住宅街、……夜に見える世界は、実のところ蚊しかいなかった。耳障りなモスキート音でノイローゼになりそうだ。


 わずかな風がこちらに吹く。


 心臓が跳ねる。蚊は風で吹き飛ばされるほど飛行能力が低い。つまり、俺は吹き飛ばされた蚊に包まれるかもしれない。服のおかげで刺される心配は低い。だが……全身を蚊にたかられ、バイザーが蚊の腹と足で埋まって視界ゼロ……


「はやく! こっち! まずいよ!」


 女性の声に振り向く。一軒家の車庫、シャッターの隙間から防護服が手招き。蚊が迫る。狂風が来る。俺は急いで車庫に転がり入る。蚊がちょっと(二百匹ぐらい?)入るも、助けてくれた人が無力化してくれた。シャッターが閉じ切った車庫に殺虫剤が充満。


「あなた、この先の学校の子でしょ?」声からして中年主婦だろうその人は、「今日ぐらいは休んでもいいのよ? テストは生死を決めるものじゃないんだし」


 と気遣ってくれた。安心から、感謝が口から出る。


「ありがとうございます」


「いいのよ。全く、あの学校は何を考えているの? こんな若い子に無理させて……」


 主婦のため息は市役所の車でかき消される。選挙カー並みのやかましさで「蚊対策課」が来たことを告げる。蚊対策課は文字通りの蚊で、警官じゃないけど蚊と戦っている。


「よかったわ」主婦の一息。「多分助けてくれるわよ。一緒に行きましょ」


「え、でも」


「私はPTAなのよ。あの学校の」


 二人で車庫から出ると、そこには蚊殺しキャラバンが集っていた。警察、役人、学生、殺虫剤散布消防車とその他車両。みんな殺虫剤入りボンベを担いで、数台の車を守りながら進んでいた。


「あぁ、貴方も登校ですね?」


 防護服に「蚊対策課」と書かれた人が聞いてきた。「そうです」と答えるとボンベやらホースやらを渡された。


「すみませんが、物はあっても人が足りません。協力お願いします」


「ちょっと」主婦が食って掛かる。「ただでさえ外を歩かせておいて駆除までさせるの?」


「全くです。上の連中はこの期に及んで外を軽視する。外出する人が防護服着て蚊にまとわれて、中にいる人は外からの甲高い音で眠れないのに。上の奴らは……」


「なんか、まぁごめんなさいね」


 どうやら気持ちは同じようだ。


 キャラバンは進む。クラスメイトもいて少し話した。元気そうだ。持っているホースから吹く殺虫剤で蚊を落とすのはとても楽しい。なんでもこの殺虫剤は毒で殺すのではなく、スプレーの勢いと雪みたいな結晶で重しとし、飛べなくしているだけらしい。なので実際に殺しているワケではない。だがそもそも旧来の殺虫スプレーは効果が薄い。強くすると人体に危険だし。


 途中、学生たちが続々合流。消防車もフル稼働、飛ぶ蚊を落として回る。吹きすぎたスプレーで周囲が見えない。


「みなさん! もう少しで、もうちょっとです!」


 役人がそう叫ぶ。実際校門は目の前だ。教師たちも蚊退治に参加し、キャラバンを校門に通す。聞きなれた担任の声も聞こえる。ほんのちょっと見えた校庭にはスプリンクラーが起動し、蚊を寄せ付けない。


 下駄箱までたどり着き、教師たちによってまとわりついた蚊を吹き飛ばされる。更衣室まで案内され、すべて脱がされた挙句虫よけクリームを再度塗られまくった。そうしてようやく教室に着いた。


 汗だくの男性担任が入って、息切れしながらテストを配る。


「よく来てくれた。さっさとテストを終わらせて帰ろう!」


 と、威勢よく言ってくれたのはいいが……俺は蚊のことばかり頭に入って、勉強した内容を忘れていた。


 後日。再テストが決まった。学生全員。


 やっぱり登校させてのテストは大問題となったようだ。オンライン謝罪会見が開かれ、関係者の辞任が決まった。


「ふざけんなよあのハゲ校長っ!」オレは少ない夕食をやけ食いしながら言った。室内で育てたプチトマトが旨い。


「まぁまぁ」母さんがなだめてきた。「ツケは払ってもらうとして、生きていてよかったよ本当」


「記念に父さんの干し肉を全部あげよう」


 肉! 家畜は全滅したからうれしい。俺はすっかり機嫌を直し、食後自室でゲームをやった。


 外は雨。明日は雨のち蚊の大繁殖。

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