転生しないトラック
傷付き倒れ、慄き動けなくなっている者達。
その中に居て、ただの人間に過ぎない俺だけが無傷で残された。
最終局面、もうできることは無い。
だけどその段階にいて、人間の俺にできる選択肢が二つ残されていた。
一つは、君を護ること。
この身を剣にして立ち向かうこと。
一つは、君を信じる事。
まだ抗えると鼓舞する事。
ありがたい、こんな俺でも使い道があったのだから。
けど、少しだけ嫌なことがあった。
君の泣き顔を見ること。
それだけが凄く悲しかった……。
だから振り返りもせずに、君の前に立つ。
それぐらいは許して欲しいと願っていた。
【死なない君がおっちょこちょい。】
ふむ、どうしたものか。
暗闇に包まれそうな街並み。
自宅へ帰る道を歩いていた。
斜め前を歩く少女を盗み見る。
後ろ姿だけど可愛いに違いない。
だが、気になっているのはそこではない。
少女が歩きスマホをしていることだ。
既に日も落ちかけている。
足を踏み外しでもすれば、大怪我をしてしまいかねない。
ふむ、どうしたものか。
そして最初の思考に戻ってくる。
注意しようかとも思ったが相手は少女だ。
声を掛けただけで通報されかねない!?
と、すれば成人男性に取れる手段は一つ。
リスク回避の為に黙っておこう。
そういう時代なのだ。
周りに人は居ないし、変に怖がらせることもないだろう。
少女から目を切ると、立ち止まり空を見上げた。
星が綺麗だった、地上の醜さとはかけ離れていて胸が痛む。
ナルシストな自分を嗤ってから、前を向くと。
「ぎゃぴーっ!」
先程の少女がトラックにはねられていた。
「……ぇ?」
空を飛んでいく少女。
トラックはスピードを上げて逃げ去っていく。
「えぇーっ!?」
う、嘘だろ!?
目の前で起こったことが信じられなかった。
俺は飛んで行った少女の元へ慌てて向かった。
予想はしていたが、目の前にするとたじろぐ。
覚悟を決めて少女の様子をうかがった。
……。
駆け寄った先にあるのは、物だった。
手足が千切れて曲がり、頭に穴が開いて中身が飛び出ている。
ボロボロのズタズタの、人間だった物。
少女の死体だった。
「うぐっ……」
吐きそうになる。
俺がちゃんと注意していれば……。
保身に走ってしまった自分を呪ってしまう。
結局、他人がどうなろうと”知ったことではない”と突っぱねられないのならば。
なにもしないことこそが、一番のリスクだったのだ。
自分の無力感に涙が出てきた。
取り合えず警察と……救急車を呼ぼう。
「けほっ」
「え……?」
不意に咳き込んだような声が聞こえた。
その声は、目の前から聞こえる気がする。
というか、少女の方から……?
「いたたた……」
「え、ええぇーっ!?」
あまりのことに変な声が出てしまった。
頭の一部が吹き飛んでいるのに少女は声を上げている。
「御兄さん御兄さん」
「い、生きて……?」
「生きとるよー、ウチ死なへんもん!」
「死なねぇのかよ!?」
思わずツッコんでしまった。
「ええノリやなー! あんなーお願いがあるんよー」
「な、なんでしょうか?」
「バラバラのパーツ拾ってくれへん?」
「バラバラのパーツとは、体の……?」
「体が動かんのよー。なんか脳味噌も足りへん気ぃするなぁ」
「それならあっちに飛び散って……」
「そうなんやー、御願いやけど集めてくれへん御兄さん? 御礼はするからー」
「……分かった。でも先に救急車を」
「あー、平気やー。ウチ死なへんもん!」
本当に死なないのだろうか?
現にボロボロの体で声を上げている。
即死でもおかしくない惨状だが……。
「ちょ、ちょっと待ってて拾ってくるから」
「ありがとなー、御兄さん」
少女の頼みを聞くことにした。
この状況で放っておくこともできないだろう。
取り合えず近くにあった左腕を拾い上げる。
人間も腕だけになると軽いものだった。
「これで全部だと思う」
「んー、なぁなぁ。脳味噌見んかった?」
「え、そりゃ……」
落ちているそれを見る、グロい。
だけどこれも彼女の一部なのだ、放置する訳にはいかない。
「ごめん、待ってて」
俺はこぼれ落ちそうなそれを掬い上げると、ゆっくりと彼女の元へと運ぶ。
「どうぞ」
「ありがとなー! ちょっと待っててなー」
少女は唯一動く右手で、千切れた左手を元の場所に近づける。
「ほい、くっ付いたー」
「はい!?」
少女は左手で体を起こす、千切れた部分が何事もなく綺麗にくっ付いていた。
手をグーパーして確認している、本当に治ったようだ。
「マジかー……」
「曲がってる足をー、ほいほいーっと!」
少女は、ほいほいと手慣れた動きで足の向きを直していく。
傷がドンドン消えていった。
初めからなかったかのように。
「いやぁー御待たせしたなー」
少女は跳ねるように飛び起きた。
「おっとっとっと、傾く傾くぅー」
揺れるように動くと、頭に開いた穴から汁が飛び出ていた。
愉快そうに笑う少女とのギャップでおかしくなりそうだった。
「ほな御味噌さん返してもらうなー」
「あ、はい……」
「そや! そのまま注いで貰ってええ?」
少女は良いアイディアを思い付いたかのように、胸元で両手をグッとしていた。
「え、えと……え?」
手に持った脳みそを、少女の開いた頭蓋骨に注ぎ入れろと?
「マジかぁ……」
もはや語彙力が消失していた。
「ほな、御願いするなー穴の場所は分かる?」
「穴の場所……?」
「うん、この辺りにーっとっとっと危ない危ない」
少女は傾けていた体勢を戻す。
「御汁を撒き散らす所やったよー」
「御汁……??」
「ほな、中にいれてぇ?」
「言い方がアレなんですけど……」
「んー?」
天然なのだろうか……?
俺は手に持った脳みそを少女の中に還す。
プニッとした感触がゼリーみたいだった。
「んっ、入って、来とる……!」
「やっぱりわざとですよね!?」
もはや笑うしかなかった。
でも一つだけ分かったことがある。
どんな状況でも、笑ってしまったら気持ちが軽くなるということだ。
トゥルンッ!
少女の中に脳みそを注ぎ終えた。
「ちょっと出すなー」
少女がそう言うと、脳みそに付いていた細かい砂利なんかが飛び出てくる。
「何その機能!? 便利そう!?」
今度は、頭に開いていた穴が塞がっていく。
更にはハゲていたその場所から、髪の毛まで生えてくる。
死なないと言った少女の言葉は嘘ではない。
そう思わされるだけの体験だった。
「一足す一は田んぼの田ー! 演算完了やー!!」
「お、おぅ?」
「脳の働きもバッチグーやなー」
「それは良かったね」
「チョベリグやなー」
「古い、古いよ! 何歳だよ!?」
「はてー? かれこれ五百年は生きた気ぃするけどー。千年だっけ?」
「え、どういうこと。もしかして……」
不老不死?
「うん、ウチは死なへんの!」
なんでもないことのように笑う少女。
俺は不覚にも、その姿を可愛いと思ってしまった。
「ほな行こかー!」
「え、どこへ?」
「御礼するって言ったやん。御兄さんの家、行こ?」
「マジかー……」
少女は飛ばされた携帯電話を探していた。
「あったあった。おー、生きとるー」
「あの衝撃で生きてるとは」
「御前さんも不老不死だったかー!」
違うと思います!
「ウチ、携帯が無いと右も左も分からんのよ」
歩きスマホをしてたのはそういう理由か。
「よし、御兄さんの御家はどっちやっけー?」
「あっちだけど……」
「おっけー! ほな行くでー!」
少女は子供のように駆けだす。
「あ、馬鹿!?」
「んぎゃー!」
吹き飛んで行く少女。
スピードを上げて去っていく車。
「ひき逃げ多すぎない!?」
治安が心配になった。
ここでさよならをしておけば、騒がしい日々が始まることも無かった。
だから、ちょっとだけ……。
ほんのちょっとだけの後悔を、たまにするんだ。
この物語は、おっちょこちょいな少女に。
人間をやめることになる俺が。
大切な選択をする為の物語だ。