9 運命の出会い(2)
ボアウルフのリーダーらしきヤツは、自分の策が上手くいったとばかりに、鼓膜がジンジンするくらいの大きさで吠えた。
まるで誰かに合図でも送っているかのような遠吠えを3回すると、よだれを垂らしながら馬車の中に足を突っ込み獲物に鋭い爪を向ける。
周りで護衛と戦っていた他のボアウルフも、リーダーの遠吠えに応えて吠え、これでもかと牙を剝き出しにする。まるで今まで手を抜いていたのかと思われるくらいに、敵意と殺意を強めて戦い始めた。
馬車までの距離10メートル。
獲物に意識を向けている今なら、火炎系の魔法も使えるかもしれない。でも、毛皮はどうする?って、緊急事態にも拘わらず貧乏根性がフッと顔を覗ける。
火炎系魔法は最終手段と判断し、ナイフを抜きながら全速力で駆け出した俺の目に映ったのは、ボアウルフのリーダーが、もう一度馬車に体当たりする姿だった。
自分で倒して岩にぶつけたくせに、今度は車体を持ち上げるように体当たりするなんて、どんだけ力自慢なんだよと突っ込みながら走る。
馬車の車体が元通り真っ直ぐ戻ったのと同時に、俺は馬車の天井に飛び乗った。
俺とボアウルフの目が合い、火花を散らす。
ガタリ、ドスン!と音を立て、馬車のドアが外れて地面に落ちる。その瞬間、中から水が勢いよく噴出された。
……水魔法? 中に居たのは魔法使い?
それなら大丈夫かと思い掛けたが、ボアウルフのヤツは平然とした様子で同じ位置に立っていて、今まさに食さんとばかりに口から牙を覗かせていた。
そしてヤツが馬車の中に飛び込む寸前、俺は練習したての電撃魔法を放った。
アースドラゴンの変異種を倒した時は、詠唱して雷撃を放ったが、今回俺が放ったのは無詠唱でもできる電撃。
威力は雷撃の10分の1にも満たないから、軽くビリビリするのと驚くくらいだろう。
「ギャン!」と鳴いて後ろに飛び下がったボアウルフは、倒れることもなく頭を何度か振って、グーッ、グルーと呻きながら、俺に向かって思いっ切りの殺意を向けてきた。
どうやら水魔法で全身に水を浴びていたので、電撃の効力が上がっていたようだ。
俺はボアウルフを睨んだまま、馬車の天井から飛び降りる。
ボアウルフに視線と意識を集中したまま、後ろの馬車の中の人に「大丈夫ですか?」と声を掛ける。後ろからは「大したケガではない」と返事が返ってきた。
良かった。今は中の人を確認する余裕がない。
俺は左手で短剣を構えて、右手に魔力をもう一度集中させる。
……勝敗は一瞬で決まる。絶対に素材は活かしてやる!
ボアウルフは唸りながら一歩踏み出すが、少しふらついた。
俺は作戦を決行するため「やーっ!」と大声を出しながら剣を顔の前に突き出して、これから剣で攻撃するぞと脅す。
ボアウルフは口をピクリと動かし牙を覗かせると、高く飛び上がった。
……よし! 想定通りだ!
俺はジャンプしたボアウルフの腹に向かって、特大のエアーカッターを右手で放った。
残念ながら体を貫通して、体を真っ二つに……とはいかなかったが、一番弱い部分を攻撃され成すすべもなく、俺の眼前に着地すると大きく体が傾いた。
その一瞬を逃すはずもなく、俺は右手に持ち替えた短剣で、眉間を容赦なく突き刺した。
ドサリとボアウルフは倒れ、腹から大量の血が流れだしていく。
……いや~ッ! 俺の大事な毛皮が汚れるじゃん。
俺は自分の護衛……じゃなかった後方支援という仕事をすっかり忘れ、土魔法を使って少し穴を掘り血の流れを作った。ついでに血抜きも出来ないかなぁ。
「ありがとう。助かったよ」という声がして、俺は慌てて振り返った。
……しまった、仕事中だった!
振り返った先に見えたのは、馬車の中から出てきた美しい30代くらいのご婦人と、剣を構えた身形のいい40歳くらいの男性だった。
どうやら女性は頭を打ったようで、額から血を流しており顔面蒼白。男性も左腕にケガをして白いシャツが赤く染まっていた。
「やったぞー!」とか「最後の一頭だー!」という大声が20メートルくらい後方からして、残り一頭になったボアウルフを、5人の屈強な男たちが取り囲んでいた。
どうやらあちらも片付きそうだ。
よく見ると、3人が戦線離脱して土壁に背中を預けて座っている。ケガをしたのかもしれない。あれだけの数を相手にしたのだから、ケガ人が出ても何ら不思議ではない。
俺はもう一度身体強化を使って馬車の天井に飛び乗り、周辺の様子を確認する。何処かにまだボアウルフが居たら、気が緩んだ瞬間に狙われる。
「どうやら他には居ないようです。お怪我の方は大丈夫ですか? 薬ありますか?」
ひょいと飛び降りた俺は、如何にもお金持ちそうなご夫婦?に声を掛けた。
「ああ、大丈夫だ。護衛の者のケガはどうかね? 君は?」
「ケガ人は3人、戦い終わらないとはっきりしませんが、大ケガをしている様子はありません。俺……私はポルポル商団の見習いでアコルといいます。うちの商団は薬を扱っています」
手持ちの薬は多くないが、お金持ちに薬を売り込むチャンスだ。
「驚いた。こんな小さな少年がボアウルフを倒すとは……ん? 彼は商団の見習いと言ったかな? いや、でもあれ程の腕・・・でも10歳にも満たない容姿だ・・・どうして商団の見習いなんだ・・・う~ん」
威厳もあり、かなり偉い人だと思われる男性は、俺を見ながらブツブツと呟く。
「あの~、一応冒険者登録もしています。新人のFランク冒険者ですが」
「はぁ? Fランク冒険者? あれだけの攻撃魔法を使い、眉間を一突きできる君がFランク冒険者だって?」
……しまった!弱いフリを忘れてた。いや、でも母さんは、命の危険がある時は魔法や剣を使ってもいいって言ってたよな?
俺は「ええっと……」って誤魔化しながら、首に掛けていた冒険者カードを取り出して見せた。
男性はカードと俺の顔を何度も見て、「冒険者ギルドは何をしている」と低い声で怒りを滲ませた。
その時「やったぞー!討伐完了だ!」と数人の歓喜の勝どきが聞えた。
これはチャンスとばかりに、俺はまだカタカタと震えている様子の女性に近付き「もう大丈夫です。ケガの手当をしましょう」と声を掛けた。
そこからは、うちの商団も呼んで、ケガ人の手当てをしたり、ボアウルフの後始末をしたりと忙しかった。
俺はケガの手当の経験があるし、薬草を煎じるのも傷口に貼る湿布を作るのも得意だった。だからボアウルフの後始末は護衛の人に任せて、雑用係とケガの手当に回った。
なんと俺たちが助けたのは、コルランドル王国でも一、二を争う【モンブラン商会】の人たちで、主力商品の陶器を窯元から王都へと運ぶ途中だったそうだ。
しかも、俺が助けた馬車の中の二人は、【モンブラン商会】の商会長(会頭)とその奥様だった。
一番驚いていたのはポル団長で、大商会の会頭と縁を持てたことを喜んでいた。
もちろん大商会の御一行様だから、薬も常備していたしポーションも持っていたけど、ケガ人が多かったので、ポルポル商団の薬草や薬を市価の倍の値段で買い取ってくれた。
……さすが大商会の会頭。カッコイイ。早くケガが治るといいね。
問題になったのが、応援に駆け付けた俺とヘイドさんの取り分で、特に俺が倒した二頭のボアウルフの扱いで議論が始まってしまった。
そんなこんなで、既に夕暮れが迫っていたのもあり、今夜は直ぐ近くの川の休憩スペースでテントを張ることになった。
助けて貰ったお礼だと言って、冒険者だと思っていた魔術師の女性が、うちの商団の荷馬車とテントを、5メートルの土壁で囲ってくれることになった。かなり安全度が上がったので嬉しい。
「いや、だから、そもそもFランクっていうのがおかしいだろう!」
護衛の中でも一番強いBランク冒険者のタルトさんが、俺のカードを見て吠える。
30歳のタルトさんは、時々【モンブラン商会】の会頭の護衛をしているそうだ。
「まあ、それはそうなんだが、本人が報酬は一頭分だけでいいと言っているし、自分がボアウルフを倒したことを秘密にして欲しいって言うんだから、希望通りボアウルフのリーダーの毛皮だけ渡してやればいいだろう」
うちの商団のヘイドさんが、困り果てた顔をしてタルトさんを説得する。
「俺は坊主の戦う様子を見たかった」
「残念ねタルト兄さん。あたしは早く戦線離脱したから、チラッとだけ見たわよ。銀色の光がボアウルフの体を包んでいる場面をね。あれって、電撃魔法でしょう? B級魔術師の私でも、魔法陣がないと発動できないわね。ねえねえアコルくん、君、本当は公爵家の子息とかでしょう?」
土壁を作ってくれたB級魔術師のシフォンさん22歳が、俺の瞳をじっと覗き込んで問い質してきた。全然顔は似てないが、タルトさんとシフォンさんは兄妹だった。
この二人は伯爵家の人間だけど、側室の子供だから自活していた。なんでも側室になった母親が、【モンブラン商会】の関係者だったらしい。
「俺の両親はAランク冒険者なんです。それはもう超スパルタ教育で鍛えられたし、母は確か準男爵家の出だった気がします」
血は繋がってませんけど……という言葉を吞み込み、大商人になる為に、冒険者として目立たないよう言い訳してみる。
俺とヘイドさんは、護衛の代表として来ているタルト、シフォン兄妹と、河原で焚火を囲んで食後のお茶を飲みながら話し合っていた。
「でも、なんで商人見習いなんだ?」
「それは当然、俺の夢が大商人になることだからですよ。
冒険者はバイトです。
タルトさん、俺のことはもういいので、大なり小なり皆さんケガをしているのですから、早く休んでください。
シフォンさんは寝る前に薬を飲んでくださいね。魔獣に咬まれたら、3日間は念のために毒消しの薬を飲まねばなりません。
これから僕が煎じるので、絶対に飲んでくださいね!」
俺は腰に手を当て、ビシッと注意という名の指導をする。
「ああ、いつものアコルのお小言が始まった。これが始まると煩いぞ。俺はテントに戻るわ」
「ちょっとヘイドさん、お小言って何ですか? ヘイドさんも寝る前に軟膏を塗ってくださいね。忘れたら俺が塗りに行きますから」
「へいへい、分かってるよ。それじゃお休み」
「お疲れさんヘイド」
「お休みなさいヘイドさん」
ヘイドさんが席を立ったので、これ幸いと俺も腰を上げて、煎じる薬草を取りに荷馬車に向かった。
……よし、希望通りボアウルフの毛皮をゲットしたぜ! これで毛皮のポーチもどきのマジックバッグが作れるぞ。今度は手のひらサイズでいいや。
えへへと新しいマジックバッグ作りを想像しながら、俺は薬草を磨り潰す作業を開始した。
俺がタルトさんたちと話し合いをしていた同時刻、うちの商団のポル団長が、【モンブラン商会】の会頭から信じられない話を持ち掛けられていたと知るのは、翌朝のことだった。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。