332 激流(10)
このエリクサーを使っても、恐らくボンテンクの左目は元通りにはならないだろう。
それでも、左目以外に損傷があれば、この【再生の息吹】で治療はできる。
【再生の息吹】は、欠損した皮膚を再生し、骨の復元もできる。
外見のケガだけではなく、見えない部分の損傷にも有効なのだが、奇跡のポーションでも、再生できない部分はある。
貴重なエリクサーが1本しかなくても、俺はハイポーションを使ったりしないよ。
俺の従者を、俺の片腕を救うために使わなくて誰に使うんだ?
紫色の小瓶の蓋を開け、洗浄が終わったボンテンクの左目に、【再生の息吹】をぽたりぽたりと3滴だけ垂らす。
すると、もしかしたら脳にまで届いてるのではないかと思われた傷が、スーッと塞がっていった。
……やはり、瞳は再生できないか・・・
眼球があった場所は、白い皮膚のような柔らかい骨のようなモノで覆われており、奇跡的に損傷を免れた瞼を閉じると、眼球を失っているようには見えない。
体を少し起こして、残りのエリクサーは全て口から飲ませていく。
慎重に様子を診ていると、青白かった顔色が肌色に戻り始めた。
冷たくなっていた指先を握ると、少し体温が上がってきたように思える。
トーブル先輩が麻酔薬を使っているので、意識は暫く戻らないだろう。
「これで痛みも完全になくなればいいが・・・
トーブル先輩、出血の酷かった者が居ると聞いています。新しく作ったハイポーション【命の灯火】を持ってきました。
亀の変異種は、俺の夢を叶えてくれました」
俺はにっこりと笑って、マジックバッグから赤い小瓶を取り出し、トーブル先輩に差し出した。
「そ、それでは、増血作用のあるポーションが完成したのですか覇王さま!」
トーブル先輩は赤い小瓶を受け取ると、信じられないという顔をして小瓶をまじまじと見詰める。薬師部の先輩も、ガッツポーズをとっている。
「そうです先輩方。これは増血作用のあるハイポーション【命の灯火】で、もう一種類、造血作用のある【赤い奇跡】というポーションも完成しました。
それ以外にも、滋養強壮用のポーションと、魔力回復ポーションも完成しました」
俺は極上の笑顔で、嬉しい報告をする。
これで仲間を救う可能性が上がったと喜びながら、トーブル先輩は受け取ったポーションを、出血量の多かった覇王軍の新人に飲ませていく。
ショック状態にまでは至っていなかったらしく、これで回復してくれると信じたい。
「あっ、覇王様、トーブルくん、シールスが、シールスが目を覚ましました」
ボンテンク同様に青白い顔をして眠っていた覇王軍新人のシールスが目を覚ましたと、薬師部の先輩が声を上げた。
「あれ、私は死んだんじゃ・・・?」
背中に大きな火傷を負ったシールスは、きょろきょろと辺りを見回し、自分の顔を覗き込んでいる薬師部の先輩に、変な確認をする。
「シールス、トーブルくんが貴重なポーションで火傷を治してくれたんだ。
そして今、到着されたばかりの覇王様が、新しく開発した奇跡のポーションを届けてくださった」
「へえ? 覇王様?」
まるでまだ寝ぼけているかのような声を出しながら、シールスは視線を薬師部の先輩の後ろへと向ける。
そして、俺の姿を見付けて「ギャー、覇王様ー!」と叫んで飛び起きた。
今年の新人の中でも飛び切り元気なシールスは、1年生ながらも覇王軍メンバーに選ばれた学生だ。
ただちょっと覇王愛が強すぎて、俺と目が合うと挙動不審になってしまう困った奴だが、正義感は人一倍強い。
「シールス、まだ寝ていろ」と、俺は呆れながら命令した。
出動前にトーマス王子に持たせたポーションや薬も無事に届いているようだが、ケガ人の数が多いので、暫く医療班は大変だろう。
トーブル先輩には、休憩も兼ねて暫くボンテンクの様子をみてくれるよう頼んだ。
ボンテンクのことは気になるが、俺とエイトは覇王軍メンバー半分を連れ、街の見回りに行くことにする。ラリエスは本部で待機だ。
俺は被害のほぼなかった地区に3人を連れて向かい、エイトは被害の大きかった地区に5人を連れて向かう。
上空から被害状況は確認しているが、王都ラレストの中心にある貴族区域以外は、半分以上が被災を免れている。
特に、魔獣が通り抜けなかった東地区の高級住宅地は、ほぼ被害らしい被害は見受けられない。
東地区は、地方の貴族の別邸や、下級貴族・金持ちの商人の住居が多いから、偽王シーブルが潜伏している可能性が高い。
貴族屋敷だと思われる建物だけでも20以上あるので、探し出すより誘き出した方がいいだろう。
こういう時は、不確かな情報ほど早く伝わる。憶測が憶測を呼び、恐怖心を煽れば必ず動くはずだ。
もちろん、民が混乱するような情報は流さないよ。貴族だけが恐怖する特別な情報をばら撒くだけさ。
頼りのワートン公爵は虫の息だし、ワートン公爵の屋敷の者はトーマス王子が捕えているらしい。
ボンテンクたちを攻撃した貴族や、強盗まがいの下級貴族は、落とし穴つきかまくらに覇王軍が放り込んでいる。
……そうしておかないと、覇王軍を攻撃した貴族なんか、怒りに燃える住民に殴り殺されてしまう。
「さて諸君、作戦開始だ」
東地区の入り口で、俺は右手親指を立てて作戦開始を告げた。
「はい覇王様。お任せください。仲間の仇は必ずとります」
噂ばら撒き作戦のリーダーになったゲイルが、右手親指を下に向け、必ず仇をとると言って残りの2人と頷き合う。
それから1時間、ゲイルたちは東地区を4ブロックに分け、各ブロック毎に違う噂話をばら撒いていった。
その噂話の内容は以下の4つだ。
① もう直ぐコルランドル王国軍が、偽王を捕らえに来るらしい。
② 旧ワートン領は、既にコルランドル王国軍が制圧したらしい。
③ 偽王に味方した貴族たちは、爵位剥奪され処刑されるらしい。
④ 覇王軍を攻撃したので、覇王様はラレスト王国の貴族を血祭りにあげるそうだ。
正しいのは④だけで、あとの3つはらしいと曖昧にしてある。
この噂を聞いた気の弱い貴族や、我が身が可愛い貴族たちは、直ぐに逃げ出す準備を始めるだろう。
4つの噂を全て聞いた者は、旧ワートン領には逃げ込まない。
当然、コルランドル王国側にも逃げないから、逃げることが可能なのは隣国コッタリカ王国しか残っていない。
国境を見張れば、捕えるのは簡単だ。
逃げることを諦めた者は、「私はシーブル様に脅されたのです」とか「ワートン公爵に命令されて仕方なく」とか言い訳するに違いない。
投降するのは、貴族の地位を守ることだけを考えた愚か者だ。
この作戦の真の目的は、愚かな貴族たちを捕らえることではない。
ラレスト王国は、既に崩壊している、又は、コルランドル王国に攻め込まれて負けたのだと思わせることにある。
シーブルを捕らえるのはトーマス王子の仕事だったったけど、俺は売られた喧嘩を買った。
だから、コルランドル王国の裁きを受ける前に、覇王として俺が裁く。
コルランドル王国の大臣たちは、誰も戦争しようとしてなかったし、民を助けようともしてなかったから、文句なんて言わせない。
まあ、心ある大臣や王族もいたけど、今回国王は、偽王とワートン公爵を捕えることしか考えてない。
……俺が今まで、あれだけ民を助けろと言ってきたのに、結局被災者の救済なんて考えていない。
……がっかりを通り越して、鼻で笑ったね。
確かに俺はトーマス王子に、魔獣討伐専門部隊の10人を連れ、ラレスト王国に行けって命令したよ。
でもさ、俺は偽王を捕らえろなんて言ってないけど?
裏切り者を捕らえて国に戻ったら、それで任務完了?
何のために、一生懸命新しいポーションを作って持たせたと思っているんだ?
いつもお読みいただき、ありがとうございます。




