286 同時襲撃の恐怖(2)
◇◇ 学院長 側室フィナンシェ ◇◇
第一級警戒態勢が発令されてから、既に5時間が過ぎようとしています。
この発令は覇王様の命令で出されたものなので、安全が確認されるまでは決して解除されることはないはずです。
緊急時はうちの図書室が作戦本部になるので、魔獣討伐専門部隊の指揮官、部長教授や覇王軍関係者、王立高学院特別部隊関係者、執行部、警備隊責任者、一般軍大臣ハシム殿と指揮官、魔法省大臣トーマス王子と副指揮官などが待機しています。
王立高学院は中級地区最大の避難所なので、第二級警戒態勢に移行することを考慮し、避難民の受け入れ準備をしなければなりません。
王立高学院特別部隊の卒業生が所属する一般部の指導で、学生は発令後直ぐに仕事を開始し、30分で準備を終えました。
ところが、何も起こらなければすることがありません。
時間の経過とともに、学生たちの緊張感は薄れてきたようです。
だからと言って警戒態勢の最中、講義を再開することもきません。
「少し早いですが夕食にしましょう。学生を食堂に集合させてください。
今日の夕食は、緊急時対応食を用意してあります。できるだけ早く食べ終えさせてください」
「承知しました学院長」
覇王様の指示で学院に残った執行部部長のトゥーリス君が、真面目な表情で応えて図書室を出ていきます。
緊急時対応食とは、パンに肉と野菜を挟んだサンドイッチのことで、飲み物は各自で水を飲むか自分で用意したものを飲みます。
量は到底足りないけれど、こういう時に備えて学生には、各自で非常食を備えておくよう指示してあります。
第二級警戒態勢に入ったら、炊き出しはスープがメインになり、パンは中庭に設置されている石窯で焼く座布団パンのみになります。
危機管理指導講座で指導していた商学部や貴族部の学生を中心に食事班を作り、てきぱきと炊き出しを行ってくれるでしょう。
もちろん高学院で作る炊き出しは、パンもスープも有料です。
この学院に避難してくるのは、主に中級地区に住んでいる者や、中級地区で働く者なので、金銭的な負担はないでしょう。
下級地区に住んでいる者の避難所は何か所かありますが、中心となる場所は軍の演習場と初級学校です。
中級地区に近い者は、中級学校にも避難します。
下級地区は、軍の兵士と商業ギルド、各地区の世話役が中心になって救済活動をしますが、大規模に被災した場合は王立高学院特別部隊が指揮を執ります。
1月に行った避難訓練の成果は期待の6割程度でしたが、改善点を話し合い法整備もされました。
しかし、様々な準備を整えたとしても、時間の経過による緊張感の緩みだけは、どうしようもありません。
……これは新たな課題です。
この場に居る者は全員マジックバッグ持ちなので、飲食物の用意はしてあるでしょうけれど、作戦本部主要メンバーは図書室から移動できないので、食堂関係者が緊急時対応食を運んでくれます。
軽く夕食を終え、覇王様から頂いた魔術具水筒に入れたハーブティーを飲んでいると、妙な胸騒ぎがして私は席を立ちました。
急いで窓際まで行き夕焼けの空を見上げると、巨大な黒い物体が飛んでいるではありませんか。
「あれは何!」
嫌な予感が当たってしまったようで、私は身を乗り出すようにして叫んでしまいました。
私が声を上げたのとほぼ同時に、第二級警戒態勢の警鐘がけたたましく鳴り始めました。
皆が一斉に窓際まで走り寄り、外の様子を確認します。
「ブラックドラゴンだ。グレードラゴンの半分くらいの大きさで、背びれは銀色に輝き、目は4つ。そして翼は4枚・・・間違いない。
副指揮官、王都に設置した魔術具の使用許可を出す狼煙をあげろ!」
「承知しました!」
トーマス王子は、皆に聞かせるよう大きな声で説明し、直ぐ副指揮官に指示を出します。
そして視界から消えたブラックドラゴンを確認するため、図書館棟の屋上目指して駆け出します。
「警備隊は学院全ての門を開け、避難民の受けれを開始してください。
ミレーヌさん、王立高学院特別部隊の指揮をお願いします。
副学院長は、学院に残っている魔術具の起動準備を開始してください」
「承知しました」
私の指示を聞いたミレーヌさんと副学院長、警備隊の責任者が、急いで図書室を出ていきます。
「アトラ、覇王様に第一報をお伝えして」
『了解フィナンシェ。エクレア様の所に瞬間移動するね』
私の契約妖精アトラくんが、エクレア様から頂いた特別な魔石を握って瞬間移動していきます。
再び窓の外に視線を向け、王都に被害が出ていないか確認します。
……緊張の緩んだ王都民は、みな避難を開始したかしら?
……ちゃんと子供や女性や老人を優先して欲しいわ。
心配は尽きないけれど、私は学院長として学生や職員の指揮を執らねばなりません。
頼りの覇王軍は、半数が昼前にリドミウムの森に向け出動し、2時間前にはエイト君が率いる残り半数と、ノエルさんが率いる王立高学院特別部隊が、ワイコリーム領に向け出動しました。
ワイコリーム領は、かなりの被害が出ているようです。
ですが今回王都には、魔獣討伐専門部隊の半数が残っています。
「母上、ドラゴンの数は1頭ですが、アイツは口から炎を吐き攻撃しています。
現在、北門の下級地区に火の手が見えます。
もしかしたら覇王様の予見通り、北門には魔獣も来ているかも知れません」
トーマス王子と一緒に屋上に向かった息子のルフナが戻ってきて、厳しい顔をして現況を報告します。
覇王軍メンバーの中で王都に残ったのは、息子のルフナとサナへ侯爵子息のトゥーリス君だけです。
同時襲撃を懸念された覇王様が、この2人を王都に残してくださったのです。
たった2人でも魔獣討伐の指揮官として、その存在は心強いことでしょう。
トゥーリス君は一階にある覇王軍本部から、様々な人に指示を出しています。
逞しく成長した自慢の息子は、いざという時に学院を出て戦うため待機です。
「グレードラゴンを率いていないだけましだが、火災は厄介だ。北門の下級地区は住民の数は少ないが、あの辺りは木造住宅が半分くらいある。
それに住民は避難していて消火活動ができない。冒険者を応援に向かわせるしかないな」
私の隣で空を見上げていた冒険者ギルド連携部のダルトン代表は、冒険者ギルドに応援を頼むしかないと言い置き、正門前で待機している者に指示を出すため図書室を出ていかれました。
大演習場の方に視線を向けると、多くの住民が巨大地下壕に避難している姿が見えます。
中級地区の住民の多くは、教会の大聖堂崩壊を目撃しているので、ドラゴンの恐怖は身に染みているのです。
「もう日が暮れるというのに、ブラックドラゴンは夜でも活動するのかしら?」
私は恐怖で震える足をなんとか動かし、王宮が見える場所へと移動しながら、外の様子を注視しているハシム殿に声を掛けました。
「私の知る限りでは、昼間だけだったと思います。
ああ、嫌な予感というのは当たってしまうものですね。学院長、ブラックドラゴンが王宮の天守に降りたようです」
「覇王様の懸念通りですね。私はできるだけ照明を暗くするよう、各所に指示を出してきます」
弱気になりそうな自分を叱咤し、ハシム殿にそう告げた私は、背筋を伸ばして行動を開始します。
ブラックドラゴンが灯りに反応する可能性を考え、できることは全てやらねばなりません。
30分後、北門から魔獣が侵入したとの知らせが入り、再び緊張が走りました。
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