21 会頭の秘書見習い
それは、俺の部屋のドアに貼ってあったメモ書きだった。
「間違いない。アコルが言っていた通り、三階の窓を閉めるよう書かれている。それにしても、よくここまで知恵が回るなアコル。メモ書きがゴミ箱に捨てられていることまで【王立高学院事件簿】とやらに書かれていたのか?」
「ええ、でも、本の中の犯人はメモを捨てるところを目撃されましたが、きちんと証拠隠滅してました。でもニコラシカさんは自信過剰そうだったので・・・それに物凄い癖字でしょう? 先日お茶を出した時に机の上を覗いたら、あまりにも汚い字だったから覚えていたんです警備隊長」
どれだけ自信があったのか分からないけど、不利な証拠となるものの管理がずさん過ぎる。とことん期待を裏切らない人だと倒れたままのニコラシカさんを見て、違った意味で感心してしまう。
「なあアコル、よくそこまで完璧に【王立高学院事件簿】の内容を覚えているなぁ」
「とても面白い本だったので覚えていたんです。先輩方もいろいろ協力してくださって助かりました。ありがとうございます」
「いや、なんか楽しかったぞ。本と同じように進んでいく状況とか・・・ああそうか、アコルがそうなるようリードしてたんだな。はは、小さいくせに策士だなお前」
【王立高学院事件簿】を読んでいた二人の先輩が、笑いながら俺の頭を撫でてくれる。一緒に事件を解決したから連帯感が生まれたのかも。そうなら嬉しいな。
誰もニコラシカさんを介抱しようとしないけど、事件解決の道筋は見えてきたかな。お金が戻ってくればいいけど、そうでなければ根が深いかもしれない。
「それじゃあアコルは、最初から犯人がニコラシカだと分かっていたのか?」
「まあ……何となくです人事部長。ただニコラシカさんは、ずっと会頭の責任について声を大にして言及してましたから、本当の目的は私ではなく、私を本店に連れて来た会頭の責任追及ではないかと思いまして・・・」
「なるほど、では今回の事件は、会頭の失脚を狙った者により仕組まれたと、アコル、君はそう思っているんだな?」
腕組みをして、ギラリと瞳に力を入れた不動産部のマンデリン部長が俺に問う。
「あくまでも憶測ですマンデリン部長」
俺はそう言って意味深に微笑み「貴方は味方でしょうか?」っていう視線を向けた。
「う~ん、会頭が10歳の君を秘書見習いにすると仰った時は、中立派の私も正直心配になったが、ハッハッハ、さすが会頭だ。納得がいったよ。おもしろい。アコル、私の秘書見習いにならないか?」
マンデリン部長は、銀縁眼鏡をクイッと左手中指で上げ、嬉しそうに笑いながら不動産部で働くよう勧めてくれた。
「確かに、秘書見習いとは名ばかりの、お茶汲みで働かせるのは勿体ないですね部長」
同じ不動産部で働くマジョラムさんが、涙を拭きながら賛同する。
「ちょっと待て、君たちは何か誤解をしているのかも知れないが、アコルは見習いだが、会頭の秘書見習いとして本店に来た。アコルの直属の上司は会頭だ。
10歳にして商会員試験と一般昇格試験に合格している。会頭がただの子供を秘書見習いにするとでも思っていたのか?
アコルは今、本店で働く全員の名前と顔を覚えるために午前中はお茶汲みをしているが、午後からは、昇格試験の時に書いた【提言書】が45点を取ったので、その発表の準備を部屋でしている。
準備が終わり次第、アコルは会頭の秘書を目指し、会頭の執務室で働き始める」
俺を誘ってくれたマンデリン部長とマジョラムさんや先輩方に、人事部長が牽制するような視線を向けて説明した。
その直後「えええぇーっ!!!」と先輩方から驚きの声が上がった。
「えっ、そうなんですか?」って、つい声を出した俺は悪くないと思う。だって、会頭の秘書を目指すって話は聞いてなかった。
……おかしい、俺は大商人を目指しているのに秘書? う~ん、俺の将来のために、会頭の秘書見習いをしながら勉強をしろってことかなぁ・・・
ふと皆さんに視線を向けると、いろいろな感情の視線が向けられていた。
応援してくれる感じの視線もあれば、ライバルを見るような厳しい視線もある。がっかりした感じの視線を向けていたのは不動産部の二人だった。
「そうか、アコルなら会頭の秘書を目指しても大丈夫だろう。しっかり学び会頭をお支えしろ。これも何かの縁だ。困ったことがあれば私に言ってこい。力になってやろう」
「ありがとうございますマンデリン部長。とっても嬉しいです。もう少しの間ですがお茶汲みを頑張ります。私がブレンドしたお茶をお出ししてもよろしいですか?」
「ああ、もちろんだよ。ことの顛末を会頭に報告しに行くから、早速お茶を淹れてくれるかな? ダルトン様も御一緒されますよね?」
俺は笑顔で「承知しました」と応え、サブギルドマスターのダルトンさんは「そうしよう」とちょっと翳りのある表情で応えた。
……あれ? 何かあったのかな・・・
倒れたままのニコラシカさんは、警備部の方で研修棟に運び監視下に置くらしい。先輩方は其々の仕事場へと戻っていく。
俺はお茶を淹れるため、人事部長、不動産部長、警備隊長、ダルトンさんの後ろを付いていく。
会頭の執務室がある5階には、お茶を淹れるためのキッチンがあるので、使ってもいいか庶務課の御姉様にお伺いをたてるため、俺は3階で皆さんと別れた。
庶務課のベニエさんに会頭の執務室にお茶を出すと言ったら、俺の赤く腫れた頬を見て、何も言わず優しく頭を撫でてくれた。そして、お客様用のカップと商会員用のカップは違うからと、一緒に行って教えてくださることになった。
きっと難しい話になるだろうから、お茶は2回出そう。
初めのお茶は頭をスッキリさせるハーブティーにして、後で出すのは疲れが取れる薬草入りの少し甘めの茶葉にしよう。
◇◇ レイモンド会頭 ◇◇
「いらっしゃいませダルトン様。この組み合わせはどういう……?」
そろそろ盗難事件の報告が来るはずだと気を揉んでいた私は、報告に来たと思われるメンバーの中に、何故かモンブラン家代表のダルトン様が居たのでつい首を捻った。
「会頭、ダルトン様はアコルの買い物の証明のために、冒険者ギルドの代表でいらしてくださったんです」
警備隊長は明るい笑顔で答えて、ダルトン代表を上座に座るよう案内する。
とりあえずは時節の挨拶やら近況などを和やかに話し始めたが、目の前に座ったダルトン代表が、ただの使いでやって来るはずがない。
これ迄、年に一度の決算報告の時以外、本店に足を踏み入れることなどなかったのに、冒険者ギルドの人間として来たことに何かが隠されているのだろう。
そこに、いい香りのするハーブティーをワゴンに載せたアコルが入室してきた。
笑顔を作ってはいるが、その頬には明らかに殴られた痕がある。いったい誰が殴った? はっ!まさかダルトン代表はこのことで文句を言いに? いや、それは……それだけではないはずだ。
「このお茶は、ハーブティーと言われるもので、頭をスッキリさせる効能があります。薬師をしている母から教わったブレンドなので、問題なくお飲みいただけると思います。また暫くして次のお茶をお出ししますのでお声を掛けてください」
ポットからカップにお茶を注ぎながら、ハーブティーの説明をしたアコルは、きちんと頭を下げてから執務室を出ていった。
「さて、事件の結末は分かったが、何故アコルが犯人扱いされ、そして頬が腫れ上がるほどに殴られたのか説明願おう」
アコルが出ていって直ぐ、ダルトン代表はハーブティーを一口飲んだところで、不機嫌さを隠そうともせず警備隊長に問い質してきた。
その口調や様子から、伯爵でありモンブラン家の代表でもあり、また冒険者ギルドの副ギルドマスターでもあるダルトン代表は、アコルとは個人的に面識があり、かなり親しい間柄である可能性が高いと分かった。
凍るような低い声に警備隊長は姿勢を正し、言葉を選びながら事件の発端からきちんと説明を開始する。
「本店内での暴力行為、黙って見過ごすことはできんな」
「はい会頭。寮長も謝罪していましたが、止めなかった全員に処罰は必要です」
アコルが殴られた時の話になり、私は怒りを抑えながら見過ごせないことだと言い、マルク人事部長も監督する立場から処罰を求めた。
そして事件の説明は、アコルとニコラシカの論戦を中心に進んでいく。
「完全にアコルが先導しているな」
「はい、その通りですダルトン様。思い返せば空恐ろしいと感じる程の聡明さです。捜査方法や証拠集め、協力者作りに自白の誘導まで、それらを【王立高学院事件簿】という本から学んだと言っていましたが、その本からの知識だけとは到底思えません」
警備隊長は、事件解決までの進行を思い出し、アコルの子供らしからぬ言動の数々を伝えていく。
警備隊長のマカル42歳は、アコルが冒険者として凄腕だということは知っていたが、それ以外のことは何も知らなかった。だからその驚きは畏怖の念を抱くほどだった。
「そう言えばマルク人事部長は、アコルが【商会員試験】と【一般昇格試験】に合格していると言っていたが本当かね?」
「はいマンデリン部長、私が立ち会ったので間違いありません。
アコルは王立図書館で、コルランドル王国経済史を読むような子供です。
モンブラン商会に来たのは先月で、試しに【学卒見習い2年】に入れました。
入って直ぐに嫌がらせを受け、一ヶ月間、商会員寮の雑用係をさせられましたが、見事にやりきりました。
その様子をお知りになった会頭が、【商会員試験】を受けさせるよう指示されたのです。
当然のことながら、一ヶ月しか学んでいないアコルが、合格するとは思ってもいませんでした。
ところが、【商会員試験】はゴミ箱に捨ててあったノートを拾って勉強し合格。まさかと思って受けさせた【一般昇格試験】は、寮の先輩に頼まれて教科書に線を引く作業をして95点を取りました。
あれは……秀才と呼ぶべきか天才と呼ぶべきか迷うほどの逸材です」
「「なるほど」」と、マンデリン部長とダルトン代表の声が揃った。
「さすが【鬼の心眼持ち】と言われる会頭です」と納得したように警備隊長が頷く。
そして事件説明の終盤、警備隊長がアコルと妖精の話を出した途端、私は立ち上がって目を見開き、ごくりと唾を呑み込んだ。落ち着くために深呼吸をしてから、ゆっくり椅子に座り直し口を開いた。
「アコルを預かったポルポル商団の団長は、アコルの父親は平民だがAランク冒険者で、母親は王立高学院の魔術部を卒業した、同じくAランク冒険者だと言っていた。それにしても妖精とは……」
「このことが外に漏れると、教会も王宮も黙っていないでしょう。ダルトン様が脅しをかけてはくださいましたが、身の程知らずが居るかも知れません。今日の出来事は本店中、いや支店にも直ぐに伝わるでしょう。そして商会で働く多数が貴族家の出身なので、上位貴族に噂が広がるのは時間の問題かと思われます」
元王宮騎士団で働いていた警備隊長は、貴族や王族の遣り方を知っているので、心配そうに顔を歪めた。
「アコルが妖精と契約した件は、冒険者ギルドで対応する。アコルを守るために、会頭、アコルを俺に預けてくれないか? アコルは成人するまでにCランク冒険者になりたいと言っていたから、暫く冒険者として旅に出す。本人が本店におらず所在も分からなければ、王宮も教会も手は出せないだろう」
ダルトン代表は私に向かって、冒険者ギルドが介入してアコルを守ると言った。
「妖精との契約は、それほどの大事になることなのですか……」とマンデリン部長は、特異な存在であるアコルを思い心配そうに表情を曇らせた。そしてチラリと時計を見て、お客様との約束の時間がきたので失礼しますと礼をとって執務室を出ていった。
ダルトン代表は、残ったメンバーに視線を向け大きく息を吐くと、少し前屈みになって私に切り出した。
「ここからの話は国家機密事項が含まれる。会頭、アコルにも関係するので人選を頼む」と。
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