169 王族として(2)
◇◇ トーマス王子 ◇◇
目の前に現れたタイガーは、龍山で討伐したものより少し小さいが、あの時は他のメンバーと協力して討伐した。
口元に血が付いてるところを見ると、また誰かが犠牲になったのだろう。
空腹状態ではないので、いきなり飛び掛かってくる様子もないが、危機的状況であることに変わりない。
「おひとりで大丈夫ですか?」と、魔獣討伐専門部隊副指揮官のネルソンが後ろから声を掛けてきた。
私が王都から出る時は、これまでなら自分の前後左右を護衛が囲んでいた。
だが今は、私の前には誰もおらず、自らが戦うことを前提に質問されている。
後ろを振り向けば瞬時にタイガーに飛び掛かられてしまう。後ろを見せたら終わりだ。
緊張で喉がくっつき息が上手くできない。
なんとか唾を飲み込み、両手に魔力を集めていく。
使える攻撃魔法を幾つか考えて、動かないタイガーを睨んで攻撃方法を決めた。
攻撃しようと両手を前に出したタイミングと、タイガーが動き出すのは同時で、私は龍山で何度も使った氷の攻撃魔法を放った。
タイガーの毛皮は高く売れる!……という仲間の声が聞こえた気がして、出来るだけ火魔法を使わずに倒そうと氷を連射する。
高く飛び上がって攻撃を避けようとするが、魔力量の多い私は、タイガーの動きに合わせて攻撃を続けることができる。
「逃がしはしない!」と言いながら、ビシュビシュと尖った氷を次々に放てば、その中のいくつかがタイガーの腹と顔に命中した。
ギャウ!と声を上げたタイガーは、後ろに飛び下がり体を右に傾ける。
「今だやれ!」と、離れた場所からダイキリさんの声が聞こえてきた。
そうだ、ここからが肝心なんだ。完璧に仕留めなければ他の誰かがまた襲われる。
私は記憶の中のダイキリさんと同じように腰から剣を抜くと、ふらついているタイガーの首を目掛けて剣を突き刺した。
パーティーではいつもダイキリさんが剣で止めを刺し、魔獣の首を刎ねていた。
私の力では首を刎ねることはできないが、突き刺すことならできる。
両手に力を込めてグッと深く突き刺すが、タイガーは倒れない。
突き刺した剣を抜こうとして、私の体は宙を舞った。
何が起こったのか一瞬分からなかったが、どうやらタイガーに跳ね飛ばされたらしい。
剣を失い倒れた私は、このままではやられてしまうという恐怖心で、頭の中が真っ白になってしまった。
もう駄目だと思った時、ザシュと音がして、何かがドサリと倒れ振動が体に伝わった。
「首を狙うなら、首の太いタイガーは、横から前の部分を斬るのが正解だ。
刺しても時間が経過すれば死ぬだろうが、下手をすれば爪でやられる可能性がある。まあ、でもよくやった」
ぼんやりと体を起こし声のする方を見上げると、ダイキリさんが剣に付いた血を振り落としているところだった。
その後ろには、胴体から離れたタイガーの首が転がっていて、「助かった……」と心の中で呟き、フーッと大きく息を吐きだした。
「まだまだです。ダイキリさんのようにはいきませんでした。
もっと剣の腕を磨くか、止めを刺せる攻撃魔法を習得しなければなりません」
素直な気持ちで自分の非力を認め、「お見事でした」と笑顔で差し出されたネルソン副指揮官の手を、私は笑いながら取って立ち上がった。
以前の私であれば、自らが止めを刺せなかったことを認めたくない……とか、王子として恥ずかしい……とか、バカにされたのではないかと卑屈に考えていただろう。
だが、ダイキリさんはSランクの冒険者で、実力差があって当然なのだと、今なら謙虚な気持ちで認めることができる。
魔獣討伐は自分の力を誇示する場ではなく、魔獣を討伐するために連携し、確実に討伐することが大事なのだ。
町のあちらこちらから「ありがとう!」とか「タイガーが死んだぞー!」という声がする。
見上げると住民たちが窓から身を乗り出し、嬉しそうに手を振っている。
龍山で魔獣を討伐していた時は、誰かのために戦っているというより、稼ぐためとか経験を積むためという意識しかなかった。
でも、こうして誰かの役に立てたと思うと、満たされた気持ちで胸が熱くなる。
冒険者なら、魔獣の脅威から住民を守ることは当たり前だとアコルが言っていた。
そうか、普通の人間は魔獣と戦えないんだから、専門家である冒険者が戦うことは当然のことだったんだ。
それなのにこの国は、素人の魔術師や魔法師が威張って指揮を執り、魔獣を討伐したこともない大臣や指揮官が、当たり前のように現場を仕切っていた。
……高位貴族だったら指揮できると思って。・・・はは、確かに死ぬな。
冒険者だって怖いし死にたくはない。だけど戦えるから戦う。
戦えるから立ち向かう。戦うために鍛えて、仲間を信じて連携する。全ては守るために。
何故アコルが魔術師制度を改革したのか、分かっているつもりで、本当の意味を理解していなかった。
魔獣と戦えるのは、魔獣と戦う経験を積み、自分の弱さも欠点も分かっていて、連携することの大切さを知っている者だけなのだ。
貴族とか爵位なんて、魔獣の前では何の役にも立たない。
……アコルの原点が、冒険者の教えにあるという意味がようやく分かった。
……大臣や領主は、いや王族も含め、冒険者が当たり前に思っている、民を守るという基本的な思考が欠落している。
……私は何のために、王になりたかったのだろうか・・・
ようやく宿が見つかったのは、すっかり日が暮れてからだった。
その宿の一階部分は、魔獣に侵入され滅茶苦茶になっていたが、宿で働いていた者や宿泊していた客、逃げ込んで来た近くに住む住民たちによって、階段の途中に椅子や家具を使ってバリケードが作られており、魔獣が2階に上がることを防いでいた。
裏口に回ると、人がひとり登れる幅の梯子が2階の窓まで伸びていた。
既にいっぱいだから無理だと断られたが、全員分の水と少しだけ食料を提供するからと交渉し、なんとか宿に入れて貰えた。
ここで身分を振りかざすのは得策ではないとダイキリさんが言うので、王族や貴族であることは伝えていない。
3階は女性や子供や客が使っていて、廊下で寝泊まりしている者も大勢いた。
2階は主に男性や従業員が使っていて、大きくもない宿には、300人近い人間が避難していた。人口八千人の町に、三階建ての建物が沢山あるわけではない。
どの顔も疲れ果て、昨日の午後から水も飲めておらず、食事は二日前に食料が尽きていたという。
体調を崩している者もいるし、ケガをしている者もいる。
我々が王都から来た魔獣討伐専門部隊と冒険者の一行で、先程タイガーとウルフを4頭討伐したと言うと、2階の中部屋を借りることができた。
窓には内側から板が打ち付けられていて、懸命に魔獣の侵入を防いでいたのだと分かる。
ひたすら息を潜め、誰かが助けに来てくれるのを待っていたのだ。
……今日、我々が来なかったら、この町の生存者は半数になっていたかもしれない。いや、もっと厳しいだろう。
すっかり空になっていた水瓶に魔法で水を出し、病人や高齢者から順に水を飲ませていく。
客として泊まっていた下級貴族の準男爵が、俺は貴族なのだから、一番先に飲む権利があると騒ぎ立てた。
アコルに会う前なら、これがこの国の普通の貴族だと思っただろう。
しかし、魔法で水を出していたレイム公爵の側近が、高位貴族っぽい雰囲気を漂わせながら、「文句を言う奴に分ける水はない!」と一蹴したので、住民の我々に対する態度が軟化した。
問題だったのは食料の配分だ。
この町には七千人に近い生存者がいる。その全てに回せる食料などないし、この宿にいる300人分の食料さえない。
討伐したばかりのウルフを出せばいいと、自慢気にレイム公爵は副指揮官に命じたが、冒険者のダイキリさんが、青い顔をして慌てて待ったを掛けた。
「血抜きが済んでない生肉を焼くと、ウルフを呼び寄せてしまう可能性があるし、そもそも食べ難い。
肉を焼く匂いを他の住民に気付かれたら、空腹のあまり暴動さえ起こりかねないぞ!」
冒険者の常識や被災者の心理に思い至れないレイム公爵に、ダイキリさんは冷めた表情で注意した。
申し訳ないが、レイム公爵が今日倒した黒焦げのビッグロップと、王立高学院特別部隊が倒した魔獣の内、焼け焦げているものを3頭だけ、部屋の中でマジックバッグから選んで取りだした。
魔獣討伐専門部隊の4人が、廊下に持ち出し一口大に切り分けて、弱者から順に配っていく。
もしもアコルが討伐した魔獣を持たせてくれていなかったら、もしも今日この町に来なかったら……と思うと胸が苦しくなった。
……何故王子である私が、ヘイズ領にいかねばならないのだ!と、心の中でアコルに対して悪態をついていた自分が情けない。
「レイム領は大丈夫だろうか?」と、叔父であるレイム公爵がふと呟いた。
「この国に安全な場所などないというのが、覇王様の口癖です。
そして、魔獣の大氾濫は始まったばかりだと。
今のままでは、救える民の命は半分にも満たないだろう……とも仰ってました」
ネルソン副指揮官は、まるで噛み締めるようにゆっくりと言った。
そんなはずない! と、昨日までの私なら言っただろう。
いつもは強気のレイム公爵でさえ、ネルソン副指揮官に反論しない。いや、きっとできないんだろう。
たった10人の我々が来ただけで、この町の7千人近い民の命が繋げられる可能性が高くなった。
たった10人の鍛えられた魔獣討伐をできる者と、マジックバッグを持つ者がいれば、多くの民を助けられると、王宮で働く者や領主は分かっていない。
明らかに少ない肉の量だけど、何も口に入れてなかった避難者たちは、涙を流しながら感謝してくれた。
明日の活動のことを考えて、宿屋の主人からこの町の状況を確認する。
領主は男爵で、先月から領都に出掛けており戻ってきていないという。
自分の治める町がこの状態なのに、いったい何をしているのだろうか?
町の役場長は亡くなっており、生き残っている役場の関係者は少ないという。
「明日の朝、町に残っている魔獣を全て討伐します。
その後、役場の人間や世話役たちを集めてください。
この町で討伐したウルフと、王都から持ってきた魔獣20頭分を支給します。
明日中に領都に到着する予定なので、役人や冒険者に救済に来るよう指示を出しましょう」
冒険者の身分でここに居る私ではなく、魔獣討伐専門部隊の者だと名乗っているレイム公爵の側近の一人が、宿の主人や信用できそうな数人を集めて、明日の予定を伝えていく。
「冒険者は、最初の魔獣討伐で殆どが亡くなっています。
それに役人なんて、助けに来るとは思えません。まあ、期待もしてません。
こんなに荒れ果てた町に、商人が来てくれるとも思えません。
これからも魔獣が襲ってくるなら、他の場所に移動するしかないと、ここに居る皆は言っています。
食べるものが無ければ、ある場所に行くしか生きる道はありません」
宿の主人は、また魔獣が来るかと思うと、安心して暮らせないと言う。
そして助ける気があるなら、とっくに役人が来ているはずだが、あのヘイズ侯爵が助けてくれるとは思えないと、苦笑しながら皮肉を込めて言った。
「うちの領主は、覇王様からマジックバッグを買わなかったと聞いています。
だから、王立高学院特別部隊も来てくれない・・・王様や大臣たちは、本当にヘイズ侯爵が領民を助けると思っていたのでしょうか?
それとも、ヘイズ領の民は、死んでも構わないと思われているのでしょうか?」
この地区の世話役だと言う老人が、目に涙を浮かべて悔しそうに言った。
老人の息子は、野菜の種を売る商団で働いており、王都やサナへ領を回っているらしい。
息子から覇王便りのことを聞いていたという。
最初の魔獣の襲撃で、嫁と孫を魔獣に殺され、息子に合わせる顔が無いと涙を流した。
この町の住民は領主を信用していないし、役人なんて賄賂を渡さないと何もしてくれないと、世話役の老人が付け加えた。
「私が聞いた話では、ヘイズ領の救済をするのはワートン公爵だそうですよ。
ワートン公爵は国防大臣だし、西のワイコリーム公爵領は、領境の山にドラゴンが飛来する可能性があるとかで、領境を封鎖されるようです。
ワートン領なら、ライバンの森の魔獣も行かないでしょう」
アコルが言っていたように、本当に難民になりそうな住民たちに向かって、ネルソン副指揮官は自分に与えられた責務をきちんと果たして微笑んだ。
翌日、さっさと残りのウルフを討伐し、持ってきた魔獣の8割を救済品として役場の前に置き、もっと助けて欲しいと縋りついてくる住民を、断腸の思いで振り切り、怒りに体を震わせながら、領都へと馬車を走らせた。
そして領都ヘイズで、信じられない光景を目にする。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。




