159 ヘイズ領の魔獣
◇◇ ヘイズ侯爵領 ◇◇
「なんだと! お前は魔獣の変異種が、群を率いて領都に向かってくる可能性があると言うのか!」
ヘイズ侯爵は今日一番の大声で怒鳴った。
連日のように領都の屋敷に届けられる魔獣による被害は拡大するばかりで、これといった有効な手立ても取れないまま、ヘイズ侯爵は無為に時を過ごしていた。
彼がヘイズ領に留まっているのは、王城を襲った巨大な魔鳥を討伐しようとして失敗し、その責任追及から逃れるためであり、如何にして己の地位を守ればいいのか思案する時間を稼ぐためであった。
自領の魔獣の氾濫は、役人や冒険者や領軍に任せておけばいいと思っていたので、彼の頭の中では優先順位的に己の保身より低い問題でしかなかった。
ライバンの森から溢れ出た魔獣たちは、既に5つの村を全滅させ、つい昨日ヨイデという人口8,000人の町を半壊させていた。
報告された死者の数は500人をとっくに超えていたが、ヘイズ侯爵は貧しい村を救済する気なんて元からなかったし、まさか魔獣の氾濫が拡大していると気付いていなかった。
昨日冒険者ギルドヘイズ支部は、領主であるヘイズ侯爵に対し、これ以上の協力はできないと突っぱねた。
既に冒険者の半数が大ケガをしたり、亡くなったりしていたのだ。
役人も領都軍も全く役に立たず、むしろ威張って頓珍漢な命令をするので、犠牲者は増える一方だった。
冒険者ギルドが魔獣討伐を断ったと知ったヘイズ侯爵は、怒り心頭でギルマスを捕らえさせ、領都に残っていた冒険者全員に魔獣討伐へ向かうよう命令した。
当然冒険者ギルドは大混乱に陥り、サブギルマスはDランク以下の冒険者に、無駄死にする必要はないから隣のワイコリーム領に移動するよう命じた。
本来冒険者には住民を守る義務があったけど、領主の命令に従わねばならないという決まりなどなかった。
できるだけ協力はするけど、強制されて命を懸ける必要などない。
領主と良好な関係にあった訳でもなく、冒険者ギルドに対して資金提供もしていなかったヘイズ侯爵は、冒険者ギルドや冒険者たちから嫌われていた。
なにより領民の為に懸命に魔獣と戦った善意の冒険者を無能呼ばわりされ、これ以上協力できないとギルマスが判断するのは至極当然のことだった。
なのにヘイズ侯爵はギルマスを犯罪者扱いして拘束し、冒険者たちをまるで自分の私兵のような扱い方をした。
サブギルマスの行動は早かった。
昨日夕方には冒険者ギルドヘイズ支部を閉鎖したのだ。そして冒険者ギルド本部に助けを求めるため、今朝早く旅立っていた。
領都では魔獣が攻めてくる可能性があるとの噂が流れ、冒険者ギルドが閉鎖されたことで、主に商人たちがパニックになりかけていた。
一部の商人は国境沿いをワートン領へと向かい、ある商会はワイコリーム領へと荷馬車を向かわせ始めた。
「昨日本店から撤退命令が届きました。
我々はワイコリーム領へ向かうようにとの指示です。
必要最低限の物だけを持ち、家にしっかりカギをかけ家族全員を連れて店の前に集合してください。
魔獣の氾濫が治まったら帰ってくる予定ですが、暫く戻れない覚悟で大至急動いてください
ヘイズ領から撤退することを領主一族に知られぬよう、静かに慎重に行動するように」
モンブラン商会ヘイズ支店の支店長は、いつもの朝礼の挨拶で爆弾発言をした。
その表情は硬く、集められた従業員たちの顔色も悪い。
この国でトップを争う大商会が撤退すれば、他の商団や商店も追随するだろう。
例え領主の怒りを買ったとしても、従業員やその家族の命の方が大事だ。
「支店長、全員揃いました。荷物も荷馬車に積み込みました」
午前10時、副支店長は緊張感漂う声で報告し、通りの様子を用心深く窺う。
「分かった。皆で先に出発しなさい。私は警備部の者と戸口を施錠して、魔獣の侵入を防ぐ戸板を釘で打ち付けてから馬車で後を追う。くれぐれも気を付けろ」
「はい、承知しました。支店長もお急ぎください」と、副支店長は頭を下げ、総勢40人を率いて出発した。
支店長は、こういう事態を見越して届けられたマジックバッグに商品や備品を全て収納し、安堵するように大きな息を吐きだし、モンブラン商会の商会員でもある【覇王様】と会頭に感謝しながら、内ポケットに収めたマジックバッグを優しく撫でた。
そして商会の建物を見上げて、出入り口に鍵をかけた。
「おい! 何故この店は閉まっている? どうして板を打ち付けているんだ!」
大きな声で脅すように声を掛けてきたのは領主の次男だった。
この次男、領都では悪い噂しか耳にしない。
会頭から聞いた話では、王立高学院の魔法部に入学した次男カルタスは、問題行動を起こし、自主退学するところを特務部卒業に格下げし領都に戻ってきたらしい。
なんでも【覇王様】を恨んでいるらしく、領都に戻ってきてから覇王様と関係の深いモンブラン商会に嫌がらせをするようになった。
先日は店に置いてあった陶器のカップをわざと棚から落とし、弁償もせずに立ち去っていた。
「魔獣が近付いているという噂を聞いたので、店の中に侵入させないようにしたのです。
うちの商会は割れ物が多いですから。……買い物でしょうか?」
「フン! 気の小さい奴だ。領都に魔獣が来るはずがないであろう。
確かにモンブラン商会の商品は割れ物が多いな。あぁ・・・銀製品や魔石もあったか」
何故か次男はニヤニヤと不気味に笑い、部下というか取り巻きたちに、ひそひそと耳打ちを始めた。
明らかに悪だくみをしているのが分かる。
「この店は暫く休むのか? 夜はどうするつもりだ?」
「はい、3日くらい休む予定です。もしも魔獣が来たら物騒ですから、夜は警備も休ませます。だからこうして高級品を守っているのです」
領主も最低だが、息子はもっとクズのようだ。
立ち去ることを気取られないよう、商品はそのままであると偽装して正解だった。
うちの店の女子店員を、無理矢理連れ去ろうとしたとの報告も受けている。
品位の欠片もない領主一族が治めるヘイズ領など、未来があるとは思えない。
支店長は、まるで最後の別れでも告げるように店の建物をゆっくりと見回してから、警備担当者と経理担当者と共に馬車に乗り込んだ。
翌日の昼、次男からモンブラン商会の店の中には何もなかったと報告を受けたヘイズ侯爵は、ようやく領都民の動きに気付いたが、もう完全に手遅れだった。
持ち出せる財産を持って、領都民たちは勝手に避難を開始したのだ。
領都民の判断は正しいのだが、本来それは領主から出された命令や号令で始まるはずだった。
領都から脱出しようとしている住民に、慌てて移動制限をかけたが、取り締まるはずの警備隊が全く役に立たず流出を食い止めることはできなかった。
「領都を出ていった者は、再び戻って来ても決して入れるな!
どうしても入りたいと言うなら、平民は金貨3枚、冒険者は金貨10枚、商人からは金貨50枚を徴収しろ! 払わない者を領都民とは認めない」
ヘイズ侯爵に怒りをぶつけられている上級役人は、領地内の伯爵家や子爵家の者である。
彼らとて内心は自分が管理している領地が心配でならなかったが、そんなことを言おうものなら、爵位を剝奪される可能性もあるかもと考え、何も言い出すことはできなかった。
キリキリと痛む胃の辺りを押さえながら、皆は反論することなく会議に出席していた。
「報告します! 魔獣の群は、ヨイデの町を通り過ぎ真っ直ぐ領都に向かっています。次に通過するのはボイロ伯爵の領地かと……あと1日半で到達する予想です」
「な、なんだと・・・うちの領地? うちに魔獣は向かっているのか?」
戻って来た領民から金を徴収しろと命令されていた上級役人の一人が、早馬で報告しに来た危機管理担当者の報告を聞いて立ち上がった。
「領主様、お願いでございます。このままでは我が領民1万は全滅してしまいます。
どうか、どうか【覇王軍】と【魔獣討伐専門部隊】、【王立高学院特別部隊】に、救援要請を出してください」
ボイロ伯爵は領主の前で土下座し、どうか救援要請してくださいと懇願する。
ヘイズ侯爵は「考えておく」とだけ答えて、会議室を出ていった。
◇◇ ワイコリーム公爵 ◇◇
ヘイズ侯爵から救援要請が届いたのは昨日の夜だった。
王様は【覇王軍】と【王立高学院特別部隊】に出動要請し、【魔獣討伐専門部隊】に出動命令を出した。
しかし、【王立高学院特別部隊】の顧問であるハシム殿が、マジックバッグを買っていない領地に救援及び救済に行く時は、金貨400枚の前金を支払う約束なので、支払われなければ行かないと突っぱねた。
困った王様は、必ず後からヘイズ侯爵に払わせるからと言って、ハシム殿に支払いを渋った。
財務大臣であるレイム公爵は、王妃の年間予算金貨500枚から捻出すればいいと王様に進言した。
……相変わらず王様は、考え方が甘い。
……学生たちは命を懸けて行くのだ。遠足に行くのでも、遊びに行くのでもない。
今回【覇王軍】を率いてヘイズ領に向かうには、マギ公爵家のエイト君で、【王立高学院特別部隊】を率いるのは姉のミレーヌさんだ。
バタバタと混乱してまともな指揮を執れない国防省とは違い、学生たちの準備は万端で、【魔獣討伐専門部隊】と共に翌朝夜明けと同時に王都を出発した。
【魔獣討伐専門部隊】も慣れてきて、遠征の準備は万全だ。
医療班は王立高学院から外科医と薬師を一人ずつ、軍の医療班からは10人出す。
王都を出発して4時間、先発してヘイズ領に入ったはずの【魔獣討伐専門部隊】数名と冒険者5人が血相を変え戻ってきて、信じられない話を始めた。
「ヘイズ侯爵は、領都の南に在るボイロの町の4キロ手前から、魔獣の進行方向と思われる林や草原、そして村に火を放ち、北風を利用して燃え広がった火と煙で、魔獣の群をライバンの森に押し戻しているそうです。
既に多くの村が全滅し、途中の町が半壊していると聞きました。
ヘイズ侯爵は、半壊して生き残っている町の領民を・・・ぎ、犠牲にしてでも押し戻す作戦を決行するだろうと・・・」
先発していた【魔獣討伐専門部隊】の副指揮官ネルソンは、唇を嚙みしめ血を滲ませながら私の前で跪き、ヘイズ領の役人から聞いた話を報告する。
「はぁ? 村や町に火を放つ? 魔獣と戦うのではなく押し戻す?
それでは魔獣の大群を、ヘイズ領から王都に向かうように仕向けていると言うのか?」
いったいネルソンは何を言っているのだと眉を寄せたが、唇に滲んだ血を見て、これは冗談でも作り話でもないのだと愕然とする。そして怒りが込み上げてくる。
「魔獣の数と位置は?」とエイト君が冷ややかな声で訊いてきた。
「はい、領都に向かっていた魔獣の数は100頭を超えていて、ライバンの森からは止めどなく魔獣が溢れているそうです。
恐らく総数は200を軽く超えていると思われます。
現在の大群の位置は、既に襲撃を受けて半壊しているヨイデの町へ到達するのに約半日・・・という所まで押し戻されているようです」
副指揮官のネルソンは、報告後に歯を食いしばり両手を強く握りしめた。
……あり得ない。なんという愚策。民を事前に避難させることなく見殺しにするとは、領主の役目を何だと思っているんだ!
「半日・・・これから向かっても間に合わないな。
ハーッ、守るべき民が居ないなら【覇王軍】は今回の救援をお断りします」
「領主が意図的に民を魔獣に襲わせた町になど、怖くて【王立高学院特別部隊】も向かえません。
私たちの仕事はご遺体の処理ではなく、生きている方々を救うことです。
金貨400枚程度で受けられる仕事では、ああ、それさえも頂いてはいませんでした。
ヘイズ侯爵は、救済活動がなんなのかをご存じないのかもしれません」
エイト君とミレーヌさんは、互いに頷き合ってヘイズ領行きを断ってきた。
私だって行きたくはない。しかし、押し戻された魔獣が王都に向かうなら、食い止めねばならない。
「それならば、魔獣がヘイズ領を越え王都ダージリンに足を踏み入れたら、国王に代わり国務大臣として魔獣討伐を依頼したい。
我々だけでは、200頭の魔獣の討伐は難しい。どうか王都民を助けて欲しい」
私は真剣な視線を二人に向け、新たな提案をする。
……腹をくくろう。ヘイズ領は無視して、魔獣の討伐に専念するのだ。
「隊員たちと相談させてください」と、姉弟の声が揃う。
事情を話し始めた二人に、学生たちからヘイズ侯爵に対する怒りの声が上がる。
様々な被災地を実際に救済してきた学生たちだから、ヘイズ侯爵の愚かさが分かるのだろう。
貧しい領民を見殺しにしたデミル公爵も、作為的に領民を犠牲にしようとしているヘイズ侯爵も、領主として失格だと学生の意見が一致した。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。




