150 新たな魔獣の氾濫(3)
今日から3月、春先とはいえ暁方のサーシム領はまだ寒く、澄んだ空気を背伸びとともに吸い込み、ゆっくりと吐き出してから、俺は朝食の準備に取り掛かる。
俺たちがかまくらを作ったのは南門の城壁の外で、4人が余裕で使える大きさだった。
外の様子さえ分かればいいので、窓は細長く小さくした。
マジックバッグから、遠征用の小物や生活必需品が収めてある棚を全員が置いても、余裕で布団を敷くこともできた。
土魔法を使っているから、出入り口や窓の大きさは、状況によってどうにでも変えられる。寝る時は出入口を塞いでおく。
戦いが始まったら、魔獣を通さないよう門は閉められたままになる。
だから俺たちのかまくらは、戦闘開始後はケガ人の救護所になる。
ちょうどスープが温まった頃に3人は目覚めたようで、棚をマジックバッグに収納し、キョロキョロ辺りを警戒しながらかまくらを出て、カマドの前に集まってきた。
「今のことろ静かだな」と、ゲイルは全員分のスープを椀に注ぎながら言う。
「アコル様に食事の支度をさせて申し訳ありません」と恐縮しながら、ラリエスはゲイルからスープを受け取る。
「アコル様のマジックバッグには、どれくらいスープのストックが入っているのですか?」
出来上がった肉入りスープの鍋を覗き込み、トーブル先輩が不思議そうな顔で質問した。
「今回は、学院の食堂で働く皆さんが頑張ってくれて、20人分の鍋が2つ、40人分の鍋が3つほど温めればいい状態で入ってるよ。
切ってある素材は50人分くらいかな。救済活動に行く【王立高学院特別部隊】用にも、事前に200人分の下ごしらえをした素材を用意して貰ってる」
そう説明して、如何なる時も食べれる時に食べておく主義の俺は、緊張している様子の皆に、王都で買った美味しいパンを配っていく。
ラリエスやトーブル先輩は、兵が食べるような非常食や携行食を食べるのは難しいだろう。
だから戦いの前や大変な時こそ、美味しい食事を提供しようと思っている。
「しかし、昨日の領主の甥には、疲れましたね」
食べ終わったところで、トーブル先輩が本当に疲れたという顔をして溜息を吐き、ラリエスも同じように苦笑する。
昨日冒険者ギルドを出た俺たちは、ギルマス、ラファエル指揮官と一緒に南門と東門の様子を見に行った。
先に東門を見て、明日は【魔獣討伐専門部隊】に東門を任せると決めた。
南門には夕日が沈む前になんとか到着し、俺たちは門番から南に広がる緩衝地の説明を受けていた。
リドミウムの森に面した南側は、城壁から500メートルくらい先まで、獣や魔獣が身を潜めることができないよう、背の高い木や草を植えることが禁止されているとのこと。
そして緩衝地の直ぐ後ろは小高い丘になっていて、もしも魔獣が領都に近付けば容易に目視でき、距離も測れるそうだ。
500年前の魔獣の氾濫を教訓に、当時の領主が緩衝地と丘を作ったらしい。
素晴らしい領主だと感心していたら、現在の領主であり建設大臣でもあるサーシム侯爵とその甥がやって来た。
よくぞ救援に来てくださいましたと頭を下げ、既に万全の対策を考え、住民には家から出るなと伝えてあるので、ゆっくり我が屋敷に滞在して欲しいと笑顔で言われた。
サーシム侯爵50歳は覇王講座を受講しておらず、先月は確かレイム領と隣国ホバーロフ王国との国境で、検問所の改修工事の指揮を執っていたと聞いている。
「いえ、【王立高学院特別部隊】も【覇王軍】も、被災地で領主の屋敷に滞在することはありません。
それに、明日の備えが全くできていない現状で、のんびりしている時間などないと思うのですが?
もしかしてサーシム侯爵は、城壁があれば魔獣は何もせずに通り過ぎてくれるなどと、絵空事を信じていらっしゃる訳ではないでしょう?
高さの足りない南門など、ウルフ系の魔獣やタイガーなどの魔獣は、軽く越えて侵入しますよ」
「な、なんだと! いい加減なことを言うな!」
俺の話が信じられなかったのか、領主の甥が俺に向かって文句を言った。
「無礼者! 覇王様の御前で跪きもせず、中級魔獣さえ倒せない者が、Sランク冒険者である覇王様の忠告に異議を唱え、あまつさえその言動・・・サーシム侯爵家は、覇王様に反意がおありのようだ」
俺の前にずいっと出てきたラリエスが、我慢の限界だと言わんばかりの表情で領主と甥を睨み付けた。
サーシム侯爵は瞬時に青ざめ、「申し訳ありません」と跪いたが、甥は「学生の分際で」とラリエスを睨み返した。
「これでも私は王族で王の甥だが、侯爵の甥というのは、王族の私やワイコリーム公爵家嫡男であるラリエス君よりも偉いらしい。
覇王様が滞在される間、再びその顔を出すことがあれば、この私が王族として不敬罪に問う!」
ラリエスだけじゃなく、トーブル先輩もキレた。
ずっと自領に住んでいて、外の世界を知らない伯爵家の子息は、領主代行という役職を与えられたことで、実際の身分はそれ程高くないというのに、誰よりも偉いと思い上がっていた。
確かにサーシム領内では、自分より格上の王族や公爵家の嫡男に会う機会もないだろう。
「この馬鹿者が! 本当に申し訳ございません。
サーシム侯爵家は、決して覇王様や王家、そしてワイコリーム公爵家に反意など抱いておりません。誰かこの無礼者を屋敷に閉じ込めておけ!」
サーシム侯爵は甥を大声で叱咤し、側近に甥を屋敷に閉じ込めろと命じ、深く頭を下げて謝罪した。
……甘いな。あんたの甘やかしで、サーシム領に住む多くの者が危険に晒されているのに、全く分かっていない。
「明日、我々と【魔獣討伐専門部隊】と冒険者たちは、目の前の緩衝地で魔獣の大群と戦います。
ここで食い止めることができなければ、壁の中の住民の半数が生き残れるかどうか・・・
領軍と侯爵家の騎士や魔術師は、全て北側に配置してください。
自領の民を守るのは領主の務めです。
我々の務めは、少しでも多くの魔獣を倒すこと。お間違えなきよう」
俺は軽い覇気を放ちながら、サーシム侯爵に己の役割を念押しした。
「そういえば、ルフナ王子もエイトも姉のミレーヌ様も、サーシム侯爵令嬢のシャルミンさん(貴族部3年)が嫌いだった。この親にして……って感じだな」
ラリエスが食後のお茶を飲みながら、領主家の者としてあり得ないと呆れ顔で言う。
いやー、凄く安物のカップだけど、ラリエスが使うと何故か高級品に見えるな。
こんな時でもこんな場所でも、姿勢正しく貴公子振りは健在だった。
「私も苦手だよ。時々クッキーとかくれて、王宮で暮らすのも素敵ですわねって、上目遣いで微笑まれるんだけど、怖くて何も返事ができない」
「ええぇーっ!」って俺とラリエスとゲイルの声が揃った。
「それって、完全にトーブル先輩の嫁を狙ってますよね?」とゲイルが微妙な顔をして、同情した視線をトーブル先輩に向ける。
「全力で逃げましょうトーブル先輩」とラリエスが、トーブル先輩の両手を握って真剣な表情で言う。
確か俺も入学当時、「平民の分際でわたくしの前を歩くなんて」とか「【麗しの三騎士】に取り入るなんてあさましい」って蔑まれた記憶がある。ラリエスが怒るから、言わないけど。
食後トーブル先輩は、かまくらの中に簡単な治療道具や薬草を並べる棚を出し、昨日冒険者ギルドで入手した薬草の仕分けを始める。
ラリエスは、かまくらの前方10メートルの位置に、高さ3メートル、幅20メートルの防御壁を作り、皆の退避場所や休憩所にする。
ゲイルは身体強化で遠目が利く特異体質だから、城壁の上で見張りをして、少しでも魔獣の姿が見えたら大声で知らせてくれる。
空が明るくなり始め、日の出の時間が迫ってきた。
薄雲はゆっくりと流れ、鳥のさえずりが聞こえてくる。美しい朝焼けだ。
南門が開いて、ギルマスを先頭に緊張した顔の冒険者たちが外に出てくる。
Cランク以上の冒険者の半数20人は、西門の前に配置してある。
冒険者の後ろには、サーシム侯爵と護衛と思われる一行の姿が見える。
戦いに挑むような装備をしていないので、挨拶だけしに来たのだろう。
……残念だが、サーシム領の領主は、自ら戦おうという気概もなければ、その必要などないと思っているようだ。
カマドの火は落とさずに、俺はまだ半分以上残っているスープ鍋だけマジックバッグに収納し、薬草を煎じるため別の鍋で湯を沸かしていく。
俺から挨拶に出向く必要はないから、この場に整列するのを待ってから挨拶を受けよう。
「おはようございます覇王様。食料や薬剤は昼までに揃えて、門番詰め所に届けておきます。他に必要な物がございますか?」
昨日の覇気が利いたのか、今朝は始めから低姿勢なサーシム侯爵である。
「おはようございますサーシム侯爵、戦いが明日まで続く可能性がありますので、篝火用の薪を大量に用意しておいてください。
それから、今日中に追加の【覇王軍】メンバーが到着すると思います。全員を南門まで連れてきてください」
「おお、他にも援軍が来てくれると? して、人数はどのくらいでしょうか?」
サーシム侯爵は援軍が来ると思い、嬉しそうに人数を訊いてきた。
「人数は4人ですね。
何せ覇王軍は出来たばかりで、財務担当2人と、医療チームの2人を入れて15人しかいません。
魔獣に対応できる人数は少ないので、これ以上の人員を出すと、他の被災地に向かうことができなくなります」
たった4人? という心の声が顔に出てるけど、これでも最大限の戦力を用意したつもりだ。
どうやら覇王講座の受講者から、覇王軍の魔法攻撃について、きちんと報告を受けていないようだ。
しかも4人の内の1人は、レイトル第四王子22歳である。
これからサーシム領を背負って立つ予定らしいから、魔獣について学ぶ絶好のチャンスを逃すのはもったいない。
しっかりと魔獣討伐の経験を積んで、戦いを指揮できる領主に、領民を無駄死にさせない領主になっていただこう。
「分かりました。西門の警備隊に伝えておきます。それでは北側の様子を見に行きますので、失礼いたします」
そろそろ魔獣が来る頃だなという冒険者の声が耳に入ったようで、サーシム侯爵は逃げるように挨拶をして南門に戻っていく。
まあ、最低限の備えをして、領民を家の中に避難させているだけでもましだ。
本当なら女性や子供などの弱者は、内側の城壁の中に避難させるべきだけど、それをしない……いや、それを決断できない領主は無能だ。
腐った貴族の体質と、古い考え方のままだからサーシム領は発展できない。
「覇王様、魔獣が現れました。視界に入る丘の全てを埋め尽くしています。数は、目視できるだけでも200を越えています!」
サーシム侯爵が南門の扉の前まで戻った時、見張りをしていたゲイルが城壁の上から大声で叫んだ。
魔獣の出現とその数を聞いた冒険者たちが、ザワリと色めき立つ。
200を越えているとは、聞いていた数よりも多いが、まあ予想の範疇だ。
直ぐにギルマスがやって来て、冒険者たちも俺の前に整列していく。
サーシム侯爵は門を開けて中に入ると、直ぐに城壁の上に登り、ゲイルの言葉が真実かどうかを確かめようとする。
逆にゲイルは見張りを終え、城壁の上に残したサブギルマスに見張り役を任せて、門番にしっかり閉めておけと指示を出し門から外に出てきた。
朝日がティー山脈から顔を出し、見つめる先の丘を照らし始める。
まだ柔らかい太陽の光を浴びて、丘の上に見えたのは、ずらりと横に並んだ魔獣たちの姿だった。
どうやら敵は、一気に攻め込んでくるつもりらしい。
「なんだこれは! こんなこと・・・私は聞いていないぞ!」
動揺し、慌てふためくサーシム侯爵は、階段を転げ落ちそうになりながら馬車に乗り込むと、急いで北側に向かっていった。
「アコル様、群れの中に、飛び抜けて大きな個体が見えました。
前に並んでいる中に2、後方に3です。後方に控えていたうちの一頭は、ビッグベアーだと思います。
小型の獣や魔獣の姿が見えないので、恐らく食料になったものと思われます」
ゲイルは俺の前まで走ってきて、ギルマスにも聞こえるように報告した。
俺の前に並んでいる冒険者たちの顔色は悪い。
『ああ、これは死ぬな』って考えているのが分かる。
冒険者の仕事は、魔獣を討伐したり薬草などの素材を採取したりがメインだけど、魔獣や災害から住民を守ることも含まれている。
それを当然の仕事だと考えているから、目の前にいる冒険者たちは、命を懸けてここにいるのだ。
けれど、初心者やランクの低い冒険者まで魔獣討伐に駆り出すことはしない。
彼ら彼女らの仕事は、住民の誘導や上からの指示に従い、買い出しに走ったり救護活動が主となる。
……さてと、皆の士気を鼓舞し、必ず生き残ってやると思わせる策となると……あれだな。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
誤字報告ありがとうございます。助かります。




