13 アコルの扱い
王都広しと言えど5階建ての建物は少ない。
中級地区にあるモンブラン商会本店5階にある会頭の執務室からは、王城をはじめ中級地区がよく見渡せた。
レイモンド会頭の目線よりも高い位置に見えるのは、教会の大聖堂と王城だけであり、同じ目線にはライバルであるフロランタン商会の建物が見えた。
「それで、一週間経過した彼の様子はどうだねマルク?」
「はい会頭。仰せの通り【学卒見習い2年】の教室に入れました。同じ教室の見習いたちから早速手厳しい洗礼を受けたようです」
人事の責任者であり、新人教育も兼ねているマルク35歳は、アコルの様子を報告していく。
同じ【学卒見習い2年】から、1人で商会員寮の雑用係を1ヶ月間するように要求され、寮長も了解したことで現在雑用係をしているのだと。
授業態度は可もなく不可もなく、不正解を言うこともないが正解しても勘で当てたとか、そんな気がしたと答える不思議な見習いだと、教師役の商会員が首を捻っていたと伝えた。
「今のところ音を上げてはいませんが、10歳になったばかりの子供が、到底ひと月も持つとは思えません。ですが、泣いて仕事を放りださないだけ根性はあるようです」
クスクスと笑いながら話すのは、アコルがモンブラン商会に移る切っ掛けになった、ボアウルフの襲撃の時に一緒に同行していたセージ23歳である。
マルクもセージも、アコルが心の読めない【曲者タイプ】と判断した者だった。
「会頭は何故、彼をそこまで気になさるのですか?」
「セージ、それは私の心眼が、彼から目が離せなかったからだよ」
「えっ、会頭の目には、彼が特別な存在に映ったんですか?」
「2人には言ってなかったが、ボアウルフに襲われた時、私とオリービアを助けてくれたのはアコルだよ。土壁の中に避難していた、君の前に落ちてきたボアウルフの首を落としたのもアコルだ。
彼は僅か10歳にして、電撃魔法を放ち、エアーカッターで飛び上がったボアウルフの腹を裂き、そして戸惑うことなく短剣で眉間にとどめを刺した。
その動きには一切の無駄はなく、Bランク冒険者のタルトとB級魔術師のシフォンを以てしても、同じことは出来ないと言わしめた程だ。
彼の魔力量は80を超えているはずなのに、Fランク冒険者だそうだ」
レイモンド会頭は、あの時のことを思い出しながら口元を緩めた。
「はっ? 会頭の馬車の前に倒れていたボアウルフを倒したのがアコル? とても信じられません。それが本当なら、何故彼は商団の見習いなんかしていたのですか?」
モンブラン商会の生命線である、白磁の責任者に抜擢されていた若きエリート幹部のセージは、信じられない話に何度も首を横に振る。
「そこが面白いんだ。アコルは大商人になりたいらしい。あれだけの実力をFランクだと偽ってでも、商人を目指している。冒険者はバイトに過ぎないとね」
キラキラと瞳を輝かせながら、レイモンド会頭は楽しそうに語る。
「会頭、今、とんでもないことを仰いましたよね。魔力量が80を超えている? そんな子供、王族くらいしか居ないですよ。冗談でしょう?」
「冗談? 私はね、彼の中に王の気を見たんだ。きっと彼は、来年高学院の受験をしたら合格するだろう。まだ10歳なのが残念だよ。どんなに早くても、高学院は13歳からでないと受験できないからね」
まるで自分の子供の自慢話をする親のように微笑みながら、レイモンド会頭はアコルを王の気を持つ者だと話した。
だが、いくら敬愛する会頭の言葉でも、それを素直に受け止められるほど、マルクもセージも頭が柔らかくなかった。
そしてアコルがモンブラン商会に来てひと月が経過しようとしていた。
再び会頭の執務室に呼び出されたマルクとセージは、指示通りに調べたことを報告していた。
「今ではすっかり、商会員たちから信用を得ています。アコルは商会員たちの要望を嫌がることなく笑顔で対応し、そして全てこなしています。
調べてみると、茶葉は自分で厳選したものを選び、筋肉痛の商会員のために湿布を作り、買い物も依頼されたもの以上の品物を揃えて喜ばれていました。
ポルポル商団や冒険者ギルドでも買い物をしていたようで、一部はアコルが身銭を切っていました。もちろん、渡された金銭の範囲を超える買い物はしていません。
渡された金額の中で考え工夫している姿は、既に見習いとは思えません。
まあ、あれだけ骨身を惜しまず期待に応えていれば、信用を得るのも可愛がられるのも頷けます」
マルクはあれから定期的にアコルの様子を監視し、商会員たちから沢山の話を聞きだしていた。
あれだけ完璧に雑用係をこなす見習いを、これまで見たことも聞いたこともなかったので、同じ学卒見習いから高学院に進学し、幹部候補として働く優秀なマルクには、とても大きな衝撃だった。
「私はアコルの魔力と知力について調べました。
こっそりアコルの視界に入らぬよう観察したのですが、洗濯は水魔法を上手くコントロールして行い、風のない日は風魔法を使って乾燥させていました。
アコルの知恵に驚かされたのは、雑用係の部屋に貼られた紙です。アコルは商会員をプラス要素で評価し、商会員の意識を変えたのです。
そして先日の休みの日、アコルは王立図書館に出掛けました。
私は気配を消し、何を読んでいるのかこっそり覗くと、コルランドル王国経済史(Ⅲ)という本でした。
まさかと思い、同じ本の(Ⅰ)と(Ⅱ)の貸出記録を見ると、アコルの名がありました。
たまたま王立図書館の司書が私の学友で、アコルのことを尋ねると、アコルがこれまで読んだ本について教えてくれました。友人によると、10歳くらいの子供が王立図書館に来館すること自体が珍しいので、アコルは司書仲間からも注目されていました。
偶然にも友人が、そんな難しい本の内容が分かるのかと質問したことがあったそうです。するとアコルは言い淀むことなく、本の内容の一部を抜粋して語り、まるで読んだ本の内容を暗記しているようだったと驚いていました。
それが真実なら、会頭が仰った高学院の試験に合格する話も理解できます。
寧ろ、既に高学院の学生より詳しい知識を持っているのではと考えます」
王立高学院の貴族部(3年間)を首席で卒業した伯爵家次男のセージは、学ばない人間が嫌いだった。頭が良ければそれに越したことはないが、チャンスがあるのに学ぶことを厭う者とは、全くそりが合わないので友人になることもなかった。
だから貴重な休日にお金を払ってでも図書館で本を読もうとするアコルの姿に、セージはすっかり魅せられ応援してやりたいと思うようになっていた。
「ほう、それで、君たちはアコルのこれからを、どうすべきだと思うかね?」
アコルが普通の子供ではないと気付いた2人に、レイモンド会頭は質問した。
「「 商会員試験を受けさせましょう 」」と、2人の声が揃った。
「それからどうする? 合格してもアコルは10歳だから商会員にはなれないぞ」
レイモンド会頭は執務机に両肘をつき手を組んで、面白くなってきたぞという表情で、自分の側近中の側近である2人に、新たな課題を与える。
暫く真剣に考えていたが、なかなか妙案が浮かばない。
15歳の成人までは、商会員にはなれないと商業ギルドで決められているのだ。
せめて13歳であれば商業ギルドに登録し、一人の商人として商売を始めることはできる。あくまでも組織ではなく個人レベルだが、モンブラン商会の下請けのような形で雇うことは可能になる。
「このまま見習いをさせておくことは、アコルにとってマイナスですが、商会にとってもマイナスです。せめて支店で事務仕事をさせるとか・・・」
「いいえマルクさん、いっそのこと会頭の秘書見習いはどうでしょう? 秘書見習いであれば、会頭の仕事や商会の仕事全般を学ぶことができますし、会頭が地方へ行かれる時も同行できます」
「それはいい!見習いであることに変わりないから多少の文句が出ても、他の者には会頭専用のお茶くみ兼、雑用係としか思えないでしょう。それに冒険者としても優秀なら、護衛の任務もこなせます」
セージの意見に賛同しながら、護衛もできるぞとマルクは嬉しそうに頷く。
マルクにとって会頭は、何よりも優先して守るべき存在である。
白磁の開発に成功してから、会頭の仕事量は倍増した。会頭の健康を考え、少しでも激務を解消する方法はないものかと思案していたのだ。
会頭が信用する自分とセージには、既に重要な仕事が割り振られていて、会頭の仕事を手伝う余裕がない。
かと言って、次期会頭候補の幹部たちの誰かを、会頭の秘書や片腕として配置すると、その者が次期会頭になると誤解されてしまう。次期会頭争いが激化し、派閥ができて分裂する事態は避けねばならない。
そう考えると、誰がどう考えてもアコルは次期会頭候補にはなり得ない。そもそもアコルは、自分で商会を興す大商人を目指している。
「アコルは独立を目指す商会員になるだろうから、モンブラン商会の傘下、又は協力商会になることは間違いない。目指しているのは薬を扱う商会だ。モンブラン商会が手を出していない分野だから、互いに損はない。しっかり学ばせてみるか」
会頭はそう言うと満面の笑みで立ち上がった。
アコルを自分の手元で育てていくと決心したからには、少しも待つ気はなかった。
明日にでもアコルに商会員試験を受けさせ、ついでに昇格試験も受けさせようと思い付いた。
明日の午後は、3年目の商会員全員が昇格試験を受けるため、王都勤務の者も国内全ての支店勤務の者も、支店の会議室に集まってくる。
もちろん、一般商会員と高学院を卒業した幹部候補商会員では、試験内容は全く違う。幹部候補の試験には外国語なども含まれてるので、アコルが受けるとしたら一般商会員の昇格試験になる。
「明日の昇格試験は無理だろうか?」
「会頭、いくらアコルが聡明でも、昇格試験は商会員として働き始めてから学ぶ内容が半分入っています。国内に在る各支店の特徴、他商会の取り扱い商品、貴族との接し方、安全な輸送方法など、全く学んでいない内容です」
明日の昇格試験の試験官をすることになっているマルクは、さすがに無理だろうと難色を示した。
「そうですね。商会員になってから学ぶ内容は、年に2回渡される教本から出題されます。教本を見たことがなければ分からないでしょう」
セージも難しい顔をして、来年なら合格するかもしれないと否定的だ。
「そうだな。でもまあ、来年のために経験させておこう。段取りを頼む」
「はい、承知しました。ただ、10歳の子供を試験に参加させる名目は如何いたしましょうか?」
商会員にすらなっていない者に、そもそも試験を受ける資格はない。本当に参加させたら大騒ぎになるだろう。マルクとしては混乱を避けたい。
「そうだなぁ・・・商会員試験は秘書見習いのためで、昇格試験は、会長秘書見習い試験としてでいいだろう」
「なるほど。どちらも秘書見習いには違いないですね。現在会頭には秘書が居ませんから、昇格試験がダメでも幹部の秘書の見習いはできますね」
先代の会頭には秘書が3人いた。だがレイモンド会頭は秘書を置いていない。いや、5年前には居たが盗賊に襲われて亡くなってしまった。それ以来、会頭は秘書を選んでいない。
マルクは会頭の指示に従って、明日の準備のため部屋を出ていった。
残ったセージは、不確定要素は多いのですがと前置きして、ある情報を会頭に伝えた。
「実は、アコルをつけて冒険者ギルドに行った時、偶然ある話を耳にしました。話していたのはAランク冒険者で、彼が言うには、魔獣の変異種の目撃情報が昨年の10倍以上になっていて、まるで1000年前の魔獣による王都襲来の前触れと同じ状況だと」
「それは大変な情報だ。本当なら大混乱になるだけでなく、商品を運ぶことが困難になる。詳しく探りを入れてくれ。事実なら王の護り手であるカシミール公爵家が動くはずだ。確か、ご息女の嫁入りに白磁の皿が欲しいと言われていた」
笑顔はスッと消え、商会を守る会頭として、険しい表情でセージに指示を出す。
「承知しました。先日持ち帰った白磁の中から選び、必ず情報を入手いたします」
深く頭を下げて退出するセージを見送ったレイモンド会頭は、冒険者としても類い稀な才能を持つアコルを思い、大きく息を吐いた。
1000年前の魔獣大氾濫は誰もが知る話だが、戦争以外では長く安全が続いただけに、人々はすっかり油断していた。
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