108 来客の多い日
◇◇ 王都 ボルゾ準男爵家(パリージアの兄) ◇◇
私は王都の中級地区に住んでいる、ボルゾ家の主クレヨ48歳。
我が家は三代続く準男爵家で、そろそろ男爵に陞爵したいと思っているが、如何せん貧乏が邪魔をして思うようにことが運ばない。
全ての原因は、27年前に生意気な妹が30歳ほど年上の男爵の側室になることを嫌がり、自分勝手に逃げ出したせいだ。
金貨50枚(500万円)もの大金を用意すると申し出があったのに、妹は高学院を卒業したその日に失踪した。
……許せない! 女のくせに推薦で魔法部に入学したことも許せない!
兄である私が特務部だったのに、少しばかり勉強が出来て、ちょっとだけ魔力量が多いというだけで、特務部より格上の魔法部に入学し、後継ぎであり兄である私に恥をかかせた。
中級学校を卒業させてやっただけで充分だと思うのに、父は王立高学院を卒業させれば、金持ちの貴族に嫁げるかもしれないという思惑で入学を許可した。
……それなのに生意気な妹は失踪し、ボルゾ家を裏切った。
支度金の金貨50枚で、男爵に陞爵できるかも知れないと考えていた父上は激怒し、ボルゾ家から妹を除籍した。
思い出すだけで腸が煮えくり返りそうだが、27年近く消息不明なことから既に死んでいるのだろう。
何とか金策をしなければ、私の代でボルゾ準男爵家は終わってしまう。
準男爵と騎士爵は爵位を世襲できないから、余程の活躍をして認められなければ、息子たちは準貴族を名乗ることもできない。
私が勤務するのは軍の新人採用課だ。度重なる魔獣討伐の失敗で、入隊希望者が激減し、このままでは軍で働く若者が居なくなり、私の立場が悪くなる。
適当に採用するだけの簡単な仕事で、賄賂も期待できたのに最悪だ。
……まずい、出世する可能性もないし、所属しているヘイズ侯爵派は力を落としている。このままではじり貧だ。
2人の息子は勉強が苦手で、長男は地方の高学院の特務部を卒業し、軍の物資部に就職している。
次男は中級学校卒業後、警備隊で中級地区の門番をしている。
頼りにしていた娘の嫁ぎ先は同じ準男爵家だったが、夫がB級魔術師で魔法省に勤務するエリートだった。
しかし先日、魔獣の変異種討伐で命を落とした。
……全ては魔獣の大氾濫と、身勝手で身の程知らずの妹のせいだ。
最近王都で話題に上がるのは、ドラゴン襲撃のことや、王立高学院特別部隊のこと。
そして、ドラゴンに襲撃されたレブラクトの町で、被災者に無償で炊き出しをしたモンブラン商会と、湿布や傷薬を提供した店のことだった。
無償で薬を提供できる程に儲かっている店なら、貴族として顔繋ぎくらいしておくべきだろう。
それなりの誠意を見せるなら、軍に商品を納入できるよう口利きしてやってもいい。
……もう金策の手段を選んでいる場合ではない。
父の代から仕えている使用人のボーテに、様子を見に行かせてみるか。
もしかして未婚の娘や息子が居たら、我が家の孫と結婚させることが出来るかもしれない。貴族よりも商家の方が金を持っている可能性もある。
「旦那様、あの~、見間違いかもしれませんが、失踪されたお嬢様らしき女性が店番をしていました」
ボーテは俺とは視線を合わせず、俯いたまま言い難そうに報告する。
「なんだと! パリージアが店番していた? いや、お前はもう60歳を過ぎてる、見間違いだろう。
ん、いや待て。それで、その店は繁盛していたのか? 儲かっていそうだったか? それからボーテ、あれを二度とお嬢様などと呼ぶな!」
憎き妹の名前を聞き、忘れていた怒りが甦ってくる。が、もしも本当ならチャンスかもしれない。夫が店の主かも知れないからな。
「いえ旦那様、それ程に儲かっているようには見えませんでした。店も小さな店でしたし、使用人も見当たりませんでした。
おそらくパリージア様しか従業員は居ないのではないでしょうか」
ボーテは暫く様子を見て、周囲の商店に【薬種 命の輝き】の店主の情報などを聞いたが、口が堅くて何も得られなかったと言う。
「チッ! 使えない女だ。我がボルゾ準男爵家が高学院まで出してやったから、今も薬師として働けるのだ。支払った学費くらいは返させるべきだろう」
「でもお嬢……いえ、パリージアさんは、中級学校も王立高学院も奨学生でした。ヒッ! も、申し訳ありません。余計なことを申し上げました」
私の超不機嫌な顔に気付いたボーテは、顔を引きつらせパリージア様呼びを改め、さん付けで呼び直し、慌てて土下座して謝罪した。
これまで育ててやった恩を返すために嫁げと命じた父上と私に、妹は貴族令嬢らしい支度をしてもらった記憶もないし、学費だって寮費だって家から出して貰っていないとほざいていた。
どうしても恩を返せと言うなら、これから薬師として王宮で働いて返すと反抗した。
軍の中級役人だった父と、軍の下級役人だった私は、女の分際で薬師として王宮で働くことを嫉み、いや、分不相応だと考え働くことを許さなかった。
それより金貨50枚の方が魅力的だったのは間違いない。
失踪させるくらいなら、薬師として一生働かせ、給金を搾り取った方が得策だったかもしれんと、亡くなる前に父上が言っていたが、判断を誤ったのは父上であって私ではない。
しかし、貴族家の当主であるこの私が、直接店に行って金を請求するのは立場的に不味い。
本当に金があるかどうかを、商業ギルドで確かめてから、いや、代表者が誰なのかを先に調べよう。
ところが、調べに行った商業ギルド本部では、何も情報が得られなかった。
知りたければ、モンブラン商会の傘下の店だから、そっちで訊いてくれと、生意気な受付の娘に言われた。
貴族の当主である私が訊ねているのに、その態度はなんだと注意したら、他の職員が現れ、受付の娘は伯爵令嬢で、他の職員も子爵家以上の貴族家の者ばかりだと説明された。
クソ! 準男爵だと思ってバカにしたことは許し難いが、取り澄ました商業ギルド本部の人間とはそりが合わない。忌々しいが引き上げるしかない。
ここは長男ホーウッド(28歳)に行かせよう。
◇◇ 薬種 命の輝きの店先 (シフォン)◇◇
「あのー、こちらにパリージアという女性は居ますか?」
「どちら様でしょう?」
「私はボルゾ準男爵家の者で、父からの伝言を伝えに来ました」
……あら、早速アコル君が言っていた迷惑な親族がやって来たわ。
「パリージアさんは留守なので、伝言は私が聞いておきます。
その前に、失礼があってはいけないので、こちらの面会希望者の用紙に、お名前とご身分、住所をお書きください。
【薬種 命の輝き】は、大商会であるモンブラン商会傘下の店です。
何かあれば、商会員全員が貴族家出身者である、本店の役員が対応いたします」
如何にも貧乏な下級貴族という身形の若い男性は、自分の名前をホーウッドと記入し、父親からの伝言を話し始めた。
「若い時に勝手に家を飛び出し家族に迷惑をかけたが、被災者のために尽くしているようなので、除籍したから家族には戻れないが、謝罪し誠意を見せるなら、受け入れてやってもいいと思っているとお伝えください」
「あら、除籍してあるならもう他人ね。パリージアさんは面会されないと思うわ。誠意って何かしら?
まさか貴族を名乗る者が、除籍した女性に金銭を要求するなんて……まさかね。失礼しました」
私はにっこりと微笑み、愚鈍そうな息子に「伝えておきますわ」と言ってお帰り願った。
……謝罪し誠意を見せろですって! 魔法部の先輩でもあるパリージアさんに向かって失礼な。
この程度のことをパリージアさんに伝えて不安にさせてはいけないので、アコル君にだけ伝えることにしましょう。
明日からアコル君は学院に戻るそうなので、貴族には貴族の遣り方があることを、先方に教えて差し上げましょう。
……フフフ、なんだか楽しくなってきたわ。
アコル君は自覚してないみたいだけど、モンブラン商会と商業ギルド、そして冒険者ギルドがバックに付いている人間なんて、そうそう存在しないわ。
誰にちょっかいを掛けようとしたのか、身をもって反省して頂きましょう。
パリージアさんも素敵な方だし、メイリちゃん、エデリアちゃん、ミゲール君も凄く可愛い。
あんな可愛い子たちと接していたら、結婚もいいかなあなんて思えてくるから不思議ね。
そして翌日、今度はボルゾ準男爵と名乗る男が直接店にやって来た。
最初から高圧的な態度で、私を女だと侮っているのが分かる。
「この店で、パリージアという者が働いていると聞いてきた。私は兄だ。妹がどんな店で働いているのか知っておかねばならない。この店の主は居るか?」
……ああ、思っていたよりもゲス感があるわね。平民だと思って軍の役人の制服を着てくるなんて、威圧でもしてるつもりかしら?
「店主は忙しくて店に出ることはありませんわ。
パリージアさんは薬師として働いていますが、王宮の仕事もしていて今は留守です。
どんな店かと訊かれましても……そうですね、私は伯爵家の娘ですが、親にも認められて働いていますわ。
お客様には侯爵様もいらっしゃいます」
「侯爵家……それでは儲かっているのだな?」
「あら、この店が儲かっているかどうかなんて、貴方に何の関係がありまして?」
「いや、大きな声では言い難いことだが、実は妹のパリージアは、実家に返さなくてはならない借金がある。
これまでは大目にみていたが、働いているのなら返すのが道理だと教えに来た」
ボルゾ準男爵は、これでもかと胸を張り、堂々と借金の取り立てに来たと言う。
「あら、どうかしたのかい? 困りごとなら話を聞くよ」と、同じ建物の皮製品屋と蝋燭屋のおかみさんがやって来た。
「どうやら既に除籍したにも拘わらず、昔の借金を返せと仰るようで……」と、私は困った様な顔をして答える。
「まあ、除籍したなら他人じゃが、借金は返すのが道理じゃろう」と、いつの間にか隣の建物の仕立て屋のご主人が、おかみさんたちの後ろから参戦してきた。
「その通りです。さすがご老人は分かっているな」と、味方が現れたと思ったボルゾ準男爵の顔が明るくなった。
「それで、何の借金なんですの? 金額は? もしも、もしもですが、パリージアさんが払えなければ、わたくしが立て替えてもよろしくてよ。
ただし、返す必要があるお金であればですが」
私はわざとらしく、ウエストポーチの中から財布を取り出す真似をする。
するとボルゾ準男爵の瞳がギラリと気味悪く光り、口を歪ませた。
「金額は金貨20……いや、本当なら50枚だ。高学院まで出してやった学費に、赤ん坊のころから食べさせた食費と衣装代、それに、働き始めたら家に入れるはずの27年分の給金を合わせた金額だ」
信じられない。この男は、養育費を借金として返済させようとしているの?
よくも恥ずかしくないものだと思うけど、本人は当然だと思っているようね。
「いやアンタ、それは借金じゃないだろう! 子供を食べさせて服を着せるのは親の義務だよ。家を出た娘から給金を奪うつもりかい?」
呆れたというか、何を言ってるんだいこの男はって顔をして、蝋燭屋のおかみさんが問い質す。
「フン! お前たち平民には分からんのだろうが、貴族の家には果たすべき責任があるんだ。口出しするな!」
「あら、私の家は伯爵家だけど、親から養育費を返せと言われたこともないし、自立している者から給金を奪う貴族なんて、私のまわりには居ないわ」
ちょっと待ってよ! そんな変な貴族の非常識を堂々と言わないで欲しいわ。貴族として恥ずかしくなるじゃない。
「うちは準男爵家だ。伯爵家とは違う」と、目の前の男は強気の姿勢を通す。
「なんじゃ、とどのつまり、困っているから金を出せということか? まあ、本当に家族なら、困っている時は助け合うもんじゃが……」
「その通りだご老人。貴族には対面というものがある。困っている家族を助けるのは当然のことだろう! 家を売ってでも助けるのが家族だ!」と、何故か勝ち誇ったように吠える。
「それならば、今回のサナへ領の救済活動で【薬種 命の輝き】が負った損失金の金貨40枚を、家族であり貴族である貴方が支払ってくれるのですね」
いつの間に来たのか、私は商業ギルド本部のギルドマスターだと名乗る人物が、にこにこ嬉しそうに「いつ払ってくれます?」と、ぐいぐいボルゾ準男爵に支払いを迫っていく。
気付けば店の前に、たくさんの人が集まり始めていた。いわゆる野次馬だ。
「そうじゃの、家族が困っていたら助けるのが当然じゃと言っておったぞ。きっと家を売ってでも払ってくれるじゃろう」と、仕立て屋のご主人がニヤリと笑って顎髭を撫でる。
「それが正しいだろう」と、成り行きを傍観していた野次馬の皆さんも、応援するように後押しし始める。
ざわざわと騒ぎが大きくなっていく中、立派な馬車が店の直ぐ近くに停まった。
何事だろうかと皆の視線が馬車に向く。
「お取込み中のようだが失礼する。私は王立高学院の学院長の代理の者で、【薬種 命の輝き】に礼状と、【王立高学院特別部隊】の正式な協力店と認めた認定証を持参した。店主はおられるか?」
如何にも王宮から来ましたって服装の高官が馬車から降りてきて、正式な使者として名乗った。
直ぐ近くに王宮の馬車を待たせているから本物だ。
「ようこそいらっしゃいました。只今主は留守にしておりますので、わたくしが代理で受け取らせて頂いてもよろしいでしょうか?」
私は急いで店の中から通りに出て、使者に対し正式な礼をとって返事をする。
「これはライバッハ伯爵令嬢ではないですか。お久し振りです。こちらの店で働かれておられるのでしょうか?」
「あら、お久し振りですマデルト様。レイム公爵の下、財務部でご活躍だとお聞きしてましてよ」
驚いたことに、使者は高学院時代の魔法部の同期生だった。
確かレイム領の伯爵家の嫡男で、レイム公爵の側近になっていたはずだ。
「何かございましたか?」と言いながら、マデルト様は大声を出していたボルゾ準男爵に、冷めた視線を向ける。
「いえいえ、マデルト様のお手を煩わせる程のことではありませんわ」
「相変わらず美しい笑顔だ。それでは、王族であられる学院長が出された認定証を読み上げさせていただきます」
マデルト様はそう仰って、持参した認定証を声高らかに読み始めた。
【 認 定 証 】
薬種 命の輝きを、王立高学院特別部隊の協力店として認める。
王立高学院特別部隊が活動する時、必要な薬や支援物資を用意すること。
緊急時は、商業ギルド、冒険者ギルドと協力し、王命に従うこと。
これより先、薬種 命の輝きは、王族である学院長の保護下に入るものとする。
よって、店の営業を妨害する者や、店主や従業員に対し金品を要求する者、便宜を図ろうとする者が現れた場合は、直ちに学院長に報告すること。
王族が保護する店を害した者は、直ちに処罰されるものとする。
王立高学院 学院長 王弟 モーマット・エイドリッヒ・コルランドル
読み上げられていく認定証の内容を聞いていたボルゾ準男爵は、真っ青な顔になり、脱兎の如く逃げ出していった。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。




