第19話「VS桜花開幕」
桜花との決勝。
ルールは持ち時間20分。
持ち時間使い果たすと1手10秒で指さなければならない。
また決勝だけはプロジェクターで大画面に盤面が映し出されて近づかなくても観客にみられるようになっていた。
そのため私たちが座る対局席の近くには私と桜花以外には、進行役の神無月先生だけがいた。
大人の部はすでに優勝者が決まっており、残すは私たちの対局だけになっているようだ。
遠くで映し出されているプロジェクターの画面を暇な観客全員が見ていた。少し照れる。
プロの対局は全国何万人の将棋ファンにみられるのだから、この程度で照れるとか言ってられないのだが。
「……おねぇ、やっと戦えるね。ちゃんと勝ってきてくれてうれしい」
「当たり前でしょ。お姉ちゃんが桜花との約束を違えるわけないでしょ」
「…………?」
「いや、そこ疑問に思わないでよ!」
猫が飼い主の奇行を眺める時のような顔で見ないで……。
桜花との約束……そんな破ったことないはず……たぶん、メイビー。
「……私が勝ったら、二度と久遠寺遊沙には近づかないで。……というかもし私が負けたとしても近づかないでほしい」
「勝ったならいいよ。負けた時の保険かけるおねぇはダサい」
「そうだね、桜花。負けなければいいだけだもんね」
「にひひ、そうだよおねぇ」
あと負けたら生涯将棋を指すな、だっけか。
まったく。わがままなんだから。
しかし今日はそのわがままを許すわけにはいかない。
「桜花。今日だけは君を妹とは思わない。泣いても知らないからね」
「泣くのはおねぇのほうだよ」
最後にお互いそう告げ無言で駒を並べ始める。
パチ、パチと駒の音だけが鳴り響く。
「決勝はやっぱり君たちになったか」
駒を並べ終えた私たちに神無月先生がそう声をかけてきた。
進行兼記録係は神無月先生がやっていただけるようだ。豪華だね。
「君たち姉妹が対局するところを実はまだちゃんと見たことがなくてね。武藤先生の時は二人で指してたしね」
つくもんとの対局か……。あれから半年くらい経つけど、懐かしいね。
神無月先生と初めて会ったのもそのときか。
そういえば神無月先生は久遠寺遊沙の兄弟子だったっけ。
久遠寺遊沙と桜花の件、話したほうがいいかもしれない。
それはそれとして、まずは……桜花を倒さないとね。
「では時間です。楽しみにしてるよ。いい将棋を見せてください。では……挨拶を」
神無月先生のその宣言の後、私と桜花は互いに頭を下げた。
転生以来、初めての本気の姉妹喧嘩の開幕だ。
「「お願いします」」
先手は桜花。さてどうする……。
桜花は最初から決めていたのか、挨拶を終えると同時に自王の目の前の歩を上げた。
角道を開けるでもなく、飛車先の歩を上げるわけでもなく……。
これは中飛車宣言だ。
私はとりあえず角道を開けて、もう一手様子を見る。
桜花はすすッと飛車を王の目の前に動かした……やはり振り飛車。
私の記憶の中で桜花が飛車を振ることはほとんどなかった。
ルナに準備してもらった今日の桜花の棋譜でも1度も飛車を振ってない。
しかも中飛車……。これが桜花の考えた秘蔵の作戦か?
もしくは誰かが入れ知恵したか。
振り飛車となるとルナだろうか。しかし彼女は三間飛車の造詣は深いが他の振り飛車はあまり指すところを見ない。
とは言え今のところプランを変える予定はない。
桜花の序盤の駒組みをそこまで得意としていない。
そのため駒組みでまずは優位を取りに行って、その優位を終盤まで保つことの目標にする。
それと、序盤は特に持ち時間を使わないように心がける。
これは保険だが、終盤に時間を残しておきたいからだ。
桜花がもっとも苦手とする囲いを一気に目指す。
桜花は終盤の詰ませる力が非常に強い。信じられないほど強い。
ゆえに、目指すは王手がかけづらい最強の囲い。
この囲いは、王を盤面の左下のカドまたは右下のカドに配置し周りをほかのコマで囲うことで完成する。
囲うまでの手数は多いが、一度囲ってしまえば1手では必ず王手にならない堅固な囲い。
まるで熊が穴蔵にかくれているかのように見えることからこう呼ばれる。
穴熊と。
以前使用したときは桜花には引きこもり戦法とか、陰キャ戦法とか散々の言われようだった。
しかしその言葉は苦手の裏返し。
桜花が最も得意とするのが終盤で一気に敵の王を取りに行く戦法だが、穴熊はその囲いが残っている限り王手がかかることはない。
ゆえに穴熊は桜花が最も苦手とする戦法だ。
私は一直線に穴熊を目指す駒組を始めた。
「にひひっ、やっぱりおねぇはそれで来るよね」
「今日は絶対に勝つからね、当然」
私は基本的には居飛車党だ。
振り飛車もさせないわけではないが、先手で自分に主導権があるなら居飛車を選択することが多い。
よって今回目指すのは居飛車穴熊と呼ばれる戦形だ。
囲えば強固な穴熊であるがもちろん弱点もある。
まず手数がかなりかかる。
例えば矢倉囲いが標準12手、美濃囲いが7手で組めるのに対して穴熊は最速でも14手もかかる。
いったん船囲いを経由するが、その道中にスキがある。
特に居飛車穴熊の場合は王が左下のカド(9九)……互いの角のがにらみ合っているライン上に王が配置される。
完全に囲む前に、この角のラインをうまく使われて急戦に持ち込まれることは気を付けなければならない。
居飛車穴熊に対して振り飛車側がこのように角のラインを使って急戦に持ち込むことは偉大な先駆者によって開拓された穴熊対策の一つだ。
桜花にその知識を教えたことはないが、久遠寺遊沙の入れ知恵もある。
一応警戒はして囲んでいく。もし急戦を狙ってくるなら左美濃囲いで妥協するか、逆に急戦を返して乱戦に持ち込……いや。
……桜花相手に乱戦の力勝負は避けたほうがいいな。定跡から外れるのが早くなればなるほどこの将棋は私が不利になる。
天才の得意な舞台にわざわざ上がる必要はない。
カメがウサギに勝ちたかったら、徒競走ではなく水泳で勝負するべきなのだ。
現実のうさぎはサボってくれるとは限らないのだから。
桜花の銀がグングンと飛車先から上がってきた。
早い。居玉のまま戦う気か。
私のはやっと船囲いができたところでまだ固さとしては心もとない。
ここから穴熊まで持っていきたいが……。
まだ駒をぶつけ合いたくない。
私は船囲いに使っている5筋金を左前に進出させて、相手の飛車、銀、歩による中央突破を牽制する。
桜花はそれを無視して飛車先の歩を私の5筋の歩の前に突き捨てた。
あまりに早すぎる。無理攻めにも感じるがこれは受けをミスすると即死する。
ここで反射的に同歩をして歩を取ると、取って取り返してを繰り返して結局私の金と桜花の銀の交換となる。
明確な不利とはならないが、相手にやりたいことをさせるのはあまりよろしくない。
銀を上げてさらに5七の歩に効く駒の数を増やし中央を厚くさせる。
桜花の狙いである中央突破を徹底的に咎めていく。
しかし私の金銀が自陣の中央に集められた。
つまりこの時点でもう穴熊に組み込むことはほぼできなくなった。
穴熊に組ませないという目標であれば達成されたわけだ。
明らかに穴熊を嫌って、私に穴熊を組ませないために考えられた手筋。
私が穴熊に指すだろうと言う一点読みで対策してきたのだ。
序盤研究などしないあの桜花が……だ。
しかもここまでお互いにほぼ持ち時間を使っていない。
私は当然だが、桜花も事前に研究を用意していたという証左である。
「……」
まだどこかで私は桜花のことを軽く見ていたのかもしれない。
桜花が事前研究などするはずがないと思い込んでいた。
桜花がこの1局にここまで……。この事前研究は昨日今日でできるわけがない。
ずっと、ずっと、私を落とすために準備してきていたのだ。
「これ自分で考えたの? それとも久遠寺遊沙に教わったの?」
「……どっちも違う。ゆさゆさは、将棋については何も教えてくれなかった。教えてくれたのは、わたしのちからの使い方」
「じゃあ……誰に……」
桜花の交友関係を一人一人思い出す。
急戦の構想自体はルナが教えてもおかしくはない。しかしこの穴熊崩しの構想は定跡にそって理論的に練り上げられている。
ルナだけではない。誰だ。パパは桜花に教えられるほど将棋は強くない。
学校には将棋が指せるような友達はいないはずだ。
桜花に対して振り飛車で対穴熊指し方を教え込めるような……。
……あぁ、一人いた。
「ぶっちーか」
「……せーかい」
未来の魔王世代の一角、角淵影人。
確かに角淵なら穴熊崩しの急戦構想を桜花に教え込めても不思議ではない。
「……おねぇが言ったんだよ。分からないことがあれば、人に聞くのがいいって」
「なるほど」
やばい。いつ言ったかまるで覚えてないけど、確かに私ならいいそうだ。
「あのぶっちーがよく教えてくれたね」
「……さくらの苦しむ姿が見れるならぜひ教えてあげますよ、って楽しそうにチャット来た」
「あのクソ陰キャ……」
やっぱり性格悪いよあいつ。にちゃにちゃ笑ってる姿が簡単に思い浮かべられる。
まぁ、勝負事なんて性格悪いやつが強いんだから当たり前か。
「でも桜花、序盤の研究勝負で私に勝てる気なら大間違いだよ。お姉ちゃんはお勉強大好きなんだから」
「……知ってる。だから、ぶっちーの協力はここまで。そしてここからはわたしの…………」
桜花は大きく息を吸い込んだ。
まだ序盤の小競り合いが始まったばかりだ。想定よりも早すぎる。
深呼吸を繰り返す。それはまるで、嵐の前の静けさ。
徐々に深く深く潜り込むかのように。脳に大量の酸素を送り込むように。
これが桜花が長考するときの癖。
この長考の後に、桜花の指し筋が急にキレキレになる。
本来は終盤、敵玉を詰ますときによく使っていた。
しかし、ルナから貰った棋譜では中盤でも長考する様子が見られた。
中盤の複雑な盤面でも、長考の前後では桜花の指し手は飛躍的にパワーアップしていた。
こんな序盤でも使ってくるか!!
桜花は持ち時間を3分ほど使い込み、桜花は駒を持ち上げ強烈に盤上に指した。
強く、自信に満ち、私を倒そうとする。
「わたしの将棋をおねぇに見せる!!!!」
桜花が口角をこれでもかと上げた笑顔でそう言い切る。
ここからが本番。桜花のもっともキレがあがるこの瞬間をどう受けきるか、そしてどう封じるか。それが対桜花戦最大の難所だ。
「……おねぇが言ったんだよ。分からないことがあれば、人に聞くのがいいって」
→2020/10/18投稿の第2章第1話ですね。そりゃさくら覚えてないわ()
次回第20話「金と銀の盾」
4月27日(土)投稿(予約済み)




