第17話「賭けと約束と」
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「桜花、その人は危険。ほら、お姉ちゃんのほうにおいで〜」
「…………」
ぷいっ、と明後日の方を向く桜花。
えぇ……塩対応で悲しすぎてお姉ちゃん泣いちゃうシクシク。
「また会ったね、えーと……さくらちゃん」
「そうですね、久遠寺女流名人」
昨日の夜ぶりの久遠寺女流名人。
猫耳パーカーを被って若作りをしているが、この人は確か二十歳を超えている。
顔が幼く見え、その服装も伴って中学生くらいにしか見えない。
「無事一回戦は勝ったようだね。よかったよかった。桜花ちゃんのためにもちゃんと勝ち上がってくれないと困るからね」
「桜花のために……」
「そう。桜花ちゃんはぼくが強くした。君に勝たせるためにね」
「わたしとあなた、昨日が初対面ですよね?」
「ひひひっ、別にぼくとしては君のことはどうでもいいんだけど桜花ちゃんが君に執着しちゃってね。君に勝ちたいんだってさ」
久遠寺女流名人の言うことは要領を得ない。
そもそも勝たせる、って。私は桜花に負けたことは何度もある。
桜花に目線を向け、桜花自身の意思を確かめる。
「おねぇ。わたしはおねぇに勝つ」
「やる気満タンだね、桜花」
「おねぇ、それを言うならやる気満々。ガソリンじゃないんだから……」
「あう」
もう、細かいんだから。
「でも、桜花。そんなに今日の大会で勝ちたかったんだ。そんなに神無月先生と指導将棋したかったの?」
「ん? べつに」
「ええ?」
「わたしはおねぇに勝ちたいだけ」
「うーん? 別に私に勝つだけなら普段家で勝ってるよね?」
直近成績なら6対4くらいで私が勝っている。
つまり10回に4回は負けてるというわけで。
私に勝ちたいという理由だけなら、よくわからない。
勝ち越したいということだろうか。
「私は本気のおねぇに勝ちたいの」
「本気?」
別にいつも手を抜いてるわけではないのだけど。
練習だって負けるのは悔しいもんね。
だから私はわざと負けたりなんてせず、しっかり勝ちにいく。
私が考え込む様子から、桜花はため息を一つ吐き。
「おねぇ、やっぱりこのていどの大会じゃ本気出してくれないよね」
「いや、本気って何!? 私は将棋で手を抜いたりしてないよ!!」
「おねぇ!!」
桜花が声を上げる。
桜花がこんなに大きく声を荒げるのは初めて見た。
感情表現を表にあまり出す子ではないので、私は驚く。
ぽたっ……、と私の汗が床に落ちる音は聞こえる。
「おねぇはゆさゆさの事が気に入らないんだよね?」
「気に入らないとかそういう話じゃないの。親戚でもない子供に近づく大人がいい人のはずがない。私は桜花が危険な目に合わないか心配なんだよ」
やはり通報か。
グルーミングで親しくなるのは犯罪者の常套手段。
桜花にどんな手で近づいたかは不明だが、すでに桜花は久遠寺遊沙の洗脳下にあるのかもしれない。
「……おねぇがわたしのことをしんぱいしてくれてるのは知ってる。でも……これはわたしがやりたいことなの!!」
「やりたいこと……私に勝つことが? それなら負けてあげるから……」
「ちがうっ!!」
あー今のは失言だ。
負けてあげるなんて言葉はどんな勝負の世界でも使ってはいけない言葉だ。
たとえ初心者相手にプロが手加減するにしても、負けてあげることを悟られてはならない。
なぜなら本気で勝とうとする相手に失礼極まりないからだ。
桜花を説得しようとするあまり、私の柄にないことを言ってしまい桜花の地雷を踏んでしまった。
「わたしはおねぇに勝ちたいわけじゃないの」
「さっきと言ってることが違うじゃん……」
「おねぇには勝ちたいよ、でも本気じゃないおねぇに勝ちたいわけじゃない」
「だから本気ってなによ……。私はいつも本気だよ?」
「……もういい」
桜花は伝えることを諦めたのか顔を伏せる。
桜花の隣に立つ久遠寺遊沙が、ひひひっと癇に障る笑みをこぼす。
この場でこいつだけ楽しそうだ。
桜花は顔を伏せたままポツリと。
「おねぇはあほだからことばでせっとくするのはむり……」
「桜花さんや……何かとても失礼なことつぶやいてないかい?」
桜花は考え込むように目を閉じる。
すぅー、と大きく深呼吸をし始める。
桜花が将棋で長考するときの同じ所作だ。
沈黙が囁く通路を秋風が吹き抜ける。
薄着の私の肌から体温が奪われていく。
そして十数秒後。桜花は何か良いアイデアを思いついたのか、にやりと笑う。
「おねぇ、かけをしよう」
「か、賭け?」
まるでご主人さまに褒められ待ちの犬のように、ニコニコし。
思いついたアイデアを自信満々に披露する桜花は言葉を続ける。
「もし今日、わたしに将棋で勝てたら、ゆさゆさは2度とわたしに近づかない」
「あれ、何か勝手にぼく巻き込まれてない?」
久遠寺遊沙が唖然とした顔で桜花と自身交互に指さす。
桜花のこの発言は想定外のようだ。
すこし気分が晴れる。
「ゆさゆさはわたしが負けると思ってるの?」
「いや全く持って。君はぼくの最高傑作。凡人なんかに負けるわけないよ。でもね、でもね、まだ完成はしてないのよ。未完成の大器っていうやつ。足元を掬われないか心配でごぜる。にんにん」
「じゃあ静かにしてて」
「はい……。えっ、なんでござるかこれ」
久遠寺遊沙が焦りからか急にござる口調になる。
桜花はそんな彼女を無視して私のほうへ向き直った。
黒くぱっちりとした可愛い眼が私をしっかりと捕らえる。
「そして、おねぇ。わたしが勝ったら――」
細い桜花の指が私に向かって伸ばされた。
「おねぇは2度と将棋を指さないで。……一生。」
「わ、わけがわからないよ」
「大丈夫、おねぇの代わりはわたしがするから。おねぇの望みなら名人でもりゅうおうでもなんでもなってあげる」
いやいや、君がなったところで意味がないでしょ。
私が……私が目指す目標なのに。
これは私だけじゃない。私の前世からの呪いのような目標だ。
他人に託せるようなものじゃない。
私が自分自身の力で叶えなければならない、私の宿命だ。
「桜花、何もわかってない。将棋の名人は誰かになってもらうものじゃない」
「もちろん知ってるよ。おねぇはぜったいヤーと思うことも」
「ならどうして……」
「こうでもしないとおねぇは……。いや、いいや。いってもわからないよね」
どうやら妹の私の評価は絶賛急降下で下げ止まりのようだ。
しかしさくらちゃん株を売るのはまだ早い。ここが耐えるとき。
私は穴熊戦法は得意なのだ。
「桜花は結局私にどうしてほしいの……」
「にひっ。おねぇ、かんたんだよ。……勝てばいいんだよ。勝てばぜんぶ解決だよ」
「……そうか。」
カチりと私の中のスイッチが入る音がした。
その瞬間、目の前の少女はかわいい妹では無くなる。
そこにいるのは明確な……私の邪魔をする敵だ。
私の夢を、目標を、宿命を邪魔するなら誰であろうと。
「いいよ、桜花。その気なら……私の邪魔をする気なら容赦はしないよ」
覚悟を決めた。
桜花を救うために、私は必ず桜花に勝利する。
私の夢を守るために、私は必ず桜花に勝利する。
桜花の言う通り、勝てばいいのだ。勝てばすべて解決なのだ。
「あぁ〜おねぇ。それだよ。その眼だよ」
桜花は頬に手を当てて恍惚な表情を見せる。
やっと望みのものが手に入った、そんな表情をしていた。
「やっとわたしを見てくれた」
私と同じ小学一年生。
私と同じ空亡の血筋。
私の同じ性別。
私たちは双子。
まるで鏡合わせのような私たちが向かい合う。
しかし、その表情はきっと違っているだろう。
桜花は人生で一番の幸福を感じているかのような表情をしている。
私はどうだろうか。どんな表情を今しているのだろうか。
怒っているのだろうか。
悲しい顔をしているのだろうか。
それとも表情に感情がのっていないのだろうか。
「……ご機嫌だねぇ桜花」
「おねぇはご機嫌じゃないの?」
「最悪の気分だよ」
「なら良かった。仲良しこよしのおねぇは今日は要らないからね」
「姉妹喧嘩がお望みですか……」
にひひ、と桜花は笑う。
客観的に見て仲の良い姉妹だったと思う。
喧嘩なんて、お菓子の取り合いと晩御飯のおかずの取り合いくらいしかしたことない。
……思い返すとくだらない喧嘩しかしてないな。
「じゃあね、おねぇ。わたしと指すまで、負けないでよ?」
「あ、ちょ。まってよ桜花ちゃん。……ということだから君も頑張ってね」
桜花は足早に私の横を過ぎ去り会場に向かって立ち去る。
てこてこと軽快な足音を立ててそのあとを久遠寺遊沙が追いかけながら、最後に私に皮肉な応援をかけてきた。
誰もいなくなっった通路で私はたたずむ。
シトっと汗でシャツが張り付いていることに今更気づく。
「暑い……」
それは何の汗なのか。
怒りか戸惑いか緊張か。それとも……。
今の私には……その時には判別はつかなかった。
だが、少なくとも……、桜花との対局は負けるわけにはいかない。
負けたくない。その感情だけはしっかりと私の心で燃えていたのだった。
次回は来週土曜日12時更新(予約済み)
youtubeの動画でこの作品のコミカライズが紹介されててすげーってなりました(小学生並みの感想)