亡話「無冠の名人」
すみません、本編更新全然間に合いませんでした。
2週間更新できないの申し訳ないので、メモ帳にあった話を加筆してお蔵出しです。ちょっと前に感想でリクエストあったやつです。
前世において主人公が亡くなった後の話になります。
カチッ。
雨音が響く中、ライターを擦る音。
喪服に身を包んだ男が咥えたタバコに火をつける。
そして男はまるで疲れを吐き出すかのように、口から煙を吐く。
タバコ煙は雨に溶けるかのように霧散して消えていく。
男の名は角淵影人。
将棋のプロ棋士で、叡王のタイトルを持つタイトルホルダーの1人である。
鉄壁と称される受け将棋の天才であり、一局の平均指し手数が全ての棋士の中で2番目に多い。
「影人、ここにいたのか」
「……翔」
「いつにも増して暗い顔だな。流石のお前でも葬式はしんみりとするのか」
「……別に」
もう1人。喪服の男。
髪を短く刈り上げた長躯の男だ。
彼の名は飛鳥翔。
彼もまたプロ棋士であり、同じく竜王のタイトルを持つタイトルホルダーである。
振り飛車の第一人者であり、現在指されている振り飛車の原流となる戦法を生み出した男である。
若い頃はホストのような見た目をしていたが、三十代に入ってからは髪も短く刈り上げ、年相応の落ち着きを見せていた。
トレードマークの前髪の赤メッシュだけは今も健在だ。
今日、彼らはとある人物の葬式に出席していた。
プロ棋士であったその人物とは、何度も盤を向い合った仲であった。
十日ほど前の名人戦最終局で敗北した彼は、後日自宅で亡くなっているのが発見された。
遺書などはなく、テーブルの上に飲みかけの酒があったことから酔い潰れてそのまま亡くなったと報じられている。
「しかしあのおっさん、結局最後までタイトル取れなかったな。オレだったら死んでも死にきれねぇ」
「一度くらいあなたが譲れば良かったのでは?」
「ケッ。あのおっさんがそれで喜ぶかよ。結局のところタイトルというより、オレたちを超えることがおっさんの執念なんだよ。譲られた称号に価値なんて見出すわけがない」
「勝率や勝数だけ見れば、宗一以外は負けてますけどね。長考戦かつ番勝負のタイトル戦で勝ち切れないだけです」
「それがあのおっさんの弱い所だろうが」
玉藻宗一と子供のころから対局を重ねてきた魔王の世代は、タイトル戦に異常な強さを発揮していた。
番勝負であるタイトル戦で、何度か黒星を取ることはあっても負け越すことはない。
「寂しくなるな」
「天下の竜王から、寂しいという言葉が出るとは。明日は雪ですね」
「うるせーばーか。あのおっさんが居なくなったら、A級は全てオレらの世代だ。それはそれで悪くねーが……やっぱ、つまんねーな」
「竜胆先生や神夜先生が去ってから久しいですからね。ボクたちより下の世代も頑張ってはいますが、遠く及びませんね」
魔王の世代がプロ棋士界に到来して以降。
彼らを超えるような人材がプロ棋士に来ることはなかった。
プロ棋士になっても成長し続ける彼らに追いつける棋士などいなかったのだ。
「タバコ一本貰っていいか?」
「……結婚してから禁煙してたのでは?」
「今日くらいはいいだろ。……相変わらずセッタか」
「……休みの日も仕事の日も、晴れの日も雨の日も、常に同じコンディションに保つための安定剤です。これ以外は吸う気にはなれませんね」
「かー、冒険心がねーやつだ。そんなんだから結婚できねーんだよ」
「する気もないですけどね。……そう言えば宗一は結局こなかったんですね」
「あいつは……まぁ来ねーだろうな。どうせ家でまた棋譜でも並べてんだろ。この前の名人戦はあいつにとっても久しぶりの良いデータみたいだったしな。最高傑作ができたと喜んでたよ。相変わらず無表情だったけどな」
「負けた棋譜が最高傑作で遺作。あの人も罪作りな人ですね」
十年前。【魔王】玉藻宗一はプロ棋士のタイトルの全てをその手に収めた。
しかし、その次の年。
まるで眷属に褒美を与えるかのように名人以外のタイトルを一つずつ同世代の棋士に明け渡して行った。
そこから長く続く8つのタイトル8人で持ち合う不動の時代。
1人の魔王と7人の眷属。これが魔王の世代の頂点に君臨する者たちだ。
「そろそろ宗一はこの世界を――将棋界を終わらせるかもしれねぇな」
「年間無敗。そして全タイトルの再制覇。ボクたちだけしか知らない宗一の目標ですね」
「今のオレたちに宗一が止められるか?」
「全力を尽くすだけです。少なくとも年間無敗だけは止めて見せます」
「それやられたら、オレたちすら立つ瀬がねぇからな」
世間はヒーローを渇望する。
スポーツ界において超人的な成績を残す人物は、マスメディアによって祭り立てられその界隈の顔として広められる。
将棋界においても度々そういう人物は現れた。
将棋ブームの立役者となった宝月と武藤。
かつて神竜時代と言われた時の神夜と竜胆。
そして現在は魔王の時代。その顔は玉藻宗一。
しかし玉藻宗一はヒーローではなかった。
常に寡黙であり、表情を顔に出さない。マスメディアへの受け答えもせずただただ勝ち続けるだけの存在。
弟子も取らず、対局以外のプロ棋士の興行にも積極的には参加しない。
ただ対局のみに全てを捧げ、対局した相手に自分との差を痛感させられる畏怖すべき存在。
いつしか玉藻宗一のことはこう呼ばれるようになった。
【魔王】と。
そして玉藻を頂点とする停滞した将棋界において、これを打ち破るものが望まれた。
しかしいつまで経っても魔王を打ち破る勇者は現れなかった。
唯一抗っていた老兵は死に、魔王の統治は盤石なものとなるのだった。
「黒桂王座や香椎王将とも組んで、宗一対策を練るか?」
「今更な気がしますね。宗一の信者である他のメンツに比べたら協力してくれそうな気はしますが。そもそもあなたが他人と一緒に協力なんてタチじゃないでしょう」
「そうだな。だが……影人、お前とオレの2人なら悪くはねぇとは思ったがな」
「ボク達だけでどうしろと。そもそもボクら2人でどうにかできるなら、とっくの昔に宗一を超えてますよ」
「だろうな。オレたちは宗一の作った魔王の世代というモノに乗っかってるだけだ」
飛鳥はタバコの吸い殻を捨て、曇天を見上げる。
桜の花はすでに散り、新緑の葉に染まった桜の木から雨がポツポツと垂れる。
「オレは子供のころ、最強になるつもりだった」
「知ってますよ」
「だが、オレの前には宗一がいた。いつしかオレは宗一に負けるのは仕方がない、そう思うようになってしまった」
「宗一は出会った頃から天才でしたからね。今と違ってむかしはだいぶ可愛げのある無邪気な子供でしたが」
「宗一に負けた棋士はその才能の差に絶望し、将棋をやめてしまうか、もしくはオレたちのように恭順を示すかのどちらかだ。まぁ……あのおっさんだけは最後まで本気で宗一を越えようとしていたな」
「下手にどこかでタイトルを取っていたら、あの情熱はなかったかもしれません。良くも悪くもタイトルに手が届かなかったからこそ、最後まで宗一に立ち向かえたのかもしれませんね」
亡くなった者に心意を問いかけることはできない。
生者にできることは生前の行動から、その心の内を想像することしかできないのだ。
彼がどんな思いで将棋を指していたのかは、角淵や飛鳥にはわからない。
彼はあまり多くの人間と関わることはなかった。プライベートで付き合いのある人間など片手で数えられるほどだった。
家族もおらず、弟子も取らず、ただ将棋を指すことのみに人生を捧げた男だった。
「オレは結局あのおっさんの将棋以外の事知らねーんだよな」
「あの人は研究も一人でするタイプでしたしね。そういうところは宗一と似ています。まあ宗一と違って彼はちゃんと対局以外のプロ棋士の仕事はこなしていましたけどね」
「意外にファン人気あったよな。主に同世代のおっさんとその上の世代にだけど」
「昔からの将棋ファンにとっては、ボクらみたいなプロ棋士界を支配するような世代は憎き存在でしょうからね。それに抗う1人の男。まさに応援したくなる存在でしょう」
「まさに魔王に立ち向かう勇者ってか?」
「勇者というよりアヴェンジャーですけどね」
幾度なくタイトルに挑戦し、敗れ。
ついには勝数規定で最高位の九段まで昇り詰めた。
魔王の世代ではない1人の棋士。
何度敗れても決して折れず、努力と研鑽を積み上げ、あらゆる戦法戦術技術知識……勝利のためならばどんなことも貪欲に身につけてた。
先の名人戦では魔王相手に敗れはしたものの、3勝4敗で最終局まで追い詰めることができた。
生涯無冠ではあったが彼の実力は魔王を含め、誰しもが知るところであった。
生涯無冠でありながらその実力は魔王の世代と比べても遜色なく、時代が違えば名人になれた器であった。
そんな彼は死後、誰が名付けたかこう呼ばれることになる。
――『無冠の名人』と。
タイトルを一度も取れなかった彼にとっては、皮肉以外の何物でもないかもしれない。
しかしそう呼ばれる所以は、彼のその実力と不撓不屈の精神を讃えてのことだった。
「んじゃ、影人。オレはそろそろ帰るわ」
「そうですか。奥さんによろしくと言っといてください」
「おう。なんなら嫁に言ってお前の結婚相手候補紹介してやろーか?」
「だから結婚はする気はないですって」
はははっ、と笑いながら飛鳥は傘をさし雨の中消えていった。
1人の残された角淵は、懐からまたタバコを一本取り出して火をつけた。
瞼を閉じ、大きく煙を吸い込みゆっくりと吐き出した。
イカブームが少し落ち着いたので来週こそは更新したい。します。たぶん。




