間話「因幡萌衣」
お盆です。
実家は何もしなくてもご飯が出てくるので好きです。
あたしは因幡萌衣。どこにでもいる女子高生。
そしてどこにでもはいない奨励会員。段位は二段。
「ふむ、さてさて。暇になってしまった」
1ヶ月に1回の恒例行事。仕事仲間との女子会として、天駒町に温泉旅行に来た。
だがついて早々に遊沙先生は何処かに消えてしまい、近衞先生は旅館に行って酒盛りを始めてしまった。
この適当感が大人の付き合いというものなのかと、あたしは一人納得し、天駒町を観光することにした。
多分遊沙先生は兄弟子である神無月先生のトークショーにでも行っているから、夜までは帰ってこないだろう。
あの人は口では決して言わないが、兄弟子である神無月先生のこと大好きだし。
神無月先生が既婚者でなかったらどうなっていたことやら。
近衛先生は昼間っから酒盛りをする重度のアル中。
いくら飲んでも酔うことはなく、水のようにごくごくと飲み干す、と師匠が言っていた。
天駒町。将棋の聖地として有名なこの町には仕事で何度か来たことはある。
一応こう見えてあたしは女流のタイトルを3つ持っている。
ただあたしは女流棋士ではない。
プロ棋士を目指す奨励会員だ。段位は二段。あと2つ昇格すれば、はれて初の女性プロ棋士になる。
「ん〜、ちょっと休憩」
適当にぶらぶらしていたら団子屋を見つけたので休憩がてら寄ってみる。
とりあえずデカデカとおすすめに書かれている将棋団子を頼む。400円、高くない?
お小遣い3000円の女子高生にはきつい出費。
あたしの対局料は全部親に貯金されてるから貧乏高校生なんだ。
最近は親に内緒でバイトをしこっそりお小遣い稼いだりもしてるけど。まぁこれも将棋協会の人に頼まれたバイトだから、バレたところでそんなに怒られることはないはず。
まー、あのバイトに理解を示す親とは思ってないからバレるまでは絶対に内緒だけどね
「おっ、将棋盤と駒ある」
流石将棋の聖地。適当な団子屋でも将棋ができるようになってる。
将棋……か。
あたしが将棋を始めたのは祖父の影響だ。
今となっては史上最強の女性棋士とか、もっともプロに近い女性とか言われてはいるが、初めたときから強かったわけではない。
いや、今でも強いわけじゃない。
奨励会で対局するたびに自信がなくなる。
そして自信がなくなるたびにあたしは本当に将棋が好きなのか分からなくなる。
でもあたしから将棋が無くなると何も残らない。
これまで将棋しか打ち込んでこなかったから。
「はー、スランプ」
店員さんが持ってきた将棋団子を食べる。思ったより美味しい。
でも団子に駒が印刷されてるだけで将棋団子ってどうなん。
「ジーッ……」
「…………」
幼女があたしを見ていた。机から顔を半分だけだしてあたしをジッと見ていた。
え、なに。座敷童子?
「えーっと」
よくよく見るとその目線はあたしではなく団子に向いていた。
口元から涎が垂れている。犬かな。
「食べる?」
「食べる!」
残っていた団子を差し出すと、一口でペロリと食べてしまった。
もっと味わって食べれば良いのに。
「ふぅ、ありがとうお姉さん。お腹空きすぎて倒れるところだったよ。スマホの充電も無くなるし、財布はバックの中に置いてくるで、何もできなくて餓死するところだったの」
「そ、そう」
見た感じ小学校の低学年くらいだろうか。
ハキハキ喋ってるから幼稚園児ではないはず。
親御さんとはぐれたのだろうか。
「私はさくら。ちなみに迷子ではない」
「えーっと、萌衣です。どう見ても迷子なんだけど、迷子じゃないの?」
「聞いてよ萌衣お姉さん。桜花が……妹が勝手にどっか行ったから私が連れ戻しに探し回ったの。で、見失ったってだけ。つまり迷子は妹。私は迷子ではない」
うーん迷子。どう見ても迷子。
さてどうしようか。迷子センターとかこの町にあるのだろうか。
「萌衣お姉さんって将棋できるの?」
「……できるけど、どうして分かったの?」
「髪飾り。ト金だよね。渋いね。私は好きだよ」
あぁ、ヘアピン。将棋会館でお土産として売ってたから買っただけなんだけど……。
「将棋しよ、お姉さん。お団子のお礼に私が並べてあげるね」
安いな団子のお礼。
というかあたしまだやるとは言ってないのに強引な子だ。
ちゃんと駒を並べられるから基本ルールくらいは大丈夫そうだ。
女の子なのに珍しい。流石は将棋の聖地。
言うて昔のあたしもそんな珍しめの女の子だったか。
「じゃあ振るね」
ぱらぱらと小さな手から5枚の歩が落ちる。
彼女が先手になった。
一手目は角道を開ける一般的な手。
さて、どうしよう。
あたしは自分で言うのも恥ずかしいけど、女流三冠。
流れに任せてたら平手で相手にすることになったけど、こんな小さな子相手に本気を出すのは大人気なさすぎる。
適当に相手をしてあげるのが吉かな。
「さくらちゃんって将棋を始めてどのくらいなのかな」
「40年」
「なるほどー、ベテランだね」
うーん、お父さんの年齢かな。
あたしですら初めて駒に触ったのが5歳だし、この見た目からして長くて2年くらい?
とはいえ、去年神夜名人の弟子が小学1年生で某大会の低学年の部を制覇したと聞いたし、最近の子のレベルは高いと思う。
一応様子見くらいで進めよう。
まずはいつも通り飛車を横に振る。
さてどうなるかな。
そこから十数手。
あたしは頭を抱えることになる。
なにこれ、最新も最新の定跡じゃない。
いや、正確には定跡としてまだ確立されてない新手。
プロの棋戦で登場してまだ半年と経ってないはずだ。
小学生ってもっと基礎的な所から始めるんじゃないの?
原始棒銀とか矢倉とか。
あたしが最初に覚えたのは美濃囲いと四間飛車。
振り飛車党であるあたしの原点だ。
さてさて、どうするか。
流石に丸覚えで真似してるだけ……かな。
この歳でプロの棋戦を勉強してるだけでもすごい。
ちょっと意地悪したくなる。
わざと、少し変な手を指す。ただ指し順を覚えてるだけならこれでボロがでる。
「……ふむ、じゃあ行っちゃえ!」
さくらちゃんは笑顔で駒を前へ繰り出す。
まじですか。この子。
定跡から外した手をちゃんと咎めて来た。
しかもノータイム。
この範囲まで勉強済みってこと?
それとも感覚?
――ゾクリ
背筋が凍る感覚。
師匠が最近連れてきた弟弟子と対局した時もこの感覚が走った。
自分より遥かに下の世代が迫っている。
そう感じずにはいられない。
「これはちょっとマジにならないとまずいかな」
小さく呟く。
ここは将棋の聖地。小さな将棋星人がいたって不思議ではない。
将棋に見た目は関係ない。奇人だろうと変人だろうと幼女だろうとおっさんだろうと、この盤上では等しくその才能のみで評価される
遊沙先生のように駒を握って数ヶ月で奨励会三段を倒すような化け物もいる。
カチリとスイッチが入る音がする。
まずは対局相手が小さな少女であることを忘れよう。
まず考えなくてはならないのは、序盤の失態を取り返すこと。試すつもりで軽く指し大怪我してしまった。
将棋は焦ったところで、ドツボにハマって失態を重ねていくだけだ。
まずは五分五分まで状況を持っていく。
まずは受け。
隙を見せたところを補うかのように駒を集めていく。
カチリと頭のスイッチを切り替える。
この子は強い。強いけど、未知の手は指さない。
とても基本に忠実。だから思考が読みやすい。
お勉強はよくしてるけど、それはあたしも同じ。
同じなら年長者であるあたしの方が単純に積み上げてきた量で勝っている。
よし、攻めは抑えた。
あとはゆっくりゆっくり着実に。
この時のあたしは目の前の対局相手が小さな幼女であることを忘れていた。
女流三冠の全力――その全てをさらけ出した。
■■■
「負けたぁあああ、ぴえん」
さくらちゃんがつっ伏せる。
泣いたような声を出しているが、演技だ。
特に落ち込んだ様子はない。かなり悔しがってはいるようだけど。
将棋の結果はあたしの勝ち。あたしの圧勝……とは言えないけど、余裕勝ちではある。
女流タイトルを三つ保持するあたしと良い勝負できる幼女ってだけでどうなのって感じではある。
いやまぁ言い訳すると序盤の油断というか舐めてたというか、あそこあたりの失策を取り戻すのが大変だった。
それでも相手は女流棋士とかではないただの幼女。
配信でもここまで強い人と対局するのは稀だ。
でも相手が悪かったね。あたし強いからね!
この子はまだまだ甘いところも多いけど、子どもっぽいミスはほとんどない。
特に基礎力が高い。危険な指し手はあまりせず、地道にミスの少ない安定した指し手を好む。
破天荒でわけのわからない指し手で対局相手を潰してくる遊沙先輩とは真逆。
そしてあたしと同じタイプ。
「萌衣お姉さん強いね」
「ははは、まぁ……ね」
こんな良い勝負してしまった手前。
実はタイトル持ってる女流棋士って言いにくい。
これだけ強いならあたしのことも知っていそうだけど、特にそんな反応はないし、実はあたし思ったより知名度低いのかな。
「さくらちゃんもとても上手だよ。女流棋士とか目指すの?」
「女流は興味ないかな。私が目指すのは名人だよ。もちろん女流じゃなくてプロ棋士のほう」
「……名人。プロ棋士になるのも難しいのに」
「むずかしーよねー。私も苦労したしー」
「苦労……した?」
「あー言い間違えです。苦労しそー、だった」
なんか急に焦り始めた。言い間違えするところは年相応だね。
しかし知らないのだろうか。今まで女性でプロ棋士になった人間は1人もいないということを。
こんな小さな子に現実を突きつけるのは酷な話だけど。
「さくらちゃん知らないの。女性でプロ棋士になった人っていないんだよ」
「うん、知ってるよ。だから私が最初だね。あっ、もしかしてお姉さんもプロ棋士目指してますか? じゃあライバルですね。次会うときは負けませんよ」
希望に溢れた幼女の幼児的万能感が眩しい。
こんな時代があたしにもあったな。うるうる。
「そっか。頑張ってね。応援するよ」
「ありがとうお姉さん! ってもうこんな時間。桜花探さないと! あと一旦どこかでスマホ充電したい」
「あっ、1人で戻れる?」
「迷子じゃないからね。ちゃんと地図見て帰れるよ。桜花もなんだかんだ猫みたいにいつの間にか帰ってきてるかもしれないし」
お団子ありがとうございましたー、って言いながら走り去って行った。
忙しい子だ。
「すごいね、将棋の聖地。あんな小さな子でもしっかりと目標を、夢を持ってるんだ」
将棋の精霊のような子だったな。
プロ棋士になる、か。
ふふ、少し昔を思い出してしまった。
幼かった自分が目指したものを。
あの人のようになりたかったからプロ棋士を志した。
しかしいつのまにかプロ棋士になることが目標になっていた。
あたしにとってプロ棋士は憧れの存在に近づくための手段であったはずなのに。
「ふぅ……頑張りますか」
スランプと嘆いていても、一歩も成長はできない。
わたしにとって憧れは原動力だ。
あの幼女はそれを思い出させてくれた。
「まぁそれだけでスランプ抜けれたら苦労しないんだけどねー」
あれだけ強いし、プロを目指しているならさくらちゃんとは何処かで必ずまた会うことになる。
それまでに少しでも強くなろう、そうあたしは小さな目標を決めたのだった。
プロ棋士しか興味ないので女流はさっぱり詳しくない幼女「お姉さん強かったなー。さすがは将棋の聖地。あんな人がゴロゴロいるんだろうなぁ」
※補足するとさくらは因幡萌衣という女流三冠がいることは知っています(前話参照)。顔まで覚えてないだけです。しかし、もえという名前を聞いてもピンと来ないのは擁護しようがないですね。
因幡萌衣は主人公の前世の時間軸でも最強の女流棋士の1人として君臨していました。
でもプロ棋士にはなれませんでした。
彼女は20歳を超えたくらいで全盛期を迎えますが、ちょうどその頃とある世代が奨励会で暴れ回り、因幡萌衣もそれに巻き込まれて成績を落としてしまいます。
そう、魔王の世代がやってくるのです。
彼女も主人公と同じで魔王の世代によって辛酸を舐めさせられた1人です。
彼女の後世の評価は、時代に恵まれなかった天才という立ち位置になります。魔王の世代がいなければ彼女が初の女性プロ棋士になったでしょう。あと数年早く生まれていれば……。
次回「月」
更新は1週間後です。




