閑話「神無月ルナ2」
最近ルナはルナが弱くなった気がする。
私は毎日のようにさくらとネットで対局をしている。
でもここ最近は負け越し。最近絶好調この上ない彼女の様子に軽く嫉妬する。
さくらだけじゃない。さくらの妹の桜花も春先に比べたらずっと力を付けている。
ここ最近は何やら色々と企んでいる節があり、姉のさくらとも将棋を指していないらしい。さくらが「妹が構ってくれない」としょぼくれていた。
そして幼馴染の角淵も、夏の全国大会で優勝してから一皮剥けてかなり強くなっているとパパから聞いた。
なんかルナだけ置いていかれてる気がする。
気がする……ではなく、置いていかれてる。
「ねぇ〜、あーちゃん。ルナ、どうすればいいのかしら」
んなぁ、と持ち上げたネコのあーちゃんが鳴く。
あーちゃんは長毛種のラグドールという種類の猫。
白を基調とした毛並みに灰色っぽい模様が顔まわりや尻尾に入っているとてもキュートなうちの飼い猫です。
私はベッドに倒れ込み、あーちゃんのお腹に鼻を当てる。
天日干しした布団のような香ばしい匂いが鼻いっぱいに広がる。
今日も一日中日向ぼっこしていたのかしら。
あーちゃん、最近寝てばかりだけど体重大丈夫なのかな。
うちに来た時より明らかにデ……大きくなってるし。
とりあえずもふもふしているお腹を撫でてあげよう。
ダイエット効果あるかもしれない。
あーちゃんはゴロゴロと喉を鳴らして、されるがままになっている。
生まれた時から自然を知らない飼い猫のあーちゃんは、無邪気無警戒無気力な駄猫です。
「宿題、やらないと」
机の上に無造作に置かれたカバンに視線が行く。
でも、今始めると十中八九あーちゃんが邪魔しにくる。
駄猫のあーちゃんは人の邪魔をさせると天才的なのよ。
パパも、キーボードの上に乗ったあーちゃんをどかすのにいつも苦労しているの。
まずはこの駄猫をルナの部屋から追い出すところから始めないといけないのだけど、可愛くゴロゴロと喉を鳴らしているあーちゃんをここから追い出すのは気がひけるわ。
とりあえずもうちょっとだけあーちゃんの毛並みを堪能しようかしら。
コツッ、と窓に何かが当たる音がする。
その音が久しぶりすぎて驚く。
1年前から久しく聞いてなかったその合図に、私は驚きと戸惑い、そして嫌悪感を抱く。
無視しようか悩む。正直会いたくない。
でも、わざわざアイツが1年ぶりにこの合図を出したということは何か用事があるということだわ。
私は仕方なく、窓に近づきカーテンを開ける。
案の定、向かいの家に窓を開けてこちらを見るアイツ――幼馴染の角淵影人がいた。
「こんばんわ、ルナ」
「……なに」
私は窓を開けて、素っ気ない態度でそう返した。
私と角淵の家は隣。しかも子供部屋同士が屋根を伝えば行き来できるくらい近い。
仲が悪くなる前はこうして、窓に小石を当てて相手を呼び出していたものだわ。
「次の休みの日、さくらたちと旅行に行くんでしょ?」
「……そうだけど、どうして知ってるの」
「さくらから聞きましたし、師匠からも一応誘われましたから。断りましたけどね」
「そう。断ってくれて助かるわ。ルナは旅行まであなたに会いたくはないかしら」
「……ルナがそう言うと思いましたから断ったんですよ」
「あら、角淵が空気が読めるなんてどうしたのかしら。明日は雪かしら」
陰湿オブ陰湿な角淵が空気を読むなんて何か心境の変化があったのかしら。
ふと、ひとりの顔が浮かぶ。角淵に影響を与えたとしたらあの子だろう。
「ふーん、ルナがいなかったら行きたかったのかしら」
「まぁ、たまには温泉に行くのは悪くはないかなとは思いますよ。ぼくの家は両親が忙しいのであまり旅行とかは行けませんから」
「ほんとにそれだけ?」
「……どういう意味ですか?」
「実はさくらがいるから行きたかったんじゃないの?」
「……どうしてそこでさくらの名前が出てくるのですか」
「べーつにー。ただ仲良いなぁと思っただけかしら」
地区予選でさくらと角淵が対局してからだろうか。
明らかに角淵が変わってきた。将棋の棋力もだけど、何というか人との接し方が変わった。昔はルナ以外の女子とは喋ろうとしないどころか嫌悪感すら隠さないでいたのに、最近はなんか柔らかくなった。私に対してもこうして普通に話しかけてくる。こっちが勝手に嫌っているのがバカらしくなるわ。
さくらから聞いた話だけど、この2人はたまにカフェみたいなところでデートしているらしい。
さくらは「デートじゃなくて将棋してるだけだよー」とか言っているけど、男子と2人きりで遊びに行ってるのはデートでしょ!!
あの子は少し……いやだいぶアホなところがあって、しかも男子とか女子とか気にしない子だから無自覚に色々やってそうで不安にさせる。
まだ妹の桜花の方がそういう所では安心できる。あの子もあの子でかなり暴走しがちな所があるけど、姉が関わらないなら常識とか良識とかがしっかりしている。
そんなことよりも今はこの目の前の容疑者とさくらのことについてだわ。
「2人っきりでデートにまた行ったらしいじゃない」
「あれはデートではありませんよ」
「さくらもそう言ってたわね。あの子は心の底からそう思ってそうだけど、あなたはどうなのかしらね」
「……別に、誘われたから行っただけです」
「いやらしい」
「どうして!?」
ふつう好きでもない女子に誘われてほいほいとついていく男子がいるわけないわ。
これは確定的ね。ぎるてぃ。
そうよね。さくらは可愛いもんね。女子の私でもすこしドキリとするくらいカッコいいところもあれば、すこし抜けていて守りたくなるようなアホさもある。そりゃ男子は好きになるわ。
「……何か酷い勘違いをしていませんか?」
「いいのよ。でも桜花には注意しなさいよ。あまり仲良くするとあの子に刺されるわよ」
「……それは本当にあり得そうで笑えませんね。というか別にボクはさくらのことをどうこう思ってもいませんから。それだけは言っておきます。ボクは女子が嫌いなんです」
女子が嫌い……ねぇ。
それは幼稚園の頃から知ってる私が一番知ってることだわ。
そんな角淵が、女子であるはずの さくらとだけは仲良いのがこの上ない証拠なんだけどね。
そのことに本人は気づいてないみたいだけど。
んなぁ、とあーちゃんが窓から飛び出て角淵の家の方へ向かう。
角淵の家の窓から中に入って、彼の胸の中に飛び込んだ。
角淵は慣れたように、あーちゃんを抱っこしてその頭を撫でる。
あの自然な仕草。
あの駄猫、さては昼間もこっそり角淵の家にお邪魔しているな。
あの贅肉の原因は、向こうの家でもご飯もらっているのが理由かしらね。
「それウチの猫よ。早く返して」
「んー、でもあーちゃんはまだ帰りたくないみたいですよ」
んなぁ、と角淵の言葉を肯定するかのようにあーちゃんが鳴く。
あの駄猫。明日の朝飯は抜きかしら。
「……そう言えば、一体なんのようなのかしら。わざわざルナを呼んだのだから、おしゃべりがしたかったってわけじゃないわよね」
「ええ。今度の旅行の時にこれをさくらに返しといてください」
そう言って角淵が布袋を投げてきた。
両手で受け取ると、その中からカチャリと音がした。
開けてみると中には将棋の駒が入っていた。
「この前カフェでさくらと将棋した時にボクのバッグに紛れ込んでいたんですよ。それさくらに返しといてください」
「ルナは郵便局じゃないかしら」
「いいじゃないですか。幼馴染のよしみとしてお願いします」
「……まぁいいけどね。さくらにも良い感じにフォローしとくわ。あなたが盗んだとか言わないから安心して」
「いや、盗んだわけじゃないですよ!?」
「男子って好きな子の物が欲しくなるんでしょ? リコーダーとか。あーやらしい」
「男子のことバカにしすぎです。いくら好きな人のものだからって盗んだりしません。……というか、何度も言いますけどボクは別に――」
「はいはいわかってるわかってる。女子嫌いな角淵はさくらのことも嫌いなんですわよね?」
「……別に嫌いというわけでは」
どっちなのかしら!!
角淵はそっぽを向いてこちらに目を向けない。恥ずかしいのか、それとも心を読まれたくないのか。
絶対好きでしょこれ。なんかイラッとしちゃうわ。
こんな奴のこと幼稚園の頃に好……っだった自分が嫌だわ。
「まったく。かっちゃんのことはわからないわね」
私がそういうと、角淵は目を丸くしてこちらを見ていた。
そこで私は自分の言ったことに気づく。
「久しぶりですね。その呼び方」
「つい昔の呼び方で呼んじゃったわ」
1年前。角淵が私のパパの弟子になる前まで、私は角淵のことをそう呼んでいた。
ひとつ年上の幼馴染として仲が良かった頃の話であり、今となってはもうむかしむかしのことだわ。
幼稚園の時のことを思い浮かべながら喋ったらついその呼び方が出てしまったわ。
「別にそっちの呼び方に戻してもいいんですよ」
「嫌だわ。どうしてあなたのことをまたそう呼ばなくちゃいけないのかしら」
私はため息をこぼし、夜空を見上げる。
屋根と屋根の隙間から半月が見え、その周りで星々が輝いている。
そんなチカチカと揺らめく恒星のように、私の感情も揺らめいている。
私は私が分からない。どうしたいのか。どうなりたいのか。
別に角淵のことも今となっては嫌いなわけではない。
ただ認めたくないだけ。パパに認められた角淵のことを私は認めたくない。
パパが私を弟子にしない理由は納得は出来ないけど理解しているわ。
多分私は意固地になっているだけ。でもそれは認めたくない。
認めてしまえば、自分の中の大事なものが崩れてしまいそうな気がする。
よく分からない。本当によくわからない。
「……ふぅ。とりあえずその駒、さくらに渡しといて下さいね。メッセージでルナ経由で渡すとはもう伝えてありますから」
「ん、わかったわ。じゃあもういいかしら。寒くなってきたわ」
「はい。……ほら、あーちゃん。おうち帰ろうね」
角淵に言われてあーちゃんは渋々こちらの部屋に戻ってきた。
ドスンと窓から床に着地する。お相撲さんかしら。
あーちゃんはそのまま私の部屋からのそのそと出ていった。
ママにお菓子のおねだりでもするのかしらね。
「あー、ルナ」
「なにかしら」
「今度でいいからたまには将棋指しませんか?」
「どうし……」
どうして私があなたなんかと、と口から出かけるが言葉が続かなかった。
そう言えば角淵と将棋、全然指していなかった。
正直不安でもある。1年前も私は角淵には及ばなかった。
今はもっと離されている気がする。いや、これはほぼ確実に。
どのくらい差がついたのか。知りたくもあるし、知ってしまいたくない恐怖もある。
でも、ここで立ち止まっては多分私は永遠に強くなれない。
置いていかれるのはもう嫌だ。
「……いいわ。気が向いたらやりましょう」
「……そうですか、ありがとうございます。正直断られるかと思っていました」
「ええ。正直断ろうかと思ったわ」
いつも前向きなさくらだったら、こうするだろう。
だから私も前に進むために彼女の真似をした。
怖気つかない強さ。強くなるためならどこまでだって前に進める勇気。
さくらの凄いところだわ。
「じゃあ、ルナは宿題をしないといけないの。窓閉めるわよ」
「はい、おやすみなさい」
「……おやすみ」
窓をしめカーテンを閉じる。
なんか疲れた私はベッドに身体を倒した。
そして枕に顔を埋め、一呼吸する。
前にパパに私の名前の由来を聞いたことがある。
私の名前のルナは月を意味しているらしい。
月は日本人にとって所縁の深いものであり、ウサギと美しい姫君が住む場所として昔話でも神聖視されているらしいわ。
パパも夜に輝くそんな月が好きで、そこから私にルナと名付けたらしい。
第二候補はカグヤだったらしいけど、私は今のルナの方が好きなのでこっちでよかったわ。
「さて宿題しないとね」
私は起き上がって机に向かう。
宿題のプリントを取り出して、日付に10月1日と入れ名前欄に神無月ルナと記入する。
次の連休はさくらたちと温泉旅行。
そのことに今か今かと楽しみにしながら私は日々を過ごしていたのだった。
神無月ルナ。意味は10月の月。
月は自分1人じゃ輝くことができません。太陽のように自分で輝けるものがそばにあって初めて輝くことができます。意味深ですが特に深い理由はありません。ゴリラのポエムです。ポエミングコングです。
なんで、デブな猫ってあんなに可愛いのでしょうね。
猫だけデブ専なゴリラです。




