第8話「デート回?後編(久遠寺遊沙の場合)」
「おひいさま、お飲み物をお持ちしました。いつも通りの配分にしております。桜花様もどうぞ」
「ん、ありがとう爺や」
「……甘」
一口つけて、桜花はそう言葉を漏らす。
市販されているカルピスよりずっとずっと濃くて甘い。
飲むと逆に喉が渇きそうで、桜花はちびちびとそれを飲む。
「桜花ちゃん。ぼくらには特別な力がある。桜花ちゃんもそれには気づいているよね」
「……」
コクリと頷き、カルピスをもう一口飲んでから、桜花は言葉を口にした。意外に悪くないかも、と思う。
「ずっとみんなもできると思ってた。おねぇもルナちーも。でも違った。わたしだけができた」
「桜花ちゃんだけじゃない。ぼくもできる」
「……プロならみんなできるの?」
「ううん。ぼくの知る限り、ぼくと桜花ちゃんだけだよ。この特別な力をぼくは『絶対集中』と名付けた。アブソリュートコンセントレートだよ」
「何でも横文字にすればいいものじゃないと思う」
「……桜花ちゃん意外に辛辣だよね」
遊沙は背もたれに体重をかけ、カルピスを飲み干す。
カチャッと机の上にコップを置き、あらためて桜花の方を見て口を開く。
「桜花ちゃんの場合、スイッチは呼吸だよね。深呼吸を繰り返して集中モードに入っていく。将棋の呼吸壱の型ってとこかな。あっ、桜花ちゃんはあのアニメ観た? ぼくは100回は観て映画も5回行ったよ」
「……見てない。アニメはプリキュアしかわかんない」
「そっかー、こんど観せようか? 全巻BDで揃えてるし、もしハマったら映画にも連れていってあげるよ。あー、でも血がぶしゅぶしゅでるから小学生には刺激が強いかな? でも幼稚園児にも流行ってるみたいだし大丈夫だよね。――ってごめんごめん。脱線しちゃったね」
はにかみながら遊沙は謝る。
正直このまま知らないアニメの話をされても桜花は困った顔しかできない。
「絶対集中のスイッチは、ぼくの場合は目を閉じること。サンプル数が少ないから何とも言えないけど、人によってスイッチは違うのかもね。とりあえず、この能力は将棋以外にも色々使えるものだよ。不確定要素の多いものでも、そして自分がその理論を知らなくても、過程を無視して答えを出すことができる万能の力。……まぁデメリットも色々あるんだけどそこは今は無視しよう」
「……テストの時とかは使ってないよ」
「桜花ちゃん頭良さそうだもんね。こんな能力に頼らなくても小学校のお勉強くらい楽勝そう」
実際に桜花は小学校のテスト程度では満点以外を取ることはない。
知識比べや覚えたもん勝ちになる小学校のテストは桜花にとって退屈でしかない。
「ここまでの話で察したかと思うけど、桜花ちゃんにぼくが教えるのは将棋ではない。この絶対集中の使い方だよ。秀才たちが定跡や理論という努力で将棋を指すのならば、ぼくたちはこの才能というただ一つの武器で勝利を目指す。同じ将棋というゲームでありながら、勝利へのアプローチは全く違う。だから、ぼくたちに定跡などは逆に足枷ですらある」
同じルールで対戦し、同じ勝利条件に向けてゲームを進めていても、同じ攻略法を使うとは限らない。プレイヤーの数だけ攻略法が存在する。
将棋でも居飛車や振り飛車、囲いや攻め方ひとつ取ってみても多くの戦術、戦法がある。
ならばその攻略法の基礎となる考え方――定跡ではなく己のもつ能力に頼った攻略法でもいいわけだ。
なぜならば勝てばそれが正義になるのが勝負の世界だからだ。
「まず桜花ちゃんには3つの訓練をしてもらう。この間、ぼく以外の誰とも将棋を指さないで欲しい」
「わかった」
「ひとつ目が、集中の持続時間の強化訓練。最終的には常に自分が絶対集中状態に全力の2割程度入った状態で24時間過ごせるようになってもらう」
「10割じゃないの?」
「さすがにそんなことしたら倒れちゃうよ。ぼくも最初は10割目指してたけどすぐに身体がもたなくなっちゃったからね。最初は1割くらいで連続3時間くらい集中している状態をキープしてもらって、最終的に2割で24時間を目指そうね」
絶対集中の弱点の一つ。体力の消費。
集中状態では多くの体力を削られてしまうため、それに慣れてもらうための訓練である。
また全力の絶対集中に入る時に0からスタートするのと、2割くらい入った状態からスタートするのでは、入りきるまでの速さにも違いが出てくる。
「ふたつ目が、集中しきるまでの時間短縮訓練。これは朝昼晩3回くらいでいいかな。さっきの持続時間訓練をしている状態から全力の絶対集中まで入って、すぐにまた元の軽い集中状態に戻ってもらう。この時間をスマホの時計かなんかで測定して欲しい。最初はある程度時間をかけていいけど、これも最終的には10秒を切って欲しい」
「わかった」
「メモとかしなくて大丈夫? けっこう色々言ってると思うけど」
「わたしは忘れ物したことないから大丈夫」
「へぇ、それはぼくとは違うね。能力関係ないと思うから桜花ちゃんの生まれつきの別の能力なのかな。羨ましい。欲しいなー。ぼく、カードのテキストとかすぐ忘れちゃうもんね」
絶対集中の弱点のふたつ目。時間の消費。
普通の棋士達は定跡を覚え、既知の答えがある盤面では時間を消費せずに指すことで、持ち時間を残すことができる。
それに対して、常に考えて答えを出す必要がある彼女達は、定跡を使っての時間短縮を苦手とし、また絶対集中に入りきるまでに多くの時間を消費してしまう。
久遠寺遊沙が早指しが苦手であり、逆に持ち時間の豊富な女流名人戦で絶対的な強さを誇る理由もそこにある。
この訓練はその時間の消費量を少しでも抑えるための訓練である。
「そして最後が絶対集中の精度訓練。これは毎晩、ぼくと練習対局をすることで訓練することで鍛える。目標としては今の全力の絶対集中の3倍は深く強く集中できるようになってもらう。この訓練は集中状態で将棋することに慣れてもらう事、それと今の全力を超えた状態で集中してもらう事。この2つを鍛えることが目的だよ」
絶対集中による読みの強さは、集中の深さによって決まる。今現在の桜花と遊沙では、その最大値におよそ3倍程度の開きがある。同じ問題を解いたとして、桜花は遊沙の3倍の時間がかかるということである。
「基本的に絶対集中の強さは集中の深さと集中の時間の積によって決まる。正確には横軸を時間、縦軸を集中の深さとした時に、そのグラフを時間で積分した値に等しいと推測しているんだけど、ちゃんとした研究機関で調べたわけでもないし、そもそも今まで自分しかサンプルがなかったから憶測でしかないんだけどね」
「……?」
「ひひひっ、久遠寺の研究所で調べてみたら面白い結果でるかも知れないけど、まぁ暇ができたらかな。とりあえず今日はこの訓練のコツを教えてあげる」
「よろしくお願いします」
ペコリと桜花は頭を下げた。
遊沙という人間は信頼も信用もできる人間ではないことは、幼い桜花でも重々承知であった。
それでも、遊沙という人間が自分にとって大きな力になることは理解した。
「そうそう。再来週くらいに温泉行くんだよね」
「……そだけど、どーして知ってるの?」
「ぼくにも色々ツテがあってね。まずはそこを目標にしようか」
「……目標?」
「そっ!」
遊沙は盤上の駒――王を手に取り指で弾く。
くるくると、空を舞う駒は吸い込まれるかのように、再び遊沙の手に戻る。
ギュッ、と握りしめて言葉を続ける。
「そこで桜花ちゃんはお姉ちゃんに勝つ。それも圧倒的にね」
ドヤっとそう宣言する。
この少女の本質を知っていなければ誰でも信じてみたくなるような、そんな自信満々の顔だった。
桜花は思う。
この選択は間違っているかもしれないと。
正しくなんてないかもしれないと。
最良の選択は、他にあったかもしれないと。
でも、『何が間違っているのか』なんて未来を見なければ分かるわけがない。
桜花のもつこの力は未来を見る力ではない。
たとえ間違いである可能性を孕むとしても、前に進まなければ何一つだって変わることはない。
桜花は変えたい。
自分でもなく、世界でもなく、ただ1人の――姉を。
愛すべき、愛している、愛したい、世界で唯一のその人を。
これはそのための契約。その1ページ目。
■■■
「ただいま」
桜花が自宅に帰り着いたのは門限の5時を30分も過ぎた後だった。
幸い両親はまだ帰っていないので、バレなければ怒られることはない。
それよりも桜花にとって危惧しているのは。
「桜花〜、お帰りぃ。心配したよ心配したよ。誘拐されたかと思った」
心配そうな顔で出迎えて来たこのバカ姉だ。
能天気でアホなバカ姉だが、桜花に対する心配性だけは人一倍……いや、人百倍だ。
「ちゃんとメールした」
「5時過ぎてからじゃん。家に帰っても、桜花が帰ってなくて心配で心配でお菓子半分しか食べれなかったよ」
「残り半分はわたしのだからね? わたしの分まで食べようとしないで」
「まぁ何にしてもよかったよかった。安心したらお腹すいた。チラッ」
「あげないよ」
誘拐されたのは半分正解な気がしないでもないが、そんなことを馬鹿正直に言えばこのバカ姉がどうなるか。わからない桜花ではない。
それに遊沙との契約について、桜花はさくらに対して明かすつもりはない。
後ろめたさ半分、いたずら半分。
「ちぇ〜、ママ遅くなるから自分たちでご飯作っといてだってさ。桜花何食べたい?」
「卵焼き」
「いいね、私でも作れる」
「おねぇが作ったらスクランブルエッグになる。わたしがやる」
かつて、さくらは言った。
強くなりたかったら誰かを頼れと。
「じゃあ私は……冷凍食品をチンしてるよ」
「それならおねぇでもできるね」
「桜花、最近私のことバカにしてない? 私はお姉ちゃんだから偉いんだぞ。エッヘン」
「はいえらいえらい。この食器洗って」
「はーい」
一人で強くなるには限界がある。
自分という殻に閉じこもったままでは、自分の知っている知識と見た世界しか知らない。
しかし桜花は一人ではなかった。常に側に姉がいた。
まるで親から全てを覚える雛鳥のように、桜花は姉から全てを吸収した。
だが、その才能という殻は双子でありながら真逆であった。
姉という自分とは違う殻によって歪められた桜花の才能は、姉から離れることで本来あるべき姿に戻る。
「おねぇ、これ膨れてるけど大丈夫?」
「大丈夫。説明書はちゃんと読んだ」
「……レンジとオーブン間違えてるね」
「……つまり?」
「大丈夫じゃないってことだよおねぇ!」
人間は鳥にはなれないように。
鳥に人間が教育しても決して人間にはなれない。
最初から飛ぶことができる鳥は、人の手を離れその翼を大きく広げ空高く飛び上がる。
同じように空を飛ぶ同種の真似をして――。
そして最初から飛べない人間は、それを眩しく見上げることしかできない。
「これどうするのおねぇ。生焼けと焦げがミックスしてるよ」
「まぁ口に入れれば相殺されるんじゃないかな」
「……がんばってね」
「ま、まかせとけって……」
でも、今だけは。
まだ今だけは一緒に――鳥と人間が肩を並べて過ごしてもいいのではないだろうか。
いつも誤字脱字報告ありがとうございます。
毎回5件くらい来ているので助かります。誤字脱字王のゴミですみません。
さくらは説明書を読んだという事実に安心して、注意を怠るタイプです。そして基本的に失敗を繰り返して覚える死に覚えが得意です。失敗を怖がらないのが強みであり弱みですね。
桜花は何でも一発でできるタイプです。姉の失敗を見て学び自分は失敗しない後出しジャンケン派です。失敗や間違いをすることに慣れていないのが弱みですね。
料理の話です。