第7話「デート回?前編(久遠寺遊沙の場合)
先週更新できずにすみません。
秋も深まる放課後、空亡桜花は学校からの帰り道を一人で歩いていた。
いつも一緒にいる姉は運動会の委員の仕事(とは名ばかりの上級生ハーレム)で学校に残っている。
桜花の姉はモテる。本人に自覚はないが男女問わず、同級生から上級生はたまた先生にまで、だ。
同級生には抜群の運動神経とクラスリーダー的立ち位置で、上級生には素直でかわいげのある後輩として、先生には元気有り余る問題児として。
モテるというのは恋愛的な意味ではなく、人気者という意味ではあるが、小学一年生の桜花にはその違いに対してまだ疎い。
姉以外に対しては基本無口でそっけない桜花は、そんな人気者な姉に対して大きな憧憬を抱くとともに小さな劣等感を抱いていた。
大好きな姉にとっての一番の存在になりたいが、その姉は自分ではない誰かをいつも見ている。
姉はいつも自分を撫でてくれるし、かわいがってくれるし、男の子に意地悪されたら助けてくれるし、学校でトイレに行きたくなった時は察して一緒についてきてくれるし、知らないことは聞けば何でも教えてくれるし、お風呂で体を洗ってくれるし、夜寂しくて姉の布団に潜り込んでも優しく抱きしめてくれるし、嫌いな食べものは代わりに食べてくれる……そんな少しのわがままなら何でも聞いてくれる。
桜花にとってその一つ一つが幸せと感じる瞬間であるが、それと同時に
だから、桜花は強くなりたかった。姉が自分をしっかりと見てくれるために。
その姉がもっとも得意とし、固執し、情熱をささげている『将棋』というゲームで。
そしてそのためには、姉に内緒で悪魔と契約を結ぶ必要がある。
姉に内緒にするのは、ずっと自分に教えてくれていた姉に対する裏切りのように桜花は感じてしまったからだ。
届いたメールに記載されていた公園に桜花は到着する。
約束の時間にはまだ早い。公園前の車止めに腰かけて、小石を蹴りながらソレの到着を待つ。
秋風が体を冷やすなか、もう少し厚着すればよかったなぁと桜花が思案していると目の前の車道に黒塗りの高級車が止まる。
あまり見かけない車……外車だろうか、と桜花は首をかしげる。
次の瞬間、その外車のドアが勢いよく開かれたと思うと桜花は体を強く引っ張られ、あっという間に車に乗せられてしまった。
そのまま車は発進し、あとには桜花が蹴って遊んでいた小石がぽつんと残されていた。
「久しぶりだね、桜花ちゃん」
「……防犯ブザー鳴らしていい?」
「一か月ぶりなのにひどくない!?」
黒塗り高級外車の後部座席。
突然の誘拐で不貞腐れ顔の桜花と、うれしげな顔でそれを眺める女性。
現女流棋士最強の一角。女流名人、久遠寺遊沙。
桜花と遊沙、3度目の邂逅である。
「それにこの車は防音ばっちしだからブザー鳴らしても誰も助けには来ないよ、ゲヘヘ。……いやごめん冗談だからそんな汚物を見るような眼でぼくを見ないで。ご褒美だからそれ」
変態を隠す様子もなく恍惚な表情を見せる遊沙を見て、こんな人を頼ってしまったことに後悔を桜花は感じ始める。
「メールうれしかったよ」
「……女流棋士ってお金持ち?」
「いやー、全然。プロ棋士に比べたらそれはもうお賃金が雀の涙だよ。ちゅんちゅん」
「……この車は?」
「ぼくの実家の車だよ。運転しているのは僕が子どもの頃からお世話してくれている爺や」
ミラー越しにぺこりと頭を下げられ、桜花もそれを返す。
「ユサユサってお嬢様だったんだ」
「そうだぞ。何しろぼくの実家はあの久遠寺財閥だからね」
「……知らない」
「えぇ、そうなの!? 今の若い子ってうち知らないんだ。驚きだね爺や」
「久遠寺財閥は他の財閥とは異なり表立って名前を出してはいませんから、当然かもしれませんな」
「はえー。ぼくもウチが何してるかってよくわかってないから人のこと言えないんだけどね。半分勘当されてるし」
「おひいさまももう二十歳ですからそろそろ爺やを安心させて欲しいですな。おひいさまは昔から我が道を行く人でしたから、爺やはいつもハラハラしておりました」
運転手の爺やはふぉふぉふぉと笑いながら言った。
遊沙は「ひひひっ、人間そんな簡単に変わらないよー。ごめんね爺や」とそれに返答する。
15分後。
車は郊外の小さな家に着いた。
久遠寺家が各都市に所有しているプライベートハウスだ。
その中でも遊沙がある程度自由にできる物件の一つである。
「ささっ、桜花ちゃんどうぞー」
「思ったよりふつうの家」
「将棋するだけだしね。空調設備とネット環境さえあればぼくはどこでも生きていけるさ」
「…………」
遊沙の答えに、それもそうかと桜花は頷く。
プライベートハウスの中は特筆すべき点はない、普通の家だった。
人が住んではいないが、家政婦が毎週欠かさず掃除はしているため埃ひとつない。
一階のとある部屋に桜花は案内される。
黒と白――モノトーンインテリアで装飾された、質素な部屋だった。
その部屋の中央には、高机と、その机を挟んで向き合う二脚の椅子。
机の上にはチェス盤が置かれていた。
「桜花ちゃんはチェスとかもできる?」
「むり」
「そっかー。ぼくは将棋だけじゃなくて色々なゲームをするのが趣味なんだよね。チェス、今度教えてあげようか?」
「どーでもいい」
遊沙の誘いを無下に断る。
桜花にとって将棋をする理由は姉がもっとも固執しているものであるからであり、他のゲームには1ミリも興味を持たない。
姉がもし将棋以外のものにハマったのならば、今度はそれが桜花にとっての興味あるものになる。
「ふーん、まぁいいけどね」
つまらなそうに遊沙はチェス盤を片付けて、引き出しから将棋盤を出す。
モノトーンの部屋に将棋盤が置かれている様子はさぞ違和感のあるものだった。
桜花も遊沙もそんなことを気にするような性質ではないが。
2人は椅子に座って向かい合う。
椅子の高さがかなり高いので、子供の桜花はもちろんだが、遊沙も足が床に届いてない。
「おひいさま、桜花様。お飲み物を注いできますが何がよろしいでしょうか」
「ぼくはカルピス。ホットで濃いめのやつお願いね。桜花ちゃんはどうする? ここなんでもあるよ」
「……同じのでいい」
「かしこまりました。10分ほどお待ちになってください」
お辞儀をして爺やは部屋を後にする。
遊沙は袋から駒を将棋盤の上に落とす。
「さて、桜花ちゃん。強くなりたいんだよね」
「……」
遊沙の問いに、桜花はコクリと頷く。
その回答に満足したように遊沙は口元を緩ませる。
「それはどうして? どうして強くなりたいのかな」
「……おねぇに……勝ちたいから」
「おねぇ?」
「わたしのおねーちゃん。将棋を教えてくれた」
「ふーん、なるほどなるほど」
遊沙は思い浮かべる。
微かな記憶。桜花と初めて出会ったあのショッピングモールで、武藤九段相手に桜花の隣で一緒に将棋を指していた一人の少女を。
あの教科書通りの将棋を指す秀才ちゃんのことを。
「おねぇはわたしを見ていないから。わたしがすべてを倒せるくらい強くなればきっとおねぇもわたしだけをみてくれるから」
そう言って歪に笑うその姿。
小学一年生の女の子がどうしてこうも歪んでしまったのか。
そして桜花は、自分の意思を言葉にする。
「だから、わたしは強くなりたい」
強く、はっきりと。
遊沙にその視線をぶつけて。
その強い意思に遊沙は身体が震える。
かつて自分にもあったような燃えるような強い意思。
「……そっかそっか。強くなりたい……か」
遊沙はまるで独り言のように呟き、天井を見上げる。
深く一呼吸をし、改めて桜花に向き直る。
「いいよ、桜花ちゃん。強くなろうか。ぼくがこの手で君を最強にして見せる」
「……おねがいします」
「でもね桜花ちゃん。ただで強くなれるほどこの世の中は甘くない」
「わたしお金756円しか持ってない」
「ひひひっ、お金じゃないよ。ぼくが欲しいのは――君だよ」
桜花はランドセルに付けている防犯ブザーを引き抜いた。
ジリリリリと大音量で鳴り響く。
「違うって。勘違いしないで。変な意味じゃないから。だからそれ止めて!!」
「…………ほんと?」
「ほんとほんと」
不満げそうに口を尖らせ、桜花は防犯ブザーの音を止める。
音を聞いた爺やが「何か大きな音がしましたが、またおひいさまが何かしでかしましたか?」と部屋に戻ってきたので遊沙が必死に誤魔化した。
「はぁはぁ、キミが欲しいってのは、ぼくの跡を継いで欲しいってことさ」
「あと?」
「桜花ちゃんってお姉ちゃんに勝てれば正直将棋なんでどうでもいいって思ってるでしょ?」
「……そうかも」
「だからプロとか女流棋士とか将来のことってあまり考えてないよね」
「うん」
桜花は即答する。
桜花にとって将棋とは姉に依存したものである。
将棋は手段であって目的ではないのだ。
「ぼくが将棋をキミに教える交換条件は、キミにこの世界の頂点を目指して欲しい。つまりプロ棋士だよ」
「そんなことでいいならやる。だから早く将棋教えて」
「そんなことって……。まぁちゃんと言ったからね。忘れないでね。――これは契約なんだから」
最後に小さく呟き、改めて将棋盤の上に散らかった駒を並べる。
パチリ、パチリと心地よい音が響く。
「さてさて、桜花ちゃん。キミとぼくは似ている。生まれ持ったその才能はゲームにおいて最大の真価を発揮する。しかしこの才能を持っているがゆえに、普通の方法では強くなれないのさ」
「……つまりどーゆうこと?」
「キミには今までの将棋を捨ててもらう必要がある。キミが――キミが大好きなお姉ちゃんから教わった将棋のそのすべてを」
努力の方法は人それぞれにあったものがある。
自分に合った努力をしなければ、まったくもって無駄なものになることなど多くある。
例えば科学に対して雑学的に知識を身につけることが得意なタイプもいれば、論理的思考、定量的思考で物事の本質を捉えるように考えるのが得意なタイプもいる。
それぞれのタイプにあった努力の方法があるという話だ。
「キミの将棋感を一度リセットする。そしてぼくたち専用の将棋感を身につけてもらう。最初は違和感もあるだろうし、一時的に弱くなってしまうこともある。でも大丈夫。辿り着く先は、別次元の世界さ」
「……わたしは……」
「捨てれないかい? 今まで身につけたものを全て捨てるのは勇気がいるもんね」
違う。将棋感を捨てるのは桜花にとってどうでも良いことだ。
ただ、将棋感を、今までの知識を捨てることは姉から教わったことを捨てることだ。
姉に自分を見てもらうためとはいえ、その姉から教わった大切なことを捨てる決心をすることはなかなかできなかった。
桜花は考える。
心の天秤に、二つ乗せる。
姉との過去の思い出や教わったこと。
これから姉に見てもらうために必要なこと。
その二つを天秤に。
答えはすでに決まっていた。
悪魔や魔王に魂を売ってでも、姉の前に立つと決めていたのだから。
「……大丈夫。だから教えて」
「ひひひっ。時間もないし手短にやろうか」
桜花にとって2人目の師匠、久遠寺遊沙。
1人目の師匠である姉とは全くの正反対の、そして桜花とはかなり近しいその師匠は。
不敵な笑みを浮かべていた。
なのら