第6話「自称凡人達」
角を犠牲に兎月コマの銀がさくらの中央を食い破ってくる。
成銀、歩による2面攻めに後列から飛車が睨みを効かせている。
飛車の道が通ってしまえばさくらに勝ち目はない。
兎月コマは思考する。
狭く深く読むよりも浅く広く読む。
彼女の直感力による指し手は100点の手を指すのではなく、平均点80点以上の手を常に叩き続ける。
致命的なミスをしない将棋は早指しに置いて大きな力を発揮する。
思考の余地を挟むことなく繰り出されるその攻めは、着実にさくらの守りを崩していく。
「まだコマの方が待ち時間に余裕があるコマ。急ぐ必要はないから、端歩をついて嫌がらせするコマよ。穴熊で引きこもられた時は、嫌がらせするに限るね。おっ、相手さんも上手いコマね。なら手駒の歩を正面に叩いて、わざと取らせて駒を上ずらせるコマね。これは叩きの歩って言って手番を渡したり駒損少なく相手の囲いを崩せる基本戦法ってわけコマよ」
駒を指した後に、兎月コマは後付けのように解説する。
直感で選んだ差し手を、後付けで言語化しているのだから間違いではない。
実況と思考の両立をマルチタスクでこなす。
配信を始めた当初は、考え始めると解説が止まってしまうことがよくあったが、慣れてくると兎月コマにとっては案外こっちの方がやりやすかった。
言語化し声に出して改めて自分の一手を見つめ直すことで、新しい気づきを得ることだってある。
あまりに配信でやりすぎて、本職の対局の方でもついつい独り言を漏らしてしまい対局相手に怪訝な顔をされたことが兎月コマ――の中の人の黒歴史だ。
兎月コマの差し手は、トップスピードを維持しさくらを踏み躙る。
たった3枚の駒。飛車、銀、歩。
あとは全て現地調達した持ち駒。
攻め手の意識をそこだけに集中させる。
彼女は久遠寺遊沙や空亡桜花ほどの瞬間的な深い読みを持ってはいない。
近衛神奈のような盤面を俯瞰的に観察し、対局の全体像を一元的な物として考える広い思考も持ち合わせていない。
さくらの前世における玉藻宗一のような独創的な指し手も、角淵影人や飛鳥翔のような誰にも負けないような得意技を持っているわけではない。
兎月コマ――彼女の将棋の本質はスイッチの切り替えにある。
浅く広く読み、時間を節約する序盤。
深く狭く読み、一つのことに集中する終盤。
早指ししなければならない時は、そのような思考に頭を切り替える。長考しなければならなければ、そのような思考に切り替える。
戦局をみて、今最も必要な思考に頭のスイッチを切り替える。
誰しもある程度思考の切り替えはできる。だが、超々効率的に切り替えることができることが兎月コマの強みである。
奇しくも、それは対局相手の空亡さくらと似た性質だった。
才能がないと自称する2人が偶然にもたどり着いた同じ答え――天才達と並ぶ冴えたやり方。
100ある才能を満遍なく振り分けている天才たちに、状況に応じて70の才能を自在に振り直すことで抗おうとする自称凡人たち。
天才達の才能を近似値で再現することで状況に応じた戦術を取る空亡さくら。
まるで多重人格者のように思考自体を完全に切り替えることのできる兎月コマ。
自身のその才能が特別であると自覚しない似たもの同士の2人の対局は、兎月コマ主導で進んでいく。
圧倒的な攻めのスピードにさくらは食いちぎられ被害は甚大。
穴熊に逃げ道はない。その固さで受け切るしかない。
兎月コマが圧倒的有利。しかし……。
「コマはね、コマは……」
兎月コマの実況が少しずつ、少しずつであるがラグが生まれ始める。
圧倒的有利にも関わらず、兎月コマはまるで初配信の時のように実況が疎かになりかけていた。
この前負けたプロとの対局でもこうはならなかった。
あれはプロの棋力が高すぎて逆に悲鳴実況になっていたこともあるのはあるが。
互いの駒が入り乱れる。兎月コマの怒涛の寄せを、空亡さくらはひたすらに凌ぎ続ける。
さくらが防戦一方なら兎月コマが焦燥に駆られることはなかった。
モニター先のこの対局相手は、常に逆転の一手を狙っている。
対局が始まった時からこの瞬間まで、この対局相手は常に伏線を仕込んでいた。
普通なら気づかない微かな仕込み。
少しでも怖気つくと、その仕込まれた指し手を表に出していく。
それは、いつのまにか作られていたと金だったり、王を守っていながら常に兎月コマの囲いを貫こうとする角行だった。
そんな、気づいた時になぜかいいポジションに駒が配置されているのだ。
その全てに兎月コマは対応しながら攻め手を続けなければならない。
攻めに集中した思考であれば、いつか地雷を踏んでしまう可能性が高い。
ミスの少ない早指し思考と一点集中の思考を何度も切り替えなければならない。
思考を切り替えるのが得意とは言っても、そう何度も切り替えていけば精度はどんどん落ちていく。
そこまで万能な才覚ではないのだ。
攻めている兎月コマ側に負担をかけている。
まるで兎月コマがやられたら嫌なことを知っているかのようにだ。
「はははっ、嫌な将棋を指すコマね。そんなにコマのことが嫌いコマ? それとも何、これは逆に好きってことコマか? いいよ、やってやんよっ!!……コマ」
コメント「コマちゃんがキレた」
コメント「コマちゃん、超有利な気がするのになんでキレてるの。ちな将棋初心者」
コメント「わかんねーけど、相手が粘ってるからじゃないか」
コメント「基本的に、対局相手を褒めるコマちゃんが珍しい」
コメント「思い出したかのように後付けで語尾つけるの笑う」
マトを得たコメントはない。
この世界で対局している2人だけがわかる。
棋力は圧倒的にさくらの方が下だ。だが、兎月コマにとってこの対局相手の底が見えない。まるで全てを見透かしているかのように感じてしまうのだ。
それは同族嫌悪であるかもしれない。無意識的にこの対局相手と自分が似ていることに気づき、まるで自分の思考を読み取っているかのように感じているのかもしれない。
その真相は兎月コマにもわからない。
兎月コマの攻めは続く。
穴熊はもはや犬小屋と呼んでも差し支えないようなオンボロさだ。
勝ちはすぐそこにある。だが、何故か未だ届かない。
少なくとも今の持ち駒ではこの犬小屋は詰まない。
そよ風で崩れそうなその囲いは、奇跡的なかみ合いを見せていた。
それでも無理矢理攻めれば、兎月コマの攻めは空亡さくらの王に届いていたはずだった。
だが兎月コマはここで緩手を指してしまった。
怖気づいてしまったのだ。
この甘さは、その臆病さは、兎月コマを未だプロに至らせない弱さだった。
「――再現するのは銀翼の天使」
冷たく鋭く突き刺さる針のような言葉が兎月コマの耳に届いた。
それは幻聴だったが、ハッキリとその確かな圧力を兎月コマは感じた。その瞬間。
狙い澄ましたかのような一手が放たれる。
兎月コマがずっと警戒していた、空亡さくらが仕込んでいた駒たちが繋がる。
この瞬間、無駄に散っていただけのコマが一つの意図に繋がったのだ。
兎月コマの王を仕留めるという一つの目的に向かって。
「あーもう、嫌コマね。チキった自分に嫌気がさすコマよ」
ここで攻めに転じたということは勝機があると言うことか、と兎月コマは思案する。
しかし受け切れば大丈夫と自分に言い聞かせて、指し進める。
深く強くなりふり構わず指してくる相手を、兎月コマも強気で受けていく。
弱気のせいで招いたこの結果を少しでも見返すために。
――そして数手後。
兎月コマの画面上に大きく『勝利』と出てきた。
対局相手が時間切れを起こしたようだ。
「……勝った、コマ」
兎月コマは正直に言って勝った気はしなかった。
たった10分にも満たない対局。
見た目上は兎月コマの一方的な勝利だっただろう。
最後の空亡さくらの攻めも最後の無駄な足掻きに視聴者からは見える。
だが、対局者である兎月コマだけはこの対局に完勝という評価はつけられなかった。
コメント「888888」
コメント「コマちゃんやっぱり強い」
コメント「キレてたけど結局勝つコマ太郎」
流れてくるコメントを見て、兎月コマは現実に戻る。
まだ配信は終わってない。
カチリ、と配信者モードに思考を切り替えた。
そのあと1時間ほど雑談をして少女は配信を止め一息つく。
最初は連盟に言われるがまま始めたVtuber活動だが、思ったよりもハマってしまい、今となっては毎週のように配信するようになってしまった。
この前のプロ棋士もそうだが、たまに自分よりもずっと強い相手と当たるので経験も思っていたより積める。
今日対局した人……『さくら』も少女にとっては貴重な経験になった。
改めて自分の弱さに気づけたのは大きな収穫だ。
もう一度……いやあと何度か対局してみたいと思わされた。
今日は勝ちはしたが、時間切れ勝ちだったし精神的にはどちらかというと負けていた。
「今度は長考戦したいな」
強い人は今までの配信でも何度かいたが、また指したいと思う相手はこれが兎月コマにとって初めてだった。
できれば配信外で指せたら最高なのに、と心の中だけでコマはつぶやいた。
■■■
「はい負け負け。さくらちゃんの負けでーす」
いやー兎月コマ強すぎでしょ。
まったく歯が立たなかったよー。
最後ちょっとだけスキを見せてくれたから攻めてみたけど、結局時間切れだったしね。
時間があったとしても攻めが繋がるかは分かんなかったし、もう完敗だよぉ。
「桜花、最後時間あったらあれ詰みにいけたと思う?」
「むぅりぃ」
桜花でも無理なら諦めがつくかな。
いやーしかし本当に強かった。配信見てるのと対局してみるのとじゃ訳が違った。
私の仕込みも全部筒抜けで、常に対策されて最後以外まともに機能しなかった。
「これで正体がアマチュアだったら少し自信なくなっちゃうな」
早指しだけなのでなんとも言えないが、正直そこらの女流棋士より強いんじゃないかな。
下手したらプロ棋士レベル。
やっぱり女の人でも強い人は沢山いるんだよね。それでもプロ棋士になった人はいないってところが、プロ棋士になるための壁の高さを感じる。
「桜花ぁ〜負けたから慰めてぇ〜」
「はいおねぇよしよし」
「なんか適当!?」
桜花の雑な頭撫で撫でに癒されつつタブレットを眺める。
兎月コマが対局後の感想を言っているが、自分の思惑をことごとく読まれていたことに再度兎月コマの強さを痛感する。
めっちゃ褒めてくれてはいるが、兎月コマは平常運転でこんな感じなので特に誇らしくもない。
「早指しでここまで広い視野持って指せるなんてすっごいなー。私も早指し練習してみようかな」
早指しの勉強は少し疎かにしていたけど、通常対局でも持ち時間が無くなりかけることなんてしょっちゅうあることだし、無駄にはならないだろう。
全国大会での玉藻との対局も時間ギリギリだったしね。
というか思い返してみれば常に持ち時間に追われている気がする。
「桜花、今度早指ししてみない? 5分切れ負けとかでさ」
「いーよ。負けても泣かないでね」
「は? お姉ちゃんは最強だから負けないし」
「今負けたばっかだよおねぇ」
ぐうの音も出ない。ぐう。
さてさていつのまにか5時だしお米炊かないと。
家事手伝いの成果はお小遣いに関わるのだ。水回りはお任せあれ。
兎月コマ紹介話終わり。
また次の機会まで彼女にはお休みしてもらいます。
兎月コマ
白兎がモチーフ。兎耳が生えてる白い髪に紅の瞳を持つ。
バグでたまに兎耳が取れる。
すっごく将棋が強かった(さくらの小学生並みの感想)
将棋以外だと麻雀やカタンなどが得意。ホラーは苦手。
ガイスターなどの幽霊モチーフなだけでも苦手。




