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第5話「兎月コマ」

 兎月コマの棋風は早指しと長考で異なる。

 初期配信頃はまだ視聴者との早指しはしておらず、ネットで持ち時間ありの対局を解説しながら配信する形であった。

 ただ将棋は一局が長くなりがちなので、少しずつ今の早指し配信へと移行していった。


 兎月コマは振り飛車党だ。

 長考戦では序盤中盤は押されることが多いが、終盤にかけて追い上げて逆転勝ちをする力強い将棋を指す。

 それに対して早指し対局では、先手では四間飛車、三間飛車、後手ではゴキゲン中飛車で早い攻めを得意とする。

 こちらでは、序盤から自分の持ち時間を節約しつつ怒涛の攻めで相手を防戦に回して持ち時間を削り、焦った相手のミスにつけ込みそのまま勝ち切る速攻戦術を得意としている。


 ネット将棋は持ち時間の短い早指しが基本だ。

 その中でも兎月コマの視聴者対局は早指しの中でもさらに短い持ち時間5分切れ負けである。

 例えば100手ちょうどで決着がつくとしたら、1人50手。1手あたり6秒で指さなければならない。

 プロ棋士でもそうそう経験することのない領域だ。

 兎月コマはこのルールで勝率98%を誇るスペシャリスト。

 唯一黒星をつけたプロ棋士は流石と言ったところだ。


「早指しはあまり勉強してないんだよねー」


 私の将来の目標は魔王達の打倒と名人位奪取。

 早指しが主流のネットで王者になることではないため、どうしても他の研究よりは後回しになってしまう。


 にわか知識だが、これだけ待ち時間の短い将棋だと戦法は二つに分かれる。

 時間切れ前に相手を倒すか、相手の攻めを受け切って時間切れで倒すかのどちらかになるはずだ。

 兎月コマは前者。

 私の選択は前者を選び裸で切り合うか、後者を選び受け切るか。


「もうなるようになれ。受け切ってしまえ」

「がんばー」


 気怠そうに手を振る桜花。あれもう興味なしですか?

 機嫌は治ったみたいだけど、そもそもなんで機嫌悪くしたのかまったくわからないね。

 ……こらこら、私の服に鼻を擦り付けないで。


 兎月コマとの対局はアプリで行われる。

 先手後手はランダムで決まるが……先手か。

 とりあえず飛車先の歩を突きつつ、最強の囲いの穴熊を目指して指し進めるとするか。


「居飛車コマね。じゃあコマは得意戦法押し付けて行くコマよ」


 兎月コマは王の前の歩をあげる。

 劇場版ゴキゲン中飛車予告。1手先放送決定。

 ゴキゲン中飛車されると居飛車穴熊を目指しづらくなる。

 これが早指しの将棋でなければ超速と呼ばれる戦法で、ゴキゲン中飛車対策をするのが定跡だが。

 5分切れ負けという短い時間で超速を指しこなす自信は私にはない。


 1手の指しミスが命取りとなる難易度の高い戦法は、早指しには向かない。

 理論上の最適解はあくまで理論上でしかなく、実際に使う人間やその環境によって事実上の最適解は異なるのだ。


 だから私は素直に穴熊目指して引きこもりを開始する。

 金銀を中央に上げて相手の飛車先を牽制し、王を安住の地へと走らせる。


「一直線に穴熊を目指していくコマね。じゃあ遠慮なくいくコマよ」


 片美濃囲いで形だけ守り、繰り出してきた銀と飛車先の歩で私の守りを中央から食い破ろうとしてきた。

 ここまでほぼノータイム。多少は考えそうなところだが、やはり指し慣れている。


 この歩を取る場合、同歩同銀同金で飛車が突っ込んでくるから一旦放置。

 角を動かして飛車の動きを牽制する。


「うんうん、取らないのはなかなかお上手コマね。さてさて、そうするとどうしよーかな。確か近衛神奈先生が似たような盤面でゴキゲン中飛車を指してた気がするコマ」


 喋りながらほぼノータイムで進めていく兎月コマ。

 動画見てても思っていたことだが、実況しながら早指しするだけでも化け物なのにそれで勝ち続けていくところが兎月コマのやばいところ。

 女性でここまでできる人間なんてほんの一握りだろう。

 もしかしてバ美肉(女性型の3Dモデルを変声機などを使い男性が動かすタイプのVtuber)か?


 いやいや、ウチのコマちゃんは美少女だから。

 中身がおっさんでも美少女だから。

 ……あれ、実質私もバ美肉なのでは。

 最近この体に慣れ切ってしまってたけど、私は元おっさんでしたね。

 幼女プレイに慣れすぎて羞恥心消えてた。


 穴熊完成の前に攻められそうになったが、なんとか形だけは穴熊を完成させる。

 兎月コマの攻めは激しく乱暴だが――途切れない。

 丁寧に対応しようとすると時間を食われて兎月コマの思う壺になるが、しかし安易に下手な手を指してしまうとすぐに咎めてくる。


「うーん穴熊入られちゃったコマね。こうなるとめんどくさいコマ。コマはね、こういう時はバッサリといくのが好みコマ」


 攻めに使いたい駒をひたすら守りに遣わされる。

 自分の攻める出番が果てしなく遠い。

 持ち時間を見て勝ち切るのは不可能。ならば負けない将棋を指して時間切れを目指すしかないが、今のところ持ち時間は兎月コマの方が多い。

 だいぶ妥協して早指しを意識しているのに……だ。


コメント「コマちゃん怒涛の攻め」

コメント「これはコマちゃんの勝ちパターン。100回は見た」

コメント「まだ100回も対局してない定期」


 流れてくるコメントにもある通り、兎月コマの勝ちパターン『攻め続けて相手の持ち時間を削り、余裕がなくなってミスしたところでとどめを刺す』に完全に乗せられてる。

 兎月コマがほぼノータイムで指しているから、相手ターンに考える事すらできない。自分の持ち時間を使って考えるしかないから余計に持ち時間が削られている。


「こういう大胆な切り口は久遠寺遊沙先生っぽくないコマ? あの人マジで未来が見えてる説あるコマよね。過不足なく最低限の手数と駒でぴったし詰めてくる所とかもう芸術って感じ。もうすぐ女流名人戦だし、1年ぶりに久遠寺遊沙先生のちゃんとした将棋が見れるのキミたちも楽しみだよね。コマは超楽しみコマよ」


 角を捨ててきた。

 実質的には角と金の交換+飛車の動きの幅を広くできる1手だ。

 角を捨ててまで広さと利きで勝負してくる感覚がザ・振り飛車党って感じだ。


 こちらとしては角を得た事で攻め手を作りやすくはなった。

 ただ攻めの出番を回してくれるかは疑問符だけど。


 さっきからしゃべっているように兎月コマはかなりの女流棋士オタクだ。

 女流が使った戦法をよく引用してきたりするし、単純に1人のファンとして語ることもよくしている。

 推しは近衛神奈と久遠寺遊沙の2人らしい。

 まぁ今の女流で最強格の2人だからね。参考にもしやすいだろうし。


 特にその2人が本気でぶつかり合う女流名人戦が来月にあるが、兎月コマは実況する気満々らしい。ただ時間が取れるかは微妙とは言っていた。案外リアルが忙しい兎なのだ。


「んー、やばい。いいようにされすぎている」

「おねぇ、ピンチ。手伝う?」

「いいや。自分の力だけで頑張るつもり」

「そう。がんばー」


 桜花が思考している間に私が繋げば早指しでも十分に桜花は力を発揮できるとは思う。

 オウカサクラは確かに強いけど2人がかりだからチートなんだよね。

 ここ最近はずっと自重してる。無双できるしイチャイチャできるから楽しいんだけどね


「仕込んだ爆弾が爆発する展開になればいいけど……さてさて」


 1手1手しか動かせない将棋というゲームにおいて、必然的に強い手というのは2つ以上の狙いを持つ1手。

 一番分かりやすいものは王手飛車取りのような両取りの手だ。

 対応する側は基本的に一つにしか対応できない。そのため攻め手側は1手で2つ以上の狙いを持つことでどちらか一方を通していけるというわけだ。


 これは将棋だけではなく多くのゲームでも言える基本的な考え方だ。


 そしてこの基本的な考え方の応用がある。

 それは一つの大きな意図の中に極々小さな意図を練り込むことで、後者を完全に隠してしまうことだ。

 対応する側が気づけないほどの小さなものだが、それが積み重なった段階で表に示すことで対応側は急にそれに対して対応しなくてはいけなくなる。


 派手な擬似餌に隠された本命の針戦法とでも名付けておこう。

 相変わらず自分にネーミングセンスが無いことを痛感する。

 桜花に名付けさせたら、はでひそ(派手にひっそり)戦法とか付けられる。

 双子揃ってこれなんだから、ネーミングセンスのなさはこの身体に流れる血のせいだろう。


「まぁ持ち時間がないのことが最大の懸念点なんですけどね」


 残り持ち時間は1分と10数秒。

 兎月コマはまだ2分と残している。


コメント「そろそろクライマックス」

コメント「久遠寺先生ちっちゃくて可愛いですよね」

コメント「久遠寺遊沙お持ち帰りしたい」

コメント「近衛とかいうババアより圧倒的久遠寺派。次点でJKの因幡」

コメント「近衛先生は三十路の色気があっていいだろうが、このロリコンども」

コメント「久遠寺遊沙の話題でた瞬間信者がコメ欄に沸いてて笑う」

コメント「女流棋士を女体としてしか見てないおっさんどもの会話は見てて痛々しい」


 ……。

 なんかコメント欄が面白いことになってるけど今は将棋に集中。


「……きも」


 事実でも言ってやるなや桜花さんや。

 配信しているコメント欄で他の人の話題で盛り上がるのはマナーが悪いとは思うけどね。


「さてさて大詰め。まずは受け切るところが第一関門かな」


 コメント欄が大いに盛り上がる中、わたしは1人モニターの中に思考を落とす。

 膝にいる猫(桜花)を撫でながら。

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