第3話「女子会」
三人称です。
二人の女性がカラオケの個室で向かい合い、プラスチックの将棋盤で将棋を指している。
一人は、夜のように黒い髪を二つ結びで束ている、見た目中学生くらいの少女。
一人は、ブラウンに染めた髪を長く長く伸ばした、可憐な女性。
もし女流棋士ファンがその光景を見たならば大興奮するのは間違い無いだろう。
何故ならばこの二人こそが、現在の女流棋士界に君臨する3人のタイトルホルダー……そのうちの2人だからだ。
「今年の名人戦も近衛さんですかー。飽き飽きアッキーですよ」
「ふふふっ、わたくしは楽しみでございますよ。あなたに本気で指していただけるのは女流名人戦だけですから」
「ひひっ、ぼくはいつだって本気ですよー。今日だって、ほら」
頬を吊り上げて不気味に笑うのは久遠寺遊沙女流名人。
17歳で女流名人を目の前の女性から奪取し、それから今日までずっとその座を防衛し続けてきた。
強さに波があり、ダメなときはとことん弱いが調子の良いときはプロ棋士すら完敗するほどの強さを発揮する。
良くも悪くもムラッ気がはげしい。……と世間からは評価されている。
その対面に座るのは、近衛神奈女流三冠。
かつて6つの全女流タイトルを独占し(最近タイトルが1つ追加されたので現在は全7タイトル)、今もなお3つのタイトルを保有する史上最強の女流棋士。
マスメディア受けも良く、女流の顔として将棋に詳しくない人でもその名前くらいなら誰でも聞いたことがあるほどの知名度を誇る。
季節は9月。
カラオケルームの窓からはまだまだ強い日差しが差し込んでいる。
あと一ヶ月後の十月末日から女流名人戦5番勝負が始まる。
女流タイトルで最も格式のある女流名人戦。
現女流名人の久遠寺が挑戦者の近衛を迎え撃つ形だ。
「ぼくとうさぴょんがいない女流名人リーグ、近衛さん退屈でしょー」
「いえいえ、そんなことはございません。確かに貴方や因幡くんは飛び抜けて強いですが、他にも強い子はたくさんいますよ」
「ふーん、ぼくはつまらないと思うけどね。ぼくの心を躍らせた女流棋士は近衛さんとうさぴょんだけだよ。まぁうさぴょんは女流棋士じゃなくて奨励会員だけどー」
遊沙は両手を頭の上でぴょこぴょこさせてウサギの耳のジェスチャーをする。
遊沙がうさぴょんと可愛がって呼んでいるのは女流三強の最後の一角『因幡萌衣』。
正確には女流棋士ではなく、プロ棋士を目指す奨励会員。
女流タイトルのうち奨励会員でも獲得できるタイトル『女王』、『女流王座』、『女流王将』の三つを保有する。
残念ながら女流棋士ではなく奨励会員なため女流名人戦には参加できない。
今日は久遠寺と近衛の2人に因幡を加えた3人で月に一度の女子会だ。
女流最強の3人は歳の差はあれど、たまに集まってこうして遊ぶくらいには仲が良い。
因幡は学校で少し遅れるので、今は久遠寺と近衛でこうして将棋をして時間を潰しているというわけだ。
「ふふふっ、そんなに強い相手と指したいなら貴方も因幡くんみたいに奨励会に挑戦してみてはいかがですか?」
「えーめんどくさい。それにぼくが指したいのは強い相手じゃなくて心躍らせてくれる相手だからね。まぁ、雑魚は評価のお立ち台にすら乗れないけどね」
「……変わりませんね、貴方はいつまで経っても」
「それがぼくの魅力だと思ってます、えっへん」
「褒めているわけではございませんよ?」
談笑しながら2人は将棋を指す。
女流戦で戦うときのようなガチの対局ではなく、心赴くままに指しては将棋を楽しんでいた。
「待たせたわね!!」
個室のドアが急に開かれ、高校の制服を着た少女が入ってきた。
現役女子高生にして奨励会二段の因幡萌衣。
三人の中で最も歳下ながら久遠寺や近衛に勝るとも劣らない実力を示す天才だ。
そして現在もっともプロ棋士に近い女性である。
「うさぴょん、遅いぞ」
「遊沙先生ごめーん、学校が長引いちゃって。あっ、近衛先生お久しぶりです。女流名人リーグ優勝おめでとうございます!」
「ありがとうございます。今年こそは名人奪取できるように努めてまいります」
「近衛さんに女流名人取られたら、ぼく無冠になるんですが?」
「遊沙先生は1度失冠した方がいーんじゃないの? そしたら他のタイトル戦でもやる気でるっしょ」
「女流名人落としたらぼくは引退しまーす。はい、今ここで決めましたー」
遊沙は持ち駒を盤上にばら撒き、両手を上げてソファーに倒れ込む。
マナー違反だが、近衛は特に気にすることもなくコーヒーをすする。
「でました、遊沙先生の引退詐欺。近衛先生、この人負けるとはこれっぽっちも思ってないですよ」
「ふふふ、そんな傲慢なところが久遠寺くんの可愛いところでございますよ」
「ひひひっ、それほどでもー」
「もちろん、嫌味ですよ。それと今の対局は投了ということでよろしいですよね。コーヒーのおかわりお願いします」
「げげぇ、しょうがないなー。りょーかいです、お嬢様」
負けた方がドリンクバーで飲み物を注いでくる、という対局前にした賭けを遊沙は律儀に守るため二人分のコップを持ち部屋を出た。
「……近衛先生も遊沙先生も何も曲入れてないじゃないですかー。せっかくのカラオケなのにずっと将棋してたんですか?」
「因幡くん歌っていいですよ。わたくしは聴いているだけで楽しいので」
「んじゃーお言葉に甘えて〜『雨天前夜』」
因幡はポチポチとタブレットを操作して曲を入力。
アウターを脱いで、少し気合を入れてマイクを持って歌い出した。
因幡が楽しそうに歌う様子を、可愛い姪を見守るように近衛は眺める。
歌い終わって点数が表示される。「一発目にしては上出来」と因幡が嬉しそうに言った。
「へい、コーヒーお待ちぃい!」
両手でコーヒーとジュースを持った久遠寺が器用にドアを開けて帰ってきた。
「ありがとうございます。……帰りが遅かったようですが、コーヒーに変なもの入れてないですよね」
「流石のぼくでも大先輩の近衛さんにそんなことは恐れ多くてできないマン。ちょっとお花を刈り取りに行ってただけだよー」
「……それを言うならお花を摘みに、でございますよ」
――……。
ふむ、そういうものなのか……と、久遠寺は苦笑する。
「遊沙先生も歌いましょうよ。せっかくのカラオケ女子会なんだし」
「先月はボーリング女子会、先々月はスイーツ食べ放題女子会。陰キャなぼくには行動カロリーが高いイベントばかりで疲れるよ」
「ほらほらそんなこと言わないで歌ってくださいよ。はい、どうぞ」
「しょーがないなー。……では歌います『恋は恋ひ恋ふ縁』」
和風なイントロが流れ始める。
てっきりプリキュアとかおジャ魔女とか歌うものだと思っていた因幡は少し驚く。
しかもかなり上手い。音程は一度たりとも外さないし、ビブラートやこぶしをキレイに入れてくる。
歌い終わって表示される点数は、先ほどの因幡の点数より高かった。
「遊沙先生めっちゃ上手じゃないっすか」
「まーねー。ぼくは天才だから基本的になんでもできちゃうからね」
「それにしてもこれいい曲ですね。なんの曲なんですか?」
「エロゲ。うさぴょんに今度貸そうか? この作品はね、大人気メーカー『れもんソフト』から数年前に発売された作品で和風テイストな世界観と特徴的で魅力的なキャラがいい感じにマッチしていて、特に我輩幼女ルートはぼくのおすすめなんだ。刀に宿った聖霊で何百年と生きているんだけど、怖がりで見た目通りの幼女らしさと、長くこの町を見守ってきた母性を併せ持つロリババアでね。このルートでは序盤に張られた伏線が……」
「こ、近衛先生ぇ〜」
「因幡くん、そんな顔で助けを求めないでください。久遠寺くんがそういう人間だと知っていたでしょうに」
すでに因幡が聞いていないにも関わらず、早口でエロゲについて語る久遠寺は。
「……あれ、またぼく何かやっちゃいました?」
そんな一言を漏らした。
「ほらほら、遊沙先生。今度は一緒に歌いましょ」
「おっ、いいねいいね。何歌うー?」
因幡は強引に話を逸らして久遠寺ワールドから脱出を図る。
2人でひとつのタブレットを覗き見て歌う曲を探す。
頬と頬がくっつきそうになるくらい距離が近づいたので因幡は若干意識してしまった。
それを誤魔化すように因幡は久遠寺に言葉を向ける。
「遊沙先生ってほんと小さいよね。本当に20歳? ご飯ちゃんと食べてる?」
「ピチピチのハタチでーす。好きな食べ物はカップ麺」
因幡は女子高生の平均的な身長に対して、久遠寺は中学生……の身長順で先頭争いをしそうなほど低身長である。
およそ頭半分ほどの差だ。
ちなみに、そんな2人をニコニコと楽しそうに眺めている近衛は170センチを超えるかなりの高身長である。
「ほらほらうさぴょん、早く歌う曲選ぼう。うさぴょんが決めないならハム太郎にするよ」
「なんでハム太郎……。せっかくだし『RION』をデュエットしようよ」
「うさぴょんもオタクっぽい曲いけるんだね」
「んーというよりも、あたしはとりあえずカラオケランキング上から50番くらいまでなら一通り歌えるかなって感じ」
「はええ。じゃあこの次は『ぼくの知らない物語』歌おうよ」
それから2人で何曲か続けて歌った。
久遠寺が途中からへたり出してソファーで横になった頃に、因幡が近衛を誘い始めた。
最初は歌うことを渋っていた近衛も二人に根負けする形でマイクを持った。
最終的には三人で一緒に仲良く歌ってカラオケ女子会は閉めとなった。
「うぅ、雨降ってる。天気予報だと雨降らない予定だったのに」
因幡が声を漏らす。
来た時はカンカンと照らしていた太陽。
しかし、カラオケで楽しい時間を過ごしているうちに天気は様変わりし――大雨となっていた。
「これはひどいですね。お二人ともわたくし車で駅まで乗せますよ」
「うぅ、近衛先生ありがとうございます」
「レッツ近衛カー!」
因幡が助手席、久遠寺が後部座席に乗り込んで車は駅を目指して、雨道を走り出す。
「近衛さん、来月の女流名人戦。ぼく本気でやるからね」
「堕落姫から本気なんて言葉が聞けるなんて今日は槍でも降るのでしょうか」
「雨は降ってるけどね。というかぼくが堕落姫って呼ばれてるの近衛さん知ってるんだー、いーがいー」
「堕落姫、終盤の支配者、脱法女流棋士、将棋界の綺麗な汚点、サボりの名人〜フルさぼりだドン〜……ファンからの愛称が多くて羨ましいわ」
「ま? 一つくらい譲ろうか? ロリショタ姫とかどうよ」
「もちろん、お断りでございますわ。あまり人の趣味にとやかく言うつもりは無いですが、公式アカウントでアレは控えた方がよろしいのではないでしょうか」
「指がー動くのー。いいじゃん、二次元なんだから」
久遠寺は少し思案する。
そして妙案を思いついたのか、言葉を続けた。
「んー、じゃあ次の女流名人戦の五番勝負で一つでも近衛さんがぼくに黒星を付けれたらなんでも一つ言うこと聞いてあげるよ。そしたらほら、公式アカウントくらいは自重するかもよ」
「あら、流石にわたくしを甘く見過ぎでは?」
「近衛さんの事を甘くなんて見てないよー。超評価してるからこそ、賭けになる。絶対負けない賭けなんてつまらないよ」
「……いいでしょう。でもあなたのことですから、私が賭けに負けた場合も何かあるのでございましょう?」
「ひひひ、もちろーん。ちょっとひとつだけお願いを聞いてほしいんだよね。あっ、えっちなお願いじゃないから安心してー」
クスクスと楽しそうに、久遠寺は一人笑う。
ほんの少し……いやとても嫌な予感はするが、なんだかんだいって久遠寺は越えてはいけないラインは超えないので、近衛は賭けの内容については追求しなかった。
そんな二人の会話を助手席で聞いていた因幡がそこで口を挟む。
「遊沙先生、いつになくやる気だね。女流名人戦だから……ってわけじゃないよね?」
「まーね。少し良いところを見せたい人がいるからさー」
「えっ、なになに男っすか?」
「幼女」
場が凍る。冷房が突然に強くなったように。
車内に流れるラジオの音だけがこの静かな空間に響きわたる。
因幡は近衛の耳元に口を近づけて、
「近衛先生。いい加減この人通報した方が将棋界のためじゃないですか? 事件が起こってからじゃ遅いっすよ」
「そうねー、警察よりも脳神経外科に連れて行こうかしら。ロボトミー手術すれば……」
「おーい、聞こえてるよー。人権、どこいったよ。いくらぼくでも人権あるぞー」
ティロリロリン、と会話をとぎらせるかのように電子音が鳴る。
久遠寺はパーカーの隙間からスマホを取り出した。
「遊沙先生の着信音、普通なんだね。正直ヤバイ音にしてるかと思ってた」
「うさぴょんの中でぼくの扱い酷くない? さてさてなんのメールかな――ひひひっ」
久遠寺はスマホの画面に届いた一つのメールを見て破顔する。
ここ1ヶ月ずっと待っていたメールだった。
そのメールには顔文字も添付ファイルも何もない。
ただ一言――『つよくなりたい』
そう書かれていた。
「ひひひっ、いいねいいね。さて、次はどんな手を打とうか」
久遠寺は少し思案する。
エサに喰らい付いた獲物はまだ1人で行動できるような歳ではない。下手したら誘拐扱いされてお縄になってしまう。
どうにかして周りから認められないと、あのおもちゃには手が出せない。
「そういえば……」
某人妻ロシア人からの情報だと、来月に家族で温泉旅行に行くらしい。
確か「娘がお友達も誘うらしいのよぉ〜」と言っていた気がする。
久遠寺の無駄に高スペックな脳がフル回転する。
詰将棋を解くように。自分の望む展開を思い描く。
久遠寺が本気を出すことは、一年を通しても数えるほどしかない。
そんな貴重な久遠寺の本気からひとつの最適解が導き出された。
まずは一手、と小さく声を漏らす。
「近衛さん、うさぴょん。来月の女子会は温泉旅行なんでどうかなー」
久遠寺の黒く澄んだその瞳は、ずっと先の未来を見据えていた。
某人妻ロシア人さんは久遠寺遊沙のことを実の妹のように可愛がっています。毎日のように旦那と娘の話をメールで惚気られるので久遠寺側としては少しめんどくさいと思っていますが、なんだかんだいって仲は良好です。
10/27 デンモク表記の削除修正
第一興商の登録商標のため別表現に変更しました。




