第1話「夏休み最終日」
今日3話投稿しています。
2話目です。
私は真っ赤に染まる紅葉を見ていた。
衣服は何も身につけていない。
きゃーえっち……とはならない。なぜならここは温泉。
つまり裸でも問題ない。むしろ服を着ている方がおかしいだろう。
肩までお湯に浸かり、その温かさを堪能する。
「疲れた身体にしみるー」
「おじさんみたいよ、さくら」
声の方に顔を向ける。
普段は腰まで伸びている白銀の髪をタオルでまとめ、ほんのりと顔を赤く染めている美少女がいた。
まるで人形のように美しい。
普段は衣服で見えないその裸体を恥ずかしげもなく晒しだしている。
歳相応の凹凸のない身体、しかしそれが逆に彼女の神秘性を強調している。
芸術の前にエロなど霧散する。うーん眼福眼福。
その後ろで、私の双子の妹が全裸で走り抜けていく姿が見える。
こらこら、温泉で走っちゃだめだぞ。
「7六歩」
「……暇だから目隠し将棋をやろうかしら、みたいなノリで始めないで欲しいわ」
「できないわけじゃないでしょ?」
「あなたやあなたの妹ほど得意じゃないわ。というかあなたたちがどうしてそんなに自然に目隠し将棋ができるのかわからないわ」
前世でも普通にできていたし、今世でも桜花と将棋盤のない時に遊びでやってたから自然と身につけることができた。
盤面記憶に脳内のタスクを割かなくてはいけないから、棋力はグッと落ちるけどね。
遊びで定跡をなぞる程度なら問題なくできる。
「車の中だと将棋させないから、桜花に教えるついでにやってたらできるようになってたんだよね。ちなみに桜花は最初から苦もなくできてた」
「……なにこのバケモノ姉妹は」
「ぶっちーとかもできるんじゃないの?」
「あいつなら平気な顔して、できますけど何か、て煽って来そうだわ」
ルナは苦虫を噛み潰したように顔を歪める。
ルナと角淵は生まれた時から一緒に育った仲だとは聞いている。
角淵曰く去年までは普通に仲が良かったらしい。
2人の関係が拗れたのは去年の全国大会の後。
角淵がルナの父でありプロ棋士の神無月稔の弟子になってから、関係が悪化したらしい。
子どもなんだから一晩寝て仲直りすればいいのにね。
2人とも歳に比べて頭が良いから、そんな単純じゃないんだろうな。
温泉で桜花が知らないおばさんに囲まれて可愛がられていた。助けて欲しそうな眼でこちらを見ている。
ぷちコミュ症な桜花たんかわいいね。
「……助けないの?」
「もう少し見ていたくない?」
「お姉ちゃんとしてそれはどうなのかしら」
「ですよね。助けてくる」
桜花を助けに行く。
あらー姉妹? かわいいわね
こっちいらっしゃいな。景色が綺麗よ
あめちゃん食べる?
ハイテンションおばちゃんシンドロームに私も巻き込まれることになってしまった。
というかおばちゃんや。温泉にあめちゃん持って来ちゃダメでしょ。
桜花と一緒になっておばちゃんに絡まれながら空を見上げる。
……はてはてどうして、私たちが温泉にいるのか。
それを語るには数話ほど必要になるだろうね。
それでは一ヶ月前から話をするとしよう。
あれは夏休み最終日の暑い日だった……。
■■■
私の名前は空亡さくら。
半年前に小学校に入学したばかりの7歳の小学一年生
ランドセルを背負って毎日学校に通っている黒髪ショートの女の子で、元プロ棋士のおっさんである。
かつては、A級のプロ棋士として最前線で将棋を指していた。生活の全てを将棋に捧げた人生だったが、最強の棋士『魔王の世代』に阻まれついぞタイトルを手にすることはできなかった。
最後のチャンスと意気込んで挑んだ名人戦。
対局相手は魔王の世代、その名にもなっている『魔王』玉藻宗一。
7番勝負の最終戦までもつれこみはしたが、結局のところ私は名人になることはできなかった。
失意の中、家で酒を飲んでいたら私は気を失ってしまった。
そして運命の悪戯か、私はこの幼女の身体に転生してしまった。
最初は戸惑いはしたが、まだ将棋ができることに変わりはない。
前世の知識は失ってしまっていたが問題ないだろう。
ゼロからのスタートではあるが、時間はたっぷりあるのだから。
かわいく才能豊かな双子の妹に将棋を教えながら力をつけ、同性の友達であるルナや将来の魔王の世代である角淵たちと競い合いながら成長した。
そして夏休みに出場した全国大会。
そこで私は『魔王』と再会を果たした。
ここはどうやら私の死んだ時間よりも前の時間となっている。
魔王も、そしてその眷族たちも私と同年代の子どもだった。
結果として魔王には負けてはしまったが、確かな手応えはあった。
次は勝つ。
そのためにも、もっと力をつけなくては。
さて、話は変わるが――。
中学生の教科書レベルの知識として「ものが燃える3条件」というものがある。
1に燃えるものがあること。
2に十分な酸素があること。
3に発火点以上の温度があること。
3つの条件を満たさなければものは燃えることはない。
どんなに材料と酸素があっても、きっかけとなる温度が無ければものは燃えない。
このようにある閾値を超えた瞬間に爆発的に反応が加速するものがこの世界には多く存在する。
例えば原子力発電に使われる臨界反応などがそうだ。
これは科学現象だけではなく人の精神にも閾値は存在する。
ストレスが溜まり、ある閾値を超えると心が折れ鬱になるように。
怒りを我慢していたが、ある閾値を超え噴火するように。
その閾値を超える瞬間に存在する大きな変化点。
つまりは変換点――ターニングポイントとなるもの。
『きっかけ』と呼べるものは些細なものかもしれない。
ただそのきっかけが発火点となり、今まで溜め込んだものが雪崩のようにまとめて降りかかるのだ。
そう。溜め込んだものは、いつか精算しなくてはならない。
――この目の前の夏休みの宿題のように。
全国大会が終わり、瞬くように夏休みが過ぎ去った。
すっかり忘れていたのだが、夏休みには宿題というものがある。
小学一年生なので、量はそんな多くない。だから油断していた。
夏休み最終日の私の前には白紙のプリントと白紙の日記帳、自由研究(アサガオ観察)ノートが広がっていた。
夏休みの間、私と一緒に遊んでいたはずの桜花はいつの間にか宿題を片付けていたようだ。不思議だ。同じ時間を過ごしていたはずなのに。
とりあえず写させてもらった。模倣は私の得意分野だ。
問題は日記と自由研究。
流石にこれを写させてもらうわけにはいかない。
そもそも私のアサガオは既に天に旅立っている。アーメン。
だから、ここは将棋で鍛え上げた妄想力と想像力を使う時だ。
夏休み最終日、始まるは妄想日記と自由研究(枯れたアサガオの観察)。
花火大会にいった(行ってない)。
海で泳いだ(プールでは泳いだ)。
カブトムシを捕まえた(デパートで売られていたのを見てただけ)。
嘘と欺瞞、空想で綴られる夏休み日記。
半分くらい埋めたところでネタが切れる。
なので繰り返す。何度でも。リフレイン。
私の夏休みは海に4回行って、花火大会に5回、虫取りに映画に旅行に大忙しだった(空想)。
絶対に頭おかしい夏休み日記だが、とりあえず完成させなければ先生に怒られる。
うちの担任は怖いのだ。
辞書大好き先生なので愛称(蔑称)はディクショナリーババアだ。略してディクバだ。
なんとか日記を終わらせて、最後に自由研究(アサガオ観察)が残った。
桜花がたまに私の様子をみにくる。
私が宿題の追い込みで忙しく、今日は構ってあげれないから暇なのだろう。
猫のように周りをウロウロした後何処かに行った。
桜花もディクバの怖さは知っているので宿題の邪魔はしない。
宿題が終わったら構ってあげよう。
さてさて自由研究。
そもそも自由な研究なのだ。
アサガオ観察じゃなくてもいいのだ。
死んだ彼女のことは忘れよう。天国で安らかに。チーン。
自由研究なら私には将棋がある。
タイトルは……『将棋の純文学〜復活した矢倉〜』かな。
小学一年生らしくもなんともないが、私にとってはアサガオ観察なんかよりよっぽど書きやすい。
元々頭の中で考えていたことを文字にするだけだ。
女子小学生らしくピンクやオレンジのペンでデコレーションして、その内容に反して可愛らしいデザインのポスターにする。
そんなこんなで自由研究を何とか書き終わる。
窓からオレンジ色の夕焼けが差し込んでいた。
夏休み最終日は引きこもり生活でした。来年こそは計画的に宿題を終わらせようと決意した。
ちなみにこの自由研究は将棋好きな校長先生の目に止まり、ちょっと話題になるのだがそれは少しあとの話だ。
「終わった?」
子ども部屋のドアの隙間からチラッと桜花がのぞいている。
「終わったよ。もうヘトヘト」
「……じゃあ将棋しよ」
「将棋なんだ。てっきりテレビゲームかと思ってた」
全国大会が終わってから桜花はめっきり将棋を指さなくなった。
正確には私と指さなくなった。
ルナや角淵とはどうやら指しているらしいけど……。
日常生活ではいつもどおりベタベタしてくるので反抗期ではないとは思う。
何か企んでいるのかな。
とりあえず桜花と将棋を指すのは半月ぶりだ。
少し楽しみだ。
桜花は基本的に序盤、中盤が苦手だ。
昔よりは成長はしているが、それでも私やルナ、角淵の足元にも及ばない。
まぁ、それを補って余りある終盤力と局地戦での強みが桜花の武器なんだけどね。
そんな桜花が不思議な手を指した。
「ん、……ふむ」
少し悩む。
定跡ではないが、悪手でもない。
確かな意図を持たなければ指すことのない手だ。
脅威ではない。
これに対する解答を私は知っている。
ただこの指し手を桜花が指してきたのが驚きだ。
「これ桜花が考えたの?」
「ん、どう?」
「悪くないけど、こうしたらどうするの?」
「こう」
「じゃあ、こうしたら」
「こう」
私の返し手に桜花は対応していく。
だが、だんだん桜花の指し手に時間がかかるようになり最後には止まってしまった。
「……自信あったのに」
「まぁ、最初からうまくはいかないもんだよ。何度失敗しても改善していくことが大事」
「うん。でも……これじゃ……には……ない」
桜花が小さく何か呟いだがうまく聞き取れなかった。
なんか悩んでるみたいだね。今日の桜花の指しても桜花が強くなろうと考えた結果なのかもしれない。
いやー、お姉ちゃん嬉しいね。
ではお姉ちゃんから一つ教えようかな。
「桜花、もし強くなりたかったら誰かを頼るんだよ。もちろんお姉ちゃんでもいいんだよ!」
「誰かを頼る?」
「独学や我流……つまり一人でも強くなる人もいるよ。でもね、それは効率が悪い。分からないことがあれば詳しい人に聞くのが早い」
「ぶっちーとかルナちーとか?」
「もちろんお姉ちゃんでもいいのよ!」
我流がカッコいいと思うのはいいが、そんな思考は中学生までで卒業したほうがいい。
自分の狭い世界で成長できる人間は一部の天才だけだ。
分からないことを他人に聞き、他人の知る世界を自分のものにする。
凡人である私はそうして人の真似をして知識を蓄える。
そして、多くの経験を積み、知識を積み、自分の必要なものだけを取捨選択をする。
そうして、最後に残るものが『個性』となるのだ。
まぁ、『個性』がなくて人の『模倣』しかできなかった私が言っても何一つ説得力ないけどね。
「……ん、わかった」
コクリと桜花は頷く。
ちゃんと理解している顔。桜花は頭がいいなぁ。
よーし、なでなでしてあげよう。
「おねぇは……」
「ん?」
私の胸の中で素直に撫でられている桜花が口を開く。
「おねぇは強くなりたかったら悪魔や魔王だって利用する?」
魔王。
その言葉に心臓が跳ねる。
いや、たまたまなんだろうけどね。
私にとってその単語は、畏怖の対象であり敵意の対象でもあるからだ。
「もちろん。利用して、利用し尽くして、最後はそしてその魔王や悪魔をこの手で倒しちゃうかな」
魔王を倒すために魔王を利用して強くなる。
まさに、今の私じゃないか。
『魔王』玉藻宗一。
その眷族、角淵影人と飛鳥翔。
前世からの因縁の相手であり、今世での好敵手。はぐれメタル。
全国大会でのあの一局。負けてはしまったが、私にとっての大きな経験値になった。
将棋の経験値以外にも、一つ副産物があったのだがそれは今は置いておこう。
「おねぇは将棋が好きなんだね」
「にへへ、今更だよ」
「うん将棋バカには今更だったね」
「そんな汚い言葉誰から習ったの!? うちの天使を影で洗脳してるのは誰! やはりぶっちーか。やつは今度あったらドロップキックの刑だねこれは」
ぶっちーは全国大会で優勝したからと言って調子乗りすぎじゃないかな。
確かに彼は大きく成長した。
少なくとも、春に私に負けた彼と今の彼は大きく違う。
たった数ヶ月で彼は全国で優勝するまでの棋力を身につけたのだ。
子どもって生物はきっかけさえ有れば一気に成長するものだ。
そう、きっかけさえあれば。
そんな思考に囚われていると、いつの間にか桜花がこちらを見ていた。
ジーっと、漆黒の瞳で。
「ぶっちーのこと考えてた?」
「ん、まぁそうだけど……」
「おねぇはぶっちーのこと気になる?」
「……気になるとは?」
「……好き?」
はいいい!?
何言っちゃってんの、桜花たん。
いつのまにそんなおませさんになっちゃったのかな。
「いやーそれはないない。お姉ちゃんはずっと桜花一筋だよ」
「………………」
「えっ?」
「なーんでもない」
そう言って桜花は私の胸から離れた。
ほんのりと憂いのある瞳が、私の記憶に焼き付いた。
また私は何かを失敗したのかもしれない。
「そうだ、おねぇ」
桜花が子ども部屋から出るとき、振り向きながら言った。
その顔はいったって普通の顔で、先程の憂いは感じられなかった。
「ルナちーが温泉行かないか、だってさ」
夏休みの最終日。
二学期最初の予定は温泉旅行になった。