閑話「角淵影人2」
「君でも緊張するんだね」
ボクが決勝戦までの待ち時間を読書をして潰していると神無月師匠が話しかけてきた。
ボクが緊張?
「緊張しているように見えますか?」
「さっきから同じページずっと眺めてたからそうなのかなってね」
「……ちょっと考え事してただけですよ」
そう考え事だ。
頭の中に浮かぶのは玉藻宗一と空亡さくらの一局。
自分の対局があったため、最後の方しか見ることができなかったが、そのタイミングでさくらが倒れてしまったのは驚いた。
まぁ少し心配だが、まあ彼女なら大丈夫だろう。
あのバカがあの程度でどうにかなるとは到底思えない。
そんなことよりも、宗一があの一局の後に大会をリタイアしたことが衝撃だった。
「玉藻くんが途中リタイアしたのは残念だったね。角淵くんとしても彼は因縁の相手だろ?」
「……去年負けた仕返しをしたいと言えばウソになりますが、そこまで残念ではないですよ。ただ少し悔しい……」
「悔しい……?」
さくらとの対局が終わったあと、宗一と話した。
彼は満足げな表情をしていた。あんな表情は初めて見た。
放置すれば何十時間と将棋にのめり込む宗一を、たった一局でさくらは満足させたのだ。
「……いえ、聞かなかったことにしてください先生」
「君の秘密主義にはもう慣れたよ」
対局前にさくらならもしかしたら……とは思っていた。
彼女なら勝つことはできなくても宗一相手に壊れることなく指して、ボクらのように宗一のお気に入りになれる、そんな気がしていた。
しかし結果はそれ以上だった。たしかに勝つことはできていなかった。が、満足はさせることができていた。
なんか超悔しい。
でもどうしてこんなにも悔しいのかわからない。
ボクは翔ほど宗一に対抗意識も持ってなかったはずなのに、どうしてだろう。
「そう言えば先生はサブイベントの方はサボりですか?」
この将棋大会はボクたちが出場している大会とは別に、誰でも参加できるプロ棋士や女流棋士との交流イベントやミニトーナメントなどのサブイベントがある。
神無月先生はボクとさくらの付き添い兼交流イベントに出るプロ棋士として今日ここに来ている。
「ははっ、少し休憩だよ。あのサボり魔の後輩が珍しくやる気でね。ちょっとの間交代して貰ってるだけだよ」
「サボり魔の後輩……師匠の妹弟子さんですか?」
「その不肖の妹弟子だよ」
あの人苦手なんだよなぁ。
女流としては強いけど、将棋に対して不真面目というか。
少しでも対局が長引くと、すぐに投了してしまう。
噂では身体があまり丈夫ではないらしいけど、普段の様子ではそんな風には見えない。
「そろそろ時間のようですし、行ってきます」
「うん、いつも通り頑張っておいで」
「はい」
先生はいつも通りとは言ったが、いつも通りでは彼には勝てない。
決勝の対局相手――飛鳥翔。
幼馴染にして、宗一とならぶ最強には。
■■■
この大会の決勝戦はテレビ放送にネット配信、会場ではプロ棋士による実況解説とかなり豪華な内容になっており注目度も高い。
とは言っても対局するボクらは静かな個室で対局するので、集中力が乱されたりする心配はない。
「よぉ、遅かったな影人。うんこか?」
「下品ですよ、翔」
「かぁ〜、おめぇは真面目すぎるんだよ」
ボクが部屋に入ると、すでに翔が上座に座って待っていた。
翔の見た目はかなり派手だ。
前髪には赤いメッシュを入れているし、服装に至っては髑髏プリントに鎖をチャラチャラとつけていて、ほんとに今から将棋をするのか疑わしいような格好だ。
いくらこの大会の服装が自由とは言え、これはない。
「しっかし、決勝がお前とか〜。何だか緊張しねーな。オレとしては宗一のやつをこの決勝でぶっ倒して完全優勝狙ってたんだがなぁ。まあいいや。これが終われば晴れてオレもプロの弟子だ」
「もう勝った気ですか?」
「おいおい影人。公式戦で一度でもオレに勝ったことあるか?」
翔はこの大会で優勝すれば、現竜王に弟子にしてもらう約束をしているらしい。
翔にとっては宗一が最大の壁だったが、その宗一は途中リタイアしている。
つまり翔にとっては、もう優勝したも同然なのだ。
なにせ、決勝の相手であるボクは翔に公式戦で一度も勝ったことがないのだ。
彼もまたさくらと同じで大会などでは高いパフォーマンスを発揮する……いわば本番に強いタイプだ。
「今日はボクが勝ちますよ」
「ほぉ、強気じゃねーか。メガネのくせに生意気な」
「メガネは関係ないでしょ!?」
今日は負けられない。
翔に勝ちたいのもあるが、それよりも。
…………それよりもなんだ?
翔の対面に座り、コマを並べる。
パチリ、パチリと音だけが、小さな部屋に響く。
「そういえばあのはりきりガール、イキってたわりには結局宗一に負けてたよなぁ。とんだ期待外れだぜ。まぁ期待なんてしてなかったけどな」
「……翔はその対局見ましたか?」
「いーや、結果だけ。しかし宗一はどうしてリタイアしたんだ? 腹壊したのか?」
「……あとで本人に聞いてください。ボクは知りません」
わざわざここで翔にさくらのことを教えるのも面倒臭い。
今はボクと宗一だけが知っていればいい。
「さて、やろうか。軽く相手をしてやるよ」
「そんなに余裕こいてたら……喰らい殺しますよ」
「……ホントお前は駒もつと性格変わるよな。まぁ、そっちの方が叩き潰しがいがあるけどよ」
振り駒の結果、ボクの先手になる。
先手、先手か。
この大会でボクが翔と対局になった時の構想は大会前に考えていた。
翔だけではない。玉藻も、そしてさくらもだ。
今大会でボクの知る限り敵となり得るのはこの3人だからだ。
個人研究は勝つための一つの手段であり、プロの世界なら当然となる。
お互いに角道を開けた後の三手目は2六歩。飛車先の歩をボクは上げた。
「おいおい居飛車かよ。どうした、オレの真似でいつも振り飛車指してただろ?」
「真似はもうやめたんですよ。ほら、早く指してくださいよ。あなたのお得意の振り飛車を」
「けっ、いいぜ見せてやるよ」
翔は乱暴に飛車を掴み、玉の正面に振る。
――ゴキゲン中飛車。
角道を止めない後手番専用の中飛車であり、特徴的なのは角交換を含め自由度の高い戦いが可能なこと。
例えば『藤井システム』という戦法は定跡がハッキリと確立されていて理論的に積み重ねられた戦法だが、このゴキゲン中飛車は違う。
この局面ではこうするべき、という一手がすくない。
手が広い局面でカンを頼りに臨機応変に指すというコンセプトで作られた戦法だ。
さくらやぼくが得意とする定跡のある理論的な将棋とは対極。
その局面の雰囲気を読み取る感覚的な将棋。
翔の影響で振り飛車を指し始めたボクが感覚が合わずに指しこなすことのできなかった振り飛車戦法の一つだ。
「元気が一番、さあご機嫌に行こうか!」
翔は根っからの振り飛車党だ。彼が居飛車を指したところを少なくともボクは見たことがない。
居飛車VS振り飛車。当初の構想通りの展開だ。
ボクが先手番なら翔はゴキ中。
ボクが後手番なら四間飛車。
正直言うなら対四間飛車の方が厚く勉強していたから、そっちの方が良かったが贅沢は言っていられない。
さて、やるか。
ゴキゲン中飛車を喰い殺すための一手――角交換。
「丸山ワクチン? それは先手不利だろ」
「さぁ、どうでしょうね」
「……なにか企んで居やがるな。まぁ、全部つぶせば関係ない」
かつてプロの世界でゴキゲン中飛車が大流行した時、それを駆逐するかのように生まれたものが丸山ワクチン。
ウイルスのように大流行した戦法を殺す特効薬のワクチンだった。
しかし実際のウイルスのようにゴキゲン中飛車側も進化し、このワクチンに抵抗を持ち始めた。そして今では、丸山ワクチンはあまり使われなくなった。
ワクチン側が不利というわけではないが、すくなくとも特効薬ではなくなった。
ならば、ウイルスの進化で特効薬で無くなったならワクチン側も進化させればいい。
そのための研究をボクはさくらとしたのだから。
さくらは本当に何でも指せる。
彼女には得意不得意はあっても、指しこなせない戦法はない。
どんな戦法もある一定の水準で指しこなす。だから頼めば彼女が苦手な力戦系でも指してくれる。
特にさくらとの練習対局で1番経験となるのが、対局後の感想戦だ。
さくらは練習対局では感想戦は欠かさない。必ず今の対局のどこが悪かったのか、ここを変化させればどうなるのか、というところをとことん突き詰めてくる。
最初はクソめんどくさいと思ったが、数を重ねる毎にその感想戦が自分の力になっていくのを感じた。
彼女の考察は理にかなっているのもあるが、なによりとにかく分かりやすい。
ボクと同じで感覚系の将棋は苦手としているはずだが、それを理論的にわかりやすく説明してくれるのだ。
いわゆる感覚の言語化。
さくらの土台にあるのはしっかりとした知識。
自分より歳下なのにどうやってあれほどの知識を身につけたのだろうか。
一度聞いてみた時には「読書」って言っていた。「二回目だから覚えがいいのかもね。記憶ないけど」とわけのわからないことも言っていたが。
「……ちっ!」
「この変化、知らないでしょ?」
翔が焦り始める。
この変化はまださくら以外には見せてない。
さくら曰く「ブラッシュアップが足りないからプロには初見で対応されると思うよ」と評価されたが、問題無い。
今日勝つためには十分だ。……というかプロって、気が早すぎでしょ。
「影人……おまえ、こんな強かったか!?」
「強かったんじゃないですよ……強くなったんです」
そう強くなった。
絶対に本人の前では言いたく無いけど、さくらのおかげだ。
ボクは強くなった。そしてこれからもまだ強くなれる。
そうか……今日ボクが負けられないと思う理由。
翔に勝ちたい……たしかにそれもあるがいちばんの理由はそれじゃない。
証明したかったのだ。
さくらと一緒に強くなった自分のことを。
誰にでも無い。自分自身に証明したかったのだ。
「今まで公式戦で勝てなかった、翔。君を今日超えることで証明する」
「うぜぇうぜぇ、邪魔すんなよ影人!! オレのオレ様の成り上がりを!」
大きく声を荒げ、翔はすべてを犠牲に飛車を突貫させ竜王へと成らせる。
――それをボクは喰らう。
「ぐぎぎ、捕食の受けえぇ」
「動けば動くほど捕食の受けは強靭に食い込みますよ、もうあなたは聞き飽きたかもしれませんが」
「死ね死ね死ね死ねぇええええ」
翔の駒が濁流のように竜王を主導にしてボクの陣地に雪崩れ込む。
だが、無駄だ。
ワクチンによって弱体化したウイルスは、最後は人体の抗体によって駆逐されるのだ。
ボクの抗体――捕食の受けはここで真価を発揮する。
ウイルスを喰いあらし、その力を自分のものにする。
完全体でない竜王など、ただのご馳走だ。
「か、影人ぉおお。おまえ、おまえ」
「そんなに睨まないでくださいよ。今日はボクの勝ちです」
あとは簡単な詰め。
翔の王の首に鎌をかけて、この将棋を終わらせる。
「……これ今日昨日思いついたってわけじゃないよな?」
終局後、翔がそう問いかけてきた。
「丸山ワクチンもどきですか? そうですね。三ヶ月くらい練ってました」
「三ヶ月……はやいな」
「あと半年あればもっと完璧に仕上げれたと思うのですが、1人だど着想すら持てなかったと思いますよ」
「おまえ1人で考えたわけじゃないのか。神無月プロの入れ知恵か? ずりぃなぁ」
「いいえ、違いますよ」
そこで感想戦を終えボクは立ち上がる。
まだ、負けたことが気に食わないのか盤面を眺める翔にむけて一言だけ言葉を漏らす。
「1人の将棋バカの入れ知恵ですよ」
バカとはなんだバカとはーーって声が聞こえた気がするがきのせいだろう。
自然とボクの顔が笑っていたのもきっと気のせいだ。




