第32話「記念日」
――夢を見た。
それは私が女の子になる夢だった。
40を超えるおっさんが可愛い女の子になって、かつて果たせなかった夢を叶える夢。
私は朝日が差し込む自分の家の床で、自分の見た夢に悶えていた。
こんな歳にもなって、訳もわからない妄想の夢を見て自分を慰めていた。
現実は変わらない。夜酒で酔って倒れて失神した。
打った頭はズキズキと痛むし、名人に負けた記憶がハッキリと脳に刻まれている。
私は無冠の棋士。
昔も今も変わらず。
ただの人の身で魔王とその眷属に挑み、返り討ちにされてきた男だ。
そう、男だ。
あれ、男だよな。
なんか身体が縮んでないか?
歳によって荒れた肌が瑞々しく若返る。
喉から漏れる吐息が何故か可愛らしい。
ふむ、理解したわ。
こっちが夢だわ。
実際の私は女になった。
そう、幼女に転生してしまったのだ。
■■■
ジトっとした暑苦しさを覚えて覚醒する。
ゆっくりとまぶたを開け、身体を起こす。そして、知らない天井をぼんやりと眺め、周囲を確認する。
学校の保健室のような場所だ。
「ふむ、考えまーす」
寝起き特有の記憶の混濁。
変な夢を見たせいで、寝る前に何をしていたかすぐに思い出せない。
とりあえず、無いことは確認した。
「何を考えるんですか?」
「っ!?」
私が寝ているベッドのすぐ横。
天使のような少年が、背もたれもない簡素な椅子にちょこんと座っていた。足が地面に届いてない。かわいい。
少年――玉藻はブックカバーのかけられた本を閉じて、親しげに言葉を続けた。
「あなた風邪をひいてたらしいですね。それなのに無茶して大会に出て倒れるなんて……実はアホなんですね」
「将棋バカと呼んでくれてもいいのよ?」
夢心地から抜けてきて、記憶が戻ってくる。
そうだ。私は全国大会に出ていたんだ。
そして予選の最終戦この少年に負けてしまい、そのまま意識を失った。
「……そうか、私は負けたのか」
「はい、ぼくの勝ちです」
「……ぶっちーがそれを言うと嫌味に聞こえるのに、あなたが言うとただの事実にしか聞こえないのは何。天使補正?」
「天使補正……はよくわからないです。あと、あなたじゃないです。ぼくの名前は玉藻宗一です。自己紹介しましたよね?」
「えぇ、知ってる。……ずっと前からね」
もう仮はつけない。
対局して理解した。玉藻宗一は魔王だ。
かつては10以上歳下として私の前に現れ、今世では1つ歳上の子供として私の前に現れた。
「せっかくこうして将棋をして理解しあえたのだから、名前で呼んでください。ぶっちーみたいなあだ名でも大歓迎ですよ」
「私はあなたのことこれっぽっちも理解できてないけどね。片思い……いえ、片理解かな」
「そんな寂しいこと言わないでよ。影人くんや翔くんは宗一って呼びますよ」
角淵影人。魔王の眷属にして前世での叡王位を所持していた鉄壁の受けを得意とする男。今世ではいじられメガネ。
飛鳥翔。彼の記憶はまだはっきりとしないが魔王の眷属であることは確かだろう。小学3年生にして前髪に赤メッシュを入れるヤンキー。
言葉の端々から推測するに、この3人は仲良し3人組なんだろう。
類は類を呼び、才は才を引き寄せる。
天使と陰キャとヤンキー。将棋が無ければ接点すらなさそうな3人が引かれ合うのも、将棋という1つの才能があるからか。
「……ぼくは友達が少ないんですよ」
「はがない」
「……?」
「ごめん、続けて」
知ってる単語が出てくるとついつい言葉を挟みたくなってしまうのは悪いオタク。黙ってちゃんと話を聞きましょう。桜花に叱られます。
「別に学校の友達は多いですよ。100人くらいはいます」
「100人も友達作る人初めてみた。なに、富士山の上でおにぎり食べるの?」
「食べません。……でもですね、将棋をする友達は少ないんです。今はもう、影人と翔の2人だけです。ぼくと対局した子どもはみんな将棋を嫌いになってやめてしまうか、ぼくとだけ将棋を指してくれなくなるんです」
角淵も言ってた。
玉藻と対局すると将棋の感覚を失う、と。
本気で将棋をやればやるほど、玉藻の才能が分かってしまう。その才能が異質であること。将棋の常識からかけ離れているからこそ、その才能に触れてしまうと、将棋の感覚が崩れてしまうのだろう。
子どもは大人ほど努力に対して我慢強く無い。
好きなことに対しての努力は大人以上に集中力を発揮するが、嫌いなことや苦手なことに対しての努力は自分からはまずしない。
玉藻と対局して、将棋に苦手意識を持ってしまい、次第に将棋から離れてしまいやめてしまうのだろう。
魔王の時代なら、将棋に人生を捧げたプロ棋士すらこの男の前には壊れていったのだから。
「さくらちゃんは……ぼくとの将棋で、将棋は嫌いになりましたか?」
少し躊躇しながら、玉藻が尋ねる。
その眼には大きな恐れと、小さな期待。
自分の将棋で何度も、対局相手を将棋嫌いにしてしまった。
また誰かを将棋嫌いにしてしまったかもしれないという恐れと、私なら自分と将棋をしても将棋を嫌いにならないでいてくれるという期待。
そんな想いが感じられる。とんだ期待値の高さだ。
たった1局。それだけで、さくらが特別だったら良いなと期待している。
「……私は将棋を嫌いになんてならないよ」
「ほ、ほんとですか?」
あぁ、嬉しそうに。
今更魔王と将棋をしたところで、私が将棋を嫌いになるはずがない。ましてや雛の魔王だし。
……何度、何度。
何度何度何度何度何度何度何度何度――
前世で何度魔王に苦渋を舐めさせられたと思っているんだ。
もし私が特別といえる所があるとすれば、この魔王に壊された数では誰にも負けないということ。
壊されて立ち直りまた壊される。
もう耐性が付いているもんね。魔王に殺され続けた村人なめんな。
「ええ、だから次も本気で私を殺しにきなさい」
「殺しにって……ぶっそうですねー。でも、次……ですか」
玉藻はニコニコと言葉を確かめるように口ずさむ。
彼にとって「次」があるということは、とても特別なことなのだろう。
彼と将棋した子どもはことごとく壊れていき、『次』などなかったのだろうから。
うむ、やっぱり天使は笑ってる方が可愛いね。
まぁ、うちの桜花ほどじゃないけど。
うちの桜花ちゃんまじ天使すぎてかわいいからね。
天使というより猫だけどね。天使猫。桜花にゃん。
向こうからはくっついてくるのに、こっちから触ろうとすると逃げる桜花にゃんまじニャンコ。
「じゃあ、今から将棋やりますか?」
「ちょ、ちょっと待て」
玉藻がポケットから将棋盤を出す。四次元ポケットかよ。
私に速攻断られて、玉藻は瞳をうるうるとさせ。
「やっぱりぼくと将棋さすの嫌なんですか?」
「嫌じゃないし、むしろ私の経験値的な意味で大歓迎。だけど……、あなた時間は大丈夫なの? まだ大会中だよね」
部屋の時計を確認すると、日程的にはもうすぐ決勝戦が始まる所だった。
玉藻が負けるわけないし、決勝戦には出ないといけないだろう。
決勝戦はネット配信あり、テレビ放送有りの大舞台なんだし。
「ぼくは棄権しましたから大丈夫ですよ」
「大丈夫じゃないよ!? 何してるの!」
え、棄権なんで。
私が風邪を移しちゃったとか?
いやいや。めっちゃ元気やん!
「さくらちゃんとの研究で満足しちゃったし、もう良いかなーって。この大会は去年優勝してますし、今年は優勝とかどうでもよかったので」
「あーそう」
前世でタイトルを取れなかった私は一番になることにこだわりがあるだけで、実は世間的には優勝とかあまり固執しないものだったり?
…………いやいやそんなわけない。目の前の天使が頭おかしいだけでしょ。
「んー、じゃあ一緒に配信みますか?」
「決勝の? ちょっと興味あるかも」
「はい、なかなか熱いマッチングですよ」
「へー私の知ってる人?」
「はい。影人くんと翔くんです」
「ぶっちーかよ! いや、まぁ確かに。私もあなたもいないなら、本命だよね」
魔王の眷属同士の対局。
前世では飽きるほど見た対局だが、今世では初めてだ。
プチ興味ある。
「まだ準備中みたいです。あと5分くらいで始まると思います」
「そうなんだ。……ねぇ、一つ聞いていい?」
「はい、なんでしょう」
「棄権もそうだし、対局中に言ってた、将棋は勝ち負けじゃないって言葉……あなたって勝ちたいって気持ちあるの?」
「それは勝ちたいですよ。でも優先度が低いかなー」
「優先度……やっぱり楽しさとかが大事なわけ?」
玉藻は口に指を当てて考える。
ただ、それは答えを考えるというより伝え方を考えてるようだった。
「なんというんでしょうね。そもそも目的……ぼくが将棋をする目的が勝ち負けじゃないんですよね」
私も角淵もルナも、みんな揃って負けず嫌いだ。
多分桜花もだし、あのイキりヤンキーもかなりの負けず嫌いな匂いがする。
勝負事における強者は基本的に負けず嫌いだ。
負けたくないから強くあろうとするのだ。
「さくらちゃんは将棋をなんだと思ってますか?」
「そりゃ勝ち負けを競うものでしょ。勝つことに意味があり、負けることから学ぶことはあっても負けることに価値はない」
「ふふふ、影人くんと似てますね」
「なんかイヤそれ」
前世の私は勝つことはできても、勝ち続けることができなかった。
局所的には勝てても、最後の一局で負けてしまい銀メダル。
挑戦者にはなれてもタイトルホルダーにはなれなかった。
そんな銀メダリスト。
あぁ、勝ちたい。勝ちたいさ。
勝つために将棋をやっている。勝たなきゃ意味がない。
「じゃあ逆に聞く。あなたにとって将棋とはなに?」
「ぼくにとってですか。少なくとも勝ち負けを競うものではありません」
勝ち負けを競うものじゃない。
だったらなんだ、楽しむものとかそんな綺麗事を吐くつもりじゃないだろうな。
この無邪気天使は。
「将棋の研究ですよ」
「?」
研究?
それはなんだ。序盤戦術とか、後半の詰めの技術とか、戦型のことなのか?
それにしては玉藻の将棋は定跡無視。どこまでもゴーイングマイウェイのような将棋だ。
「将棋のすべてを解き明かしたい。この小さな箱庭の宇宙の謎、将棋を理解したいんですよ。初めて将棋に触れ、初めて対局したあの日からずっとぼくはこの世界について理解したかった。そのすべてを自分の頭で答えを導き出したい。つまり――」
「ぼくにとって将棋とは『極める』もの」
極めるもの。
……ダメだ。自分の感覚とかけ離れすぎて理解できない。
文系一筋の人間が、数理科の頭のおかしい人間と話してる時の感覚だろうか。
「正直言って今の将棋の定跡は狂っています。こー、なんというか、普通の人間が使えるように簡単にされているんですよ」
「そりゃ人間が考えたものだからね」
「簡単にされたものだから脆い。絶対じゃない。だからぼくの将棋の目的は、究極で完全で絶対的な不変の定跡を作り出すこと」
つまりは簡易的にされている現代の定跡を壊し、新しくどんな時にも使える唯一の定跡を作り出すということ。
それはもう定跡ではない。テストの解き方ではなくテストの答えそのものだ。
魔王は将棋の『答え』を作ろうとしているのだ。
そんなものが出来た日には将棋は終わってしまう。
答えが一つしかないゲームなどつまらないのだから。
「あぁ、理解したよ」
「えっ、ほんとですか? 先生に言っても鼻で笑われたんですけど、さくらちゃんは解ってくれるんですか?」
「理解できないことを理解した」
「なんですかーそれはー。まぁーいいですけど」
今この瞬間、私は新しい目標を一つ決めた。
玉藻が夢見ている『将棋の答えを見つける』ということが、出来ないことを証明する《・・・・・・・・・・・》
答えなど存在しない、そのことをだ。
だからまずは。
「対局終わったら考えるという件だけどね」
「ええっと、なんの話でしたっけ?」
「あなたと友達になるという話よ。いいよ、友達になろう」
私は手を差し伸ばして握手を要求する。
今朝、階段で腰をついた私に手を差し伸べたのは玉藻だ。
奇しくも、今度は私が彼に手を差し出す。
「えへへ、いいですね友達」
握手をしながら、玉藻は笑顔を溢す。うーん天使。
魔王と友達とは前世の私が見たら腰を抜かすな。
でも最終的な目的は何一つ変わってない。
魔王を超え、誰よりも強くなる。
そして名人になる。
そのために魔王すら利用する。
そのための友達契約だ。
そうこれは契約。あくまで契約。
別に友達になりたいとかそういう訳じゃない。
……本当だからね?
「じゃあ、そろそろ決勝の配信はじまりそうだし観よっか――宗くん」
玉藻は目をぱちくりと大きく開けて驚きをあらわにする。
あだ名欲しがってたしこれはサービス。
ずっとあなた呼びじゃかわいそうだしね。
大人の懐の深さに感謝してよね。
「えへ、えへへへへへ」
「うわー、天使でもこんな気持ち悪い笑顔できるんだ」
「ひ、ひどい」
今日、私は魔王と再会し、魔王と友達になった。




