第30話「妹に発育で負けてメンタルブレイク」
「ここで攻め!?」
斬り合いを望むのか。
この瞬間に?
ルナの将棋のような一辺倒の攻めではない。
だらだらと遊んでいた子供が、次の瞬間にはもっていたハサミを喉元に突きつけてきたような。
そんな、急転直下。豹変。
そう、豹変。
相変わらず、ニコニコとしたその笑顔で盤面を俯瞰する少年。
見た目はなに一つ変わっていない。
なにも考えてなさそうな無邪気さしか感じない。
「でも……魔王を感じる」
序盤の定跡のかけらもない無邪気な将棋は正直魔王らしくない。
しかし、今の一手。
この一手は魔王の面影を感じる。
理解の外から、不意に将棋を壊す。
凡人が必死に積み上げてきたアドバンテージが、たった一手で崩れ去る。
それが魔王の将棋。
彼との将棋は自分の将棋感が壊れる。自分が信じていたモノが信じられなくなる。
角淵が昨年、玉藻と対戦して敗北しスランプに陥ったと言っていた。
あれは冗談でも誇張でもないのだろう。前世で何人もの棋士が魔王に感覚を壊され、将棋がさせなくなった。
「……とはいえ、今はまだ雛」
私も子供。そして目の前の玉藻も子供。
まだ未完成の雛だ。
まだ魔王足りえない。キバが生えたてのウリ坊だ。
私の玉は穴熊の奥深くに引きこもっている。
玉藻の攻めで即陥落することはない。
それに対して、玉藻の陣地は囲いとも呼べないような変な形をしている。
斬り合いは望むところ……だが。
迷う。
玉藻がもし、美濃囲いや矢倉のようなオーソドックスな囲いをしていたなら迷わず私は斬り合いをしただろう。
どう攻めればどれだけの被害がお互いに出るか解りやすいからだ。
穴熊という絶対防御の鎧は、その代償に攻め駒が少ない。
ゆえに必然的に武器を調達する必要が出てくる。
つまり敵陣を攻めて駒を略奪し現地調達するか、敵の攻撃を受けて返り討ちにし補給するか。
もし前者を選択するならば、敵の囲いの理解が必要だ。
攻略するのにどれだけの駒が必要で、どのタイミングで攻めるか。
既知の囲いならば、その計算がしやすい。
だが未知ならば、自分の知識の範囲内で予想することしかできない。
不確定要素が大きければ、それだけ致命的なミスを犯す確率も高くなる。
攻め駒に自由度がない穴熊では、攻めでしくじると気づいた時には囲いしか残ってない、そんな状況になりかねない。
改めて玉藻の囲いを見るが、一見固そうには見えない。
春先の私ならここぞとばかりに攻め入るだろう。
だが、今私は迷っている。
未知に飛び込み痛い目を見た経験が、私を迷わせている。
――角淵影人との一局だ。
あの対局で私は結果的には勝利を収めたが、序盤中盤で捕食の受けに食い散らかされたのは大失敗だった。
誘われるがままに攻め、逆襲。
未知に飛び込むことは、自分の武器である定跡をすてることになる。
持ち時間は圧倒的にこちらの方が多い。急いで斬り合いをするよりはじっくりと腰を据えて玉藻の攻めを受けるほうが得策。
失敗から学ぶ私えらい!!
敵陣に打ち込んだ角をすぐに活用しないのは、釈然としないが……。
私は玉藻の攻めを受けるため、手持ちの歩を打つ。
それに対して玉藻はノータイムで銀を滑らせるようにあげる。
玉藻が思考時間をほぼ使わずに指したのは、この対局で初めてだった。
定跡がある序盤に時間を使い、逆に混沌とし始めている中盤にこの状況でノータイムで指す。
もう私の理解の外にいる。棋風とか以前に、普通の考え方の基準すら理解できない。
対局は相手との会話である。
しかし残念ながら今日の対戦相手は宇宙人のようだが。
「そう言えば、さくらちゃんは影人くんに粘り勝ったそうですね」
「影人ってぶっちーのことか。名前で呼ぶことなかったから忘れてた」
「クスクス、ぶっちーって面白いあだ名ですね。センスを感じます」
「宇宙人同士気が合うんでしょ」
同じ宇宙人でも桜花のことは何でもわかるけどね。
だって私はお姉ちゃんだから!
お姉ちゃんは妹の全てを知っているし、知る権利がある。
それはもう好きな食べ物から最近の発育まで。
身体測定の時に、桜花の方が1ミリだけ高くてお姉ちゃんガチ消沈したのは内緒。
「影人くんとはいっぱい実験したから、そろそろ新しい実験台が欲しいんですよ」
玉藻は歩で、銀で、桂馬で。
飛車や角などの大駒を使わずに、ちくちくと私の囲いに針を入れていく。
私は受けのスペシャリストの角淵ほどではないが、受けには自信があった。
生半可な受けをしていては、瞬殺してくる妹が身内にいたから自然と鍛え上げられたからね。
ホント、桜花は容赦なく殺してくるよ。
お姉ちゃんには優しくしなきゃダメだぞ。
さてさて、そんな私の天使の桜花たんはここ最近棋力をさらに伸ばしている。
ルナや角淵とスマホで将棋しているらしく、私以外の同年代との対局は桜花にとって大きな経験値になっている。
成長期まっさかりの桜花たん。
その終盤力はもうゴリラ。そのゴリラと毎日じゃれあってる私は……まぁ受けは自信があったのよね。
そんな私の受けがいとも簡単に解体されていく。
まるで精密機械が寸分の狂いもなく加工していく様を見せられているようだ。
桜花の攻めは、王の首の一点狙い。
鋭くただただ一途――貫くことに特化した攻めだ。
玉藻の攻めはそれとは対極。
相手の服を全て脱がせ、丸裸にして勝つ。
ど変態な攻め――削ることに特化した攻めだ。
寄せて引き剥がされ削られて、1枚1枚上着から順番に脱がされていく。
「くっ、やらしー」
「なんか変な意味に聞こえますが気のせいですよね?」
「はいはい気のせい気のせい。うざったいから退けっ!!」
このまま一方的になぶられるのは癇に障る。
相手の攻めを振り払うように、八筋に飛車を振る。
睨み合っていた玉藻の飛車も自由になるが、その飛車が攻めに加わるまで時間がかかる。
そして私にはもう一つの大駒がある。
「戻って来い」
敵陣に打ち込んでいた角を下げ、龍馬へと成らせる。
その龍馬は私の守護神であり、敵陣に未だ睨みを効かせている。
角を打った時にここまで上手く扱えるとは思っていなかった。
玉藻の攻めと綺麗に合致した偶然の結果だ。
しかし偶然でも結果として出せるなら構わない。
やっぱり今日は調子がいい。
朝からこれで3局目だが、対局するにつれて頭が冴えてくるのがわかる。
会場は暑いけどね。クーラー本当に入ってるのかな。
夏の体育館を思い出す。夏休み入る前に同じクラスのクソガ……男子と汗だくになりながらドッヂボールした時の暑さと同じくらいだよこれ。
「汗すごいですよ。ハンカチ貸しましょうか?」
「おあいにく。あなたが拾ってくれたハンカチがあるから大丈夫」
「そうですか……。しかし、本当にここ暑いですね」
「……そう言う割りには、汗一つかいてないね」
「体質なんですよ。……ほいっと」
私の会心の一手にも、玉藻は何一つ動揺せずに次の手を指す。
まだ足りない。もっと、もっと。
全力を賭して、まだなお足りない。
才能ないなら思考を止めるな。もっと先を読め。
今できる努力――考える事だけは止めるな。
「苦しそう」
玉藻がポツリとそう言葉を漏らす。
「あぁ、苦しいよ。考えすぎて今にも頭がパンクしそう。暑さにバタンキューしそう」
「……でもごめんなさい。ぼくは楽しい」
「いじめっ子思想!?」
「ち、違いますよ!」
いやーさすがは魔王。
人が苦しんでる様を見て楽しいと曰う
天使の皮をかぶった魔王。見た目はキュートなのに中身は腹黒悪魔。
「楽しい……楽しいんです。将棋ができることが楽しい。ぼくは将棋が大好きなんだ」
「そ、そう……」
自分の辞書の『将棋』の意味と玉藻の辞書の『将棋』の意味が本当に同じなのか問いかけたい。
まぁ、心を囚われているモノという意味では同じなのかもしれない。
会話をしながらも局面は進んでいく。
玉藻の攻めは終わらない。削り削られついには本陣の穴熊にまでその手は迫る。
玉藻は角交換で手に入れた角を私の陣の底に打ち込み、即龍馬となって暴れさせる。
そして隙をつくように飛車を進軍させて竜王を作る。
小駒で削り大駒で制圧する。見事すぎる手際だ。
――だが、私はまだ負けてない。
玉藻の攻めを受け続けたおかげて、穴熊以外の私の陣地はボロボロだ。しかしその分持ち駒がある。
それに私の飛車だって、玉藻が竜王を作ったのと入れ替わるように敵陣で竜王に成っている。
あとは、時間だ。
一手で良い。一手の緩手。
攻めるきっかけが欲しい。
ピピっ。
私の待ち時間が無くなり、一手十秒で指さなければならなくなった。
玉藻はとっくの昔に十秒将棋になっている。
十秒将棋なのに、その手が緩むことのない。
私と玉藻の間にはもう会話の余裕すらない。
「お姉ちゃんの教え」
独り言を口ずさむ。
私は桜花に良く『お姉ちゃんの教え』として色々と悪知恵を吹き込んでいる。
将棋だけでなく、生活で使える知恵などそれはもう多種多様。
半分くらい思いつきで適当に言ってるから、言った自分さえ覚えてないのが多いけどね。
でも3つだけ。私の考えの根幹にあるモノ。
『勝っている時は臆病に。負けている時は大胆に』
『相手の考えを読むな。考えを誘導しろ』
『死ぬまで諦めるな』
この局面、優勢か劣勢かでいうならもちろん劣勢。
なら、いつもみたいに臆病な私ではなく強気に大胆に。
そして、今私が欲しいのは玉藻の緩手。
玉藻に『一度落ち着こう』という休みの気持ちを生ませるように誘導する。
そのために……私にできるのは人真似だ。
私は自分の穴熊に、わざと攻めてくださいと言わんばかりのスキを作る。
それは毒リンゴ。ただし私も死ぬかもしれない毒リンゴ。
本家には到底及ばない。十秒将棋だからこそできる悪あがき。
突然沸いたあからさまな好機に怪訝な表情を見せる玉藻だが、考える時間は十秒。
十秒将棋でもミスをしない玉藻だが100点を取り続けれるわけではない。
そして、私の見せたスキ。そこを攻めれば100点は取れなくても80点は取れる。
――だから喰いつく。
ここから玉藻が100点を取り続ければ、私は死ぬ。
だが1度でもミスするか、もしくは怖気つけば私にチャンスが回ってくる。
負けと隣り合わせでヒヤヒヤする。
安定志向の私らしくない。
……まったく、こんな戦法を日頃から使う奴は頭がおかしい。
でも今日はこれを借りよう。
不完全で簡易的で擬似的で付け焼き刃だが――
「確かこう言うんだっけ――逆襲です」
――『捕食の受け』を、さぁ始めよう。




