第28話「夢と夢」
――物足りない……こんなんじゃ物足りない。
私の手は軽快に駒を相手の盤面に叩きつけていく。
対面の少年は苦虫を噛み潰したように顔を歪める。
全国王将大会低学年の部。その予選の2局目。
県予選の時と違い、全国の予選は3連勝しなければ決勝トーナメントに進めない。
1局目を快勝した私は、続いての2局目も序盤から有利を築いていた。
確かに全国のレベルは高い。でもこの程度ならルナや桜花の方がずっと強い。
それに今日の私の本番はこの後――。
予選ブロックが公開されてからずっと私の心は激しく燃えたぎっている。
しかし頭の中はひどく冴え渡っている。
今日の私は絶好調この上ない。
ただ物足りないのだ。
全力以上の実力を発揮できているのに、相手に手応えがない。
弱いわけではない。ただここは低学年の部。あくまで年相応なのだ。たとえ全国レベルだとしても。
ここ数ヶ月、ずっと角淵やルナ、桜花と対局して力をつけた私の敵ではないのだ。
「……負けました」
「ありがとうございました」
相手の少年が投了して頭を下げる。
そのまま感想戦に入るが、私の頭の中は次の対局でいっぱいだった。
予選ブロックの最終戦はブロック内の2連勝同士が決勝トーナメント進出を争うことになる。
つまりブロックが公開された時点でおおよそ誰と対局するのか分かる。
特に相手の棋力を知っていればなおさらだ。
感想戦を終えた私は次の対局まで少し休憩をする。
壁に背を預け、持っていたペットボトルで水分を補給する。
思っていたよりも喉が渇いていて、一息に飲み干してしまった。
「どうやら順調なようですね」
「おやおやぶっちーも休憩かな」
「ぶっちー言わないでください」
角淵が私の隣で腰を下ろす。
ここから見える成績表だと、どうやらぶっちーも2連勝。
私と同じで次勝てば決勝トーナメント進出だ。
「……まぁ、なんです。次頑張ってください」
「……どうしたのぶっちー。何か拾い食いでもした?」
「そんなにボクがあなたを応援するのが変ですか!?」
「えっ、うん」
だってあのぶっちーがだよ?
陰険陰湿陰キャの『三陰』のぶっちーがだよ?
人を応援だなんて、雪でも降るんじゃないだろうか。
「と言うか、ぶっちーは彼と友達じゃないの?」
「そうですよ。憎たらしいライバルでもありますが……」
「普通なら友達の方を応援するもんじゃない?」
「……あなたのことも友達だと思っていたのですが」
キュン。
不覚を取ってしまった。
おお、これがギャップ萌えか。
たまに忘れるけど角淵ってまだ小学三年生なんだよね。
まだ子供の純粋さのかけらが残っている。
たとえ将来悪鬼羅刹の魔王の眷属としてブイブイいわせるとしても、今はまだ子供なんだよ。
「……にひ、そうだよ角淵くん。私と君は友達……フレンドだよ」
「……その表現だとソシャゲのフレンドに聞こえるのはボクだけでしょうか」
「フレンドID交換する?」
「しません」
振られた。
悲しいね。まだまだ角淵攻略の道は遠いようだ。
乙女ゲーなら即落ちしてもおかしくないのに、リアルは理不尽だ。
「角淵くん攻略したらルナが泣かないかな……」
「なんでルナが出てきたんですか? あと攻略とはなんの話ですか?」
「ははは大丈夫大丈夫。天地がひっくり返っても角淵くんを攻略したいとは思わないから」
「なんの話かこれっぽっちもわかりませんが、なぜかムカつきますね」
そこでちょうど予選最終戦の対戦組み合わせが発表された。
私の対戦相手は予想通り彼だった。
同じ予選ブロックに配置された時から、この展開は予想できていた。
なにせ彼は優勝候補。私が勝ち抜けば必ずこの予選最終戦の舞台には出てくる。
――魔王……訂正「神才」玉藻宗一。
「……ボクは去年、宗一とこの大会の準決勝で初めて対局しました」
「隙あれば自分語り?」
「茶々を入れないでくれますか」
「ごみん」
急に角淵が去年の話しを始めてつい口を挟んでしまった。
全く似合わない神妙な顔つきで角淵は続ける。
「ボクは負ける気がしなかったんです。なにせ宗一は年下。初参加である小学一年生が準決勝まで勝ち進んでいることは驚きでしたが、それでも去年のボクは翔以外には負けるとは露ほども思っていなかった……」
「でも負けた」
「そうです。しかも負けるだけじゃありませんでした。ボクはそのあと将棋が一時期させなくなったんです」
どんな好きなことでも急に嫌いになることはある。
どんな得意なことでも、急にできなくなることがある。
角淵の言っていることは、私は理解できてしまった。
たぶん彼は……。
「自分の将棋がわからなくなったんです。笑えますよね。どう指しても違和感が出てきてしまうんですよ」
スランプ……そんなありきたりの言葉では説明できない。
感覚が壊れたのだ。子供にしてはしっかりと基礎を積み上げてきた角淵にとって、その常識を根底から崩されることは致命的だったのだろう。
それでもまだ角淵が子供だったから、今のようにまた将棋を指すことができるようになったのだろう。
基礎や常識は積み上げれば積み上げるほど、それが崩れた時に大きなショックを人間は受けてしまう。
普通は積み上げるほど強固で揺るぎないものになるはずなのだが、予期もしない天災とはいつの時代も存在するものだ。
この場合は天災ではなく天才だが。
「神無月師匠に弟子入りさせてもらったのはちょうど将棋がさせなかった時期でした。それからなんとかボクがふつうに将棋を指せるようになるまで数ヶ月かかりました。……さくら、宗一の将棋はあなたの将棋感を崩します」
「……私は最強さくらちゃんだよ。大丈夫だって」
私は俯き苦笑する。
魔王はやはり魔王だった。
彼の圧倒的なまでの実力は対局相手の心を折り、プロ棋士ですら自分の将棋を壊してしまう。
ゆえに、前世の彼は魔王と呼ばれたのだ。
「……さくら、あなたならもしかしたら……」
「勝てるかもしれない?」
「いえ、流石にそれは無理ですよ。ボクに負け越してるようではね」
「私は本番には強いからね。絶対勝つよ」
「……あなたのその勝気なところは素直にすごいと思いますよ」
負けるつもりなんてない。
前世の借りもある。
たとえ転生してもこの想いは薄れない。
私の今世の目的。
魔王および魔王の眷属、その全てを抑えて私が頂点になる。
そして――名人になる。
まずはその第一歩が今日、この対局だ。
角淵と別れ、お互いに予選最終戦の席へ向かう。
別れ際に「頑張ってくださいね」と角淵が激励してきた。
私の心配してくれるのはありがたいけど、自分の対局相手が聞いたことない相手だからって油断してると、負けちゃうぞぶっちー。
私が、席に着いた頃のは私の対局相手はすでに座っていた。
ついさっき階段で私のハンカチを拾ってくれた少年。
まるで女の子みたいな顔。
ニコニコと私の天使のようなその笑顔を向けている。
「いやー待っていました。まさかあなたが影人くんを倒した女の子だったんですね。いやー楽しみだなぁ。はやく実験」を始めましょう」
前世における「名人」。
――――『神才』玉藻宗一。
心の底から楽しそうに、私との対局を心待ちにしているその少年。
『魔王』とはイメージがかけ離れている。
でもなんだろう。私の第六感はこの少年が魔王であると非常信号を出している。
「私も楽しみだったよ――あなたと将棋できるこの瞬間を」
あぁ、頬が緩むのが我慢できない。
出会った時は、あんなにも体が震えたのに。
こんなにも自分が動揺するなんて思っていなかった。
小さなこの身体には、前世から連綿と受け継がれたこの感情は強すぎたのかもしれない。
ただ今は楽しみで仕方がない。
ずっとずっと待ち望んだものが目の前にあるんだ。
今にも将棋を指したいという衝動を抑えて、ゆっくりと玉藻の対面に座る。
「さくらちゃんって研究を始めて何年くらいですか?」
「うーん、数えてないからわからないけど30年は確実に超えてるかな」
前世から数えたらだけどね。
さすがの玉藻も今の言葉にはあっけにとられたのか口をポカンと開けていた。
しかし、玉藻の次の言葉に私は逆に驚かされてしまった。
「奇遇ですね。ぼくも同じくらいですよ」
「――!?」
どういうことだ。
まさか、玉藻も……。
「さくらちゃんも夢の中で将棋を指しているんですか?」
「……夢?」
「はい、夢です。不思議ですよね、寝るたびに夢の中で将棋を指すんですよ。ぼくではない誰かになって」
……前世持ちではない。
だがこれは……。
……いや、今は将棋に集中するんだ。
「うんうん、やっぱりさくらちゃんは面白いや。友達になりましょう」
「この対局が終わったら考えるよ」
「いい返事楽しみにしてますね」
――そして開始の合図とともに将棋が始まった。
小学生将棋王将大会全国大会低学年の部予選最終戦。
空亡さくらVS玉藻宗一。




