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第11話「不動の王と脱兎の王」

 対局時計が秒を刻む音が聞こえる。

 ピッ。ピッ。ピッ……。

 ギリギリまで頭の中で将棋盤を動かし、想定外の読みミスが無いかを確認する。


 長く、長く続いた対局。

 ルナとの対局と同じく、私と角淵は互いに一分将棋。

 対面に座る角淵の顔から余裕が消えて久しい。カリカリと爪を噛む様は、彼の焦りが現れている証拠だ。

 一度は追い込まれた。角淵のと金が数枚、私の自陣だった場所に未だに存在する。

 喰い込み、私を侵し続けたと金達。しかしもう私の王はそこにはいない。


 ピーーーーーーー……。


 対局時計が残り五秒を示すアラートを響かせた瞬間に、私は手を伸ばして次の一手を打つ。

 これで――入玉。

 つまり相手の陣地内に私の玉が入ったのだ。


 角淵の攻めに追い詰められた私は飛車角まで下げて徹底抗戦の姿勢を示した。

 角淵の意識をその一点に注目させ、他の事に対する読みを浅くさせる。

 そしてその隙にコッソリと自玉の周辺を固め……一瞬の機を見つけ脱兎の如く逃げ出した。

 玉の逃亡先は敵陣。まるで関ヶ原の島津のように。


 将棋において敵陣に玉を入れる入玉。実は入玉した玉を相手が詰ますことは非常に難しいのだ。

 将棋をしたことない人からすれば、相手の王がわざわざ首を差し出しに来たとしか思えない入玉という行為だが、実際に相手にしてみれば何故詰ますのが難しいのか分かる。

 まず入玉した駒を詰ますには後ろ向きに駒を使う必要があるのだ。

 それに対して、将棋という駒は基本的に前に進むことを得意としていて後ろに下がることを苦手とする駒が多いのだ。

 将棋において最も安全な場所は自陣ではない。この敵陣なのだ。まぁ、入玉するのはとても難しいんだけどね。今回は本当にうまくいき過ぎた。


 私が徹底抗戦を示したせいで角淵は自慢の受けを崩してまで攻め駒の供給を始めた。そのおかげで入玉する頃には彼の陣地は、もぬけの殻とまではいかないまでも私の入玉を許す程度には弱まっていたのだ。


「ふふふ……」


 やっとここまできた。

 数少ない勝機の一つをなんとか手繰り寄せることができた。

 相手がプロならこうはうまくいかない。どんなに強いといっても目の前の男の子は小学生。

 こんな汚くて定石すら存在しない泥沼の対局なんて経験がほとんどないだろう。

 私も入玉戦はそんなに経験があるわけではない。ただ皆無ではない。

 桜花との将棋で、あの終盤力から逃げるために何度か使った戦法だ。入玉してしまえば桜花と言えども詰ますことはできない。

 まあ、あまり見ることがない盤面だから桜花の教育にも悪いし、数回見せてからは自重してるけど。


 ピッ。ピッ。ピッ……。


 苦悶の表情を浮かべ時間ギリギリまで考えようとする角淵。

 彼からしてみればほぼ必勝の盤面からイーブン――むしろ私の方が優勢にまでなってしまい、精神的にキツイだろう。

 どこで間違えた、なんて対局中に自問するようなら三流だが彼はどうだろうか。

 対局中は失敗を振り返ってはいけない。その時間があるなら今目の前の盤面を少しでも考えるのだ。おねぇの教えその……17? だったかな。あとで桜花に教えとこう。


 角淵が着手する。

 まだ私を追いかけてくる。まだ入玉して浅いため詰ますことができると思っているのだろう。

 角淵の攻めの持ち味だったゆっくりとした攻めはそこにはもう存在しない。

 押し返された焦りと一分将棋で普段のパフォーマンスを発揮できていないのだ。


 私ならここで急いで詰まそうとはしない。

 普段の角淵でも私と同じ結論に至るはずだ。

 彼と私は基本的に似ている。

 受けが得意で、安全志向な攻め。カードゲームならコントロールデッキを好みそうな陰キャラ。……いや、私は陰キャラじゃないよ!?

 あとは負けず嫌い。

 ルナといい角淵といい負けず嫌いな子は強くなる。……桜花はそこあたりが欠けてるんだよなぁ。角淵に負けて泣いてたから悔しくないわけではないのだろうけど。


 そして角淵に無くて、私が持っているアドバンテージ。

 それはゆとり。

 私の中身はおっさんだからね。多少のことじゃ動じない。

 常に冷静。ビークール。たまに熱くなっちゃうけどね。たまにだよ。たまに。


 私達人間はコンピュータと違って、感情や思考に起伏がある。焦りや不安でいつもの将棋が指せない事があるのだ。だから常に冷静に自分というものを保つ技術が必要なのだ。これは一朝一夕で身につくものではない。

 これは将棋だけの話ではない。

 人前に立つ経験を何度も重ねなければ、いつまでたってもあがり症は治らない。同じように経験でしかその技術は身につかない。

 たとえ前世の経験はなくても、おっさんとして身につけた胆力は失われてない。それは精神の奥底まで根付いたものだからだ。


 角淵が犯したミス。

 そして今なお続いているそれは王が囲いから抜け出してないのだ。つまり角淵の王は角淵の陣から動いてない。不動の王。

 囲いは順当に強化され穴熊まで進化している。


 片方が入玉してもう片方が入玉してない場合、入玉している側が非常に勝ちやすくなる。何故ならば非常に詰ませにくいから。

 もしお互いの玉が入玉した場合は『相入玉』となり『持将棋』――引き分けとなる。

 この大会のルールでは、準決勝までは残り駒による点数計算で勝敗を決め、そしてこの決勝だけは先手後手入れ替えての指し直しとなる。

 角淵としては悔しいかもしれないが、私の入玉が迫った時点で諦めて自分の王を入玉させるための行動を開始すれば引き分けとなった可能性が高い。

 ……まあ、穴熊まで組んでしまったのだから、その囲いを捨ててまで入玉を目指すかは考えものか。


「……あ〜うざうざうざっ!。ボクがこんなところで負けるなんてありえない!」


 自分自身に言い聞かせるように角淵は言葉を発して、最後の攻めを始める。

 攻めてくる。攻めてくる。攻めてくる。

 しかし、私の玉は詰まない。どんなに固い囲いよりも、そしてどんなに柔軟な受けよりも、この攻めは難しい。

 戦場で背中を向けて攻撃を仕掛ける兵士はいない。

 ここが盤上で一番の安全地帯。

 角淵の攻めは荒い。自分の劣勢を悟り何とか巻き返そうと躍起になる。

 歳下、ましてや女の子に負けるなんてありえない。そんなくだらないプライドが彼の精神を不安定にしている。

 もう負けることはない。そう思い私は最後の捌きに出ようとした時。


 ……角淵の手が止まった?

 諦めた……ってわけではないよね。

 角淵は天井を見上げ大きく深呼吸する。

 一分将棋の対局中とは思えないゆっくりとした動作。

 改めて将棋盤を俯瞰する。その顔からは先ほどまでの焦りは消えていた。

 そして時間いっぱい使って着手。


「うざいうざいうざい………………けど、認めるよ」

「……!?」

「名前なんだっけ?」

「さくら、空亡さくら」

「……さくら、か。ははっ、来いよ。ボクの――オレの最後の受け見せてやる」


 角淵が最後に信じるのは自分の得意分野である受け。

 最後の最後まで穴熊に引きこもっていた角淵の王。彼にとって囲いで受けることはアイデンティティなのだろうか。それとも外に出ることへの不安の表れか。

 ……というかオレって何?

 猫被り陰キャラだったの?

 ネット弁慶的な感じで。


 角淵は持ち駒を穴熊の周りに叩きつけて囲いを強靭にしていく。

 最後の籠城戦が始まる。


「やられたらやり返すってね」


 角淵の穴熊の前に歩を垂らしていく。

 散々やられた歩とと金による攻め。

 穴熊という囲いは固い。それはもう固い。

 でも、無敵の囲いなんて存在しない。穴熊の解体と鍵は歩と桂馬。

 歩がフォークなら桂馬はナイフ。歩で穴熊を崩してナイフで切り取っていく。

 そして穴熊が解体され、前面に駒が押し出されたところで横から最後の寄せだ。

 最後はスプーンですくってご馳走さまってね。



   ■■■



 さくらの怒涛の切り崩しが始まった。

 お手本のような穴熊崩しだ。

 観戦者は静かに見守る。最後の瞬間まで。


 高学年の部の決勝は既に終わっていて、会場のほぼ全ての目がさくらと角淵の対局に集まっていた。

 穴熊と入玉。泥沼の対局が行われたことは、盤面を見ただけでわかる。

 最初から観戦している誰もが思った。これが小学生、ましてや低学年の対局なのかと。それほどまでに二人の対局には花があった。

 熱い。序盤の定跡通りの棋譜からうって変わって中盤の攻めと受けが入れ替わり立ち替わり。お互いの作戦が何度もぶつかり合い名勝負を生み出していた。


 そしてその最後は教科書通りの穴熊崩し。


 最後はあっけなく終わった。

 200手をゆうに超える長い対局の最後は、初心者用の詰将棋に出てきそうなあっけないものだった。


「おねぇ、の勝ち」

「ええ。そうね」


 ずっと口を閉ざしていた二人の少女は決着の瞬間、息を吐くようにそう言葉を漏らしたのだった。


 ――投了。

 角淵が静かに(こうべ)を垂らしたのだった。

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