真打ち登場
さて、集会の日、金曜の夕方。
もよは鍋を持って三好家を訪れた。京子は台所で忙しく働いている。
「京ちゃん、これ。ぴりぴりいも」
「ああ、ありがとう。助かる」
集会のあとは、食事会がある。京子は二十二家分の食事を用意するため、酒の買い出しに走り、料理の用意に忙しかった。
もよは、座布団を並べている蒼のそばに行き、
「次郎ちゃんは」
と小声で聞いた。
蒼は手でバツを作った。
そうか、と、もよはうなずいた。
「わかった。やっぱりわたしがやるのね。あ、アー」
窓に向かって、発声練習をする。
六時少し前に、中年女が入ってきた。
「三好さん、いるー?」
「ああ、羽場さん――」
京子は台所から笑って出迎えた。中年女はそわそわとまわりをうかがい見て、
「あのさ。うちのお父さん、風邪ひいちゃって、今日は来れないのよ」
「あらー。大丈夫なの?」
「たいしたことないんだけどね。トシだから。無理するとこじれるからさ――ごめんね。これ、おいしいのよ。食べて」
まんじゅうの箱を押しつけた。
まあ、と京子は礼を言って受け取り、
「じゃあ、あんた聞いていけば? どうせ今日は挨拶程度だろうし、新鮮な馬肉買ってきたのよ」
「だめなのよー。すぐ帰んないと。お父さん、熱出ると子どもになっちゃうんだもの。いないと機嫌悪いのよ。ごめんねー」
あわただしく帰った。
その後、三本ほど、亭主が風邪で欠席する、という電話が入った。その後はなんの連絡もなかった。
「風邪、流行ってんのね」
もよはたくあんをつまみ、ポリポリ音をさせた。
蒼は憮然と座布団のならんだ座敷を眺めている。僧侶ふたりは端座して、じっと動かない。
六時が、七時になっても誰も来なかった。
「食べよ」
京子は台所に立った。
座卓を出して、料理を運ぶ。海苔巻きや馬刺しの大皿があふれるように置かれた。煮物は鍋のまま出てきた。
「これさくらなのね。おいしそうねえ」
もよが明るく言ったが、誰も答えない。彼女も黙って飯を喰った。
京子は立ち上がり、台所へ立った。
「飲もうか」
笑顔で、ビール瓶を抱えて帰ってきた。みなのコップにビールを注いでやり、自分も泡があふれるほどに注いだ。
一気にあおると、
「なによこんなもの!」
床にあった饅頭の箱を座敷に投げつけた。小さい白いまんじゅうが畳に散らばる。
一同がこわばった。
京子は飛び出し、そのまんじゅうを足で踏みつけた。
「なにが気に喰わないのよ! うちだって被害者なんだよ! うちが騙したわけじゃないんだよ! 自分たちだって信じたじゃない。ジビエで儲かるって皮算用してたじゃない! うちだけがなんで悪者なの?」
サッシを開け、つぶれたまんじゅうを掴んで庭に投げつける。
「うちだけがなんで、いつも自治会長やってんの。二十年。お義父さんの代から、四十年だよ! なんでうちだけが責任とってんの。なんで、みんなお客さんみたいに文句言ってんの? 何してやっても文句ばっかり! 新しい農家入れても、新しい住民入れても、文句ばっかり! こんな村もうどうでもいいよ! リンゴなんかみんなサルに食われて、みんな夜逃げでもなんでもすればいい! 行け! 出て行け!」
すでに拾えるまんじゅうがなかった。
彼女は鍋を掴んで、庭に放り投げた。庭石にあたって、アルミの鍋が硬い音をたてる。
「ちょ、母さん――」
蒼はあわてて母親の手から、皿をもぎとった。京子は、わっと泣いて座り込んでしまった。
「……」
蒼はおとなたちを見た。
もよは箸と取り皿を浮かせたまま、目を伏せている。僧ふたりは飯を喰いながら、蒼を見返した。
蒼は聞いた。
「テツさんたち、皆になんて言ったの」
「――」
「ってか、みんな、今日来てくれるって言ったんだよね? 言ったんだよね?」
「――」
もよがぼそぼそと、
「やっぱ、あれはマズかったんじゃないのかねえ」
お市が答えた。
「言ってないよ。誰も」
「!」
「来るとは言ってない。むしろ、いつから全員来ると誤解していた?」
「はあ?」
その時だった。
ふすまがタンと大きく開いた。
浴衣を頭からかぶった次郎が、
「ぽん、ぽぽん、ぽんぽんぽんぽん」
口で言いながら、腰を落とし、すり足で入ってきた。
スッと前を向く。顔に紙の面をつけている。節分の豆についていた青鬼の面である。
「ひとーつ、ひとの女房を泣かせ」
次郎は声を張り上げた。
「ふたーつ、不埒な畑の食害三昧。みっつ、醜き村のケンカ――」
面がひらりと飛ぶ。
「退治てくれよう。桃太郎!」
カッと目を剥き、見得を切った。
「……」
「……」
一同、誰も動けずにいた。
次郎の顔がしだいに赤くなってくる。ムーンウォークで後退し、廊下へと戻りかけた。
「戻るな!」
お市が止めた。
「なんで恥ずかしくなってんだよ! よッ、待ってました! 桃次郎侍!」
テツも高く指笛を吹いた。もよもかけ声を上げる。
「いよッ、三好屋ッ!」
次郎は顔を赤くしたまま六方のポーズをとった。スキップのような六方を踏み、座敷の中央を飛んでくる。
ばか、と京子が涙を拭いて笑っている。
「なんなの」
蒼も腹をふるわせていた。
「なんではっちゃけてんの。ふつうに入ってきなよ!」
次郎は座卓の前に来ると、息子の肩をつかんで座った。
「遅くなりました」
真っ赤な顔で、ニッと笑った。
次郎は馬刺しをせっせと箸で取りながら、
「時間がね。あんまりないんだよ。四月になったら、開花しちまう。そしたら、みんな動けなくなる。作業するなら、それまでに片付けちまわないと」
四月後半には、リンゴの花が咲く。農家は受粉と摘花に追われる。
「目途は四月十日だね。――ひと月ちょいだ。それに、この間も苗木作りたい人もいるだろうし、剪定もある。一日中とりかかりってわけにいかない」
「お金の問題もあるね」と、もよが言った。
「市の補助金は三分の一までだろ。国の補助金は申請、夏じゃなかったっけ」
「また集金することになるな。安くて、効率のいい柵が作れればいいんだが。――なんか、アイディアあるかい」
次郎はお市に聞いた。
お市は刺身をショウガ醤油に浸し、
「おれら、そういうのはやりません」
「?」
「それはみなさんで考えていただいて、おれらはそのお膳立てをやる。ここに人をひっぱってきます」
京子は眉をひそめた。
「来たくない人は呼ばなくていいんじゃない? 理解してくれる人だけでやったほうが、スムーズに行くわよ」
蒼も言った。
「おれは最悪、このメンバーだけででもやればいいと思う。柵作るだけなら、地道にやればなんとかなるんじゃね? いざとなったら、学校の友だちにも声かけるしさ」
次郎は、いや、と言った。
「集落みんなでやるのが先だ。イノシシの成果より、そのほうが大事だ」
彼は言った。
「おれ、思ったんだ。イノシシの問題も、詐欺の問題も同じなんだ。もっとみんなが結束していれば、防げる話なんだ。仲良くしておくことは、人間が生きる上で何にもまして大事なんだよ。――そりゃ、みんなでひっかかっちまうこともあるが、結束していれば次は助かる。――和と団結のある集落、それを目指したい」
「――」
京子はふくみ笑って、刺身を食べた。
お市は言った。
「おれらも、集落を一巡して、ここの人たちの仕組みがだいぶわかりました。そこで、次郎さんにJAまでおつきあい願いたいんですが」
「JA?」
「はい。ある人物に顔をつないでいただきたくて。JAさんなら、たぶん、どこかにツテがあるはず」