三銃士 シナノゴールドの獅子と、サンふじは眠らない
「なかなか、ふざけたじじいだった」
お市は赤い目をしたまま、もよに言った。
「でも、メッセージは伝わったでしょう。さあ、どんどん行くよ。次は?」
「……あんたたち、わりと容赦ないのね」
「なんの。ありったけの慈悲ふりしぼって手加減したわ。でも次やったら、リンゴ林燃やす。さ、どんどんいくぞ。パヤパヤパー」
もよは少々不安に思いつつも、次の農園に案内した。
「こちらも、わが杏花集落の三銃士のひとり。シナノゴールドの名人。辰吉(たつきち)さんの畑」
整然とリンゴの低木が並んだ園内を歩いていくと、枝の間に、点と青灰色の作業着の背が見えた。
農夫は脚立に乗っていた。腰に大工の道具入れを巻いていたが、手を動かすことなく、瞑想するように枝ぶりを眺め、じっと佇んでいる。
「たっちゃん」
もよは明るく声をかけた。坊主たちを紹介し、
「――こちら、辰吉日出男(たつきちひでお)さん。たぬ吉なんて呼ばれてるけどね。シナノゴールドの巨匠だよ、このひとは。ここのリンゴはすごいんだ。デパートで買ったら一個、千五百円もすんだよ」
ふたりの僧は洟をすすりつつ、合掌して挨拶した。
辰吉はチラリと見たが、何も言わずリンゴの枝に目を戻した。
(?)
辰吉はこの集落の三傑のひとりで、とくにシナノゴールドの成績がよい。
果皮の黄色いシナノゴールドは、傷が目立ちやすいが、いつもかたち、着色、糖度とも完璧な玉をそろえ、品評会の最高賞をさらってきた。
それが自慢で、
――シナノゴールドのライオンと呼ばれている、
と、本人は言っている。
もよは、聞いたことがない。
(でも、獅子には似てるよ。獅子舞の)
眉太く、目が大きく、鼻の穴が前を向いて顔が四角い。獅子舞の獅子のようによく口が動いた。話し好きの男だった。
しかし、いまは雲海に立つ仙人のように枝に目を細めている。
(二日酔いかな)
もよは話を少し工夫して、
「あのさ。先日また次郎ちゃんが詐欺に遭ったじゃない。このお市さんがすんでのとこで、助けてくれたのよ。それでさ。みんなで、一度、そういう詐欺の対策を聞いたらどうかと思ってさ。お市さん、そういうの詳しいからさ」
ふたりの僧が、え、と見たが、もよは、
「ほかにもいろいろ懸案事項があるから、ときに、そういうのいっぺん会って話したらいいじゃない? 獣害対策とかも、ねえ」
辰吉は、
「もよ」
眉をしかめて言った。
「おれが今、何してるかわかるかい」
「枝切ってる」
「ちがう。木の歌を聞いてんだよ」
「?」
辰吉はほろにがく眉をしかめたまま、
「リンゴがな。どういう風に育ちたいのか、歌っている。ほんのかすかな声だ。人間には聞こえねえ。聞くにはリンゴになりきらなきゃならねえ。おれは今、リンゴの木だ。この畑と一体なんだ。詐欺だとか獣害、人間の話は聞こえねえんだ」
「でも、あんたエロサイトから請求がきたってうろたえて」
「聞こえないんだ。おれはいま神聖な対話の途中なんだ。リンゴと話し合って、育む。風の声を聞き、地の歌を聞く。自然の巫女となってはじめてできるのが、おれのリンゴなんだよ。もよ、だからおれのリンゴはうまいんだ。トロイヤ戦争を起こした金のリンゴになるんだよ」
もよは地面を見ていた。
(何言ってんだろこの獅子舞)
ふたりの僧を盗み見ると、テツはやはり目を伏せている。お市は小声で、
「トロイア戦争、シナノゴールドで起きてたのか」
もよは早く引き上げようと思った。
「神聖なお仕事の最中みたいだから、もう行くよ。金曜日、夜六時。三好さんちで獣害対策の集会やるからね。来てね」
「聞こえねえ」
辰吉は目を閉じ、鼻の穴をひろげている。
その時、お市がぼそっと言った。
「たぬ吉」
辰吉のあごがぴくりと止まる。お市はまたつぶやいた。
「おれ、リンゴは赤いほうが好き」
辰吉は大きな目を剥き、脚立から降りてきた。
「なんだこの野郎。ケンカ売ってんのか」
「聞こえてんじゃん」
「おい小僧。リンゴはな、黄色いほうがむずかしいんだ。ちょっとの傷も許されねえから、貴婦人みたいに扱わなきゃいけねんだ。リンゴの宝石なんだよ。喰ったことねえんだろ。この乞食坊主が」
「でも赤いリンゴが好き。シゲスイート一度喰ってみてえ」
シゲの名が出ると、辰吉の顔がイヤそうにゆがんだ。
「てめえ、あの一反もめんの手先か」
「いや、シナノスイートの名人、シゲさんのリンゴが食べたいって言っただけだよ。シゲさんはちゃっちゃと木に日焼け止め塗ってたけど、あんた木の上で寝言言ってるだけだし、獣害のことも真面目に考えてくれないし」
「獣害なんざ、まじめに電線貼ってりゃ問題ねえんだよ。なんでこのおれが、よその連中の畑面倒見てやんなきゃなんねんだ」
「自分さえよければいいの? みんなが農業辞めたら、この集落は枯れていくんだよ。若い人は出て行く。あんたが倒れた時、まわりには誰もいないよ。バスも来なくなるよ」
うるせえなあ、とシゲはお市の胸をドン、と突いた。お市がよろける。
「こっちはここでなん十年と勝負してんだ。おまえみてえな外野にモノ言われる筋合いはねえんだよ」
「……」
お市は黙って辰吉の胸をドンと突き返した。辰吉がよろけ、
「何すんだ」
またお市を突く。お市も突き飛ばす。リーチの長いお市のほうが強く、辰吉はあっけなく尻をついた。
「あんたたち何やってんの」
もよの手を振り払い、辰吉は顔を真っ赤にして起き上がった。
「この野郎――」
腰から剪定道具の短いノコギリを引き抜き、握り締める。
お市もさすがにハッとして、相棒に目を走らせた。テツも真顔になっている。
お市は手のひらを見せ、
「ちょ、落ち着け。たぬ吉――」
「たぬ吉じゃねえ、おれはライオンだー!」
ノコを振り上げ、飛びかかってきた。お市もひざを高くあげて走り出す。
しかし、追った辰吉はいきなり、ベタリと地面につっぷした。
「?」
つまづいたらしい。
「自滅! 自滅!」
お市は指差してぎゃははと笑い、
「おれはライオンダー! バタって。腹いてえ! さっき目が痛かったけど、腹もいてえわ。ころす気かこの村は」
「……」
「ノコなんか持ち出すから罰があたったんだよー。ばーか」
このやろう、と辰吉がノコギリを投げつける。ノコギリは地面で跳ね、あさってに飛んでいった。
「あぶねえな!」
お市は笑いおさめ、
「じじい、今のは手袋ってことでいいな。金曜夕方六時、三好家へ来い。決闘だ」
三銃士の最後の農夫、元木章介(もときしょうすけ)は、休耕地に枝の束を運んでいた。
白髪をオールバックにした、鷹のように目つきの鋭い男だった。彼の得意はサンふじで、これまた長野各地の品評会で金賞をさらっている。
「サルなんか別にどうってこたあねえよ」
枝の束をうず高く積み上げながら、
「片端から撃ち殺すだけだ」
首にかけたマシンガンを構え、銃口を僧に向けた。
テツのほうが一瞬、渋い顔をした。
老農夫はニヤリと笑って、銃口を下げた。僧たちの靴先にタタタン、と何かが弾ける。土に溶けるバイオ弾があたりに散らばった。
ふたりの僧がもよを見る。
(モト……)
もよは困って、
「モトちゃん。サルはともかく、イノシシは皮も厚いし、こんな二、三メートル先でじっと立っててくれないんだよ」
「狙撃用ライフルも買った。暗視スコープもついてる。夜、三十メートル先でも撃てる。こないだおれはハクビシンにあてたぜ」
「へえ……」
もよは頭が痛かった。
(なんでおもちゃばっかり買うんだよ。免許取って、ホンモノの猟銃買ってよ。山は敵でいっぱいなんだよ)
あのさ、と切り出した。
「モトちゃん、いくら高性能のおも……エアガンがあっても、ひとりで戦ってちゃキリないよ。ほかの人と共同してやろうよ。よその村みたいに柵作って、見回りして、きちんと獣害対策して、畑の平和を守ろう。ね」
モトは答えず、また枝の束を積み上げる作業に戻った。
剪定したリンゴの枝の束を山と積んでいく。高く積みあがったところで、火をつけた。白い煙が吹き上がり、寒空に立ちのぼっていく。
モトはタバコを咥え、
「獣害なんてのは、昔からあったんだ。百姓はそいつと戦いながら、畑を護ってきたのさ。他人の助けはいらねえ。イノシシと戦えなくて、どうして女房子どもを護れるんだ」
目を細め、紫煙をくゆらせる。
もよの背後でぼそぼそと、お市とテツの声が聞こえた。
――やべえ。あの銃で、女子どもを守るんだ。
――イノシシ、きっとゴーグルしてるな。
もよはシッと制して、
「あんたはシゲたちと違って、話のわかる男だろ。これを機に次郎ちゃんを助けてやんなよ。もう二年たってんだよ」
「――」
「そろそろ腰をあげてやりなおそうよ。あの子もあの失敗で苦しんでるんだ。支えてやんなきゃ。いつまでも放っておいて、首でもくくったらどうすんのさ。あんたたち、大介さんに顔向けできんの?」
「……」
モトはふっと鼻から煙を吐いた。
「ありゃ、自業自得だ」
「――」
「皆が怒るのも当然だ。禊なんだよ。放っておくしかねえ」
モトは言った。
「あいつは二度ポカをやった。ひとつは詐欺業者を見抜けなかったこと。もうひとつは、国の分の補助金を肩代わりして払ったことだ」
「だって、しょうがないじゃないの。払えない人もいたんだし」
「払わせるべきだったんだよ」
モトは目を細め、靴先ではみ出た枝を火のなかに押し込んだ。
金を払うの払わないのともめた時、モトは次郎に全員に払わせろと説得した。いまは憎まれても、そのほうがあとあと始末がいい、と言った。
が、次郎はひとりでかぶってしまった。
人々は感謝しなかった。なぜか以前より次郎を蔑むようになった。次郎が詐欺業者を引き入れ、この事態を引き起こしたと信じるようになった。
モトは、
(あのガキはひとの上にたつ器じゃねえ)
次郎を見限った。
「とにかく今の三好家にはケガレがたまってんだ。それが祓われるまで時間がかかる」
「いつそれが済むのよ」
「次郎の代は無理だろう。蒼があの家継いでからじゃねえか」
「それじゃ話にならないよ。――じゃあ、あんたがやって」
もよは言った。
「あんたが中心になれば、ケガレも何もないだろ。あんたなら少しは人がついてくるよ。ここにいるお坊さんたちも助けてくれるからさ」
「だめだ」
老人は眉をしかめ、笑った。
「群れるのは性にあわねえ」
「……」
お言葉ですが、と、お市が言おうとする。
「お言葉はいい!」
もよはお市の背を押して走りだした。
「三銃士だからって、いちいちケンカしなくていいんだよ」
「でも、男は拳で話し合わないと。モトさーん、サバゲーで決めよう! 負けたら、三好家―!」